Simply Dead

映画の感想文。

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『火女'82』(1982)

『火女'82』(1982)

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 やっぱ凄かった。韓国映画界が誇る異才中の異才、キム・ギヨン監督の1982年作品(東京国際映画祭2008「アジアの風」で上映)。作家としての代表作であり、商業的にも成功を収めた『下女』(1960)の、2度目のセルフリメイク作品である。ちなみに前作は1971年の『火女』。ある中流家庭に住み込みの家政婦として雇われた田舎娘が、一家を不幸のどん底に叩き落とす、というストーリー展開は基本的に変わらない。驚いたことにセットの作りも第1作とほぼ同じだが、演出や映画自体のテイストは大きく異なっている。

 最も大きな違いは、本作が紛れもない女性映画であること。愛欲と性欲と独占欲が渦巻くギリシャ悲劇のごときホームドラマの中で、キム・ギヨン監督は今回、デリケートに女性心理を掘り下げてみせる。それが顕著に現れているのが、一家の奥さんと下女の関係性の変化だ。アナーキーな階級闘争ホラーといった趣きのオリジナル版では、双方の立場が逆転していく後半になるまで、ふたりは単なる雇い主と使用人以上の関係としては描かれなかった。しかし『火女'82』では、両者の間には女同士の親密さが芽生え、共闘意識のようなニュアンスまで漂わせる。

 別の言い方をすれば、本作では奥さんのキャラクターがより深く彫り下げられ、豊かになっているのだ。主人公は明らかに名女優キム・ジミ演じる妻の方であって、夫ではない。作曲家として身を立てようとする夢追い人の夫のために養鶏業を始め、やがて一軒家を建てるまでに成功し、社会的に自立を果たしながらも家庭内では昔ながらの“献身的な妻”の役割を担い続けるヒロイン。疲れと諦めの溜め息をつきながら家庭の維持に身を捧げる韓国女性の心理を、キム・ギヨン監督は生々しく繊細に映し出す。それが純情素朴で動物的本能のまま生きるような下女ミョンジャと鮮やかな対比をなし、その両者が関係をつむいでいく過程のほのかなユーモア、そして約束された破綻のスリルが、本作前半の見どころとなっている。

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 奥さんは、右も左も分からない田舎娘ミョンジャに「女だけが分かる連帯意識」のようなものを周到に刷り込んでいく。夫や子どもたちには分かりえない悩みも打ち明け合える、私がついてれば大丈夫という空気を何気なく伝えようとする(それは主従関係を円満に保つためのテクニックでもある)。「結婚するなら私の夫みたいな夢ばかり追いかけている男はダメ。女の夢を大きくしてくれる伴侶こそ“よき夫”よ」と、愚痴まじりに真情を吐露したりもするのだ。このあたりの描写には『下女』にはなかった味わい深さを感じる。しかし、お約束の決定的事件が起こり、両者の関係は男/家庭をめぐる女同士の闘争へと変化していく。そのサスペンスフルな感情の推移も、今回「女の怖さ」のバリエーションとして加味された要素だろう。一方、チョン・ムソン扮する夫の方は、ただ彼女たちの間でオロオロするばかりで、『下女』よりも格段に非力で情けないコメディリリーフ的存在となっている。

 キム・ギヨン監督の考える「女性観」が、20年を経て決定的に変化していることは明らかだ。『火女'82』には作り手の“女性”という題材に対するアティテュードと興味の深化がはっきりと打ち出されている。それは社会における女性の地位向上を反映してもいるし、年齢を重ねた上での意識の変化もあるだろう。前作の『火女』は未見なので、そっちがオリジナル版とどう違っていたのか定かではないが、同じストーリーを10年ごとに撮り直すのは、それが「時代」と「自身」を映しだしたマイルストーンになりうると強く確信していたからだろう。この物語には男女関係の普遍的な真理があり、同時にあらゆる時代と社会の様相を如実に反映しうるキャンバスでもあり、それはいつの世も人々の心をとらえるのだ、と。そんな“確信”に満ちた作家は稀である。

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 もうひとつ、『火女'82』がオリジナル版と大きく違っているのは、とっても魅力的なコメディになっている点だ。『下女』も意地悪なブラックユーモアの横溢する映画ではあったが、本作ではより露骨に爆笑を誘うギャグの数々が盛り込まれている。ただれた男女の愛欲ドラマにも、さながら陽性の日活ロマンポルノの一編のような、艶笑喜劇的なペーソスが漂うのだ。

 そこで大変な威力を発揮しているのが、下女ミョンジャを演じたナ・ヨンヒの存在である。なんなの、あの顔。黙っていればコン・リー似の美人に見えないこともないのに、女優に情け容赦のないキム・ギヨンの演出によって、ありとあらゆるヘン顔を引き出されてしまっている。特に、彼女が耳掃除をしながら浮かべる恍惚のバカ面は忘れがたい(そういう微妙な瞬間が抱腹絶倒のギャグになると確信しているキム・ギヨンの観察眼と笑いの先鋭性にも恐ろしいものがある)。のみならず、世間知らずで直情的で無神経な田舎娘を、完璧などんくささ・垢抜けなさで演じており、一瞬たりとも目が離せない。まさに天才的としか言いようのないキャスティングである。

 『下女』でミョンジャ役を演じたイ・ウンシムは、美しいがどこかアンバランスな不気味さを放つ、楳図かずお風の美女だった。しかし今作では華のないコン・リーというか、『紅いコーリャン』のオーディションで落とされたような絶品顔をわざわざ持ってくるところに、作家としてさらに突き抜けたキム・ギヨンの成熟を感じさせる。

 と、さんざん酷いことを書いてしまったが、それもキム・ギヨン演出の賜物で、実際のナ・ヨンヒさんはかなりの美人であると判明。イ・チャンホ監督の『暗闇の子供たち』(1981)で主演デビューし、最近では人気TVドラマ『悲しき恋歌』(2005)にクォン・サンウ扮する主人公の母親役で出演しており、斎藤耕一監督の日韓合作映画『親分はイエス様』(2001)では主人公・渡瀬恒彦の奥さん役を演じている。

▼最近のナ・ヨンヒさん
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 映画祭では『陽山道』(1955)、『自由処女』(1982)、そして本作と、3本のキム・ギヨン作品をスクリーンで観たが、やっぱりこれがいちばん面白かった。とはいえ117分という尺はさすがに長過ぎる気がしたけど……(いつも後半がクドすぎる)。それでも傑作であることは間違いないので、ぜひとも再上映・ソフト化してほしい。



監督・脚本/キム・ギヨン
撮影/チョン・イルソン
美術/イ・ミョンス
編集/ヒョン・ドンチュン
音楽/ハン・サンギ
出演/キム・ジミ、ナ・ヨンヒ、チョン・ムソン

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