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Simply Dead

映画の感想文。

ヒデキは、まだそこに……『死霊の罠』とキャンプ・ドレイク

『死霊の罠』ブルーレイ化クラウドファンディング
勝手に応援企画その1

ヒデキは、まだそこに……
『死霊の罠』とキャンプ・ドレイク


 恋人の浮気現場を目撃した看護婦・土屋名美(桂木麻也子)は、悔しさで家を飛び出したところで車に撥ねられる。運転していたのは会社をクビになったばかりの証券マン・村木(竹中直人)。意識不明の名美を慌てて助手席に押し込んだ村木は、がむしゃらに車を走らせる。ひと気のない郊外で車を停め、村木は自暴自棄の心境も手伝ってか、名美の若い体に欲情。愛撫されるうちに目を覚ました名美は、村木を押しのけ車から逃げ出し、棒きれで彼を殴りつける。廃墟に逃げ込んだ名美を追う、血と雨でずぶ濡れの村木――。

 石井隆の監督デビュー作『天使のはらわた 赤い眩暈』(88年)の一場面である。その撮影に使われたのが、埼玉県南部にあった米軍基地“キャンプ・ドレイク”の跡地だ。その敷地は朝霞市・和光市・新座市、一部は東京都練馬区にまでまたがり、面積は約4.5平方kmに及ぶ。戦中には帝国陸軍の軍需工場(被服廠、武器弾薬工場など)が密集していた地域で、終戦後に進駐軍が占有。米軍情報部の主要中継局舎として作られた多角形の建物は“リトル・ペンタゴン”の通称で知られ、『赤い眩暈』、そして同じ場所でほぼ全編ロケ撮影された『死霊の罠』(88年)にも印象的に登場する。

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▲『天使のはらわた 赤い眩暈』より

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▲『死霊の罠』より

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▲キャンプ・ドレイク、リトル・ペンタゴン外観

 朝鮮戦争、ベトナム戦争の際には重要拠点として機能したキャンプ・ドレイクは、米軍のベトナム撤退後、徐々に返還されることになった。敷地の大部分は立入禁止区域として長らく手付かずのまま廃墟となっていたが、1986年にキャンプ・ノースと呼ばれた北部全域が返還。テレビドラマや映画の撮影にうってつけのロケ地として、さっそく『赤い眩暈』『死霊の罠』で活用されたわけだ。

 『赤い眩暈』ではすさんだレイプシーンの舞台として、そして行く当てのない男女の隠れ家として描かれた場所が、さほど時置かずして、池田敏春監督作品『死霊の罠』では殺人鬼が巣食う魔窟となった。この2作を繋ぐのは、言うまでもなく『赤い眩暈』の監督・脚本、そして『死霊の罠』の脚本を手がけた石井隆。そして両作の制作スタッフをつとめた下田淳行。下田はのちに製作会社ツインズジャパンのプロデューサーとして、黒沢清や塩田明彦らと組んで数多くの作品を手がけている。画面のなかでキャンプ・ドレイクの建物が醸し出す雰囲気は、黒沢清作品の廃墟にも通じるものがある。

『死霊の罠』は廃墟映画として見応え満点、見どころ満載の傑作である。ここまでキャンプ・ドレイクというロケーションを活かしきった作品はないだろう。池田監督の目には「宝の山」に見えたのではないかとすら思えるほど、丹念に廃墟のさまざまな表情を捉えている。

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 『死霊の罠』の映像には、ホンモノをフルに活かしたロケ撮影ならではの生々しい不気味さが濃密に漂う。かつて野戦病院としても使われた建物には、医務室や薬品倉庫、負傷兵たちが眠れない夜を過ごしたベッドルームもあり、劇中でもその残滓を感じ取ることができる。ほんの数年前まで誰も足を踏み入れなかった場所から漂う禁忌的ムード、瘴気が画面に映り込むほどの禍々しい空気感は、到底ゼロから作り出せるものではない唯一無二の代物である。そこへさらに池田敏春監督のビジョン、丸尾知行&林田裕至をはじめとする美術スタッフの頑張りが加わって、あの鬼気迫る映像が作り上げられたのだ。

 実際、キャンプ・ドレイクは心霊スポットとしても知られている。朝鮮戦争時にはここから前線に飛び立って命を落とした兵士ももちろん少なくなかったし、基地周辺に歓楽街があったことから犯罪も多く、治安は非常に悪かったという。ベトナム戦争時には、先述のように基地内に野戦病院(米陸軍第249総合病院)が設置され、負傷兵を乗せたヘリコプターがひっきりなしに離着陸。地元の人々はフェンス越しに数限りない傷病者と死体袋を眺める日々を送った。やがて「死んだ負傷兵の幽霊が現れる」という怪談も囁かれるようになった。

 そんな場所に乗り込んで、死屍累々のスプラッターホラーを撮ろうというのだから、どんな祟りや呪いを受けても不思議はない。

 小林ひとみは阿部雅彦とセックスシーンを演じて鉄杭で串刺しになり、中川えり子は清水宏に犯されてワイヤーで首をへし折られ、桂木文はナタで横っ面を叩き割られ血のモニュメントと化し、小野みゆきはスプリンクラーの豪雨を浴びながら火炎に脅え床を這いずり回った。米軍撤収後、積もりに積もった約10年分の埃とカビにまみれながら……。毎晩その場に泊まり込み、終わらない苛酷な撮影と、遅延するスケジュールのなかで疲弊していったスタッフも同様に。

 といっても、キャンプ・ドレイク跡地はべつに「呪われた場所」でもなんでもない。現在、この広大な土地は学校や団地、そして陸上自衛隊の朝霞駐屯地などに活用されている。一部は公園として解放され、いまも映画や特撮番組のロケ地として頻繁に使われるそうなので、見覚えのある方もいるだろう。『死霊の罠』撮影当時の堂々たる廃墟ぶりは、いまやほとんど感じられない。

 ちょうど夕暮れ時に合わせて、キャンプ・ノース跡地の「朝霞の森公園」周辺をちらっと見に行ってみた。ほんの少しでも片鱗をうかがうことができれば、と思いながら。

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▲「朝霞の森公園」入口。夜になるとゲートが閉められるが、子供たちがまだ遊んでいた。

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▲立ち入り禁止になっていた公園の工事中エリア。緑道を整備するらしい。

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▲日が落ちると、当然、林の奥は真っ暗。

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▲公園近くの通学路。右側はえんえんと続く長いフェンスに囲まれた林がそのまま残されている。

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▲月が出ていた。フェンスの奥は手つかずの林。

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▲雰囲気十分。

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▲夜がまた来る……

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▲先ほどの通学路。敷地を縦に貫くように伸びる真っ直ぐな道の長さから、基地の広大さがわかる。

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▲そのとき、雷が。

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▲もう一発。

 晩夏だったので日が落ちるのも早く、空には雲が広がり、何度も稲妻が光った。まるで「そのへんにしておけ」と言わんばかりに、森から冷気があふれ出す。ついさっきまでの蒸し暑さからは考えられないほどに。

 帰りは朝霞駐屯地、隣接する団地の外縁をぐるっと回るように自転車で走ってみた。敷地の広大さを肌で感じ、それだけの土地が廃墟となっていた往時の光景に思いを馳せた。

(つづく)


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