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Simply Dead

映画の感想文。

『A Photograph』(1977)

『A Photograph』(1977)

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 イギリスBBCの単発ドラマシリーズ「Play For Today」の一編。たった1枚の写真によって破滅に導かれる人間を描いた不条理スリラーだが、シンプルに見えて、かなりツイストのきいた作りになっている。匿名の悪意が疑心暗鬼を呼ぶ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー『密告』(1943)風のミステリーかと思いきや、話はそれだけで終わらない。

 脚本を手がけたのは、ジョン・ボウエン。かつて彼が「Play For Today」のために書き下ろした『Robin Redbreast』(1970)の続編的作品とも言われており、ストーリーに直接的関係はないが、これも一種のフォークホラー的要素が突如投入される「呪術ホラー」といえる。そして、孤立に追い込まれていく人物を追った神経症的サイコドラマであるところ、1人の謎めいた登場人物も共通している。

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 ある中年男性が狭い屋内のソファーで息絶えている姿から、ドラマは始まる。目を見開き、笑うように歯を剥き出した男の顔に蠅がたかる光景は、まさに「変死」の禍々しさ。彼がどうしてこんな末路を迎えたのか、ドラマはその興味で視聴者を引っ張っていく。

 以下、個人的覚書も兼ねて、あらすじを最後まで書く。ネタバレを避けたい方は、例によって上手に読み飛ばしていただきたい。

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〈おはなし〉
 男の名はマイケル・オットウェイ(ジョン・ストライド)。BBCラジオに番組を持つ芸術評論家で、妻ジリアン(ステファニー・ターナー)と何不自由ない結婚生活を送っている。ある土曜日の朝、郵便物をチェックしていると、そこに1通の封筒があった。中身は1枚の写真。どことも知れない森の中に停められたキャンピングカーと、その傍らに座る若い女性2人が写っていた。

「誰なの?」「知らないよ」「よく見てよ」

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 封筒には差出人の署名もなく、手紙やメモも同封されていなかった。ジリアンは消印から投函された場所を探り当てようとするが、マイケルは無駄なことに労力を費やすなと声を荒げ、やがて険悪な言い争いに発展する。「だったらどうして私と結婚したの!」「君が妊娠したからだ! 結局、いまいましい子供は生まれなかったけどな!」……どうしようもなく重苦しい雰囲気を残して、口論は幕を閉じる。

 ジリアンは写真を拡大し、壁に貼りつける。彼女の分析によると、それは多重露光による合成写真で、2人の女性は変装した同一人物であるらしかった(同時に、女性であるかどうかもわからなくなった)。よく見ると女の右腕には蛇のタトゥーがあると言い、ジリアンはペンでなぞってその形状まで書き込んでみせる。マイケルは苛立ち、会話はとげとげしくなっていく。

 マイケルには実際に愛人がいた(その顔は画面に映らない)。ベッドのなかでマイケルは語る。「妻は病気だ……もう愛していないが、見捨てるわけにはいかない。僕は人を破滅に追い込んでしまうたちなんだ」。奇妙なことに、相手の腕にも写真の女性と似たような蛇のタトゥーがあった。

(ここよりネタバレ注意)

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 マイケルは妻に自分の無実を証明するため、写真が送られたと思しきイングランド中部ウォリックシャーまで単身ドライブに出かける。途中で出会ったヒッチハイカーの若い女性ヴィッキー(ジュディ・モナハン)からは「そんなことを証明したからって何になるの? フリーランスの中年男が平日に田舎をドライブする冒険の言い訳に使ってるだけなんじゃないの? いい御身分だこと」などと痛いところを突かれる始末。だが、地元のパブでパンフレットを配って回る宗教勧誘員(レイモンド・メイソン)からは有力な情報を得る。「写真の女性たちは知りませんが、このキャンピングカーなら、もちろん見たことありますよ」

