Simply Dead

映画の感想文。

『殺人蝶を追う女』(1978)

『殺人蝶を追う女』
原題:살인나비를 쫓는 여자(1978)
英語題:A Woman After A Killer Butterfly

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 韓国映画史上屈指の怪作。先頃リメイク版が公開された『下女』(1960)をはじめ、強烈な作品群を世に残した鬼才キム・ギヨンのフィルモグラフィの中でも、最も難解かつ奇怪な内容といわれている極めつけの一本だ。約1ヶ月という短期間で撮り上げた即席企画だったため、監督本人もまるで中身を覚えていなかったというが、それだけに彼のいびつな作家性が精査されずダイレクトに表れた映画ともいえる。「キム・ギヨン作品の中で最もグロテスクで、最もB級ジャンルムービーに近づいた作品」というのは、ポン・ジュノ監督の言である。製作を手がけたのは『娼婦物語/激愛』(1982)などの監督としても知られるチョン・ジヌ。本作は彼が監督あるいはプロデュースした『カッコーの啼く夜/別離』(1980)や『蝶々、懐で泣いた』(1983)といった一連の「動植物」タイトルの1本でもある。

 数年前、とあるネットショップでこの映画の海賊版ビデオを購入し、ガビガビの画質とノイズ入りまくりの音質にたまげながらも最後まで観通した時、さっぱりワケは分からなかったものの、妙に清々しい感動を覚えた。確かにストーリー展開はハチャメチャである。何度殺しても生き返る不気味な老人が出てきたり、千年前のガイコツが絶世の美女になって甦ったり、主人公の生首がゲタゲタ笑ったり、異常かつ怪奇味満点な場面がてんこ盛り。それでいてメランコリックな哀愁を湛えた青春映画でもあり、生と死を哲学的に考察した文芸作品でもある。(←ちょっと盛った)

 字幕なしで無理やり観た上、元の素材は韓国によくある短縮版ビデオ(テープ代を安くあげるため、勝手に90分以内にカットしてしまう粗悪品)だったが、それでも十分に衝撃的だった。その後、韓国映画データベースの動画配信サービス「KMDB VOD」で、117分の全長版が観られるようになったものの、初見時から大して語学力も上達していなかったので、しばらく放ったらかしていた。最近になって、韓国映画データベースについての記事を「TRASH-UP!!」に書こうと思い、それを機にようやくノーカット・ノートリミング版で観てみた。そしたら、いろいろと腑に落ちるところがあり、前よりは作品が理解できたような気がした。

(以下、ストーリーの詳細について触れています。ネタバレ注意!)

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〈おはなし〉
 鬱気味の大学生ヨンゴル(キム・ジョンチョル)は、ある日、友人に誘われて川辺へピクニックに行く。彼はそこで出会った美しい女性に差し出されたジュースを飲み、危うく死にかける。彼女は自殺志願者であり、ジュースには毒が入っていたのだ。なんとか一命を取り留めたヨンゴルだったが、よけいに死の影に取り憑かれてしまい、何度も自殺を試みるものの、常に失敗。そんな彼の前に、ひとりの怪しい老人が本の押し売りにやってきて、生きる「意志」について書かれた本の内容を力説する。自殺を邪魔されてカッとなったヨンゴルは、口論の末に揉み合いとなり、弾みで老人を包丁で刺し殺してしまう。だが、老人は死なず、しつこくヨンゴルに「意志」が大事だと語りかける。ウンザリしたヨンゴルは、老人の体を地中に埋めたり、ガソリンをぶっかけて焼いたりするものの、そのたびに老人は甦ってくる。しまいにはガイコツと化してまで「意志じゃー!」と叫んだかと思えば、老人はいきなり灰になって消えてしまうのだった……。

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 その後、友人と洞窟見物に出かけたヨンゴルは、そこで二千年前に死んだ新羅人の骨を発見し、こっそり持ち帰る。ある雷雨の夜、その骨は絶世の美女(イ・ファシ)となって甦った。望まぬ結婚から逃れるために死を選んだ彼女は「人間の生き肝を食べないと完全に甦ることができない」と言い、ヨンゴルの肝臓を求めるが、彼はひるむ。代わりにヨンゴルは、当面アルバイトで彼女を養うために米菓子の製造機を購入。ひっきりなしに機械から吐き出される米菓子の中で、ふたりは結ばれる。その晩、ヨンゴルの生き肝を食らうことを諦めた彼女は、再び骨に戻ってしまうのだった……。

