Simply Dead

映画の感想文。

『イースタン・プロミス』(2007)

『イースタン・プロミス』
原題:Eastern Promises(2007)

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 凄かった。いつの間にかマーティン・スコセッシを飛び越えて「暴力映画の巨匠」になってしまったデイヴィッド・クローネンバーグ監督の新作は、前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005)同様、やはり「凄い」としか言いようのない傑作だった。

 クローネンバーグはこれまで主にSFやホラーといったジャンルで、肉体の内側と外側、あるいは理性と本能の相剋・葛藤を描いてきた。しかし、彼は今回もまた前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』に引き続き、より具体的な闘争の場=犯罪社会へと踏み込む。平和な日常と、その隣り合わせに存在する暴力的世界の摩擦と衝突を、さらに過激にエスカレートさせていくのだ。

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 『イースタン・プロミス』は、英国ロンドンのロシアン・コミュニティという、あまり目にしたことのない世界の暗部にメスを入れた強烈な物語である。ナオミ・ワッツ扮する助産婦のアンナは、赤ん坊を産んで死んだロシア人少女の日記を手にしたことから、マフィアが取り仕切る売春ビジネスや人身売買の実態を知ることになる。そして、彼女はひょんなことからマフィアの運転手ニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)と奇妙な交流を深めていく。非情さと優しさを併せ持つ、不思議な魅力を湛えた彼の正体とは……。

 『堕天使のパスポート』(2002)の脚本家スティーヴ・ナイトによるシナリオは、ジャンルとしては「社会派バイオレンス・スリラー」になるのかもしれないが、クローネンバーグの演出は単純なジャンル分けを許さない。特に強烈なインパクトを与えるのが、ホラー映画とまるで変わらないどぎつさで、ひたすら明確に映し出される人体破壊描写の数々だ。クローネンバーグにとっては新機軸と云っていい本格ギャング映画である本作でも、暴力の恐怖を伝えるために、グロテスクな破壊の瞬間そのものをしかと見せつけるダイレクトなホラー演出が相変わらず駆使されているのが面白い。同じくホラー・ジャンル出身のステュアート・ゴードン監督による『King of the Ants』(2003)にも通じる感覚だと思った。

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 そんな明確さに反するように、ストーリーはぎりぎりまでシンプルに削ぎ落とされる……クローネンバーグ作品におけるシンプリシティは、往年の職人監督がするように分かりやすさを目的とはしておらず、観客の知性を試す種類のものだ。その無駄のなさを通り越した省略語法は『スキャナーズ』(1981)から変わっていない。

 しかしながら、この映画的成熟はどうしたことか。語り口はいつものクローネンバーグだが、シナリオの新鮮な衝撃性、常連スタッフによる素晴らしい仕事も含めて、とてつもない豊かさと成熟が感じられる。軽いユーモアも交えた深みのある人物描写、ロシア語をマスターした名優たちの見事な演技、リアルな美術セットや風俗のディテールなど、映画の各部がこれまでで最高と云っていいくらいの高みに達している。

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 とにかくもう、ヴィゴ・モーテンセンが素晴らしい。強烈なカリスマ性を放つ謎の男・ニコライに扮し、見事なアクセントで叩き上げのロシアン・マフィアを完璧に演じている。体中に刺青メイクを施した精悍な肉体を披露するほか、公衆浴場での全裸プラス1もとい全裸&タトゥー姿で繰り広げる凄まじい格闘シーンにも、筋金入りの役者魂を感じずにはいられない。役作りのために単身ロシアに渡ってウラル地方の文化風俗を吸収したという役者バカ(というか変人)だ。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズはもとより、前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』のイメージさえ払拭し、その演技力と存在感をフルに発揮した過去最高の芝居で圧倒する。

 ナオミ・ワッツとクローネンバーグ映画の相性も、なかなかのものだ。鬼才の作品でも、凛とした女性の強さを最低限の演技で体現できる稀有な女優であり、本作でも幼い命を守るために危険な領域へ足を踏み入れていくヒロインを、説得力たっぷりに演じている。横顔がやはり、美しい。キスシーンが本当に映える女優さんだと思う。

