Simply Dead

映画の感想文。

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『ダークナイト』(2008)

『ダークナイト』
原題:The Dark Knight(2008)

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 素晴らしい。あまりに前評判がよすぎるので、ちょっと身構えながら観始めたものの、冒頭いきなりウィリアム・フィクトナーがショットガンをぶっ放しまくる姿に完全ノックアウト。そこから2時間半、最後まで全く目が離せないまま観終えてしまった。確かにこれは、簡単にけなすことのできない、ケタ外れの傑作だった。

 硬質かつ毒気に満ちた犯罪アクション映画として、最後まで生々しい緊張感を失わずに疾走する『バットマン』など、今まで観たことがあっただろうか。違う言い方をすれば、ここまで破格の予算をかけて大スケールで展開する犯罪映画など、前代未聞ではないか。しかも、荒唐無稽なアクションや愉快な特撮も満載したエンタテインメント作品としても成立させてしまっているのだから、どれだけ高い望みと悪意をもって映画を作ってるんだこいつらは、と呆れずにはいられない。

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 『ダークナイト』は監督やキャストの力量だけでなく、全スタッフの総合力の高さがうかがえる作品だ。撮影も編集も音楽も、とにかく素晴らしい。撮影監督は『メメント』(2000)以来、クリストファー・ノーラン作品に参加し続けているウォリー・フィスター。全てのシーンが硬質なリアリティと美しさに満ちているが、中でもIMAX用のカメラを使ったというアクション・シークェンスのダイナミックな迫力は圧倒的で、その奥行きと広がり、さらに狂ったスピード感の加わった映像は、絶対に大画面で堪能するべき臨場感だ。バットポッドの出撃シーンなんて、思わず鼻血が出そうになるほどカッコイイ(帰り道の自転車のスピードが上がる上がる)。152分の長尺を飽きさせずに見せきる、リー・スミスの編集テクニックも圧巻。R指定を回避するためにどれだけ細かい技を駆使しているかを見るのも面白い。ジェームズ・ニュートン・ハワードとハンス・ジマーという前作からの異色コンビによる、ミニマルに徹したスコアも効果を上げている。

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 元々ラジカルな匂いに満ちた原作コミックを、クリストファー・ノーラン監督は犯罪学的視点を絡めて再構築し、時代の暗黒を凝縮させたような堂々たるフィルムを作り上げた。そこには強靭な悪意と、決定的な正義の敗北と、どす黒い復讐心が手加減抜きで描かれている。これほど徹底的に悪の栄えを描きのめしたハリウッド大作も珍しいだろう。具体的な流血シーンこそないものの、至るところに神経を責め苛むような不穏なムードが溢れ、過激なバイオレンスがちりばめられている。ハッキリ言って子どもが観られる内容ではない。この映画になんらレイティングを与えなかった日本の映倫の判断も、実に悪魔的だ。

(以下長文、ややネタバレあり)

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 破壊と混沌の父、ジョーカーのキャラクターがかつてないほど魅力的に描かれたことが、何しろ嬉しい。思わず膝ポンしたくなる「鉛筆を消すマジック」から大仕掛けなテロ計画まで、洒落っ気と大胆さをもって次々に悪の華を咲かせる彼の活躍には、戦慄と共にアナーキーな高揚感すら覚える。金目当てでもなく、政治的・宗教的な大義のためでもなく、ただ人間の善意や良識が崩壊する瞬間に賭けていたいという情熱から、巧妙に秩序を破壊していくジョーカーは、純粋そのものだ。誰がどう見ても、この人は自分に嘘をついていない。映画中盤、まんまと計画を成功させ、パトカーの窓から身を乗り出して勝利の風を浴びる彼の姿は、だからこの上なく美しい。登場シーンで必ず高鳴る不協和音の旋律も、映画を観ているうちにだんだんと待ち遠しくなってくる。

