Simply Dead

映画の感想文。

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『イップ・マン 序章』(2008)

『イップ・マン 序章』
原題:葉問(2008)

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 甄子丹與葉偉信的最高傑作。かのブルース・リーが唯一師と仰いだ人物であり、詠春拳の師範として世界中に数多くの弟子を持つ実在の武道家、イップ・マン。その人物像にスポットを当て、彼の目指した理念や求道者としての生きざまを、戦前・戦中の激動の時代を背景に描いたクンフーアクションドラマの傑作である。主人公イップ・マンを演じるのは、本作によって中華圏を代表するアクションスターとして完全ブレイクを果たした、甄子丹ことドニー・イェン。そして、監督は『SPL/狼よ静かに死ね』(2005)以来、ドニーとがっちりタッグを組み続ける葉偉信ことウィルソン・イップ。この映画の素晴らしさについては雑誌「映画秘宝」でも何度か書かせてもらったけれども、それでもやっぱり言い尽くせないほどの魅力が詰まった傑作だと思う。ファンの熱心な後押しによって、最速で劇場公開が決定したのも、本当に喜ばしいことだ。

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 なんといっても、身も心もイップ・マンになりきったドニー・イェンの佇まいが素晴らしい。これまでの主演作では「怒兄威炎」と書いてドニー・イェンと読ませるぐらいの獰猛な気迫が全身からみなぎっていた彼が、本作では打って変わって、泰然自若とした物腰に父性と優しさを湛えた「静かなる男」を見事に演じきり、従来のイメージを完全に打ち破った堂々たる名演を見せてくれる。彼は本作の撮影に入る前、イップ・マンの人物像と詠春拳の極意に迫るため、ほかの作品の現場などを飛び回りながら、9ヶ月にわたって綿密なリサーチを重ねたそうだ。その成果は、とてつもなく魅力的なかたちでフィルムのなかに結実している。

 無敵の武道家としての風格に満ち溢れながら、どこまでも謙虚な姿勢を貫くイップ・マンの人物像は、外見的にはどちらかというと地味目なドニーの個性ともぴったり合っている。つまり、これ以上にないハマリ役であり、同時に俳優ドニー・イェンのキャリアにおいては極めて異色の役柄でもある。今までは超人的アクションスキルに磨きをかけ、熱く烈しいオーラを全身から発散することで「放っておくと地味になる」コンプレックスを克服しようとしてきた(?)執念の人=ドニーが、今回はその強すぎる「我」を完全に捨て去り、イップ・マンという人物と同化することに全力を注いでいる。そういう意味でも、役者として一皮も二皮も剥けた演技を達成している本作のドニーは、もう見ているだけで感動的なのだ。

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 また、役作りに集中するため、今回はアクション監督を他人に任せることに決めた彼が、そこで大先輩のサモ・ハン・キンポーを起用したという人選にもまたグッとくる。サモ・ハンは過去に『燃えよデブゴン10/友情拳』(1978)や『ユン・ピョウ IN ドラ息子カンフー』(1981)といった詠春拳映画のクラシックを手がけており、また日本の空手を含めた各種武道にも幅広く通じていたため、その知識と経験値を踏まえて「もうこの人に頼むしかない」という結論になったらしい。裏方に徹したクンフーアクションの大家サモ・ハンと、トレードマークとも言える「オレ様節」をかなぐり捨ててイップ・マン役に挑んだドニーが、どんなコラボレーションを見せているかという点でも、実に見どころの多い作品である。

 独特の格闘様式をもつ“詠春拳”を全面的にフィーチャーしたアクションシーンの数々は、言うまでもなく本作最大の見せ場だ。接近戦を基本とし、最小限の動作で流麗な手技を矢継ぎ早に繰り出す詠春拳は、ビジュアル的にも実に魅力的。映画の前半、次々に勝負を挑んでくる武道家たちとイップ・マンが繰り広げる対戦シーンでは、優雅でありつつエスプリの利いたアクション設計で、観客をとことん楽しませてくれる。中でも、ルイス・ファン扮する荒くれ者カム・サンチャウとのバトルが素晴らしい。「静」と「動」のコントラストのなかで、イップ・マンの圧倒的な強さと流麗さを際立たせていく演出が実に見事だ。川井憲次による音楽がまた絶品で、時に勇壮に、時にユーモラスに、ふたりの対決を最大限に盛り上げてみせる。

