Simply Dead

映画の感想文。

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『プレシャス』(2009)

『プレシャス』
原題:Precious : Based on the Novel 'PUSH' by Saphire(2009)

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 傑作。ここ最近、劇場で観た映画がことごとく良作ばかりで、ちょっと嬉しい。『クロッシング/祈りの大地』『月に囚われた男』『ウルフマン』そして本作『プレシャス』と、いい映画ばかり当たっている。加えて『ジョニー・マッド・ドッグ』や『息もできない』なんていう傑作も上映されてるんだから、インターネットなんて眺めている場合ではない。まあ『シャッター・アイランド』はちょっとアレだったけど、もう忘れた。

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 新人ガボレイ・シディベが唯一無二の存在感で演じる16才の少女プレシャスは、並外れて巨大な肥満体の持ち主であり、学校には通っているが読み書きができない。実の父親にレイプされて2人目の子どもを妊娠中で、家では母親から毎日凄まじい悪罵を浴びせかけられながら生活している……という、これ以上ないくらいの不幸を一身に背負った少女である。だから、観る前のイメージではなんとなく「Extraordinary」な物語を想像してしまう。が、実際の内容は正反対だった。ここで扱われている主題、主人公プレシャスが抱える苦しみは、誰の身にも覚えのあるものではないだろうか。

 この世界に自分なんかが生きていてはダメなんじゃないか、と考えながら生きることの苦痛。今の自分の存在が、自分自身を含む誰にとっても無用で邪魔な存在であると思い込んで生きていくことの悲劇。家族にも愛されず、友人もいないプレシャスの孤立感といったら、ほとんどの人には計り知れないものがあるだろう。だが、彼女がその大きな体の内側に溜め込んでいる“鈍痛”の本質は、きわめて普遍的なマイナスの感情である。

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 この映画では、その苦しみが初めて、ほんの少しだけ解かれる瞬間を、この上なく美しい映像で捉えている。ぼくはそこで涙をぼろぼろこぼして泣いてしまった。少人数制のフリースクール「EOTO」のクラスで、プレシャスが自己紹介するシーンだ。まったく大袈裟な演出などなく、ただガボレイ・シディベのナチュラルな表情と訥々とした台詞があるだけなのに、画面を見つめながら涙が溢れて止まらなかった。最初に泣きそうになったときは、心のなかで「こんなところで泣くなんて俺もあざとい人間だな!」とか思ったが、そんな虚勢も数秒で引き剥がされた。普通はそこから“泣かせ”の演出に移行しそうなものなのに、本当に何もしないのである。衝撃の1カットというものがあるとしたら、まさにあの場面がそうだったと言える。

 いつも映画はノーガードで観ている。泣くときは泣くし、笑うときは笑う。どちらも生理現象みたいなものだから、いくら泣けるからっていい映画だとは思わないし、ちょっと笑えたからといって評価に直結するものではない。問題はどう泣かされたか、どう笑わせられたかだ。そういう意味で『プレシャス』の泣かせ方はちょっと衝撃的だった。観てるあんたたちに任せるから、というスタンスを徹底的に貫いているのだ。だから、きっと特定の場面に限らず、観客それぞれのパーソナリティによって感情を揺さぶられるポイントが異なる映画なのだと思う。

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 リー・ダニエルズ監督のきわめてアメリカ映画ばなれした映像センスも興味深い。どこか煤けたノイズや汚しをフィルム全体にあしらいながら、味気ない灰色のリアリティを再現することが第一目的ではなく、そのなかで美しい幻想的イメージを現出させたり、熱に浮かされたときの視界のような濃厚な色彩と陰影を丁寧に作り出してみせる。その手法は、どちらかというとヨーロッパ的な感性に近いと思った。地獄のような日常と、その現実から逃避するためのきらびやかな妄想世界を行き来する少女プレシャスの心象風景を表すものとして、そのエキセントリックな映像スタイルは効果的に機能していると思う。熱病時の酩酊感を思わせるムードは、感情的にも倫理的にも混乱した彼女の心理状況そのものであり、少しぐらい分かりづらいのもむべなるかな、とも思える。(単に字幕が未整理なところも気になったが)

