Simply Dead

映画の感想文。

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『悪魔を見た』(2010)

『悪魔を見た』
原題:악마를 보았다(2010)
英語題:I Saw The Devil

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 駄作。当たり外れの差が激しいキム・ジウン監督作品のなかでも、特にどうしようもない出来だと思う。とにかく雑。ひたすら冗長。ただただ練り込み不足。ここ最近、過激化の一途をたどる韓国の残酷スリラー映画ブームに引導を渡すべく作られた「悪い意味での金字塔」になりうる失敗作だと思う。

 ストーリーは極めて単純なものだ。残虐非道な連続殺人鬼ギョンチョル(チェ・ミンシク)に愛妻を殺された捜査官スヒョン(イ・ビョンホン)が、復讐心に燃えるあまり法も正義も逸脱した暴走行為にのめり込んでいくという、実にハイコンセプトな内容。タイトルの「悪魔を見た」という言葉は、ただひたすらに快楽と自己満足のために残忍な犯行を繰り返す冷血漢ギョンチョルのことを差してもいるし、怒りと憎しみによって自らの奥深くに潜む“悪魔”を目覚めさせてしまうスヒョンのことでもある。まあ、復讐劇としては特に珍しくもない着想だ。

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 各所で評されているとおり、内容が薄っぺらいのは誰の目にも明らかである。復讐者スヒョンにしても、殺人鬼ギョンチョルにしても、何ひとつキャラクターとしての深みも面白味も感じさせない。しかし、キム・ジウンという監督はその作風自体が「ペラい」し、それを美点に変えることができる稀有な作家でもある。美術や撮影にこだわったスタイリッシュかつスマートな映像感覚、硬質なシャープネスを湛えた語り口は、この監督の最大の武器であり、それはいい意味で「薄味」なジャンルムービーとよく似合う。様式美を極めたノワールアクション『甘い人生』(2005)、荒唐無稽な満州ウエスタン『グッド・バッド・ウィアード』(2008)は、その空虚なスタイル至上主義が映画的魅力へと昇華された成功例だ。ねっとりと絡み付くような濃厚さと熱さで迫る現代韓国の映画作家たちのなかでは、極めて珍しい個性といえるだろう。

 だが、本作『悪魔を見た』のシナリオの土台にあるのは、いかにも最近の韓国映画らしい情念的復讐劇であり、はっきり言ってキム・ジウンの作風にはいちばん向かないジャンルである。誰もこの監督にエモーショナルなドラマなんて期待していないのに! それでも、料理の仕方によっては、持ち前のパワフルなシャープネスと冷たい空虚さを活かしたモダンな傑作になるやもしれん……と期待していたのだけど、残念ながら自分の特性を完全に見誤った正面突破スタイルの演出に終始しているため、ホラやっぱり玉砕したじゃん……と肩を落とすしかない結果に終わってしまった。「復讐」という建前上のテーマを持て余し、映画の大部分で、ただ殺伐とした画面を延々と垂れ流しているに過ぎない。

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 ぼくがこの映画でいちばん面白いと思った(というか、面白くなりそうだと思った)ところは、中盤のGPSを使った追っかけのくだりだ。あれは要するに、「トムとジェリー」やテックス・エイヴァリー作品など、カートゥーンでおなじみのフォーマットである。「トムとジェリー」でいうなら、意地悪な猫のトムがいつものように鼠のジェリーをいじめていると、ジェリーの口笛ひとつでムチャクチャ強い味方が現れ、トムをギッタギタにぶちのめし、風のように去っていく。で、トムがまた性懲りもなくジェリーをいじめようとすると、再びジェリーの用心棒的ヒーローが飛んできて、さらにヒドい目に遭わされる……というパターンの繰り返し。

