Simply Dead

映画の感想文。

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『グラインドハウス(USAバージョン)』(2007)

『グラインドハウス』(USAバージョン)
原題:Grindhouse(2007)

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 『デス・プルーフ』は本当に凄い。始めっから終りまで、ずっと凄かった。だってタランティーノの野郎、自分で「グラインドハウス映画の復活」をぶち上げておいて、全然その範疇に収まらない傑作にしちゃってるんだもの。映画ファンを自認する(僕みたいな)人間の自意識をガタガタ揺さぶる破壊的フィルムでありつつ、ラストでは誰もが拍手喝采せずにはいられない、ポップで痛快無比な娯楽作でもある。クライマックスの盛り上がりはハンパじゃない。必ず劇場で盛り上がるべし。

 今回観たのは計191分のアメリカ公開バージョン。最初に『マチェーテ』のフェイク予告編があって、次にロバート・ロドリゲスの『プラネットテラー』が上映され、再びフェイク予告3連発『ナチ親衛隊の狼女』『ドント』『感謝祭』を挟んで、クエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ』が始まる、という流れだった(休憩なしなのでトイレには行っておいた方がいい)。最初は「えー、ロドリゲスが先かよー」と思ったけど、でもこの順番が、より強く『デス・プルーフ』の衝撃に打ちのめされるためには必要なのだ。

 『プラネット・テラー』だって悪くはない。むしろ、ここ最近のロバート・ロドリゲス作品のなかでは一番面白かった。状態の悪いプリント特有の傷を、わざわざ一生懸命デジタルで施してニセモノB級映画を作り、無邪気なエンターテインメントに仕立てている。B級なりにそこそこ楽しめたかな、という満足度も含めて、まさに今回のコンセプトに忠実な、真面目な作品だった。

 だが次に『デス・プルーフ』が始まると、やっぱり最初の数分間でタランティーノの方が「グラインドハウス魂」という点において圧倒的に勝っていることを思い知らされる。とにかく芸が細かく、そのくせ自然なのだ。フィルムの質感、画面のムード、コマ飛びのタイミングなど、こだわり方のレベルは一線を画している。なのに『プラネット・テラー』にかかっているエフェクトの手間に比べたら半分の労力も使っていないように見える。同じこだわるのでも、方向性がまるで違うのだ。

 どうやら『デス・プルーフ』というのはこの映画の再公開時の改題らしい(一瞬オリジナルタイトルが映る)なんていうお遊びも、ただの軽いジャブでしかない。車中で女の子たちが繰り広げる会話シーンで、目線や腕の位置など、カットのコンティニュイティを微妙に合わさないところなんて、細かすぎて死ぬかと思った。中盤のバーのシーンでも、女優のスケジュールが取れなかったのか、後ろ姿だけのスタンドインを使って誤魔化したのが丸分かりなシーンをわざわざ作ったりする。しかも、そうしたディテールを別に面白く描いたりしないのだ。それがタランティーノの品格なのである。

 ロドリゲスは『プラネット・テラー』で、コマ飛び・フィルム傷・画面ブレなどを面白おかしい演出効果として使っていたが、タランティーノはそんな下品なことをしない。名画座で映画を観ている人間なら分かるが、コマ飛び・フィルム傷は常に予期しない場所で起きる(もちろん、勘で分かる部分もあるけど……ロールの頭と尻は特に痛みやすいとか)。だから冒頭の監督クレジットもないし、車中の会話シーンのアタマも欠けているし、あろうことかもっともセクシーな見せ場さえバッサリ切ってしまう。思わず観ながら「スゲエ!」と口走ってしまった。113分の単独公開版にはそのシーンがちゃんとあるというが、あの衝撃が味わえないと思うとちょっと寂しい。

 だがもっと凄いのは、そうしたフェティッシュなこだわりも、途中からどうでもよくなっていくこと。映画は後半から、フィルム傷もコマ飛びも70年代ムードもかなぐり捨て、あきれるほど“素の”タランティーノ映画と化していく。ただの田舎をピーカンの下で撮っただけの、おっそろしくフラットなルックで、小細工抜きの“魂”だけで「俺のグラインドハウス映画」を表現していくのだ。1本の映画の中で、そんな劇的変化が起こっていく様を見るのは、ものすごくスリリングで、とてつもなく感動的だった。

