原題:Point Blank(1967)

前にも書いたけど『ペイバック』ディレクターズ・カット版は面白かった。しかし、いろんな人に言っても鈍い反応しか返ってこない。あんまり内容を覚えてないとか、同原作の『ポイント・ブランク』の方がよっぽどいいとか。そりゃあ『ポイント・ブランク』みたいな超弩級の傑作と比べたら、分が悪いに決まってる。
『ポイント・ブランク』は、リチャード・スタークの小説『悪党パーカー/人狩り』を単なる“素材”として、監督ジョン・ブアマンが自身のスタイルを徹底させた恐るべきデビュー作である。単なるピカレスク・アクションの小品には仕上がらず、演出レベルの異常に高い圧倒的な異色作として作られてしまった。その分、スタークらしさ、『悪党パーカー』らしさは希薄だ。
何より大きいのは、映画自体を「主人公が死ぬ間際に見た夢」のように構成してしまったこと。常に死のイメージへと立ち戻るフラッシュバック、奇妙に現実感を欠いた状況描写、そして死神のように付きまとう神出鬼没の自称刑事。やっぱり日本人観客としては、同じく殺し屋が主役の呪われた傑作『殺しの烙印』(1967)を思い出さざるを得ない。実際、若きブアマンの演出は鈴木清順の様式美に近いものがある。完全な無音状態を配する音響デザインや、サイケな色彩感覚、冷めきった演出態度など、プロデューサーを困らせるには十分な才気が横溢している。オープニングのタイトルバックに描かれる、アルカトラズ刑務所からの脱出シークエンスは特に強烈で、アクション映画だというのに動きを奪ってしまう『ラ・ジュテ』(1962)のような見せ方が凄い。

復讐鬼ウォーカーを演じるリー・マーヴィンは、クールな芝居とダイナミックなアクションを織り交ぜ、メリハリを利かせている。拳銃を撃つ、車を暴走させるといった行為も、マーヴィンにかかればフィジカルなアクションになり得る。ただし、この映画に関しては、そのがむしゃらな動作は、悪夢の中でもがく手応えのなさにも映る。最初の銃撃が空振りに終わって以来、主人公が実際に誰かを殺すシーンはない。ジョン・ヴァーノン演じる裏切り者に復讐を果たす場面ですら「事故死」だ(ウォーカー自身が死神とか怨霊のような存在である可能性も匂わせている)。
夢の世界に迷い込んでしまったハードボイルド・ヒーローといった無器用で所在なさげな侘まいは、実はマーヴィンならではの個性だ。晩年の『狼獣たちの熱い日』(1983)でも「本来属さない場所に迷い込んだ」居心地の悪い存在感を醸し出していた。それがミスキャストではなく、はまるのである。ちなみに本作中でいちばん素直にかっこいいと思えるのは、地下駐車場で警官が去るのを待って柱の陰に立っているだけの場面。無駄な動きは一切しない悪党のプロフェッショナリズムという原作の持ち味も出ていて、凄くいい。
ドン・シーゲル監督の『殺人者たち』(1964)でもマーヴィンと共演しているアンジー・ディキンスンが、この映画では主人公と対等の魅力的なヒロインに扮しているのも興味深い。悪女のイメージが強い彼女が、少し疲れた都会の女を控え目に演じつつ、煉獄で迷う男の守護天使のような存在感を漂わせている。なかなかないヒロイン像だ。

『ペイバック』は確かにスターク原作のテイストをすくい取った作品と言えるが、『ポイント・ブランク』は明らかに違う。原作にある非人間性がブアマンの脳内で増幅され、シュールで切れ味のいい演出ともあいまって、冷たくハイモダンなハードボイルド世界を現出させている。最近これに近い感覚を受けたのは、湯浅政明監督のTVアニメ『ケモノヅメ』(2006)の1エピソード、中村健治演出の第10話「人の不幸は密の味」だった。
監督/ジョン・ブアマン
原作/リチャード・スターク(ドナルド・E・ウェストレイク)
脚本/アレクサンダー・ジェイコブス、デイヴィッド・ニューハウス、レイフ・ニューハウス
撮影/フィリップ・H・ラスロップ
美術/アルバートブレナー、ジョージ・W・デイヴィス
編集/ヘンリー・バーマン
音楽/ジョニー・マンデル
出演/リー・マーヴィン、ジョンヴァーノン、アンジー・ディキンスン、キーナン・ウィン、シャロン・アッカー、キャロル・オコナー、ロイド・ボックナー、ジェームズ・シッキング、サンドラ・ウォーナー、シド・ヘイグ
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原作本『悪党パーカー 人狩り』