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 ヨンゴルは彼女の骨を手みやげに、考古学の権威であるイ教授(ナムグン・ウォン)の屋敷を訪ねる。住み込みの助手として雇われたヨンゴルは、そこで教授の娘ヘウォン(キム・ジャオク)と出会う。彼女はヨンゴルが毒を飲まされた女の友人であり、その死をきっかけに強い自殺願望に取り憑かれていた。ヘウォンは「あなただけ生き延びたのは不公平よ」とヨンゴルを問いつめる。事実、ヨンゴルはいつしか生命力を取り戻しつつあったのに対し、ヘウォンのほうは死の誘惑に傾倒していく一方。教授はそんな娘をもてあますばかり。

 教授宅には、謎の業者を介して、研究用の頭蓋骨が定期的に送り届けられていた。ある時、骨の代わりに人間の生首がそのまま配達されてくる。ヨンゴルはその差出人を突き止めようと奔走し、やがてその頭部が火葬場や墓場から盗まれていたことを知る。そして、ついにヨンゴルは真夜中の墓地で首泥棒のマスク男と対峙し、取っ組み合いの末に見事成敗する。

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 ヨンゴルは死に魅入られたヘウォンを救おうとして、デートに誘ったりするが、心は通い合わない。そんな時、彼女の身体が癌に蝕まれていることが発覚。ヘウォンはようやく生への渇望に目覚めながらも、すでに残された時間は少なかった。彼女はヨンゴルに「一緒に死んでほしい」と持ちかけるが、彼はその望みを叶えることができず、ひとり屋敷を去ることに……。

 友人とひたすらヤケ酒をかっくらうヨンゴルは、いつの間にか薬を盛られ、倒したはずの首泥棒に刺し殺されてしまう。数日後、教授宅にヨンゴルの生首が送り届けられた。感極まって「ありがとう、ありがとう!」と言いながら死んでいくヘウォン。それは死にゆく娘へのはなむけに、イ教授が用意した最後の贈り物だった。娘の死を呆然と見届ける教授に、ヨンゴルの生首は「人間、意志がなければ生きることはできない! 意志だ!」と叫び、狂ったように笑い続ける。イ教授はナイフを手にとり、生首を黙らせようとするが、いくら刺しても「意志」をもった生首は死なない。格闘の末に自分自身の腹を刺してしまった教授は、娘のあとを追うようにして息絶える……。はたしてこれは幻想か、現実か?

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 本作は「死の欲求」に取り憑かれた者が「生きる意志」を掴むまでを描く真摯なドラマである。ストーリーは、主人公が服毒自殺の道連れにされかける衝撃的な幕開けから、大きく分けて三部構成で展開。劇中で起こる出来事の数々は、一見デタラメで、支離滅裂で、とてつもなくシュールだが、テーマ的には一本筋が通っている。「意志さえあれば人は生きていけるが、逆に意志をもたなくなった者はたやすく死に誘われる」「死に直面した時こそ、人は生に対する執着をもっとも強く発揮する」といった考察が、キム・ギヨン独特のエキセントリックな語り口で提示されるのだ。

 思いつきをそのまま繋げたような幻想怪奇譚の連なりは、ルイス・ブニュエルの諸作品を連想させるが、味つけはもっと韓国的に濃い。突拍子もないユーモアや過激な不謹慎さに溢れながら、途中から急にシリアス一辺倒になったり、真面目な青春ドラマになったりする。その挙句、生と死が混濁するクライマックスの超現実的展開、そして驚愕必至の「殺人蝶」のビジュアルで観る者を唖然とさせ、えもいわれぬ感動とともに幕を閉じるのだ。

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 終始ダウナーな表情で主人公ヨンゴルを演じるのは、キム・ギヨン監督の前作『異魚島』(1977)にも主演したキム・ジョンチョル。冒頭の登場シーンから暗い顔で「死にたい、死にたい」と言いながら、妙なエネルギッシュさも持ち合わせた破綻スレスレのキャラクターを、大仰な芝居で力強く演じきっている。友人役のキム・マンのさりげない佇まいも印象に残る。

