Simply Dead

映画の感想文。

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『0時』(1972)

『0時』
原題:0시(1972)
英語題:The Midnight Sun

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 韓国の宇津井健ことホ・ジャンガンが主演し、名匠イ・マニが監督をつとめた刑事ドラマの佳作。大都市ソウルを舞台に、様々な事件を追う刑事たちとその家族、犯罪に走る人々が織り成す群像劇が描かれる。脚本は『星たちの故郷』(1974)から『棺の中のドラキュラ』(1982)まで、幅広いジャンルの作品を手がけるイ・ヒウ。若手刑事役のシン・ソンイルを始め、主人公の妻を演じるユン・ジョンヒ、キム・チャンスクなど、充実したキャスト陣も見どころだ。第11回大鐘賞映画祭では、奨励賞と編集賞を獲得している。これも「kmdb」で鑑賞。

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〈おはなし〉
 主人公チャン・チュンハン(ホ・ジャンガン)は、330捜査隊の隊長をつとめるベテラン刑事。愛する妻(ユン・ジョンヒ)との間に一人息子をもつ家長でもある。息子のキュシク(イ・スンヒョン)は遊び盛りのわんぱく坊主で、一家と同居している妻の妹ヘリョンは、チャン刑事の部下パク(シン・ソンイル)と交際中だ。ある日、新聞配達のアルバイトをしていたキュシクは、田舎から出てきた少年インドルと出会い、彼の姉を捜してほしいと頼まれる。偶然にも、彼女はチャン刑事たちが追っていたバイク強盗犯カップルの片割れだった。

 そんな時、かつてチャン刑事に逮捕された男ミンス(ムン・オジャン)が7年ぶりに出所。入獄中に家族を失った彼は、復讐のためにチャンの息子キュシクをつけ狙い、ついに誘拐してしまう。だが、ミンスはキュシクの無邪気さに触れるうち、報復を諦める。それどころか、ふたりの間には奇妙な友情すら芽生え始めていた。

 その頃、息子を捜して街中を彷徨う妻の悲愴な姿を横目に、職務遂行を優先するチャン刑事は、バイク強盗の追跡に専念。とうとう恋人と共に逮捕されたスンニョは、弟インドルと再会し、自らの罪を反省するのだった。

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 社会のつまはじき者、孤独なさすらいびと、あるいは犯罪者を主役に据えることの多かったイ・マニ監督。本作では珍しく警察官を共感すべき主人公として扱っているが、同時に、犯罪者へ向ける視線も同じように優しくユーモラスである。物語の主眼に置かれるのも、いわゆる犯人VS刑事のサスペンスフルな追跡劇ではなく、中年刑事の家族を中心とした人間模様だ。偶然に偶然を重ね、多彩な登場人物のタペストリーが編み上げられていく過程には、法の番人として生きる刑事たちの人間的な素顔、あるいは人間性を捨てきれない犯罪者の弱さが浮き彫りにされる。題名やポスターから想像されるアクションスリラー的な作りとは真逆の内容であり、どちらかといえば刑事モノの衣を着たヒューマンドラマというべき作品である。

 かつて自分を逮捕した刑事への復讐心から凶行に走る元犯罪者。そして、息子を誘拐されながらも職務を優先しなければならない刑事の葛藤。これだけお膳立てが揃っていれば、パク・チャヌク作品ばりに胸をしめつけるサスペンスと悲劇的展開が待ち構えていても何ら不思議ではないのに、イ・マニ監督は敢えてアンチサスペンスの方向に物語を転がしていく。悔悛と赦しをもって人の罪は贖われ、誰もが自身の内なる善意を欺くことはできない。かぎりなく性善説的というか、別の言い方をすれば「ヌルい」展開を貫き、まるで良質のホームドラマを観たような後味で映画は幕を閉じる。先述のパク・チャヌク、あるいは黒沢清監督あたりが観たら「こんなのはむしろ害悪だ!」と怒り出しかねない非情さの欠如、ヒューマニストとしての揺るぎない態度は、イ・マニ監督が70年代に入ってから見せた興味深い作風の変化を示すものでもある。