 一方、ジリアンは教員仲間のフレッド(ウィル・ナイトリー)を自宅に招き、夫が自分を自殺に追い込もうとしている、と危機感を漏らす。マイケルがたびたび繰り返す自説……「芸術家は家庭を持つべきではない」「芸術家はしばしば配偶者の献身を踏み台にし、最終的には相手を破滅させるか、離縁しがちである」……が原因だった。アルコールと同時摂取すれば死に至る睡眠薬も、自宅の手の届くところに置きっぱなしだ。情緒不安定なジリアンを親身に慰め、薬を洗面台に捨てるフレッド。ふたりはそのままベッドへ……。

 翌朝、マイケルはついに森のなかでキャンピングカーを発見する。そこには、ヴァイゴ夫人(フリーダ・バムフォード)という年老いた女性が、若い息子(エリック・ディーコン)と2人で住んでいた。なぜかそこにはマイケルが妻にプレゼントしたのと同じ、アラバスターで作られたハート型のオーナメントがあった。「明日また来なさい。お茶を御馳走するから、詳しい話はそのときに」。マイケルが去った後、ヴァイゴ夫人は写真を燃やす。

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 帰宅したマイケルを、熱烈なハグで迎えるジリアン。「明日またウォリックに戻るよ。今度こそ物事がハッキリしそうだ」「もういいの! 戻らないで!」。妻の反応に戸惑うマイケル。「あの写真は私が送ったの。あなたをテストするために、いたずらで。キャンピングカーも女たちも存在しない!」「信じられないな。大体、テストってなんだい?」「本当のことを言って」……マイケルはついに浮気のことを告白しない。人間はすべての真実を明らかにする必要はない、穏やかな社会生活を回すために、とまで言う。ジリアンはたまらずフレッドと寝たことを明かす。「それはよかった」。怒りもせず、戸惑いもしないマイケルを前にして、最終試験の絶望的結果を見たような表情を浮かべるジリアン。

 翌朝、ヴァイゴ夫人を再訪するマイケル。他愛もない話をしながら、彼女の勧めた自家製ワインを口にする。「いい味だ。何が入ってるんです?」「そりゃもうなんでも。田舎産のハーブに根っこ。村の者らはあたしがコウモリの血を混ぜてるなんて言うけどね」。

 気がつくと、全身が動かない。舌も回らなくなっている。「セイヨウカノコソウの根っこさ。ほかにもいろいろ入ってるけどね。エルフの薬草だよ」。そこにジリアンが現れる。2人は母娘だった。ヴァイゴ夫人の息子=ジリアンの弟も、硬直したマイケルの傍らで平然と朝食をとっている。「身体は動かないけど、見ることや聞くことはできるよ。何か話すことはあるかい?」「ないわ、何も。やって」。弟は嬉々としてマイケルの首にワイヤーをかけ、獲物のウサギと同じ要領で締め上げる。その腕には蛇のタトゥーがあった。

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 最後のオチは驚愕必至だが、初見では辻褄が合わせにくいところもある。ジリアンが写真に対して見せた執着は、すべて演技だったのか? 写真の女性2人は、ジリアンたち姉弟だったのか? マイケルの愛人は、ジリアンの弟だったのか?(顔は映らないが、腕は男性のものに見える)

 重要なのは、終幕直前のヒステリカルな夫婦の会話だが、ジリアンはここですべてを告白している。そして一縷の望みとして、夫にも「真実を語ること」を求めるが、マイケルは(そして多くの視聴者も)彼女の告白を勢い任せのデタラメとして聞き流してしまい、文字どおり致命的にしくじる。そのあとに訪れるショッキングな結末では、視聴者のほとんどがマイケルと同様に身動きとれないまま「えっ、じゃあ、あの時間はなんだったの!?」と思わずにいられないだろう。おそらく2回ほど観ないと呑み込めない話なので、家庭用ビデオのない時代にはなかなか難儀な作品だったと思われる。実際、放映当時から「分かりにくい」「付き合ってられない」と賛否両論だったとか。

 しかし、繰り返し観ると味わいの増す作品であり、感情移入などという生易しい言葉の通用しないドラマとして、だいぶ噛みごたえのある一編である。間違った方向に突き進んでしまった婚姻関係の顛末を、おそろしくトリッキーなミステリーとしても成立する呪術ホラーとして描いた『A Photograph』は、確かに言われてみれば『Robin Redbreast』の遠い姉妹編ともいえる。