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 特筆すべきは、彼が狡智に長けたトリックスターであると同時に、下卑たチンピラの凶暴性、本物の殺人者としてのエッジも備えている点だ。きっとこいつに出くわしたら自分も躊躇なく殺されるだろうと思わせる異常性。愛すべきコミカルなキャラに戯画化せず、リアルな狂人としてジョーカーを描ききった気概と力量は尊敬したい。また、安易な共感や同情を抱かせる要素を一切突っぱねているのも潔かった。コロコロ内容の変わる身の上話からは、その内面に渦巻く闇が決して誰にも理解できないことが痛々しいほど伝わってくる。ひょっとしたら、その根源には何もないのかもしれない。だとしても、現実に空虚な殺人者たちがはびこる今、それはきわめて現代的な恐怖だとは言えまいか。彼の底知れぬ暗黒は人を惹きつけずにいられない。この映画のジョーカーには、本当の意味で危険なカリスマ性が迸っている。

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 それを演じていたのがヒース・レジャーだという事実が、まず信じられない。そこに映っていたのは、僕らの知っている爽やかな笑顔の自然体俳優とは似ても似つかない、エキセントリックな凶悪犯罪者そのものだった。分裂した内面がそのまま表れたような崩れたメイキャップ、黄色く染まった歯、口の中でぴちゃぴちゃ音を立てながら喋る耳障りな台詞回し、ギラギラと輝く眼光(ヒース・レジャーの眼がこんなに際立ったことが、かつてあっただろうか?)。作り込みのレベルがケタ違いで、あのジャック・ニコルソンが演じたジョーカーのイメージさえ払拭してしまった。これが最後の出演作となった悲劇性も含めて、『ダークナイト』のヒース・レジャーは他の追随を許さない偉業(異形)の爪痕を映画史に刻み込んだ。

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 そんなジョーカーの強烈な存在感に比べて、主役であるはずのバットマンの影が薄く見えてしまうのは、致し方ない。ノーラン版の『バットマン』シリーズでは、主人公ブルース・ウェインはヒーローとして未完成であり、いまだ成長過程にあるナイーブな青年として描かれているからだ。マイケル・ケイン、ゲイリー・オールドマン、モーガン・フリーマンと、その周囲にくまなく“父性”が配されているのも、そうした意図によるものだ。

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 前作『バットマン・ビギンズ』(2005)では、あまりにバカっぽい主人公の行動論理(ギャングの親分に「お前ごときに犯罪者が理解できるか」と言われれば本当に犯罪者になろうとしたり、「己の恐怖を克服せよ」と言われれば苦手なコウモリの扮装をしたりする短絡思考)を、ひたすらシリアスな演出で描くので辟易する部分も多かった。が、今回の『ダークナイト』ではそれなりに洗練された人物に成長しているので、鼻白むところも少なく済んでいる。演じるクリスチャン・ベイルも精悍さとスマートさを増し、前作より格段にいい。それでも、理想主義的な甘さは依然残したままであり、あまつさえ正義の味方の座を積極的に譲り渡して、ヒロインに「バットマンやめたらオレと付き合うって言ったよね?」と迫る始末。ノーランはそこでさらなる残酷な通過儀礼を主人公に強いる。真に孤独なダークヒーローの完成形へと進化させるために。

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 そこで登場するのがジョーカーである。警察署の取調室で「You complete me.」と某トム・クルーズ主演作の台詞を引用し、自分が立派な悪人になれたのもバットマンのおかげだとうそぶく彼は、絶好の遊び相手がハンパに引退することを許さない。「最愛の人の死」というショック療法を与え、さらに孤高のステージへとバットマンを押し上げ、その鋼の闘志を再び目覚めさせるのだ(ジョーカーはバットマン=ハーヴィー・デントと勘違いした上で、図らずも最上のバッドエンドをもたらすのがまた天才たる所以)。己の内なる闇を克服するために生まれたバットマンにとって、ジョーカーはいつしか単なる強敵ではなく、自分自身のために乗り越えねばならない重要な存在となっていく。全ての「闇」を象徴する暗黒の父のように。だからこの映画では、ついにバットマンはジョーカーに勝てない。自ら追われる身になることによってしか。バットマンが全編にわたってジョーカーに圧倒され続けるのは、苦い成長ドラマである本作の物語上、必然なのである。

