原題:Choke(2008)

傑作。いや、傑作というほど大上段に構えた作品ではなく、実に奥ゆかしい佇まいの小品なのだけど、これが素晴らしくよくできた、笑えて泣けるヒューマンコメディなのである。サイテーな邦題のおかげで分かりづらいかもしれないが、本作の原作はチャック・パラニュークの小説『チョーク!』。デイヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』(1999)に次ぐパラニューク作品の映画化で、はっきり言って製作費や物語のスケールの面では、こちらの方が段違いで小さい。しかし、原作のエッセンスを的確にすくいとったという点では、全く引けをとらない快作に仕上がっている。パラニューク・ファンは必見だ。ちなみに「Choke」とは、のどに詰まるという意味で、もちろん貴方の想像どおりフェラチオのイメージも含んでいる。
誤解を招くといけないので先に言っておくが、本作は他のチャック・パラニューク作品と同じく、純粋なラブストーリーであり、優れた青春ドラマである。母と子の絆の物語であり、ボーイ・ミーツ・ガールの物語であり、かけがえのない友情を描いた物語だ。しかし、その全てにおいて一筋縄ではいかないツイストがきいている。一見すると不謹慎に思われるくらい、毒に溢れ、とことん過激。それこそがパラニューク作品の最大の魅力だ。

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〈おはなし〉
セックス依存症の青年ヴィクター(サム・ロックウェル)は、植民地村を再現したテーマパークでエキストラのバイトをして生計を立てている。彼は同じセックス中毒に悩む患者たちの集会に出ては治療に励もうとするのだが、ついつい出席者の女性と別のコトに励んでしまうのが常だった。行く先々で刹那的なセックスに溺れる彼は、道往く女性を見ても必ずその裸体を想像せずにはいられない。
彼にはアルツハイマー気味の母親(アンジェリカ・ヒューストン)がいて、病院に足繁く通ってはせっせと身の回りの世話をしていたが、母親本人は彼のことを息子ではなく、弁護士か誰かだと思っている。回復の兆しを見せない母の入院費を稼ぐため、ヴィクターは「ある演技」をして小遣いを稼いでいた。レストランで自ら食べ物を喉に詰まらせ、金を持っていそうな客に助けてもらい、人助けをした満足感を彼らに与えると共に、見舞金をたかっていたのだ。
ハチャメチャな生き方を貫き、幼い頃から自分を振り回してきた母親の世話をすることに、いいかげん疲れ果ててきたヴィクター。そんな時、母は息子にどうしても伝えなければならないことがあるという。それはヴィクターの出生の秘密。今まで聞かされてきた話が嘘だと知った彼はなんとか真実を訊きだそうとするが、母は「弁護士ではなく、息子に直接話さなければ」と言ってきかない。途方に暮れるヴィクターだったが、ある日、病院で母の新しい主治医だという美しい女性ペイジ(ケリー・マクドナルド)と出会った時から、事態は思わぬ方向へ……。
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パラニュークの前作『ファイト・クラブ』『サバイバー』などと同様、本作の主人公ヴィクターもまたモラルの崩壊した瓦礫の上で、倒錯的日常を生きている。セックス中毒者の集会で平然とセックスパートナーを物色し、愛する母親の入院費を稼ぐため、レストランでの「窒息サギ」で人の善意をダシにして金を騙し取る。そんな彼に対して大方の観客が抱く印象は「ろくでなし」だろう。主人公自身もそう思っている。それによって彼の人生はギリギリの安定を保ってきたからだ。ところが、現実にはそうでないことが分かり、混乱が彼を飲み込んでいく。そのカオスを見事に視覚化してみせるのが、サム・ロックウェルのとっ散らかったヘアスタイルだ。まさにテンペスト級の荒れ模様を見せる彼の前髪からは、映画を観ている間中、まったく目が離せない。
パラニューク作品の登場人物は、多重人格のテロリストだったり、集団自殺したカルト教団の生き残りだったり、母親思いで詐欺師のセックス中毒者だったりするが、とどのつまりは誰かの愛情を渇望してやまない迷子である。ヴィクターの場合も同じだ。なぜ彼がセックス中毒になったのか。そして、なぜ窒息サギなどという持って回った犯罪行為を繰り返すのか。そこには奥深い心理ドラマが実に巧みに構築されており、やがて終盤になると、我々観客の先入観は鮮やかにひっくり返されている。それが快い。
その場の言動や外見といった一次情報だけで、相手のパーソナリティを判断するのではなく、もっと多面的に見る力を養うことで、その人の違った面が浮き上がってくる。そういう見方ができるようになった時、自分自身もまた成長するのではないか──というテーマを含んだ秀作を、今年はよく観ているような気がする。まず『カラフル』がそうだし、『四畳半神話大系』もそうだし、ちょっと弱いが『悪人』もそうだ(とてつもなくダークな意味で『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』を入れてもいい)。この映画もまた、同じ感慨を観客にもたらしてくれる。見つめる対象は他者に限らない。自分自身に対する評価や理解が変わっていくことで、成長することだって当然ある。

監督・脚本を手がけたのは、これがデビュー作となるクラーク・グレッグ。本業は俳優で、本作にも開拓村テーマパークで働くイヤミな上司、チャーリー提督という役で出演している。その演出スタイルは決して奇をてらったものではなく、ごくオーソドックスな構図とカメラワークで役者の演技を捉えるという、実にシンプルで腰の据わったものだ。それでいてパラニューク作品の破天荒なストーリーテリングの魅力はかけらも損なわず、過激で破壊的ですっとぼけたユーモアをたたえながら、観る者をグイグイ引っ張るドライブ感を保ち続ける。編集の力も大きいだろう。過去と現在と行きつ戻りつを繰り返しながら、徐々に霧が晴れていくように登場人物それぞれの隠された人間性が立ち現れていく過程をスリリングかつエモーショナルに映し出す。これだけ内容の詰まった物語をわずか93分という上映時間にまとめ上げた力量も驚くべきものだ。
つまり、どんなに低予算でも、どんなにプレーンな映像演出でも、原作の魅力をしっかりと理解した人がきっちりと作ったならば、優れた映像化は可能なのだということを本作は見事に証明してみせた。『サバイバー』や『インヴィジブル・モンスターズ』の映画化を心待ちにしているパラニューク・ファンにとっては、実に心強い「回答」ではないか。