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 日本統治下の暗い時代を描いた後半では、抑圧された中国人の憤怒を体現するエモーショナルなアクションが展開。理不尽な暴力によって友人たちの命を奪われたイップ・マンが、日本軍の道場で10人の相手と組み合うくだりは特に圧巻だ。ここでは流麗なだけでなく、無数の拳を急所に叩き込んで相手を再起不能に陥れる詠春拳の恐ろしさが、圧倒的な迫力で映し出される。ド兄ィの数あるアクション・ヒストリーの中でも一、二を争うインパクトを誇るシークェンスと言えよう。

 そして、クライマックスで行われる空手使いの日本軍将校・三浦との一騎打ちも、まさに息をのむ仕上がり。武道家としての矜持、そして中国人としての誇りをかけて決闘に臨むイップ・マン=ドニーの戦いぶりは、もはや闘神の貫録をも感じさせる。そんなドニー先生を相手に堂々と渡り合う三浦役・池内博之の力演も特筆モノだ(『SPACE BATTLESHIP ヤマト』とかに出てる場合じゃない!)。

 詠春拳という独自の美学を持った武術の魅力を最大限に引き出しつつ、ダイナミックでアクロバティックな香港映画式アクションの醍醐味もふんだんに盛り込んだ『イップ・マン 序章』の動作設計は、ここ10年間に作られた全アクション映画の中でも、トップレベルのクオリティと言っていい。サモ・ハンにとっても近年の代表作となったのではないだろうか。ドニー以外の俳優たちが演じたアクションシーンにも、忘れ難い場面はたくさんある。例えば、前半でサンチャウが佛山武館街の道場主たちを次々とコテンパンに叩きのめしていくシークェンス。ルイス・ファンの重量感のあるアクションと、役者としての強烈な存在感に、思わず鳥肌が立つ珠玉の名場面だ。

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 アクションのみならず、ドラマとしての魅力も十二分に兼ね備えているところが、本作の美点。映画の中心軸となるのは、イップ・マンとその妻、その息子という小さな家族の物語であり、戦時下という極限状況のなかでそれを懸命に守ろうとする男の試練の物語でもある。それまで働いたこともなく武道一辺倒だったイップ・マンは、愛する妻と息子との生活を守るため、慣れない肉体労働の職につき、身を粉にして一家の大黒柱たらんとする。すでに人格者として完成されたような人物の、さらなる社会的成長を見つめようとする視点が、普遍的な感動を誘うのだ。(ちなみに実際のイップ・マンは、佛山で警官の職に就いていたこともあり、映画で描かれているほどのボンボンではなかったらしい)

 また、サイモン・ヤム演じる実業家チンチュンとの友情や、茶館に勤める友人リンとその弟の微妙な確執など、細かいエピソードをさりげなくも巧みに織り込み、豊かで奥行きのあるドラマが展開していく。とにかく、シナリオがうまい! 脚本を手がけたエドモンド・ウォンは、本作のプロデューサーであるレイモンド・ウォンの息子。ドニー・イェン&ウィルソン・イップ作品には、『かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート』(2006)と『導火線』(2007)に続いての参加となるが、この『イップ・マン』2部作で、脚本家としての実力をしっかりと証明してみせた。

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 そして、これは'“美徳”についての物語でもある。

(以下、作品の詳しい内容や核心に触れる部分があるので、未見の方はご注意ください)


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 ぼくはこの映画を観るたび、冒頭5分あたりでいつも涙腺が決壊してしまう。正確に言うと、佛山で道場を開いたばかりのリウ師父(チェン・チーフイ)が、この地で最も強いと言われる達人イップ・マンに手合わせを願い出て、食事に誘われるシーンだ。彼らは夕食の席をともにし、のんびりと食後の一服を楽しんでから、いよいよ立ち会いに臨む。イップ・マンがそこで見せる技は極めて俊敏かつ優雅であり、圧倒的な強さを感じさせながら相手に本気の打撃を与えるものではない。リウ師父もまた短い試合を通してイップ・マンのケタ違いの実力と気韻に触れ、感謝して去っていく。ここでは礼を尽くし、義を重んじる武道家たちの美徳、その心のありようが実に端的に描かれている。

 彼らのやりとりは、続く“ならず者”カム・サンチャウの荒っぽい振る舞いとは好対照をなす。溢れんばかりの闘争心と功名心をもって腕比べを挑むサンチャウに対し、イップ・マンはやはり比類なき強さをもって教え諭す。武術は「争い」のために習得するものではない。己と向き合い、己を磨き、平穏を求めて技と心を研ぎ澄ますためのものだ。