 そんなエキセントリックな映像演出に対して、前述のようにドラマとしての語り口は決して声高でなく、実に淡々としたものだ。作り手がエモーションを過度に押しつけることなく、間違ってもベタベタなお涙頂戴話にはおちいらない。常に感情の解釈を観客に委ねる自由さがある。そして、時には、その冷静なカメラの視線そのものが凄みを発する場面もある。終盤でプレシャスの母親が心情を吐露するシーンなどは最たるものだろう。あるいは映画の後半、自分の身に起こった最も残酷な事実を聞かされたプレシャスが空想の世界にすっ飛んでしまう場面のユーモアは、ありきたりな悲劇性を鮮やかに裏切ってみせる秀逸な演出で、ハッとさせられた。淡々とした演出を貫いているからこそ、そういったアクセントが際立つのだ。

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 ドラマの感情面と同様に、1987年のニューヨーク・ハーレムという時代背景や社会性もまた、ことさらに強調されることはない。いつの世の物語であってもおかしくない普遍性を、本作の画面はキープし続ける。それでも、税制改革による黒人低所得者層の貧困、破綻しつつある教育現場、急速に広がりつつあったエイズ禍といった要素は、きわめて自然にストーリーのなかに組み込まれている。それらの時代を象徴する社会問題を扱う手つきのさりげなさも、また巧みだ。

 同じく、さりげなくも重要なポイントとして織り込まれているのが、ジェンダーについての意識変化である。尊敬するレイン先生がレズビアンだと知ること、そして魅力的な男性看護士との出会いなどを通して、プレシャスは世界の多様性を学んでいくきっかけを得る。原作者のサファイア、監督のリー・ダニエルズは共にゲイであり、これらの描写にもまた独特のデリケートさ、自然な距離感と優しさがある。さまざまな面で、あまり類を見ないバランスで作られた映画だと思った。

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 主人公プレシャスを演じたガボレイ・シディベの魅力、迫力、説得力は言わずもがな。悲惨な抑圧と虐待のはてに、感情を表現する術も見失いつつある少女の鬱屈を、新人らしい生硬さすら逆に活かして、見事に演じきっている。最小限の演技と自然な佇まいを貫き、型どおりのキャラクター芝居をしていないのも好感が持てた。

 悪魔のような母親役を熱演したモニークは確かに圧倒的で、オスカー獲得も納得の凄みを見せつけてくれるが、この映画でいちばん素晴らしいのは、誰がどう見てもレイン先生役のポーラ・パットンではないか。トニー・スコットの『デジャヴ』(2006)ではその美貌とブロックバスター向きでない繊細な芝居で印象に残ってはいたが、本作の彼女はまさしくオスカー級の名演を見せてくれる。主人公を導くメンターとしての説得力、真に強い女性の優しさと慈愛を、ここまで抑えた演技で表現しきったのは本当に凄い。これこそ“優れた演技”と呼ぶべきものではないだろうか。また、EOTOでプレシャスのクラスメイトになる女の子たちも、みんな素晴らしかった。

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 救いを得たとはいえ、プレシャスの人生は前途多難であり、映画の結末も決してハッピーエンドとは言い難い。が、ラストシーンには誰もがいくばくかの希望を感じずにはいられないはずだ。それは主人公プレシャスの未来に対してではなく、人は誰しも己の生きる力を信じていいのだという、普遍的な希望である。自分自身を認める力を得た人間は強い。生きていける。そのことを教えてくれる『プレシャス』は、だから万人が観て然るべき秀作だと思う。

・Amazon.co.jp
原作本『プレシャス』 サファイア(河出文庫)


監督/リー・ダニエルズ
原作/サファイア
脚本/ジェフリー・フレッチャー
撮影/アンドリュー・ダン
プロダクションデザイン/ロシェル・バーリナー
音楽/マリオ・グリゴロフ
編集/ジョー・クロッツ
出演/ガボレイ・シディベ、モニーク、ポーラ・パットン、ステファニー・アンドゥハール、チャイナ・レイン、アミナ・ロビンソン、ソーシャ・ロクモア、アンジェリク・ザンブラーナ、マライア・キャリー、シェリー・シェパード、アーント・ドット、クィシェイ・ピーナン、ビル・セイジ、ニーラ・ゴードン、レニー・クラヴィッツ、サファイア
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