▼分かりやすい例・その1


▼分かりやすい例・その2


 『悪魔を見た』では、意地悪な猫=殺人鬼ギョンチョル、か弱い鼠=標的になる女性、とんでもなく強いヒーロー=復讐者スヒョンという振り分けで、上記のようなカートゥーン的パターンが描かれる。ヒーローを呼ぶための口笛は、言うまでもなくギョンチョルが無理やり飲み込まされた小型マイクつきGPSカプセルだ。また、途中までやられてばかりだった悪者が知恵を働かせ、ヒーローを呼び寄せるための「手段」を逆手に取り、弱者やヒーローを窮地に追い込むという展開もきっちり踏襲されている。

 そういうバカバカしいコミック活劇的な面白さを、猟奇スリラーの骨子を用いてなぞるというアイディアは凄く面白いと思うし、その部分をもっと追求すれば、凡百の同ジャンル作品とも差別化できたかもしれない。ありていなモラルやエモーションを突き抜けた、ダークでスラップスティックなコミック・バイオレンスの快作にもなり得たはずだ。しかし、結局は「復讐という終わらない負のサイクルが云々かんぬん」という、これまでに何百回と繰り返されてきたテーマに拘泥するばかりで、元のプロットが持つ妙味を活かしきれず、中途半端に終わってしまったのが残念でならない。

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 中身が薄いくせに、バカみたいに長いのも困りもの。行き当たりばったりな展開を数珠繋ぎにして、肉付けならぬ水増しを図り、144分というジャンルムービーの風上にも置けない尺に仕上げている。しかも、誰がどう見ても「ここ、いらなくね?」としか思えない不要なシークェンスが多すぎるのだ。その最たるものは、バス停にいた若い女性をギョンチョルが車中に誘い込み、グダグダなやりとりの末に撲殺するくだり。あそこ、いるか? ただ単に話の流れに変化を付けるため「だけ」の場面にしかなってないし、その後の展開にもビタ一文絡まないし、ホントに意味がない。チェ・ミンシクがああいう芝居をやりたかっただけなんじゃないの?と思ってしまうくらい、映画全体からポコッと浮いている。ギョンチョルが看護婦をねちねちと虐める病院のシーンも、電話で義父と義妹がスヒョンに手を引くよう説得する場面も、うんざりするほど長い。

 中盤、ギョンチョルの「同好の士」が登場するペンションのくだりも、まあ驚愕の展開って言やぁそうだけど、そこで何よりも先立つ感想は「えっ、また停滞すんの?」である。結果的には、それなりにアクション映画的な面白さで魅せる、キム・ジウン演出の真骨頂ともいえる楽しい場面にはなっている。だけど、正直言って、まるまる切り落しても全然困らないシークェンスではある。

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 さらに致命的なのは、残酷描写に愛がないこと。本作の“エクストリームな”残酷描写の数々は、ただ無感情に羅列されるだけで、そこにはなんのフェティシズムも、こだわりも、火照りも感じられない。ハッと息を呑ませる残酷美の追求や、人体破壊描写・痛覚描写のフロンティアを切り拓こうという野心もない。だから一般観客には単純な不快感しか与えないし、目の肥えたホラー映画ファンにとっては退屈なだけだ。その点で、パク・チャヌクとは決定的に違うのである。こういうズサンな代物のおかげで、残酷描写全般に規制がかかったり、世間の非難が集まったりするのは、本当に迷惑だからやめてほしい。

(ここから先、映画の結末の展開にも触れています。未見の方はご遠慮ください)


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 究極の復讐劇という看板にも偽りありだと思う。作り手が「復讐」というテーマに対して真摯に取り組んでいないことは、ラストの処理の甘さで完全に露呈している。ギロチンに縛り付けられたギョンチョルの眼前に、主人公スヒョンが差し出すべきは、ギョンチョルの家族の生首であったはずだ。

