Simply Dead

映画の感想文。

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『御巣鷹山』(2005)

『御巣鷹山』(2005)

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 傑作だった。想像以上に映画の醍醐味というものを味わわせてもらった。何たってこれはもう、まるっきり小林正樹監督の『切腹』(1962)じゃないか。ストーリーの構造、キャラクター配置、時にはカメラワークまで、見事に踏襲されている。家族の絆、運命のいたずら、悲劇、復讐、反体制・反権力といったモチーフも同じ(それは渡邊文樹作品のトレードマークでもある)。もちろん本作が扱うテーマは国家の陰謀であり、ぞんざいにジャンル分けするならポリティカル・スリラーなのだけど、作りは『切腹』である、という点にいたく感動してしまった。

 この人はやっぱり、映画に取り憑かれている。

 作品を重ねるごとにフィクションと現実の垣根を越え、互いに肉薄していくように見えて、実はどんどん「映画の興奮」を伝える力を研ぎ澄まし、映画作家として成熟しているように思えてならない。それは誰もが傑作と認める完璧なフィルムを作るという意味ではない。ローバジェットの荒々しく観づらい映像で、たまにおそろしく気のない演出やタガの外れた展開も交えつつ、得体の知れないパワーで観客の心臓を持っていってしまう。作品イメージのセンセーショナルな禍々しさを裏切るほどに、『御巣鷹山』は純度の高い映画の醍醐味、興奮が脈打っている。個人的には前作『腹腹時計』(1999)をも上回っているように思えた。

 今、「怨念に満ちた映像」というものを作り得る映画監督が、日本にどれだけいるだろうか。ほとんど勝新のような中曽根総理の前で、主人公が過去の因縁を滔々と語る一連の場面は、もはや小林正樹ミーツ中川信夫(あるいは山本迪夫)と呼びたいおどろおどろしさで、嬉しくなってしまう。たなびくというより湧き上がるスモーク、怪奇映画ライクな照明、人物の懐に切り込むかのような大胆なカメラ移動、そして役者の演技。何もかもが過剰。このケレンがいいのだ。何より主人公・渡邊“復讐するは我にあり”文樹のかっこよさときたらどうだ! ナルシシズムという言葉には「身の程知らず」といった意味も含まれていると思うが、渡邊監督は円熟味と気迫を増した役者・渡邊文樹の存在を得て、純粋に狂喜しているようだ。

 そして、音。はっきりさせておかなければならないが、映画というのは、放っておけば画と音はバラバラのままである。現場では別々の媒体(フィルムと磁気テープ)で録り、カチンコを目印に両者をシンクロさせて編集し、ダビングでSEをミックスした後、ひとつのフィルムにまとめるのだ。しかし『御巣鷹山』は予算の都合上、16mmフィルムと音響テープを別々に再生し、映写技師を務める渡邊監督自身がその場でミックスするという、異例の上映形態をとっている。もちろんシンクロしないので音はどんどんずれていく。監督も上映前の口上で「お聞き苦しいかとは思いますが……」と丁寧にことわるので、観る前には客もそれなりの心の準備をする。ところが、そこで聞こえてきた音は「合わせても合わせてもずれてしまう音」などではなかった。その映画は、はなから画と音を合わすつもりなど毛頭ない、破天荒きわまる前衛音響ライヴだったのだ。台詞と口パクが盛大にずれるのは当たり前。それどころか役者が明らかに喋っていない箇所にも平然とアフレコ音声を被せている。しかも声優の演技は画面に映っている素人俳優よりもずっとしっかりしてるし。合うわきゃないのだ。でも、それがとてつもなく面白くて、胸のすく思いだった。もしこれをちゃんとダビングして35mmプリントのかたちにまとめたところで、ちぐはぐな印象は変わらないだろう。この上映形態だからこそスリリングな面白さを感じることができるのである。仕方なくやっているのではない、確信犯なのだ。

 映画は、放っておけば画と音はバラバラのままである。なら放っておけ。自由になれる。大学の頃に映画の録音・ダビング作業を担当していたこともあるので言うが、音作りはどんなに苦労してもキリがない。「不自然じゃなく聞こえる」ために苦心惨憺し、その成果は決して評価されない。だがいくら神経質にこだわったところで限界はあるし、むしろ積極的に「こだわりたくない」ときもある。渡邊監督は『御巣鷹山』でアクロバティックに映画を解体してみせた。暗闇のなかで映写機とレコーダーを操作しながら、ライヴで自分の映画を作り上げる。さながら腕利きのスナイパーが解体されたライフルを瞬時に組み立てるような作業を、毎回やってのけているのだ。ぜひ言っておきたいが、あれで半分以上はきっちり画と音を合わせられるのは本当に凄い。何度となく絶妙のタイミングと呼べる瞬間があった。感服せずにいられようか。

 クライマックスの木刀チャンバラには、ついていけない人もいると聞く。だけど渡辺監督はそれを「真剣が使えないから観客のイマジネーションでカバーしてもらう」といった頼りない技法で描いてはいない。あくまで木刀同士で討ち合い、おびただしい血が流れる。これは「怨念のあまり木刀で人が斬れるようになった男」の話ではないか。そんなワンダーを許す、もとい言ってねじ伏せるだけの自由さと迫力が溢れていた。


製作・監督・脚本・出演・映写/渡邊文樹
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