 そんな武術家たちの精神性、古き良き「武林」の気風が残された地・佛山の在りし日の姿を、ウィルソン・イップ監督は素晴らしく魅力的に映し出す。世間の流れとは関係なく、武術を極めようと日々修練を重ねる者たちが集うこの世界は、ある意味でノンキとも言えるし、平和そのものだ。乱暴者のサンチャウでさえ、ここでは(まだ)武術家としての線引きを守った戦いを見せる。そこには目に見えない美徳が、人々の胸の中に息づいているのだ。

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 映画の後半で描かれるのは、それらの美徳が失われていく世界である。日本軍の侵略によって人々が多くのものを奪われ、人としての尊厳さえも失いつつあった時代。裕福な家に生まれ、苦労知らずに育ったイップ・マンは、家族そろって屋敷を追い出され、妻子を養うため日雇い人夫に身をやつす。その零落ぶりは切ないが、常に謙虚であれという生き方を貫く彼にとって、それは己の矜持を守りきれるかという試練でもある。一方、リウ師父は日本軍の前で見世物まがいに武芸を披露しては、ひと袋の米を得て糊口をしのいでいる(おそらくは弟子や家族を養うためだろう)。サンチャウに至っては、同胞から金品を巻き上げる盗賊団のボスと化している。武道家としての美徳の喪失は、同時に中国人としての誇りの喪失も意味している。

 ラム・カートン演じるリーというキャラクターは、誇りを失った中国人の葛藤を象徴する人物だ。前半ではどこか信用ならない雰囲気が漂う警察署長として登場し、後半では日本軍の通訳として小器用に立ち回るという、いわば中国人側の“悪役”として分かりやすく設定された役柄である。しかし、物語が進むにつれ、実は彼がいちばん繊細なアンヴィヴァレンツに苦しんでいるキャラクターであることが観客には分かってくる。時の権力に迎合し、同胞を裏切るような生き方をイップ・マンに責められた彼が、「私は中国人です!」と日本語で叫ぶシーンに、涙しない者がいるだろうか。近年はジョニー・トー作品で目覚ましい活躍を見せているラム・カートンの素晴らしい好演もあって、彼の存在が、この映画に一段と深みを与えている。

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 そして、日本人もまた単純な悪役として登場するわけではなく、かつて有していたであろう彼らなりの美徳を失ってしまった存在として描かれる。列強諸国と肩を並べ、アジア最強を誇った大日本帝国の威光は、驕りとなって武人の魂を曇らせる。その象徴的キャラクターが池内博之演じる三浦将校だ。この映画の彼の演技が素晴らしいのは、優れた武術家でありながら軍人でもあるがゆえに、統治者として中国人を見下す態度に冒された男の「致命的な驕り」をも見事に演じているからである。彼は最後までイップ・マンの怒りを理解することができない。時代が違えば、状況が違えば、イップ・マンと三浦はどんな出会い方をしていただろうか。そんな思いを馳せることができるのは、この映画の作り手が日本人を単なる「東洋鬼」として描いていないことの証左であり、三浦というキャラクターに対して一種の「あわれ」を背負わせてもいるからだろう。

 もちろん、この映画に反日感情を刺激する場面があるかないかと問われれば、間違いなく「ある」。逆に言えば、そういう部分で中華圏の観客にカタルシスを与える作りになっているからこそ、商業的に大成功したのだとも言える。それは、その国なりの文化に則ったエンタテインメントの作り方として、間違った態度であるとは思えない。むしろ、その要素を三浦将校ではなく、彼の部下・佐藤というキャラクターに凝縮させた人物配置の巧みさに注目したい。極端にカリカチュアライズされた悪役を、脇の二番手キャラに託すことで、メインのライバルキャラである三浦将校への感情移入の余地を作り、日本人=絶対悪という短絡的思考に直結させないクッションとなっているのだ。強烈なインパクトを残す佐藤役・渋谷天馬の怪演は、ジャンルムービーに不可欠な憎まれ役を一身に背負った勇気も含めて、評価されるべきではないだろうか。

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 『イップ・マン 序章』には、日本人観客の観賞に堪えうる思慮深さと配慮があり、それまでの「抗日アクション映画」とは一線を画した進歩的な描写がある。一方的な戦争犯罪の糾弾(を建前とした安易な悪役設定)を越え、戦争によって人間の美徳や品格が失われていく悲劇を、ある時代の1コマを通して描いた普遍的なドラマとして、しっかりと成立している。だからこそ、国境や人種を越えて人々の胸を打つ傑作になったのだと思う。

