Simply Dead

映画の感想文。

『フェリシティーの告白』(1978)

『フェリシティーの告白』
原題:The Night The Prowler(1978)

night_the_prowler.jpg

 オーストラリア出身の映画監督といえば、忘れてならないのが『ロッキー・ホラー・ショー』(1975)のジム・シャーマンである……ということに、最近ハタと気が付いた。ただし、この人は舞台演出家としての活動の延長線上に映画がある、というようなスタンスなので、監督作はそれほど多くはない。この『フェリシティーの告白』は、故郷オーストラリアで1978年に製作された作品。原作はパトリック・ホワイトの戯曲で、ホワイト自身が脚色を担当。日本ではRCAコロンビアからビデオが発売されていた(渋谷のツタヤなどに行けば借りられる)。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
〈おはなし〉
 中流家庭の一人娘として何不自由なく育てられた女の子、フェリシティー(ケリー・ウォーカー)。婚約者との結婚をひと月後に控えたある夜、彼女の悲鳴が町中に響き渡った。自室に忍び込んだ何者かにレイプされたというのだ。狼狽するばかりの両親を尻目に、フェリシティー自身の態度はあっさりとしたもの。

 そんな彼女がこれまでどれほど抑圧され、鬱憤を溜めて生きてきたのか? アッパーミドルクラスの生活を死守しようとする偏狭な母親(ルース・クラックネル)が、我知らず娘にしでかした罪とは?

 そしてついにフェリシティーは自ら頚木を解いた。レザージャケットに身を包み、夜な夜な金持ちの家に忍び込んでは家の中を荒らし回るテロリストと化したのだ。だが、彼女の切実な鬱屈と、抑えきれぬ破壊衝動を理解する者はなく、やがてその行動には歯止めが利かなくなっていく……。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 作り物じみたサバービアを背景に、とある中流家庭の神経症的な家族関係をコミカルに描いた前半部分は、いかにもオーストラリア映画の典型例といった感じ。舞台劇的な演出もあるが、とても『ロッキー・ホラー・ショー』と同じ監督が撮ったとは思えない(というか当地の人から見れば『ロッキー・?』は「ジムが撮ったとは思えない」映画だったかもしれないが)。閉鎖的な環境で身を持て余す冴えない容姿の女の子が、紆余曲折の果てに自分を見出すというストーリーラインは、後の『ミュリエルの結婚』(1994)や『ラブ・セレナーデ』(1995)といった秀作群にも影響を与えていると思われる。

 しかし、フェリシティーが暴走する後半は、やってることは悪戯程度のものでしかないものの、映像の孕む反抗的姿勢というか尖り方は、かなり痛切に迫るものがある。彷徨の果て、彼女に答えらしきものを与えてくれるのは、廃屋の床で今にも死なんとしているホームレスの老人だった。ここでは、老人の萎えたペニスから垂れ流される小便が、生の証として映し出される。シニカルなホームコメディとして始まりながら、最後には思いがけずドブ板ぎわのクソッタレ真実にまで迫るクライマックスには、シャーマン監督の「本気」を感じる。

 ちなみにフェリシティーの部屋に忍び込む情けない侵入者を演じたのは、ピーター・ウィアー監督の『キラー・カーズ/パリを食べた車』(1974)に主演したテリー・カミレッリ。


監督/ジム・シャーマン
製作/アンソニー・バックリー
原作・脚本/パトリック・ホワイト
撮影/デヴィッド・サンダーソン
音楽/キャメロン・アラン
出演/ケリー・ウォーカー、ルース・クラックネル、ジョン・フローリー、ジョン・デラム、マギー・カークパトリック、テリー・カミレッリ
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://simplydead.blog66.fc2.com/tb.php/82-8e2ec18b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad