Simply Dead

映画の感想文。

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『陽もまた昇る』(2007)

『陽もまた昇る』
原題:太陽照常升起(2007)
英語題:The Sun Also Rises

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 傑作。『太陽の少年』(1994)、『鬼が来た!』(2000)のジァン・ウェン監督が、前作から7年ぶりに手がけた長編第3作。今年の東京国際映画祭で観て、一昨年の映画祭で上映された『父子』(2006)を観た時と同じくらいの興奮を覚えた。間違いなくジァン・ウェンの最高傑作だと思う。

 映画は中国雲南省の山深い村落から始まる。見た目はまるで少女のような母親と、その息子が織り成す不思議な物語だ。変わり者の母は、大木の上に登ったり、その下に大きな穴を掘ったり、見知らぬロシア人の名を叫んだりと、突飛な言動を繰り返す。息子はいつも元気いっぱい・狂気いっぱいの母に手を焼きながら、献身的に尽くし続ける。その美しさゆえ、いつか近親相姦へともつれこみそうな危うさも漂わせながら……。

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 シネマスコープの大画面に描かれる、風変わりな親子のファンタジックでスリリングな日常は、いつまでも終わってほしくないほど魅力的だ。しかし、別れは突然にやって来る。人生の必然である通過儀礼のように。

 奔放すぎる母親に扮する若手女優ツォウ・ユンが非常に魅力的で、芝居も堂々たるもの。無邪気さと大らかな母性を見事に体現している。あまりに魅力的だったせいか、撮影中に監督の子供を身籠ってしまったとか(おいおい)。ひたすら翻弄される健気な息子を演じるのは、ジャッキー・チェンの実息ジェイシー・チャン。本作では「こんなにいい役者だったのか!」と驚いてしまうほど、純情素朴な青年を活き活きと演じている。

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 中華的マジックリアリズムが横溢する物語を、ジァン・ウェンはひたすらテンポよくエネルギッシュな演出で活写する。力強く流麗なカメラワーク、瑞々しい役者の演技、シャープな編集、久石譲の素晴らしい音楽によって観客を魅了し続けるのだ。例えば、樹の上に登り続ける母親と、梯子を持って山道を駆け回る息子というシーンを何度も反復させながら、ダイナミックかつスピーディーな場面運びで見せきってしまう。凡庸な監督なら、すぐに観客を飽きさせてしまうだろう。

 “快音”を随所に配した演出も秀逸で、机や床にドンッ!と何かを叩きつける音、あるいは顔面を思いきりひっぱたくバチン!という打撃音を積み重ね、絶えず覚醒を促しながら快調なリズムを作っていく。この気持ちよさはなるべく音響のいい劇場で体感してもらいたい。エイドリアン・ライン監督のリメイク版『ロリータ』(1997)も思い出した。

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 気が付くと、物語は次の章へと移っている。え? と戸惑う間もなく、2人の中年男と1人の情熱的な女の、おかしくも切ない恋のさやあてが綴られていく。舞台となるのは、さっきの山村よりはまだ文化的な匂いがする片田舎の村。主人公アンソニー・ウォンはギターを抱えた学校教師で、おそろしくセクシーな保健医ジョアン・チェンに言い寄られたり、軽佻浮薄な同僚ジァン・ウェンと友情を紡いだり、映画の野外上映で痴漢の汚名を着せられたりする。

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 フレッシュな若手俳優たちの魅力で見せた第1章とは打って変わって、ここではベテラン俳優たちの演じる「イイ歳した子供たち」の恋模様が、華やいだ映像美でコミカルに描かれる。渋さのなかに少年性を秘めたアンソニー・ウォンが何しろ素晴らしい。全身からフェロモンを発散する色ボケ女医、ジョアン・チェンのエロさときたら爆笑ものだ。いかに『ラスト、コーション』(2007)での彼女の扱いが勿体なかったか分かろうというもの。脇に回っておいしいポジションをもっていくジァン・ウェンも、相変わらず巧い。

 この話がさっきの母子のエピソードと繋がるのかどうか、観ている間はまったく分からない。ただ、呆気にとられるほど美しくショッキングな結末によって、どうやらこれが様々な「人生の別れ」を描く物語であるらしいと気付かされる。

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 そして、舞台は再び山奥の村へ。友を失ったジァン・ウェンは、夫婦で下放(文化大革命の政策のひとつで、要は島流し)され、そこで母を失ったばかりの青年ジェイシー・チャンと知り合う。青年は男の美しい妻に惹かれ、肉体関係を持つ。それを知った男は……。無垢なるゆえの罪、綻び始める愛情の官能的なゆらめきが、幽玄な大自然をバックにしっとりと描かれる。山間に満たされた夜の冷気を、そのまま伝えるような映像があまりに美しい。都会的な妻を演じるコン・ウェイの美貌も、若者を惑わす魅力十分。

 ラストには、やはり残酷で切ない“ことの終わり”が待っている。観客を残らず悲しませる意地の悪い結末だが、どこか「しょうがねえなー」と思えるようなユーモラスな味わいも滲む。

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 いよいよ、映画は最終章へ。物語は大きく過去へとさかのぼり、それまで登場してきたキャラクターたちが再び画面に現れ、意外な関わりが明らかになる。ここでは、のちに痛切な「別れ」を経験することになる、それぞれの「出会い」が描かれていくのだ。

 人生は出会いと別れの繰り返し──というありきたりな文句を、ジァン・ウェンは映画的技巧に富んだアクロバティックかつ骨太な演出で、見事に人生の本質として描ききった。全体を時系列順に見れば、なんとも物悲しい余韻を残すストーリーではある。しかし、映画のラストを締めくくるのは、爆発的な歓喜の波だ。その美しく雄大な光景を前に、観客は喜びも悲しみもひっくるめた、えも言われぬ感動に包まれてしまう。

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 ジァン・ウェンはこの作品で、中国南西部独特の世界観を描きたかったのだそうだ。ぼくがこの映画を観ながら真っ先に連想したのは、エミール・クストリッツァ監督の作品だった。特に第1章・第4章にはその色が濃く、『アンダーグラウンド』(1995)のラストそっくりの場面まで登場する。土俗的マジックリアリズムと民族的バイタリティをもって、人間の喜びも悲しみもないまぜに描くパワフルなストーリーテリングも共通している。ちょっと似すぎじゃないかとも思ったが、元々、作家的素質からしてかなり近いのだろう。

 両者とも、作品の根底には常に戦争や国家によって抑圧される民衆というモチーフがあり、本作でも『大陽の少年』同様、文化大革命の時代に物語がセッティングされている。第2章に出演したジョアン・チェンが監督を手がけた『シュウシュウの季節』(1998)は、下放政策の生んだ最悪の悲劇を描いた問題作だったが、ジァン・ウェンが変わっているのは、その時代設定を作品の中心に置かず、むしろ逆手に取ってファンタジックな状況を構築してしまうところだ。文革のおかげで不良天国と化した北京を描いた『太陽の少年』は言うに及ばず。本作では、下放された男が子供相手に狩猟を教えながらのんきに暮らしているという、そのいたってフマジメな描写にジァン・ウェンらしい反骨の態度が表れていると思う。そのあたりに薫る「憎めない不良少年っぽさ」が、この人の最大の魅力ではないかと個人的には思うのだが、そこでもやはりエミール・クストリッツァとの類似性を感じた。

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 前作『鬼が来た!』の内容をめぐり、中国政府から活動停止処分を受けてから7年。今回の『陽もまた昇る』は細心の注意と入念な下準備のもとに制作されたという。度重なるシナリオ審査にも応じ、撮影中に脚本を何度も書き変えるような無茶もせず、キャスティングにも実力ある有名俳優を多く起用した。ひとことで言って「大人になった」変化のうかがえる作品だ。しかし、それでもなお“怪物”ジァン・ウェンの奔る才能、破天荒な作家性は健在だった。それが何より嬉しい。

・Yesasia.com
DVD『陽もまた昇る』(香港盤)


監督/ジァン・ウェン
原案/葉彌(小説「天鵞絨」より)
脚本/シュー・ピン、グオ・シーシン、ジァン・ウェン
撮影/ジャオ・フェイ、リー・ピンビン、ヤン・タオ
美術/ツァオ・ジューピン、ツァン・ジャンチュン
音楽/久石譲
出演/ジェイシー・チャン、ツォウ・ユン、アンソニー・ウォン、ジァン・ウェン、ジョアン・チェン、コン・ウェイ

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