 ヨンゴルの厭世観や絶望のバロメーターになるのが「食欲」というのが面白い。第1部では、彼はあばら屋のような自宅でひたすらインスタントラーメンばかり食べている。「1日6回も腹が減って、その都度メシを食わなければならないから、俺はもう死にたい」という台詞は、本作を語る際によく引用される一節だ。生きている限り永遠に胃の中へ食物を送り込み続けなければならない不毛さ。そして食事のたびに、毒に灼かれた彼の胃はキリキリと痛み、死に瀕した際の恐怖と苦痛を思い出す羽目になる。しかし、第3部に至ると、ヨンゴルはいつの間にか食欲旺盛になり、彼が生命力を取り戻しつつあることが示される。この大胆な直截さがキム・ギヨンらしい(もちろん、それは抽象化された絶望であり、軍事政権下当時の韓国の若者たちが抱えていた厭世観の原因をダイレクトに描くことは、当局の厳しい検閲を受けていた映画界では許されなかったのだろう)。

 第1部に登場する本売りの老人は、監督自身の主張を過激に代弁し、体現する分身的存在だ。「意志さえあればなんでもできる!」とアントニオ猪木ばりに檄を飛ばす老人は、その言葉どおり刺されても埋められても焼かれても、強靭な「意志」をもつがゆえにしぶとく生き延びる。老人を黙らせようと躍起になって殺害を試み続ける主人公は、この時点ですでに闘魂注入されているというか、「意志」の火種をつけられているようにも見える。ガイコツと化してまで説教を垂れる老人とヨンゴルの絡みは爆笑必至だ。

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 続く第2部で、白骨状態から甦った二千年前の美女という難役に扮したのは、70年代キム・ギヨン作品のミューズとして活躍した美人女優、イ・ファシ。『破戒』(1974)や先述の『異魚島』などでヒロインを魅惑的に演じ、あまりに淫靡なセックス・アピールを放ちすぎるため、当局から映画出演禁止令をくらったという凄まじい経歴の持ち主である。本作ではゲスト出演ながら、その現実離れした美貌と佇まいをフルに活かし、ファンタジックな役柄を説得力十分に演じている。薄い煎餅のような米菓子が乱れ飛ぶ中でのセックス・シーンは、誰が観ても異様だし、思わず吹き出さずにいられない。常に奇想に富んだビジュアルで濡れ場を彩るキム・ギヨン作品の中でも、屈指のインパクトを誇る珍場面といえるだろう。

 死を望んでいたはずの主人公は、絶世の美女から「あなたの生き肝がほしい」と懇願されても、それを差し出すことができない。彼の自殺願望はあくまで利己的な願望であって、他者のために犠牲になるという発想には繋がらない。一方、二千年前の美女はせっかく現世に甦ったのに、彼の命を奪いたくないと思い、再びガイコツに戻ってしまう。死生観や思いやりといったものについての両者の齟齬、「そんな理由で死にたくない」という主人公の本音が、そこで露呈する。皮肉で辛辣でロマンティックなエピソードだ。

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 第3部は、これまでのエピソードに比べると倍近く長い。舞台は考古学者イ教授の屋敷に移り、主人公と同じく自殺願望に取り憑かれた3人目のヒロイン、ヘウォンとのシリアスなドラマと、謎の首泥棒をめぐるサスペンスが並行して展開する。ヘウォンに扮するのは、当時流行したホステス映画のヒット作『O嬢のアパート』(1978)などに主演した人気女優のキム・ジャオク。こう言っては申し訳ないが、美貌の面では3人中いちばん落ちる。だが神経質そうなヘウォンのキャラクターにはぴったりのキャスティングだ。彼女の父親であるイ教授を演じるのは、韓国のグレゴリー・ペックこと名優ナムグン・ウォン。『火女』(1971)や『虫女』(1972)など、キム・ギヨン作品では韓国的マチズモを体現する(そして完膚なきまでに破壊される)役柄でよく起用されている。

 ピーター・カッシング主演の『死体解剖記』(1959)でも描かれた、19世紀スコットランドで実際に起きたバーク&ヘア事件(つい最近、ジョン・ランディス監督もサイモン・ペッグ主演で映画化した)を思わせる首泥棒のエピソードは、呆れるほど取ってつけた感バリバリだ。しかし、クライマックスへの重要な伏線となるので、おちおちよそ見もしていられない。マスクを被った首泥棒は、なぜか蝶のように両腕を広げ、バタバタと闇夜にはためいてみせる。ここは短縮版ビデオでは見事にカットされていたシーンだ。