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 たった1枚の写真というシンプルな発端から始まる恐怖譚としてのプロットも『A Photograph』の魅力だが、それ以上に「壊れゆく男女関係」のドラマ部分に本作の凄みがある。そこには脚本家ジョン・ボウエンの皮肉な男性観・女性観、あるいは結婚観が色濃く表れていると思われる。ちなみに、ボウエン自身は俳優・脚本家のデイヴィッド・クックと長年にわたるパートナーシップを保ち続け、探偵ドラマシリーズ『Hetty Wainthropp Investigates』(1996~98)を共作したりしている。

 『Robin Redbreast』の主人公ノラは、家庭や異性に依存せず、自分の身体も、自分のキャリアも、自分自身の意志でコントロールするという強い信念を持つ女性だった。『A Photograph』のジリアンもおそらく似たような精神性の持ち主だが、逆に甘んじて閉塞的な結婚生活に閉じこもっている女性である。そして、ドラマはマイケルの言動を通し、そんな女性を抑圧する側=男性の生態にもフォーカスする。

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 一見、物分かりのいいインテリ風の主人公マイケルは、実のところ妻への誠意、女性への敬意を著しく欠いており、デリカシーのなさと女性蔑視的な性格を随所で露呈する。感情的になると毒舌を吐き、高圧的で支配的な人間性を発揮する。中年男性のイヤな部分を、よくぞここまで客観的に見抜けたものだ、と感心するほどだ。本作放映当時、ボウエン自身も53歳。「こうはなりたくない自分/実はすでにこうなっている自分」とかなり真摯に向き合ったのではないか。演じるジョン・ストライドは『ブラニガン』(1975)や『オーメン』(1976)などの映画にも出演した中堅俳優で、ボウエン作品の常連でもあったという。

 マイケルのキャラクターには、文化人・評論家の類に対する、ボウエンの悪意と皮肉も込められている。彼が自身のラジオ番組でH・G・ウェルズの『ダイムマシン』をネタに、野蛮人化した未来の人類モーロックは「現代に生きる我々のなかに存在する」と得々と語るくだりは、彼の批評眼のなさ、薄っぺらい人間性を表しているようだ(ただ、ラストではそれが意図せず「芯を食っていた」ことがわかるという、なんとも食えない作劇である)。

 また、マイケル自身は批評家でありつつクリエイティヴを気取っているが、ヴァイゴ夫人からは「あんたはラジオやテレビで話すだけだろ? それは空気さ。何も生み出してやしない」という辛辣なセリフを吐かれる。さらに、フリーランスの文化人の生活が、一見優雅に見えて実は経済的にはカツカツであることも容赦なく描かれており、いろいろと身につまされる内容である。

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 一方、ジリアンは重度のフラストレーションを抱え、恐ろしく自己評価の低い人間として描かれる。セラピストのもとに通い、当たり前のように希死念慮に憑かれている。夫であるマイケルには、それを救う能力も意思もない。図らずも彼女自身が「現代の呪術」にがんじがらめにされているようにも見え、そうした女性の不幸もボウエンは時代の一典型として冷徹に見つめる。

 ある意味、逆襲劇とも言える本作は、魔女の血を受け継がず、限界を超えても耐え続ける一般女性たちを慰撫するヒーリングドラマなのかもしれない。ジリアン役を熱演するステファニー・ターナーは、のちに女性警官を主人公にした英国ドラマシリーズのはしり『Juliet Bravo』(1980~85)に3シーズンにわたって主演した。

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 さて、ヴァイゴ夫人という『Robin Redbreast』と同じ役名で登場するフリーダ・バムフォードが、本作最大の恐怖である。同一人物ではないにしても、同じ資質を持つキャラクターであることは間違いない。見方によっては、強く頼れる母であり、知識豊富で、害獣を駆除するレシピも持っている。究極的には「こうありたい」と思える理想の人間像かもしれない。