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 もう一人の重要なキャラクターが、アーロン・エッカート扮する“正義の人”ハーヴィー・デントだ。『ダークナイト』は彼の映画でもある。前半ではクリーンな男を説得力たっぷりに演じながら、後半では「失敗したバットマン」=トゥー・フェイスとなって悪に取り憑かれていくさまを鬼気迫る表情で熱演し、他のキャストに引けをとらないインパクトを与える。復讐鬼と化したデントがゴードン警部補に恨みを抱いていくプロセスには、多少の無理を感じるものの、エッカートの悲愴感に満ちた演技がシナリオの強引さを辛うじて補っていた。終盤、彼が少年の頭に拳銃を突きつけるシーンの緊迫感は凄まじい。もちろん、普通のハリウッド映画なら子供が殺される展開などまず有り得ないのだが、この映画では「本当に引き金を引くかもしれない……」と思わせてしまう。コミック原作のサマームービーで、そんな緊張を観客に生じさせるのは凄いことだ。

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 その他の出演者の中では、やはりマイケル・ケインが断トツで素晴らしかった。クリスチャン・ベイルとの掛け合いには、チーム3作目だけあってこなれた余裕とユーモアが漂い、殺伐とした映画のなかでも観客が一息つける大事な部分を担っている。また、原作ファンにはすこぶる評判のいいゴードン警部補役のゲイリー・オールドマンも、前作同様しょぼくれた風情を出しながら名脇役ぶりを発揮している。一昔前なら、オールドマンが『バットマン』に出ると聞けばキレた悪役しか想像できなかったのに、ノーラン版『バットマン』では見事に枯れた成熟を遂げているのが面白い(当然、吹き替えは納谷六朗)。そして登場シーンは少ないながら、先述のウィリアム・フィクトナー演じる銀行員や、前作からのカメオ出演となるスケアクロウ役のキリアン・マーフィーなども鮮やかな印象を残す。

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 巷では賛否両論のヒロイン交代だが、個人的には100%賛成。やっぱりマギー・ギレンホールは巧い。目の覚めるような美人というわけではないけど、ちょっと小猾そうな知性と魔性を漂わせる彼女だからこそ、複雑なポジションに立たされるヒロインを見事に表現できたのだと思う。悲劇的な途中退場シーンでの演技も素晴らしかった(最期の台詞の絶妙な途切れ方に、ノーランの女嫌いがストレートに露呈していて感動した)。前作のケイティ・ホームズは、変に歪んだ笑顔しか印象のないドヘタな小娘でしかなかったが、それに比べたら雲泥の差。まあ華がないと思う人もいるだろうけど、何せ監督がセクシーでゴージャスな美女とかに興味のない人だから、諦めるほかない。

 賛否両論と言えば、ゴッサム・シティの描き方も「普通の街に見える」から楽しくない、という意見が多いようだが、もちろん作り手はそれを狙ってやっている。『ダークナイト』では、前作『ビギンズ』に辛うじて存在したファンタジー性すらかなぐり捨て、「リアルな街」を舞台に盛大な犯罪の祭典が繰り広げられる。これらの破壊や暴力が、我々の住む実世界で起きていることだと伝えるために。だからこそ、オープニングでジョーカーたちによる銀行強盗が白昼堂々行われ、本来はファンタジーの中にとどまっていたはずの絶対悪が、ためらいなく現実へと侵犯するさまを映しだすのだ。また、前作では分かりやすく退廃していたゴッサム・シティが、今や表向きはクリーンな都市へと変容したものの、それでも犯罪は減っていないという矛盾に、ノーランのシニカルな都市論も込められているだろう。現実のニューヨークや、あるいは新宿あたりの景色を重ねてみるといいかも。