 スコープサイズの両脇がスッカスカに空いた、投げやりな構図さえも絶妙。そこにはやっぱり神が降りてきている気がする。単にフィルムを汚せばグラインドハウス映画になるってもんじゃない。魂の問題なんだ! とタランティーノは喝破する。ロドリゲス、立つ瀬がないにもほどがある。

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 そしてあの凄絶なカーアクション! 過去の再現に淫するばかりでなく、まんまと新しいこともやってのけているのが凄い。連続殺人鬼がナイフや斧の代わりに自動車で美女を殺す、と聞いた時は「くっだらねえなあ」と思ったが、実際のビジュアルは強烈にして凶悪。人体破壊描写としては久々に度肝を抜かれた。

 後半の延々と続く超絶カースタントも、発想からして(バカで)凄いが、それを受けて立ったゾーイ・ベルこそ本当の猛者だ。魂だけで勝負すると決めた映画監督と、恐れを知らぬ最強のスタントウーマン。ひたすらシンプルに「観客をあっといわせる」カーアクションを見事に実現させた両者のクソ度胸にはひれ伏すしかない。本作最大のスターは誰がどう考えても彼女だろう(芝居も案外うまいし)。

 ただもう、あまりに豊かな時間が展開するので、果たしてこれがグラインドハウス映画なのか? という疑問も湧いてくる。確かに設定はチープだし、構成もいびつで、普通の人が観たら長すぎるところもあるし、今の観客のニーズには全く合わせていない映画だ。でも、面白さではぶっちぎっている。そこには、ただのB級映画に期待する以上のもの……例えば女の子たちの連帯感の見事な描写、あるいはバーの外に降りしきる雨の情感、そして映画としての新しさ、等々がある。グラインドハウス映画のくせに、作り手の心がこもっているなんて反則だ。実にリッチな内容でありつつ、とてつもなくアヴァンギャルドな破壊力も持ち合わせている。何の気なしにホラー映画3本立てを観に行ったら、思いがけず生涯の傑作に出会ってしまった……そんな衝撃をも『デス・プルーフ』は再現するのだ。

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 特にグラインドハウス映画らしからぬと思うのは、会話のボリューム。とめどなく続くギャルのダベリは、監督本人も映画秘宝のインタビューで言っていたが「ほとんどリチャード・リンクレイターの映画なみに長い」。もちろん伏線の役割もあるし、ハイライトに向けての「溜め」でもあるが、それ自体がとても心地好い。言葉選びのセンス、抑揚やリズムは相変わらず小気味良く、聞いているうちにだんだん酩酊感すら覚え、頭がくらくらしてくる。そんな甘い野良猫トークに身を委ねているうち、「これはもう現代アメリカ文学ではないのか」と思ったり、「いや、やっぱり映画なのだ」と思い直したり、初見ではとにかく頭がグルグル回りっぱなしであった。

 個人的には全てのシーンでドキドキしながら観ていたので全然飽きなかったけど、人によっては長すぎると感じるかもしれない。だけど、そういう人は映画の緩急における「緩」の部分をあまり楽しんでいない気がする。一連のシークェンスは次の展開へ繋ぐための小休止ではなく、それ自体が味わいに満ちているのに、無視しちゃつまらない。

 ひたすら溜めに溜め、じらしにじらして、待ってましたのクライマックスで最高のカタルシスへと導く。劇中の言葉を借りるなら、それはまさに「セックスの代替行為」だ(しかも2回戦ある)。終わった後は本当にスッキリした気分になれる! 前振りがやたら長いというパターンでは『フォー・ルームス』(1995)の最終話を思い出したが、今回はあんな一発オチでは終わらない。2度目には絶頂状態が延々と続くのだ(攻守交代あり)。また中盤、スタントマン・マイクとバタフライが“ある約束”をめぐって繰り広げる、サディスティックな前戯めいた言葉のバトルも素晴らしい。『トゥルー・ロマンス』(1993)のデニス・ホッパーとクリストファー・ウォーケンの対決をついに凌駕したと思う。この映画の中でいちばん好きな場面かもしれない。