 劇中に突如挿入されるヴァイゴ夫人とその息子の会話シーンは、まるで『欲望の翼』(1990)のラストシーンみたいな唐突さだ。マイケルとジリアンが暮らす小綺麗な家とは対照的な、いかにもイナタイ雰囲気の狭苦しい住居(のちにキャンピングカーの屋内だとわかる)で、包丁を研ぎ続けるヴァイゴ夫人と、猫を抱きながら動物虐待についての新聞記事を読み上げるその息子……その時点では本筋とまったく関係ないため、異様な印象を残す。のちのストーリー展開も踏まえ、『悪魔のいけにえ』(1974)に似たムードを指摘する批評もある。こういう一見難解な演出が許されてしまうのだから、英国ドラマの懐の深さを感じずにいられない(それでも当時から製作現場と放送局の衝突は絶えなかったそうだが)。その後も現在に至るまで、イギリスでは革新的なドラマが数多く生まれているのも、かの国のテレビ業界の伝統なのかもしれない。

 当時の英国ドラマと同じように、スタジオ撮影はビデオで、ロケ撮影はフィルムで行われている。キャンピングカーの場面はスタジオとロケセットが使い分けられており、どちらもムードがあってよろしい。イギリスでは2020年11月に発売された4枚組Blu-ray BOX「Play For Today: volume 1」に収録されている(あと、YouTubeでも探せばある、かも……)。

・Amazon.co.uk
Blu-ray BOX「Play For Today: volume 1」(4枚組・7話収録)

1977年3月22日、イギリスBBCにて放映/イギリス/カラー/72分/スタンダード(日本未公開)
製作/グレム・マクドナルド
監督/ジョン・グレニスター
脚本/ジョン・ボウエン
出演/ジョン・ストライド、ステファニー・ターナー、フリーダ・バムフォード、エリック・ディーコン、ジュディ・モナハン、ウィル・ナイトリー
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『Robin Redbreast』(1970)

『Robin Redbreast』(1970)

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 ケン・ローチ、アラン・クラーク、ジョン・マッケンジーといった錚々たる監督たちが参加した単発ドラマシリーズで、イギリスBBC放送の長寿番組として知られた「Play For Today」の一編。本国では『ウィッカーマン』(1973)の先駆的カルトムービーとして知る人ぞ知る作品であり、いま観るとアレックス・ガーランド監督の『MEN 同じ顔の男たち』(2022)との共通性に驚かされる異色のドラマである。キリスト教以前の土俗信仰(ペイガニズム)、その土地固有の伝承などをモチーフにした恐怖譚「フォークホラー」のひとつとして、2022年発売のBlu-ray BOX「ALL THE HAUNTS BE OURS: A COMPENDIUM OF FOLK HORROR」にも収録された。

 以下、あらすじを記すが、いかに本作が『MEN 同じ顔の男たち』と似ているかを知ってもらうため、作品のオチまで書いてある。知りたくない方は上手に読み飛ばしていただきたい。

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〈おはなし〉
 ロンドンのテレビ局でスクリプトエディターとして働くノラ(アンナ・クロッパー)は、35歳の独身女性。8年間の同棲生活を苦いかたちで解消した彼女は、傷心が癒えるまでの休暇中、田舎にあるコテージで独り暮らしを始める。家政婦のヴァイゴ夫人(フリーダ・バムフォード)、たまに立ち寄る地元の歴史学者フィッシャー(バーナード・ヘプトン)はクセの強い変わり者だが、穏やかな田舎暮らしは悪くない。

 あるとき、彼女は近くの森でカラテの練習に勤しむ半裸の青年エドガー(アンディ・ブラッドフォード)と遭遇する。もともと孤児だった彼は、ヴァイゴ夫人が養母となって村の大人たちに育てられたのだという。なぜか村人からはロブとかロビンとか呼ばれていた。

 ノラはコテージの屋根裏に住み着いた小動物の駆除を、エドガーに依頼する。ついでに若くハンサムな青年との一夜を楽しもうとするが、彼はナチスドイツ親衛隊の知識をひけらかすばかりで、ちっともムードは良くならない。諦めてエドガーを追い出すノラだったが、そのとき家のなかに小鳥が迷い込み、彼女は思わず金切り声をあげる。その声を聞いて駆けつけたエドガーと、ノラは予定どおり(?)ベッドイン。どういうわけか、その夜にかぎって避妊具が引き出しから消えており、数カ月後、ノラの妊娠が判明する。
(ここよりネタバレ注意)

