Simply Dead

映画の感想文。

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『チョコレート・ファイター』(2008)

『チョコレート・ファイター』
英語題:Chocolate(2008)

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 傑作。泣いた。なかなか劇場へ観に行く時間も金も作れず、「あーもうDVD待ちでいいかなー」などと半分あきらめかけていたが、先週ポッドキャストでライムスター宇多丸さんのあまりに熱い絶賛評を聞いたらもう矢も盾もたまらず、仕事明けに池袋から川崎まで行って観てきた。メッチャクチャ感動した(ありがとう宇多丸さん)。

 巷では「お話が暗い」とか「爽快感がない」とかいった部分で一般受けしないのではないか、という評価もあるようだけど、個人的には全然気にならなかった。むしろ、その暗さが本作独自の妙味であり、美点なのではないかとさえ思った。他にもシナリオや編集の粗さなど、欠点はいくつかあったかもしれないが、あいにく何ひとつ覚えていない。とにかく観終わった直後は「面白かった……!!」という感動の痺れが全身を支配し、細かい弱点を振り返る余裕など与えてくれなかったのだ。何をもってこの傑作にマイナス評価を与えるのか、現時点では全く理解できない状態にある。

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 本作は、類い稀なる格闘アクションの才能と、アイドル的な魅力を兼ね備えた美少女“ジージャー”ことヤーニン・ウィサミタナンを、新たな映画スターとして売り出すべく4年の準備期間を費やして作られた入魂の作品である。そこで監督のプラッチャヤー・ピンゲーオは、ジージャー演じる主人公ジンに、脳の発達障害というハンディキャップを負わせた。それはなぜか? 彼女のキュートな容姿からは想像もできない超人的アクションを、より効果的に、かつ説得力をもって見せようとした時、「障害を持つ人々のなかにはある突出した能力や特技を発現させるケースもある」という事例に思い至ったからだという。頭カラッポにして楽しめるアクション映画を観に来た観客たちにとっては若干ヘヴィーな設定かもしれないが、ピンゲーオ監督はさらに濃密なドラマ性をそこに加味してヒロイン像を補強した。それはまさにアジア的と言える発想であった。

 主人公の不運な生い立ち自体に説得力を持たせるため、映画の序盤では彼女の両親のなれそめと別れが丹念に描かれる。父は日本から来たヤクザ、そして母は犯罪組織を取り仕切るボスの右腕。欲望と暴力にまみれて生きてきた女ジンが、過去の荒んだ生活を捨てて産んだ娘ゼンは、つまりカルマ(業)の子である。親の因果が子に報い……というやつだ。だからこそ、成長したゼンが天性のファイターとして目覚める時、そこには社会的弱者が世界の秩序をひっくり返すカタルシスと共に、親の悪行による業が彼女を否応なく血塗られた道へ引き込んでいくという残酷な運命性をも感じさせるのだ。この強固な仏教思想にもとづいたディープでノワールなドラマ性に、まずは打ちのめされてしまった。

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 だが、彼女はそのカルマを生きる力に変える。たとえ血まみれアザだらけになってもひたすら戦い続けることで、日陰に咲いた己の人生を初めて光り輝かせていく。陰から陽へ、自らカルマを反転させていく少女の生命力が、観る者に深い感動をもたらすのである。無論、敬虔な仏教徒の倫理に貫かれたピンゲーオ作品において、運命は容易く変えられるものではない。ゼンの背負ったカルマは、凄絶な戦いを終えた映画のラストシーンにおいても、依然として重くのしかかっているように見える。これは、ひとりの女性が自らの業と向き合いながら生きていく、長い旅の始まりを描いた通過儀礼の物語なのだ。ピンゲーオ監督が本作に盛り込んだドラマ性は、こちらの想像以上にデリケートで重厚だった。

 そう思うと『チョコレート・ファイター』という邦題は、やっぱりちょっと無邪気すぎる気がしないでもない(もちろん商業的には正解だと思うけど)。普段は本当に小さな世界の中で、誰かの庇護のもとで暮らしていかざるを得ないヒロインにとって、人生で本当に大切なものはごくわずかしかない。母親、親友、クンフー映画のビデオ、TVゲーム、そして大好物のチョコレート。それで十分だった。しかし、残酷な運命は彼女からいちばん大切なものを奪ってしまう……。そんなヒロインの通過儀礼の物語に、作り手たちは彼女の生を象徴するものとして『チョコレート』というシンプルな題名を付けた。その意図に思いを馳せると、また泣けてくる。そこには主人公に対する無条件の思いやりと、優しさがある。

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 映画のオープニングに出てくる「才能ある子供たちとの出会いが、私たちにこの映画を作らせた」という言葉は、オーディションでその才能を見出されたヒロイン=ジージャーのことを想起させつつ、実際は別の意味を持っていると監督自身がインタビューで語っている。それは障害を持って生きる子供たちへの真摯なエールだ。その力強い愛情に溢れる視線は、映画の中でもしっかり貫かれている。確かにヒロインの扱い方は乱暴だし、鬼神のごとく暴れ回る姿を描いたりもするが、作り手は決して彼女を人殺しにはしないよう気を遣っている(それ殺してるって! と思わせる箇所も少なくないけど)。

 浮浪児の増加や外国人相手の児童売春など、様々な社会問題を抱えているイメージの強いタイだが、一方では「大人はみんな子供好き」という国民性もあると聞いたことがある。一見すると殺伐とした本作だが、ヒロインへの愛情溢れる眼差しからは、タイ国民の温かな一面を感じ取れるのではないだろうか。

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 もちろん、超絶アクションの数々を見せる娯楽映画としても、『チョコレート』は強烈に魅力的だ。そもそも本作は、新星ジージャーの卓抜したアクション俳優としてのポテンシャルを世界に示すための企画であり、実際に完成した作品を見ても、その命題は見事に達成されている。古今東西の名作や、アクション映画界の偉大な先達にオマージュを捧げるような見せ場の数々は、ジージャーのオールマイティな技のレパートリーを観客にプレゼンする目的と共に、一種の“みそぎ”の意味もあったのではないだろうか。役柄同様、ジージャー自身にとっても本作の撮影は重要な通過儀礼のプロセスとなったはずだ。

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 ファーストステージは『ドラゴン危機一発』(1971)を思わせる製氷工場。鼻をこすったり、怪鳥音をあげたり、過剰にドラゴナイズされたしぐさが微笑ましい。セカンドステージは倉庫を舞台に、小道具や障害物を巧みに使ったジャッキー・チェン主演作でおなじみのアクロバティックな立ち回りが展開する。続くサードステージ、精肉市場でのバトルも香港映画ライクな残虐性とコミカルさを併せ持った、イメージの再生産だ。そしてフォースステージは、今や格闘アクション映画のクラシックとなった感のある『キル・ビル Vol.1』(2003)を連想させる日本料理屋での対集団戦。しかも敵の全員が黒っぽい服で、終いにはみんなで日本刀を手に襲いかかってくるという律儀さである(タイ映画なのに)。そこからさらに、全ての観客が度肝を抜かれるファイナルステージへと雪崩れ込んでいく。2Dゲーム的な発想で、空間的スリルと映像的スペクタクル、肉体アクションの醍醐味を最大限に描ききった『チョコレート』のクライマックスは、本当にすごい。これが今の自分達が見せられる最前線のアクションだ、と言わんばかりの達成度だ。

 過去の映画的記憶の再構築に始まり、やがて作り手の熱い映画魂がポストモダン的発想を突き抜け、最終的には破天荒の極みのような前人未到のオリジナル・アクションを実現させる。この流れは、かの傑作『デス・プルーフ』(2007)そっくりではないか。個人差はあるだろうが、僕にとって『チョコレート』終盤で展開するアクションは『デス・プルーフ』のカーチェイス級の感動をもたらすものだった。

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 ジージャーが見せるアクションは、トニー・ジャーとはまた違うカリスマ性と、誰もが見惚れる魅力を備えている。まず目を見張るのは、その脚技の美しさ。映画の序盤、橋の下でチンピラ相手に行われるデモンストレーション的な軽い擬斗は、彼女のアクションの持ち味が初めて露わになる場面であり、実は製氷工場での立ち回りや倉庫でのバトル以上に魅力的である。健やかにスラリと伸びた脚が突如ハイキックを繰り出し、また地面に着地してポージングするまでの一連の流れは、シンプルかつ最小限のアクションで、まさに様式美と呼びたいほど華麗だ。11歳から習っていたテコンドーの賜物であるというが、そう思うと『Fight Night』(2008)は主演女優に元テコンドー大会チャンピオンを起用しながら、1カットも脚技を見せなかった点で大失敗だったと言わざるを得ない。

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 「恐れを知らない」という役柄の性格上、危険なスタントにも迷いなく挑む躍動のダイナミズムも圧巻だ。特にやはりクライマックス、高所+狭い足場という動きが制限されざるを得ないシチュエーションで、あそこまでのアクションを展開できるというのは本当にすごい。その命知らずな行動にどこか物悲しさや切なさを感じさせるあたりが、本作のヒロイン造形の奥深さである。

 また、格闘シーンのなかで白眉と言えるのは、劇中では数少ない一対一の勝負である敵側お抱えのハンディキャップ少年とのバトルだ。田舎のジャージ中坊みたいなこの少年、キティタット・コワハグル(Kittitat Kowahagul)こそ、ジージャーと並んで本作のスターと言える若手アクション俳優である。ストリートダンス的な動きと“痙攣”をミックスし、まったく先の読めないトリッキーなアクションを作り出している。今まで映画やゲームでも見たことのない未知の敵に対して、ヒロインはどう戦っていくのか? このシークェンスには本当に涙が出るほど感動、興奮させてもらった。彼の登場は再び映画のオープニングに出てきた言葉を思い起こさせ、非常に感動的なのだ。もっともっと長く見ていたいと思わせる、映画史に残るベストバウトだと思う。

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 アクションもさることながら、精神薄弱児という難易度の高いキャラクターも見事に演じていると思う。普段の無邪気さやナイーヴさはまったく子供のそれであり、とても演じている本人が22歳の成人女性であるとは思えない。気取りのない懸命な演技が、独特の愛らしさを釀し出していて魅力的だ。例えば、大好物のチョコを食べるときの機敏なしぐさが、あどけなさと共にちょっぴりオフビートなユーモアも湛えていて、とてもチャーミングだったり。一戦交えて自宅に帰ってきた後、傷や汚れもそっちのけで煎餅布団にズベーッと横になってしまったり。萌えポイントがいちいち硬派かつ乱暴で、そのあたりも好みだった。

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 他にも、ヒロインの母親を演じる“ソム”アマラー・シリポンのノワール美女っぷりとか、阿部寛の剣戟アクションの思いがけないカッコよさとか、劇場版『クレヨンしんちゃん』シリーズを思わせるオカマの殺し屋軍団が最高だとか、いろいろトピックはあるのだが、全部語り始めるとキリがないのでこの辺にしておく。『チョコレート』は間違いなく、観た後で何かを語りたくなるアクション映画である。「後味スッキリ・雑味ゼロ」だけが、良いアクション映画の価値基準ではない。これがアジアのエンタテインメントだ。

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DVD『チョコレート・ファイター』


監督/プラッチャヤー・ピンゲーオ
アクション監督/パンナー・リットグライ
脚本/ネパリー、チューキアット・サックヴィーラクン
撮影/デーチャー・スィーマントラ
音楽/ジャイアント・エイプ
出演/“ジージャー”ヤーニン・ウィサミタナン、“ソム”アマラー・シリポン、ポンパット・ワチラパンジョン、タポン・ポップワンディー、阿部寛、キティタット・コワハグル

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