Simply Dead

映画の感想文。

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『ジョニー・マッド・ドッグ』(2008)

『ジョニー・マッド・ドッグ』
原題:Johnny Mad Dog(2008)

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 全身に震えのくる傑作。ひょっとしたら今年の私的ベスト3に入るかもしれない、強烈な映画だった。最初に観たのは3月のフランス映画祭2009で、その時は「TRASH-UP!!」の原稿やらなんやらで忙しく、なかなか紹介できなかった。最近また輸入盤DVDを買って見直し、改めて傑作だなーと思ってたら、なんと7月18日に「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2009」で上映されるというではないか。未見の方はぜひ川口へ!(ただし、暴力描写が苦手な人には絶対お薦めできません)

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 本作はアフリカ・リベリアで起きた紛争をモデルにしており、10代の少年たちで構成されたコマンド部隊が強盗・殺人・レイプなど、ありとあらゆる暴虐の限りを尽くす姿をイキイキと描いた問題作である。タイトルの“ジョニー・マッド・ドッグ”とは、少年部隊のリーダーをつとめる15歳のハンサムな男の子ジョニーの呼び名だ。監督・脚本はこれが初の長編劇映画となったフランス出身の新鋭、ジャン=ステファーヌ・ソヴェール。

 鬼気迫る緊迫感とリアリティ、容赦ない暴力描写、そして時折噴き出すダークなユーモアが圧倒的だ。暴力と支配力に陶酔しながら進軍する少年兵たちを追いながら、同時に戦場を逃げ惑うひとりの少女の姿も交互に映しだし、サスペンスを高めていく手腕も見事。市街地があっという間に戦場と化す恐怖と不条理も、かつてない視点からリアリティたっぷりに描かれていて斬新である。

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 画面サイズはシネマスコープだが、そこに開放感はない。その視点は主に、昨今のサイコホラー映画などでお馴染みの、視野狭窄的な手持ちカメラの映像で綴られるからだ。突撃前にはコカインを一発キメ、どこから来るか分からない敵の存在を常に意識しながら、命令どおりに恐怖と暴力で町を制圧することに“熱中”する子供たち。それはそうだ、「子供は遊ぶのが仕事」なのだから。サッカーボールやTVゲームの代わりに実銃を与えられ、ただひたすら無邪気に暴力の素晴らしさを謳歌し、死ぬかもしれないスリルを満喫する。将来の可能性、世界の広大さ、多様な価値観、他者への寛容さなどといったものはハナからインプットされていない。『ジョニー・マッド・ドッグ』の映像はまさに彼らの視野の狭さを表しているのだ。

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 少年兵たちは民族憎悪、暴力と支配の快感、「戦わない者は男ではない」というマッチョな価値観を植え付けられ、機関銃やバズーカを手に野へ放たれる。武器の扱いや編隊の組み方はもとより、まるで教科書に倣うかのように行われるレイプや凌辱行為も、おそらく大人の上官から叩き込まれた「戦場のテクニック」なのだろう。一人前の大人として認められたい子供心を利用し、まだ倫理観などに凝り固まらない柔軟な精神につけこみ、ありあまる元気と好奇心を暴力衝動と直結させ、巧みに操作する。そして、暗示にかけられた子供たちは上官の期待に対し、懸命に応えようとする。自由の闘士として。

 秀逸なのは、部隊が町中で狙撃兵に襲われ、ライフルで撃たれた少年を仲間たちが担いで物陰に隠れるという場面。これが強烈に『フルメタル・ジャケット』(1987)の有名なシーンを想起させるのだ。つまり、少年たちがいくら本気で戦争に臨んでいようと、無意識にどこかで観たイメージを再生産してしまう。この戦闘の全てが、暴力の安易なイメージを利用したシミュレーションゲーム的な軽さの中で行われており、それが現実に市民の生活を蹂躙している、という狂った状況を端的に示しているのだ。シニカルな可笑しさと恐怖が張り詰めるこの場面には、プロデュースを務めたマチュー・カソヴィッツらしいセンスを感じた。

(以下、ややネタバレ)


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 映画の冒頭、ある村を襲った少年兵のひとりは村人から花嫁衣装を奪い、それを着たまま進軍を続ける。また主人公ジョニーは女物のアクセサリーで自分を着飾っている。ジェンダーの意識さえも曖昧な年頃に、戦場へ駆り出された彼らにとっては、異常も正常もないのだ。ほとんどふざけ半分のように思える少年兵たちの出で立ちは、この戦争の倒錯と混乱をそのまま体現している。

 面白半分かつ行き当たりばったりな暴力ショーを延々と繰り広げる彼らの姿に、観客も初めのうちは衝撃や憤り、嫌悪を覚えるだろう。だが、どれだけ虚勢を張っても、少年たちはあらゆる場面で否応なく、幼さやあどけなさをさらけ出すことになる。そして観る者のなかにも、だんだんと違う感情が湧き始める。憐れみ、あるいは同情の念だ。それが決定的になるのはラスト、彼らが単なる捨て駒でしかなかったことが分かる瞬間である。「じゃ、今日からもう子供に戻っていいよ」と言われた時、それまで殺戮マシンとしてしか生きてこなかった彼らはどうすればいいのか? その時、ジョニーはどこへ帰ればいいのか?

 最も卑劣で醜悪なのは、少年たちを殺戮兵器に仕立て上げ、戦争に利用する大人たちであり、倫理を失った社会だ。これは現実である、と映画は語る。劇中に登場する少年たちは、全てリベリアの元少年兵たちの中からオーディションで選ばれた。全員が本物の“ジョニー・マッド・ドッグ”なのだ。そして、映画の中では舞台がどこであるかは明言されていない。監督曰く「2003年にリベリア紛争は終結したが、今も同じように戦い続ける少年兵たちが各国に存在する。これは過去の物語ではない、ということを強調したかった」からだそうだ。

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 主人公ジョニーを演じたクリストファー・ミニーがとてつもない美少年で、それがまた痛々しさを煽る。だんだんと人殺しや略奪行為に抵抗を感じ始め、混乱をきたしていく繊細な変化も、最小限の表情だけで見事に表現していたと思う。他の少年兵たちも、いちいちキャラが立っていて素晴らしい。特に、ジョニーの右腕的存在である“ノー・グッド・アドヴァイス”役を演じたダグベー・トウェーの熱演が鮮烈だ。そして、戦火のなかを駆け抜けるヒロイン、デイジー・ヴィクトリア・ヴァンディーの美少女ぶりも印象的。こんなに姿勢の綺麗な女の子って、なかなかいないのではないか。この世の地獄を映し続けるかのような映画のなかで、観客にとっては彼女だけが唯一の心のよりどころとなる。だから、その凛とした美しさがなおさら深く胸に刻まれる。

 非情かつ非常に優れた映画だと思うので、ぜひ多くの人に観てほしい。まあ、日本公開できても、成人指定は免れないだろうけど。とにかく必見。


製作/ブノワ・ジョベール、マチュー・カソヴィッツ
監督/ジャン=ステファーヌ・ソヴェール
脚色・台詞/ジャン=ステファーヌ・ソヴェール、ジャック・フィエスキ
原作/エマニュエル・ドンガラ
撮影/マルク・コニンクス
プロダクションデザイン/アレックス・ヴィヴェ
音楽/ジャクソン・テネシー・フルジョ
出演/クリストファー・ミニー、デイジー・ヴィクトリア・ヴァンディー、ダグベー・トウェー
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