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 ロンドンに帰り、仕事に復帰したノラは堕胎を考えていた。「僕の子を産んでほしい」というエドガーの頼みも頑としてはねつけるが、ふと心変わりして、彼女は村のコテージに戻ってくる。ヴァイゴ夫人はなぜか「イースターまで村に留まりなさい」とノラを引き留め、ちょうど同じタイミングで車が動かなくなり、電話は通じず、バスは彼女の前を素通りするようになった。

 月日は流れ、お腹はどんどん大きくなる。明らかに村全体が彼女を外に出さないようにしている……。徐々に恐怖を感じ始めた彼女の前に、すべての元凶と思しきエドガーが現れる。彼はフィッシャーに金を借りて村から出て行き、カナダに移住するという。このタイミングで姿を消そうとする彼に不信感をぶつけるノラだったが、エドガーもまた恐怖に怯えていることに気付く。いつしかコテージの周りは何者かに取り囲まれ、くすくす笑いまで聞こえてくる。そのとき煙突を伝って、斧を持った男が邸内に侵入してきた。ノラは気を失い、エドガーの絶叫が響き渡る。

 翌朝、ノラが目を覚ますと、そこにはヴァイゴ夫人がいた。「女の血など流すわけがないでしょう。女は大地に実りをもたらす存在なのだから」。そして、フィッシャーの姿もあった。彼はこの村に伝わる古代信仰について語る。20年に一度の儀式に捧げるいけにえとして、身寄りのない男子がロビン・レッドブレスト=ヨーロッパコマドリと呼ばれ、手厚く育てられてきたこと。その相手として未婚の女性が選ばれ、両者のもうけた子が代々いけにえにされてきたこと。ノラは妊娠した子を村の孤児院に預けなさいと告げられる。つまり、20年後にはその子が……。

 ノラは修理を終えた車に慌てて飛び乗り、急発進する。背後を見ると、そこには異教の衣装に身を包んだフィッシャーやヴァイゴ夫人たちの姿があった。

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 80分の小品だが、非常に不気味な後味を残す作品である(もともとはカラーで撮影されたが、現存するのはモノクロ16ミリフィルムの転写素材のみ)。主人公を巧みに孤立へと導いていく作劇、ロビン(コマドリ)という言葉を用いたトリックが見事で、特殊効果も特殊メイクも一切使っていないのに、立派な恐怖譚として成立している。もう少しムードのある映像演出が欲しいところだが、当時のテレビドラマとしてはじゅうぶん意欲的な作品といえよう。ラストに映し出される異教徒たちの姿――慌てて村を去るノラが垣間見るビジョン――は、当時なんの気なしにテレビを見ていた視聴者にとっては、悪夢のようなインパクトだったのではないか。

 「都会から来た独身女性が、傷心を癒すため田舎の一軒家に越してくる」という設定、さらに「宗教」「自然」「妊娠」といったモチーフなどが『MEN 同じ顔の男たち』と似通っており、アレックス・ガーランドは本作をかなり意識したのではないかと思わざるをえない(すでに両作の相似性に触れたレビューも存在する)。

 ただ、『MEN』で描かれたのが「古来より連綿と受け継がれてきた、有害な男性性による支配」「男は男しか産まないという悪循環」といった明確な男性批判だとしたら、本作『Robin Redbreast』で描かれるのは、あくまで異教の揺るぎない存在、理不尽な因習に巻き込まれる現代女性の受け身のドラマである。そういう意味では『ウィッカーマン』や『ミッドサマー』(2019)などに近い。

 地理的に隣り合う「都会と田舎」が、時空を越えた「現代と古代」として人知れず隣接しており、最終的には恐怖譚として完結する作りは『ウィッカーマン』と共通している。主人公ノラはロンドンで働く現代女性だが、彼女の辿り着く帰結として、それこそ『ミッドサマー』のように「解放」や「癒し」が描かれていれば、いまの時代にこそ盛んに言及されるカルトムービーになったかもしれない。そんな口惜しさを差し引いても、1970年の作品としては、自立した社会人女性であるノラの人物像はじゅうぶんに現代的である。

