Simply Dead

映画の感想文。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『キラー・インサイド・ミー』(2010)

『キラー・インサイド・ミー』
原題:Killer Inside Me(2010)

kim2010_poster.jpg

 ジム・トンプスンのピカレスク犯罪小説『おれの中の殺し屋』a.k.a.『内なる殺人者』といえば、ノワール・ファンなら必読の教科書的名著であり、何度読み返しても飲み下しづらい「闇」と向き合う羽目になる厄介な問題作でもある。テキサスの片田舎で保安官助手をつとめる主人公ルー・フォードは、美しい娼婦ジョイスと深い仲になったことをきっかけに、とある復讐計画を実行に移す。自分が愛した女をも手にかける冷酷さをもって完全犯罪をやり遂げるルーだったが、思わぬミスから次々と人死にを増やすことに。内に秘めたサディスティックな狂気と暴力性を解き放っていくルーの前に、驚愕の結末が待ち受ける……。いくつもの屈折を経た主人公の心の闇は、我々にとって理解し難くもあり、同時に「親愛なる」パラノイアでもある。ラストを締めくくる一文の「おれたちみんな」というフレーズが多くの読者の胸にびりびりと響くのは、そういうわけだ。このあまりに見事なセンテンスは、宮部みゆきの長編小説『理由』の冒頭にも引用されている。

 1976年に作られた最初の映画化『Killer Inside Me』は、バート・ケネディ監督、ステイシー・キーチ主演という魅力的な顔ぶれに関わらず、見事なまでに黙殺された不憫な作品だ。完全に主人公ルーをサイコパスとして捉えたブラックコメディであり、個性派女優スーザン・ティレルに“死ぬほどいい女”娼婦ジョイスを演じさせるなど、意欲作ではあったが明らかにキャッチーさには欠けた(個人的にはそこそこ面白かったけど)。暴力描写は原作ほどの破壊力を達成できず、ラストも残念な処理となっているので、トンプスン・ファンからの評判も悪い。

 それから34年後、マイケル・ウィンターボトム監督によって再映画化された本作『キラー・インサイド・ミー』は、バート・ケネディ版とは真逆のアプローチで撮られた「極めて率直な映画化」である。原作を非常にてきぱきと整理し、人物関係を分かりやすく解きほぐし、悲劇を悲劇として描き、ジム・トンプスンの殺気と狂気ほとばしる文体を「パッと見、飲み込みやすい」シンプルなBクラスの娯楽作として映像化してみせた。重厚な古典文学のペーパーバック・ダイジェストのようなスタンスで作られた、『おれの中の殺し屋』読者のためのガイドムービーとしても最適だ(おっと、嫌ったらしい言い方をしてしまった)。

kim2010_smoke.jpg

 傑作小説をそのまま映像化したものが傑作映画になるかといえば、答えはノーだ。何かしらの創意工夫、文体を映像に置き換える上での「勝算」が必要になる。だが、この映画はジム・トンプスンの傑作小説『おれの中の殺し屋』を、あえて「最高の映画」にできる可能性を否定してまで、極めてシンプルなかたちで忠実にトレースしようと試みている。映画にすることで見えてくるプロットの奇怪なツイスト、普通に考えれば唐突としか思えないキャラクターの登場も、そのまま率直に映画化されている。ウィンターボトムによるトンプスン文学の分析報告書とも言える仕上がりになっていて、そこが面白い。

 また、ノワール小説の金字塔と称される作品の映画化でありながら、いわゆるフィルムノワール風のコントラスト豊かな「光と影」でデザインされた作為的映像美ではなく、自然光を基調としたプレーンな撮り方が貫かれているのも、2010年製作の映画としては賢明な選択である。それは「ノワールとは外面で表現するものではない。心の問題だ」という主張の表れにも見える。実際、最後まで画面を観ていれば、乾いたルックの中にノワールの醍醐味がきっちりと立ち上がってくる。これがノワール感バリバリの白黒映像などで作られていたら、かなり恥ずかしい代物になっていただろう。そういった映像面での「作家性」は、可能なかぎり抑えられている。

kim2010_joyce.jpg

 ただ、映画前半の性急すぎる語り口は、賛否が分かれるところだと思う。美的に凝ったオープニングタイトルに続いて本編に入ると、まるで映画が途中から始まったかのような素っ気なさと矢継ぎ早の進行でストーリーが追い立てられていく。各カットの尺はやたらと短く、ただ「お膳立ての消化」に近いかたちでルー・フォードの犯罪計画がてきぱきと映し出されていく。ルーとジョイスの関係をどう描くかという部分で期待に胸を膨らませていた観客にとっては、このダイジェスト的な処理の仕方が許せないだろう。ぼくもそうだった。少なくとも前半までの印象は「ダメな映画化」にほかならなかった。