もちろん熱烈な原作ファンの中には「あの場面がない、この台詞がない」という不満を持つ人もいるだろう。しかし、原作小説と同様のドライブ感や読後感をフィルムという媒体で観客に与えるとして、全てを忠実に映像化することなど不可能だし、むしろ不適当だと思う。クラーク・グレッグは巧みな脚色と演出で原作を再構成し、映画としてもすこぶる面白い快作に仕上げてみせた。少なくともぼくにとっては、パラニューク作品を読んでいる時の先読みできない疾走感、聖と俗・正義と悪・痛みと幸福といった既成概念がひっくり返される痛快さが、そのままフィルムにも焼きつけられていた。そして、ラストシーンの夢とも現実とも判別がつかない“不穏なハッピーエンド”に限っていうなら、こちらの方が『ファイト・クラブ』よりもパラニューク作品の味わいを繊細に再現していると思う。
また、セックス依存症やアルツハイマーといった本来デリケートなモチーフを、過激なまでのブラックユーモアに包んでカラッと描いてしまうパラニューク独特のセンスも、本作では見事にトレースされている。DVDに収録されている原作者との対談で、グレッグ監督は「そこには独特のカタルシス=浄化作用がある」と語っていた。本来はとてつもない苦痛を伴う病気や怪我や事故といった深刻な事柄を、パンチのきいたブラックジョークとして描きのめすことで、読者はそこで爆笑し、浄化されるのだ、と。この的確な理解こそが、この映画を成功に導いたのではないだろうか。

そして本作もまた、俳優サム・ロックウェルの恐るべき役者力を見せつける作品であった。アンビヴァレンツに満ちたヴィクターというキャラクターを、フマジメな愛嬌をふりまきつつ実に魅力的に演じ上げている。次々に押し寄せる混乱に翻弄される姿がだんだんと愛おしくなってくるのは、この役者が持っている天性の魅力と、自分をいいように見せようなどと考えない誠実な力演の賜物だろう。母親の前で涙を見せるシーンの繊細な芝居は忘れられない。絶品の「迷子」っぷりだ。
母親役のアンジェリカ・ヒューストンが見せる貫禄も素晴らしい。ふたつの時代に跨がって、かなり手強い老人力の持ち主となった現在の姿と、過激な活動家だった若い頃とを見事に演じ分けている。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)以来の快演といっていいのではないか。過去のパートで彼女と共演する子供時代のヴィクターを演じる、ジョナ・ボボ少年の表情もいい。特に、彼ら母子がいっしょにインスタント写真を撮る場面がムチャクチャ素晴らしい。今思い出しても涙が出るくらい素敵なシーンだ。

主人公にとんでもない「協力」を申し出るヒロイン・ペイジを演じるのは、『トレインスポッティング』(1995)のケリー・マクドナルド。物語の終盤で強烈なサプライズを仕掛ける非常に難しい役柄を、誠実さと真実味に溢れた演技で完璧にやってのけた。ともすればエキセントリックに偏りがちなキャラクターながら、デリケートな表情芝居と、チャーミングな声質を活かして、魅力的な人物像に仕立てている。ナイスキャスティングだ。元々はスコットランド出身の女優さんなのだが、本編の台詞回しだけ聞いたらまったく分からない。でもメイキング映像では完全にスコティッシュ訛りだった。
主人公の気のいい友人を演じるブラッド・ウィリアム・ヘンケの好演、助演ながら大胆な艶技を披露する女優陣、ビジュー・フィリップス、パス・デ・ラ・フエルタ、ジリアン・ジェイコブズ、アリス・バレット・ミッチェルらもそれぞれにいい味を出している。監督クラーク・グレッグも儲け役を嬉々として演じていて、後半の爆笑&号泣必至のとある場面など、ちょっと憎たらしいほどである。また、セックス依存症のカウンセリング集会の場面で、いきなり『キャバレー』(1972)のジョエル・グレイが出てきて驚かされた。オーディオコメンタリーによると、なんでも監督の義父らしい……ってことは、この監督の奥さんって『ダーティ・ダンシング』(1987)のジェニファー・グレイか!
▼監督のクラーク・グレッグ(左)と原作者のチャック・パラニューク(右)

アホな邦題はともかく、ちゃんと日本で紹介されたのは喜ばしいことだ。この映画を観て、チャック・パラニュークのファンが増えて、停滞中の邦訳が進んでくれたら、もっと嬉しい。
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DVD『セックス・クラブ』《特別編》
原作本『チョーク!』(Hayakawa novels)
監督・脚本/クラーク・グレッグ
原作/チャック・パラニューク
撮影監督/ティム・オー
プロダクションデザイン/ロシェル・バーリナー
音楽/ネイサン・ラーソン
編集/ジョー・クロッツ
出演/サム・ロックウェル、アンジェリカ・ヒューストン、ケリー・マクドナルド、ブラッド・ウィリアム・ヘンケ、ジョナ・ボボ、ビジュー・フィリップス、パス・デ・ラ・フエルタ、クラーク・グレッグ、ジリアン・ジェイコブズ、ヘザー・バーンズ、ジョエル・グレイ、アリス・バレット・ミッチェル