 例えば、こんなラストならどうだろう。そこにはスイカぐらいの大きさの塊が入ったズダ袋が、ふたつ置かれている。スヒョンがその袋をひとつずつ剥ぎ取ると、ギョンチョルの年老いた父親、そして母親の生首が現れる。血まみれの殺人鬼は怒りに満ちた罵声をあげる。「それしきのことで俺が怯むと思ってるのか! テメエが殺ってくれたおかげで清々したぜ!」とかなんとか。で、スヒョンがもうひとまわり小さい袋を背後から取り出し、その中身を見せる。そして、それをサッカーボールよろしく蹴り飛ばし、汚い床の上でもてあそび始める(あの少年が、劇中に初めて登場する場面のように)。「サッカーが好きだったみたいだな」と、スヒョン。懸命に感情を抑えながら、その様子を見ていたギョンチョルが「やめろ!」と叫んだ瞬間、噛みしめていたロープが口元から離れ、ギロチンの刃が落ちる。

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 これはこれで陳腐かもしれないが、ニーチェの「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉を踏まえている以上、それぐらいしなければならなかったのではないか。主人公スヒョンが復讐の果てに人の心を失って「悪魔」となり、また完全無欠の悪そのものであったはずの殺人鬼ギョンチョルが「人」となった瞬間に敗北するというプロセスは、もっと効果的に見せなければならなかったはずだ。そもそも、作劇的にいっても、そうしなければ主人公が愛妻を殺される(=自分以外の大切なものを破壊される)冒頭の展開と、シンメトリーにならないのである。

 元のシナリオがどうなっていたのかは定かではないが、現状のラストシーンは明らかに不徹底であり、妥協の産物としか思えない。イ・ビョンホンが主役にキャスティングされた時点でそこまでの描写は不可能だったのかもしれないが……だったら最初から企画を練り直せばいいだろう、と言いたい。後味の悪さに関していえば、映画の出来としては数段落ちる『容赦はしない』(2009)の、まさに情け容赦ないラストに負けてしまっているのもイタい。

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 とはいえ、そんな中途半端な仕上がりでも、キム・ジウンが今の韓国ではトップクラスの演出力を持つ監督であることは間違いなく、見るべきところは少なくない。バイクに乗った容疑者その2をスヒョンが後ろから車で追突して捕える場面、ビニールハウスでの最初の決闘シーン、先述のペンションでのくだりなど、アクション演出のキレの良さはさすがのもの。撮影・照明・美術の見事なコラボレーションによる映像自体のクオリティも素晴らしい。感情を押し殺したイ・ビョンホンの芝居も悪くないし、チェ・ミンシクが全身から発する狂気と禍々しさも圧倒的だ(前述のように、キャラクターとしての中身はカラッポもいいところだけど)。だからこそ、惜しい。

 聞くところによると、本作はキム・ジウン監督のハリウッド・デビュー作の撮影予定が急遽延期されたため、その合間を埋めるために撮った急ごしらえの作品だったとか。シナリオを持ち込んだのはチェ・ミンシクで、彼は元々、復讐鬼と化す捜査官スヒョンの方を演じたかったらしい。そこに、同じく『G.I.ジョー2』の撮影が延期になってしまったイ・ビョンホンが合流し、脚本が書き直され、今のかたちに落ち着いたのだそうだ。まあ、そういう即席仕上げの作品に対して本気で怒るのもバカバカしいんだけど……。

 最後にひとつだけ。バイオレンス描写の衝撃度と完成度に関しては、イ・ジョンボム監督の『アジョシ』(2010)の方が格段に上である。映画としても遥かに上出来だ。こちらは『悪魔を見た』ほどしつこい描写が満載されているわけではないが、血を見せることの情熱と、痛切なエモーションに溢れている分、震えるような残酷美の境地へと達している。クライマックスの大殺戮アクションは必見だ。

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監督・脚色/キム・ジウン
脚本/パク・フンジョン
撮影/イ・モゲ
照明/オ・スンチョル
美術/チョ・ファソン
音楽/モグ
出演/イ・ビョンホン、チェ・ミンシク、オ・サナ、チョン・グクァン、チョン・ホジン、キム・ユンソ、チェ・ムソン、キム・インソ、ハン・セジュ、キム・ガプス

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