 こういう時に他の作品を引き合いに出すのも気が咎めるが、例えば同じドニー・イェン主演の『精武風雲・陳真』(2010)などは、ハナっから日本市場など無視し、中華圏の観客の反日感情を安易に煽るだけの浅はかな「娯楽作」でしかない。香港や中国ではそれなりにヒットしたものの、内容面での評判がえらく悪かったのは、さすがに観客もその古くさい歴史観と、70年代から何ひとつ進歩していない図式的なキャラ設定が鼻についたからではないだろうか。それに比べれば、『イップ・マン』はクラシックな抗日アクションの形式を用いながら、明らかに現代の国際意識の成熟に気をつかった作品である。

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 話を『イップ・マン 序章』に戻そう。美徳を失った者たちは、いずれも悲惨な最期を迎える。リウ師父は佐藤の放った卑劣な銃弾に倒れ、サンチャウは日本軍にイップ・マンの隠れ家を密告するものの呆気なく撃ち殺され、通訳のリーは暴徒と化した民衆によって「裏切り者!」と罵られてボコボコに叩きのめされ、三浦将校はイップ・マンに敗北した責任をとって自害する。……と、ここまで読んで「え?」と思った方はご明察。リウ師父の死を描いた場面以外は、完成した本編には残されていない。いずれも撮影はされたものの、編集段階でカットされたのだ。(香港盤DVDには映像特典として収録されている)

 もし、これらの場面がそのまま本編に残っていたら、先述のテーマはより明確になり、無常感と悲劇性がくっきりと浮き彫りになっただろう。しかし、同時に観客を突き放した暗い映画になっていたことも確かだ。それらのシーンを全て撮影しながら、ウィルソン・イップ監督は最終的にカットすることを選んだ。その決断は、映画人としての成熟を示しているように思える。

 『SPL/狼よ静かに死ね』にしろ『導火線』にしろ、あるいは『OVER SUMMER』(1999)にしろ、ウィルソン・イップの作品はいつもどこか残酷な無常観を湛え、殺伐としたノワール主義が息づいていた。しかし、本作では「自分の映画」にこだわることをやめて、「観客の映画」にすることを選んだのだ。おそらく編集段階で、サンチャウの死も、リーの死も、そして三浦の死でさえも、観客は望まないということに気づいたのだと思う。その結果『イップ・マン 序章』は、ファンが繰り返し映画館に通い、DVDを繰り返し観て、各キャラクターへの愛情を噛みしめられる「不朽の名作」になったのだ。何よりそのおかげで、愛すべき乱暴者サンチャウも、めでたく続編『イップ・マン 葉問』(2010)に登場できたわけである。

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 まだまだ全然書き足りないくらいだが、最後にひとつ声を大にして言いたいのは、川井憲次による音楽の素晴らしさ。いちど聴いたら忘れられない勇壮なテーマ曲をはじめ、極めてクオリティの高い仕事が全編にわたって展開されている。血の騒ぐようなアクションスコアから、ユーモラスな茶目っ気溢れるフレーズに至るまで、各場面をその音楽とともに思い出せるほどだ。本作がここまで表情豊かな傑作になったのは、音楽による力も間違いなく大きい。それは、同じ日本人による仕事として、誇りに思うべきことではないだろうか。

・Amazon.co.jp
DVD『イップ・マン 序章』
Blu-ray『イップ・マン 序章&葉問』ツインパック

製作/レイモンド・ウォン
監督/ウィルソン・イップ
脚本/エドモンド・ウォン
アクション監督/サモ・ハン・キンポー、トニー・リャン
撮影/オー・シンプイ
編集/チェン・カーファイ
出演/ドニー・イェン、リン・ホン、サイモン・ヤム、ルイス・ファン、ラム・カートン、池内博之、渋谷天馬、シン・ユー、ウォン・ヤウナム、チェン・カーシン、チェン・チーフイ、トニー・リャン、リウ・ミンチェ
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コメント

お見事!!

  • 2011/02/22(火) 18:46:07 |
  • URL |
  • #-
  • [ 編集]

どうも!

  • 2011/02/23(水) 15:34:19 |
  • URL |
  • グランバダ #h1buydM2
  • [ 編集]

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