▼ホ・ジャンガン(左)と、演出中のイ・マニ監督
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 60年代後半、イ・マニは自作においてペシミズムをどんどん強めていった。それはパク・チョンヒ政権下で軍国主義に凝り固まっていく韓国社会の暗澹たる展望を反映したものでもあっただろう。また、『七人の女捕虜』(1965)が当局の批判を受けて改竄され、さらに『休日』(1968)がオクラ入りに追い込まれたことも、その憂鬱に拍車を掛けたに違いない。メランコリーすら描けないメランコリーのなかで、無念さと窮屈さを募らせ、60年代末のイ・マニははっきりと「暗い作家」として観客や興行主から敬遠され始めていた。

 もちろん作品的には「暗い=マイナス」というわけではなく、その卓抜した演出力はさらに研ぎ澄まされ、円熟を迎えていた。しかし、商業性は確実に失われていたことは確かだ。犯罪スリラー仕立ての反共映画の中で、ジャン=ピエール・メルヴィルばりのストイックさと粘り腰の時空間演出を展開する『暗殺者』(1969)などを観ると、さすがに頭を抱えるプロデューサーの姿が目に浮かぶ。

 そして、イ・マニは2年間の沈黙に入る。復帰後に発表した『鉄鎖を断て』(1971)は、まるで何かがふっ切れたように、観客を楽しませることだけに心を砕いた完全無欠の娯楽活劇だった。軍事政権による民衆への締め付けがさらに強まっていった70年代、イ・マニは暗い世相をストレートに反映した作品を作るより、観客を元気づけるような映画、あるいは人間の良心やポジティヴィティを思い出させてくれるような映画を作ることを選んだのではないだろうか。それが本作『0時』であり、傑作『太陽のような少女』(1974)なのだと思う。

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 『0時』では、イ・マニ監督の子どもを撮る巧さが存分に発揮されている。刑事ドラマかと思ったら児童映画だった、という印象を抱いてしまうくらい、とにかく劇中の少年たちを活き活きと描くことに精魂が傾けられている。子どもを悪辣な生き物としてしか描けないキム・ギヨン監督とは正反対のスタンスだ(それはそれで凄いが)。子どもたちのテーマとして流れるギターの音楽も、『クレイマー、クレイマー』(1979)を思い出させるようなメロディーで耳に残る。実質的な主人公といえる少年キュシク役を見事に演じたイ・スンヒョンは、本作で第10回青龍映画賞の奨励賞に輝いた。

 そして、他の作品同様、やはりロケーションが素晴らしい。チャン刑事一家が暮らすアパートの屋上からは、南大門市場の景観が広がり、72年当時の近代都市ソウルの姿がダイナミックに映し出される。また、キュシク少年が自転車で駆けめぐる駅前や広場のにぎやかさも、同じくらい印象的だ。洪水のように溢れる車や人の群れをすり抜け、ほとんどカースタントの域に達した走りを見せる自転車小僧の背景には、高度成長期の大都会の表情が見事に収められている。

 ヒューマニズムを前面に押し出した作品ながら、ちゃんと都会的で洒落た犯罪映画的ムードを醸し出す辺りは、さすがイ・マニといった感じ(彼は60年代中期にスリラーの名手としても名を馳せていた)。シン・ソンイル演じる刑事と、バイク強盗の若者がビリヤードをしながら牽制し合う場面など、いかにもそれっぽいムードが漂っていて楽しい。キュシク少年の乗った自転車と、誘拐犯の三輪自動車のチェイスシーンでも、巧みなショットの積み重ねがスリルを醸成する。

 笑いもふんだんにある。特に、ボーイとして働くことになったインドルと、彼に客の送り迎えの言い方を指南するキュシクの掛け合いは、言葉があまり分からなくてもたまらなくおかしい。また、刑事部屋にある複数の電話を使ったお約束のギャグも、実に心地好く見せてくれる。口当たりはあくまでソフトな佳作だが、イ・マニ監督の名人芸を随所に堪能できる作品だ。もういちど、できれば今度は日本語字幕つきで観てみたい。


監督/イ・マニ
脚本/イ・ヒウ
撮影/キム・ドクジン
照明/チャ・チュンナム
美術/イ・ムンヒョン
音楽/チョン・ジョングン
出演/ホ・ジャンガン、シン・ソンイル、ユン・ジョンヒ、キム・チャンスク、ナオミ、イ・スンヒョン、ムン・オジャン、コ・ガンイル、キム・ヨンイル、パク・シミョン
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