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 ヒース・レジャーがオーバードーズで急死、クリスチャン・ベイルが肉親への暴力で逮捕、モーガン・フリーマンが自動車事故で入院と、ほとんど呪われたかのように関係者が「あちら側」へ引きずり込まれているが、それもなんとなく納得できるほどの邪気もといパワーを持った映画である。そのあたりのセンセーショナルな要素を差し引いても、『ダークナイト』は様々な見どころを備えた意欲作であり、観客の知性やモラルを快くキックする傑作だ。これが全米で『スター・ウォーズ』を超える驚異的大ヒットを記録したという事実は、現在のアメリカ国民が実感している暗澹たるムードを如実に示しているとも思えるが、同時に、これだけ頭を使わせる作品でも面白ければ観客はちゃんと劇場へ来るんだということも証明している。この作品のヒットをきっかけに、いろいろなことが変わるかもしれない。

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製作/エマ・トーマス、チャールズ・ローヴェン、クリストファー・ノーラン
監督/クリストファー・ノーラン
脚本/ジョナサン・ノーラン、クリストファー・ノーラン
原案/クリストファー・ノーラン、デイヴィッド・S・ゴイヤー
キャラクター創作/ボブ・ケイン
撮影監督/ウォリー・フィスター
プロダクションデザイン/ネイサン・クロウリー
衣装デザイン/リンディ・ヘミング
編集/リー・スミス
音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード、ハンス・ジマー
出演/クリスチャン・ベイル、ヒース・レジャー、アーロン・エッカート、マイケル・ケイン、ゲイリー・オールドマン、マギー・ギレンホール、モーガン・フリーマン、エリック・ロバーツ、キリアン・マーフィー、ウィリアム・フィクトナー

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コメント

あるいみグランバダさんが前回書いたDMCや他のスパイダーマンなどと正反対の作品ですよね
つまり、今の世の中コミック原作にしか金が出ない状況で、その状況を逆手に取り
コミック原作で好き勝手に映画を撮るという監督の心意気が伝わってきます。
しかし、ジョーカーは自分としては世間で言われるほどいいとは思いませんね・・
彼は絶対的な悪のような描かれ方をしていると思うんですが、あまりそれが伝わってこないし、
別に道端であってもジョーク交わして別れられる気さえします。
現実問題としてこの映画を見たほとんどの人はジョーカーを応援していたと思います。
それではダメでは・・病院でも中にはだれもいませんからね
爆破してもインパクトはあっても残虐感は出ませんよ
まあ色々語りたくなる時点で面白い映画には間違いありませんけどね。

  • 2008/09/04(木) 01:40:55 |
  • URL |
  • かっぱ泥棒 #-
  • [ 編集]

コメントどうもです。
ジョーカーさんは映画の途中で、バットポッドに乗って突進してくるバットマンを前にした時、たまたまその辺に走ってる車もバリバリ撃ってましたよね。邪魔だから。要するに、計画の邪魔をしたり、考え事してる最中に目障りなところにいたら、道端で靴ひも結んでいても「邪魔だ馬鹿」つって後頭部を撃ち抜かれそうな気がしたんです。コンビニ帰りとかなら「よっ!」とか言ってくれそうですけどね。多分、同志気分で仲良くなったつもりだったり、応援したり共感したりしたところで、ポンと殺す人だと思います。だから魅力的なんですけど。
あと、ジョーカーさんの目的は「秩序をひっくり返すこと」なので、どれだけ大勢の人間を死へと追いやるか、ではないと思います。総合病院が爆破される、という事態のアナーキズムが、市井の人々が当然のように享受している安心感を足元からぐらつかせるのであって、ボディカウントはあまり問題ではないはずです。ジョーカーさんにとって。それよりはいかに効果的にひとつの破壊、ひとつの死を演出するか(たとえばレイチェル・ドーズの死のように)が重要なのです。僕は何度観ても病院が完全に崩落するシーンで頬がゆるんでしまいます。ハリウッド映画で病院を思いっきり爆破する映画なんて、そうそう見当たらないから。しかも誰も死んでいないせいで、ギャグとして見ることができる。
ジョーカーさんは絶対悪というより純粋なアナーキストですよね。その「混沌の使者」たる資質がマッドサイエンティストでもなく、秘密結社のボスでもなく、白塗りの下卑たチンピラに宿って見事に世界を混乱へと導くところが、痛快なのだと思います。

  • 2008/09/06(土) 03:14:36 |
  • URL |
  • グランバダ #h1buydM2
  • [ 編集]

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