▼ヴァネッサ・フェルリトを触る手がエロい撮影中のタランティーノ
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 今回タランティーノは自ら撮影監督まで務め、とにかく女の子たちをセクシーに捉えようとした結果、ほとんど脚ばかり撮っていたという弁解の余地のない脚フェチぶりを露呈している。その好色な視線のいけにえとなったのはバタフライことヴァネッサ・フェルリトと、ジャングル・ジュリアことシドニー・タミア・ポワティエ。バーの場面で2人がシンメトリカルに美脚を誇示するカットは、特に(無意味で)素晴らしい。一方、グラインドハウス映画なのにおっぱいが足りない! という至極もっともな意見もある。でもタランティーノ自身は女囚映画とか観ながら「これがおっぱいじゃなくて脚ばっかりだったら最高なのになぁ」とか夢想していたに違いないから、これはやはり彼奴にとって究極のエロ映画なのだ。(でも胸なら後半のロザリオ・ドーソンのタンクトップとか、結構……)

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 何より、『デス・プルーフ』にはタランティーノの「女の子大好き!」な一面が、本当に素直に表れていて微笑ましい。それも、少し前までは「映画に出てくるようなヒロイン」しか登場させなかったのに、今回はかなりプライベートの好みがモロ出しになっている気がする。後半に登場する4人組なんて、あまりに魅力的に撮れているのでびっくりした。

 タランティーノの女性に対する惜しみない愛情が表れたフィルムとしては、過去に『ER』の演出担当回「母親」(1994)と『ジャッキー・ブラウン』(1997)、『キル・ビル Vol.2』(2004)などがあった。そういう意味では、『デス・プルーフ』は彼のあまり顧みられない部分の集大成という気もする。また、観ていて何度も思い出していたのが、マシュー・ブライト監督の『連鎖犯罪』(1997)だ。「イイ女を殺して回るような変態野郎は、腕っぷしの強いビッチの手でさんざんいたぶってからブチ殺してやれ!」というオタク的思想においても通じるものがある。

 ともあれ、最初に観たのがこのバージョンで本当によかった。先にも述べたが、やっぱり『プラネット・テラー』でグラインドハウス映画の基本要素をまず飲み込んだ上で、『デス・プルーフ』の破壊的なスタイルに打ちのめされる、という構成の妙がとてもよく効いていると思う。特に普通のお客さんには必要なプロセスである気がした。いきなり『デス・プルーフ』だけ見せられても、まあ凄いとは思うだろうけど、こんな高揚感を味わえたかどうか。長さもこれくらいがちょうどいい気がする。

 USAバージョンだけでしか観られないフェイク予告編もまた凄く面白くて、会場でもかなり盛り上がっていた。特にエドガー・ライト監督の『ドント』に出てくる『恐怖のいけにえ』(1980)のパロディは本当、くだらない! アホか! イーライ・ロスの『感謝祭』はぜひ本編が観てみたいと思った。あと全然関係ないレストランのCMにも爆笑したし、「この映画は成人指定です」という案内用のショートアニメも可愛かった。これがたったの1週間限定上映だなんて、ケチくさいにもほどがある。

▼エドガー・ライト監督のフェイク予告編『ドント』
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 とはいえ、単独公開版の上映もすごく楽しみ。USAバージョンでは切られてしまったバタフライちゃんの見せ場が早く観たい。『プラネット・テラー』の全長版は……まあ、いいや。

・Amazon.co.jp
DVD『グラインドハウス』コンプリートBOX(初回限定生産)
CD『デス・プルーフ』サウンドトラック
ムック本『グラインドハウス映画入門』(洋泉社)



《グラインドハウス》
製作総指揮/ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン
製作/クエンティン・タランティーノ、ロバート・ロドリゲス、エリザベス・アヴェラン、エリカ・スタインバーグ

『デス・プルーフ』
監督・脚本・撮影監督/クエンティン・タランティーノ
美術/スティーヴ・ジョイナー
衣装デザイン/ニナ・プロクター
編集/サリー・メンケ
出演/カート・ラッセル、ヴァネッサ・フェルリト、シドニー・タミア・ポワティエ、ジョーダン・ラッド、ローズ・マッゴーワン、ゾーイ・ベル、トレイシー・トムズ、ロザリオ・ドーソン、メアリーエリザベス・ウィンステッド、マーリー・シェルトン、マイケル・パークス、クエンティン・タランティーノ、イーライ・ロス

『プラネット・テラー』
製作・監督・脚本・撮影・編集・音楽/ロバート・ロドリゲス
出演/ローズ・マッゴーワン、マーリー・シェルトン、フレディ・ロドリゲス、ナヴィーン・アンドリュース、ジョシュ・ブローリン、ジェフ・フェイヒー、マイケル・ビーン、トム・サヴィーニ、マイケル・パークス、ステイシー・ファーガソン(ファーギー)、カルロス・ガラルド、クエンティン・タランティーノ

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