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 死のイメージとして蝶を選ぶのも、キム・ギヨン監督独特のセンスと言えよう。この映画では、蝶はこの世から冥界への渡し役となる存在である。主人公は冒頭で、自殺した女の遺品として蝶を象ったペンダントを刑事に渡され、それを肌身離さずつけている。もちろん彼にとってそれは死の呪縛そのものである。また、ヘウォンが蝶の標本を集めているという設定は、自分も蝶たちにあちらの世界へ連れて行ってほしいという憧れの表れであり、そもそもその行為自体がまさしく死の蒐集だ(父親もまた人骨の蒐集家だというのも凄く分かりやすい)。

 頑なに死を願いながら、実際に死期が近いことを知るや生への執着を見せ始めるヘウォンは、キム・ギヨン監督のシニカルでサディスティックな人物造形を一身に担うキャラクターである。彼女の望みは、映画のクライマックスで(主人公の幻想の中でだが)おそらく最も理想的なかたちで叶う。一度は彼女に背を向けて生を選んだヨンゴルは、まったく不条理な死を遂げ、生首となってヘウォンの前に現れる。ヘウォンは道連れができたことに感謝の言葉を捧げながら絶命し、あとを追うようにして死んだ父親──その姿は巨大な蝶と化している──とともに、三途の川を渡る。「殺人蝶を追う女」とは、つまり「死の誘惑から逃れられなかった者」のことだったのだ。

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 キム・ギヨン監督ファンの間では語り草となっている、衝撃的なクライマックスを初めて観た時は、ただ単に絵面のインパクトに打ちのめされるほかなかった。短縮版ビデオでは、父親と娘の重苦しくシリアスなやりとりが大幅にカットされていたせいもあるだろう。今回、全長版を観て、父娘がたどった悲劇としての結末の意味を、より深く噛みしめることができたような気がする。

 ただし、このくだりは主人公の幻想でしかない。好きだった相手の想いに応えられなかった青年の、悔恨の念が見せた「最良の結末」なのだ。目が覚めれば、そこには虚しい無力感が残るだけである。

 それでも自らの内にある「生きる意志」に気づいてしまった以上、彼は喪失も痛みも乗り越えて人生を歩んでいかなければならない。悪友と街へ繰り出した主人公は、それまで彼の呪縛となっていた蝶のペンダントを外す。そして、ガールハントを楽しむ友人と肩を組み、街の雑踏へと消えていく……。どこか切なさを湛えながら、若者たちへ向けて「生きろ!」とエールをおくるような本作のエンディングは、とても味わい深い。そこには、軍事政権下の暗い時代に青春をおくらざるをえなかった当時の若者に対する、キム・ギヨン監督なりの叱咤激励が込められているようにも見える。その表現は度を超してエキセントリックだが、本作のメッセージは時代を超えた普遍性をもっているのではないか。

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 ……というのは、ぼくがこの映画を観て勝手に抱いた感想であって、本作から観客が受け取るイメージは千差万別だろう。そもそも字幕なしで見ているので、勝手な妄想や都合のいい解釈が入り込んでいる可能性は否めない。いつか日本語字幕つきで、この伝説的怪作が広く観られる日がやってくることを願ってやまない。

・KMDB VOD(有料配信コンテンツ)
『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』(1978)

製作/チョン・ジヌ
監督・脚本/キム・ギヨン
撮影/イ・ソンチュン
音楽/ハン・サンギ
出演/キム・ジョンチョル、キム・ジャオク、ナムグン・ウォン、イ・ファシ、キム・マン、パク・アム、イ・ヒャン、ヨ・ポ、ユ・スンチョル、イ・カンベ、キム・ソジェ

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コメント

上映…

日本では、会員制の同好会において、日本語字幕投影でビデオ上映がありましたね。ビデオだから、あれは何分版だったのやら。あの異様かつ、笑いを禁じえない作品を鑑賞したのは、
今となってはいい思い出…、かも。

  • 2012/01/26(木) 19:55:11 |
  • URL |
  • SARU #-
  • [ 編集]

コメントありがとうございます。
日本語字幕付きの上映、羨ましいです……ぼくはその頃、キム・ギヨンのキの字も知らなかったと思いますが。キム・ギヨン作品は特に台詞の重要度が高いので(ラストに字幕でメッセージが出る作品も『ヌミ』とか『馬鹿狩り』とかありますし)、字幕なしで観るのはキツイです……。
ビデオだと90分版の可能性が高いですね。『殺人蝶~』『火女』『水女』『ヌミ』『破戒』あたりは、また韓国映像資料院からノーカット・ノートリミング版でDVD-BOXを出してほしいです。素材はあることですし。

  • 2012/01/27(金) 00:55:05 |
  • URL |
  • グランバダ #h1buydM2
  • [ 編集]

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