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 自称・元KGBの偏屈な叔父役を演じるのは、ポーランド出身の奇才監督イエジー・スコリモフスキー。ベテラン俳優顔負けのユーモラスで味わい深い演技を披露している。クローネンバーグたっての希望でキャスティングされたらしいが、やはりそれはスコリモフスキーが共産主義政府と相容れず故国を脱した流浪の人であり、過去にロンドンで『早春』(1972)や『Moonlighting』(1982)を撮っているからだろうか。ヒロインの母親役にシニード・キューザックを配しているのも、彼女の夫が『Moonlighting』とクローネンバーグの『戦慄の絆』(1988)に主演したジェレミー・アイアンズだから?

 冷酷なマフィアのボス役に、温厚なイメージで知られる名優アーミン・ミューラー=スタールを起用しているのも、いかにもクローネンバーグらしい捻り技。そのドラ息子役のヴァンサン・カッセルは、『バースデイ・ガール』(2002)で演った役とイメージが被るんじゃないか? という不安があったが、杞憂に終わった。イキがっているわりに弱さを抱えたダメな二世をこれまた絶妙に演じており、複雑なキャラクターを見事に作り上げていて感動。ぜひこのままお父さんのような良い役者になってほしい。

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 本作『イースタン・プロミス』は、クローネンバーグ作品としては珍しくアクチュアルな社会問題を扱った作品だが、そこで見据えられているのはやはりこれまでと不変のテーマだ。つまり肉体の内と外で繰り広げられる闘争(Conflict)、そしてアイデンティティの変容を追う物語である。そのメタファーは刺青であり、血だ。

(以下、ややネタバレ)


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 ニコライはマフィアの存在証明であるタトゥーを全身に施し、ある秘密を封じ込むために己の肉体までも戦場化する。アンナは今まで目を背けてきた社会の病巣と対峙することで、ロシア系移民という自らの血を認識していく。互いに正反対の世界で暮らしていたふたりは、己の内と外にのっぴきならない葛藤と闘争を抱え、孤立し、惹かれ合う。ついにはどちらのコミュニティにも属さないロミオとジュリエットとして、新たな秩序を築きかける……それはこの荒んだ世界が渇望する愛であり、平和である……のだが、現実をわきまえた結末によって、映画は物悲しく、ロマンティックに幕を閉じる。

 そういえば、クローネンバーグが映画まるまる1本分かけて“恋の高まり”を緻密に描いたのは本作が初めてではないか(破局とか再燃とかは得意だけど)。「あなたは誰?」というごくありきたりな台詞を最後の最後まで引っ張り、劇的なクライマックスへと持ってくる暗黒街のラブストーリーを、あのクローネンバーグがここまで見事に描いてのけるとは!

 題名になっている“Eastern Promises”とは、イギリスで東欧組織が行っている人身売買契約のことをさすそうだ。どこかロマンティックな響きに反して、その言葉の意味は重く忌まわしい。希望を求めて外国に渡った女性たちが、マフィアによってセックスビジネスの奴隷に仕立てられ、搾取される図式は、この国でもお馴染みだろう。しかしこの映画では、主人公の男女の間に芽生える絆が、かすかな希望となって言葉の意味を反転させる。世界の暗黒を知ったふたりは決して互いの未来に約束など交わさないが、観客はラストシーンで思わず、彼らの未来に「再会」という約束を期待してしまうはずだ。


監督/デイヴィッド・クローネンバーグ
脚本/スティーヴ・ナイト
撮影/ピーター・スシツキー
美術/キャロル・スピアー
衣装/デニース・クローネンバーグ
編集/ロナルド・サンダース
音楽/ハワード・ショアー
出演/ヴィゴ・モーテンセン、ナオミ・ワッツ、ヴァンサン・カッセル、アーミン・ミューラー=スタール、シニード・キューザック、イエジー・スコリモフスキー

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