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 脚本は数多くのテレビドラマを手がけ、劇作家・小説家でもあったジョン・ボウエン。ソフィア・ローレンとリチャード・バートンが共演したリメイク版『逢いびき』(1974)の脚本も手がけている(これも元はテレビムービー)。監督のジェームズ・マクタガートは英国テレビ黎明期から数多くのテレビシリーズに参加しているベテランで、ケン・ローチとも親交が深く、「Play For Today」では計6編を演出している。「Play of the Month」シリーズの一編『ロビンソン・クルーソー』(1974)は日本でもテレビ放映されたが、マクタガートは同作の編集中に心臓発作で急逝。彼が生涯に演出・プロデュースしたテレビ作品は100本近くにのぼるとか。

 撮影を務めたのは、のちに『トレインスポッティング』(1996)や『リトル・ダンサー』(2000)などを手がける名手ブライアン・テュファーノ(2023年1月に逝去)。BBCからキャリアをスタートした彼は、若き日のケン・ラッセルやスティーヴン・フリアーズといった監督たちと仕事を共にし、一方でピート・ウォーカー監督の超低予算映画『ザ・アンタッチャブル/暗黒街のハスラー』(1968)なんかも手がけている。一本立ちして間もないころに撮り上げた本作は、当時のテレビ番組らしくロケシーンとスタジオシーンの質感の差が一目瞭然だったりして、あまり映像的に特筆すべきところはない。もっとも、カラーの原版ではなく現存するモノクロ素材しか見ていないので、なんともいえないが。

 主演のアンナ・クロッパーは主に舞台とテレビで活躍したベテラン女優で、息子は同じく俳優のライナス・ローチ。ロブ役のアンディ・ブラッドフォードは俳優兼スタントマンでもあり、劇中でカラテと引き締まった肉体美を披露するのもその経歴を活かしてのことだろう。

 謎めいた佇まいの歴史家フィッシャー役で、インパクト絶大の怪演を披露するバーナード・ヘプトンは、マイク・ホッジス監督の映画『狙撃者』(1971)で演じた地元ギャングの使いっ走り・ソーピー役でも知られている。彼も多くのテレビドラマに出演し、ホッジス監督のミニシリーズ『Dandelion Dead』(1992)にも顔を出している。

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▲『狙撃者』のバーナード・ヘプトン

 すべての罠を仕掛け、すべてを見透かしているかのような家政婦ヴァイゴ夫人役のフリーダ・バムフォードも、主役を食うほどの強烈な印象を残す。彼女も英国が誇る名バイプレイヤーのひとりで、『国際諜報局』(1965)では諜報局員のアリス役でマイケル・ケインと共演している。ジョン・ボウエンが再び「Play For Today」のために書き下ろした一編、『A Phtotograph』(1977)にも、ギョッとする役で出演した。

 イギリス本国では単品ソフトリリースもされているが、日本ではほとんど知られていない。初オンエア時は番組終盤で多くの地域が停電になったらしく、3カ月後に再放送されたという逸話もある(それはそれで不気味かもしれない)。どこの国でも、こういう「昔テレビでなんとなく見て、ずっと記憶に残っている作品」が、意外と現在の映像業界に影響を与えているような気もする。

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DVD『Robin Redbreast』(英国盤・PAL)

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Blu-ray BOX「ALL THE HAUNTS BE OURS: A COMPENDIUM OF FOLK HORROR」(米国盤・15枚組)

1970年12月10日、イギリスBBCにて放映/イギリス/モノクロ(原版カラー)/80分/スタンダード(日本未公開)
製作/グレム・マクドナルド
監督/ジェームズ・マクタガート
脚本/ジョン・ボウエン
撮影/ブライアン・テュファーノ
出演/アンナ・クロッパー、アマンダ・ウォーカー、ジュリアン・ホロウェイ、フリーダ・バムフォード、アンディ・ブラッドフォード、バーナード・ヘプトン