 しかし、後半からの追い上げは凄い。笑ってしまうほど酷薄で陰惨な展開に向かって、ピースがひとつひとつはまっていくドライブ感がある(それは原作を初めて読んだ時の愉しさそのものでもある)。ここにきてようやくカット尺も適当な長さに落ち着いてくる。すなわちルー・フォードの怪物性がめきめきと立ち上がってくるところから、作り手の興味の度合いが激変するのだ。

kim2010_whorehouse.jpg

 ウィンターボトムも、脚本のジョン・カランも、どうやらジョイスというキャラクターに全く興味がないらしい(ジョイスに扮するジェシカ・アルバが全くのミスキャストにしか見えないのも、そう考えれば致し方ない)。出会った時から地獄行きが決まっているルー・フォードとジョイスの関係に「ノワール」を見出すのは、ウィンターボトムに言わせれば「素人考え」だとでも言いたげだ。あくまでも主役はルー・フォードであり、それ以外は単なる添え物である。ジョイスがファム・ファタールだって? あんなのはただの「装置」にすぎない。見どころは、大胆不敵な犯行を重ねては小さなミスに翻弄され、スリリングな波乗りを愉しむ男の優雅な狂気。うまく立ち回っているつもりで実は奈落の底へ堕ちていく主人公の破滅的人格にこそ、作り手は旨味を感じている。ルーの中に目覚めた太陽のごとき悪の輝きが、婚約者エイミーや老保安官ボブといった善良なる人々の魂を、そして自分自身の真っ黒なハートをも焼き焦がしていく過程に、この物語の恍惚があるのだ。(そのあたりの確信が正直に出過ぎて、導入部への興味のなさが必要以上に露呈している感もあるが)

 ケイシー・アフレックは、まるで内面の読めない個性を活かし、21世紀型のナイーヴな佇まいでルー・フォードを怪演。ハイキーなかすれ声で訥々と語るボイスオーバーに、隠れた狂気がどんどん色濃く滲んでくるあたりがスリリング。血も凍るジョイス殴打シーンは、ケイシー・Aの線の細い拳のせいか、原作のダイナミズムと黒い笑い(女の顔面をカボチャのようにぶっ叩きながら、屁をこいて大笑いする)とは別種の、リアルな暴力の嫌悪感に満ちている。終盤、すっかり「身辺整理」を済ませたルーが、口笛を吹きながらコーヒーを入れる場面のユーモラスな軽薄さも素晴らしい。

kim2010_couple.jpg

 魅力薄なジェシカ・アルバの代わりに絶品の存在感を放っていたのが、意外にもエイミー役のケイト・ハドソンであった。いつの間にこんな生々しい行き遅れ感(失礼!)を出せるようになったのか、と思うほどの劇的外見変化を遂げており、これが本作のための役作りだとすれば見上げた女優根性と言うほかない(天然で老け込んでるのなら、それはそれで奇跡として享受しよう)。監督自身の言葉を借りれば「バッドガールになりたがっているグッドガール」を、見事な熟れっぷりで演じている。悲惨な末路も健気さたっぷり。ケイシーとケイトの阿吽の呼吸が堪能できる秀逸なバイオレンスシーンに仕上がっている。

 ジム・トンプスン作品ではおなじみの、フィクションやドラマ、小説といった「枠」を破壊するメタ的要素が、さりげなくもきっちりと拾われているあたりもポイントが高い。それは、エイミーが食堂でルーに手紙を読ませる「現実には起こらなかった回想シーン」であり、終盤に登場する弁護士の「物語の伝承者」のような佇まいであり、そしてクライマックスで主人公が脇役の保安官助手に対して吐く「お前にセリフはないぜ」という言葉である。さらに、映画はラストシーンを原作の8割増ほどの火力で(21世紀のBムービーらしい、安っぽいCGの炎で)派手に彩る。「This World, Then the Fireworks.」というトンプスン短編のタイトルを思わせるイメージに飛び火して終わってみせる、粋な趣向だ。

・Amazon.co.jp
原作本『おれの中の殺し屋』 by ジム・トンプスン(扶桑社ミステリー)


原作/ジム・トンプスン
監督/マイケル・ウィンターボトム
脚本/ジョン・カラン
撮影/マルセル・ジスキンド
音楽監督/チャドウィック・ブラウン
出演/ケイシー・アフレック、ケイト・ハドソン、ジェシカ・アルバ、イライアス・コティーズ、サイモン・ベイカー、ネッド・ビーティ、トム・バウアー、ビル・プルマン
スポンサーサイト

コメント

今作のなにもかもを言い尽くしてますね!

>>「お前にセリフはないぜ」
あの調子で会話でいたぶる的なのをもうすこしやってほしかった。ほぼ全部なかったですからね。

>>(21世紀のBムービーらしい、安っぽいCGの炎で)
あの安っぽいCGの炎が21世紀のパルプってことですな。

  • 2011/04/22(金) 14:03:13 |
  • URL |
  • ホの字 #-
  • [ 編集]

ホの字さま
コメントありがとうございます。
ルーの性格描写はキャスティングの時点で結構変わってますよね(ステイシー・キーチだとド真ん中すぎかな、とも思いますが)。巷の評判ちょっぴり悪いですが、原作読者としては「こういう映画化も観てみたかったナ」と言えるモノには仕上がってる気がします。

>あの安っぽいCGの炎が21世紀のパルプってこと
ほんとにそのとおりだと思います。今できるやり方でダイムノベルのB級感まで忠実になぞった映画化ってことですよね。「金なんかかけるな!原作に失礼だろ!」みたいな。

  • 2011/04/22(金) 17:17:32 |
  • URL |
  • グランバダ #h1buydM2
  • [ 編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://simplydead.blog66.fc2.com/tb.php/482-1c13d9ad
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。