Simply Dead

映画の感想文。

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「映画秘宝EX ゼロ年代日本映画100」発売中!

 4/22発売のムック「映画秘宝EX ゼロ年代日本映画100」は、20代くらいの若い映画ファンの方たちに向けて、今の日本映画の面白さを分かりやすく伝えようというコンセプトの1冊。『白夜行』主演の高良健吾を始め、注目の若手俳優・監督へのインタビュー集のほか、新世代の日本映画100本+αの作品紹介、コラムなども掲載。ぼくは作品紹介を15本分ほど書かせていただきました。

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映画秘宝EX ゼロ年代日本映画100
定価/本体1,300円+税
発行/洋泉社

【内容紹介】
『GO』から『愛のむきだし』まで 日本映画の流れが一目でわかる
いま観るべき新世代の日本映画100本+α

<ジャンル>青春映画●ガールズムービー●漫画●音楽映画●部活映画●ジュブナイル●ヤンキー映画●青春ロードムービー●シリアス●実録事件簿●バイオレンス●ドキュメンタリー●ホラー●コメディ●シュール●昭和の映画●家族のはなし、兄弟のはなし●人気作家の映画化●学生運動の時代●どんでん返し映画●三池崇史の仕事●黒沢清の仕事●愛のかたち

映画に選ばれた男 30000字インタビュー
高良健吾全仕事2005→2011

全出演作紹介

<俳優インタビュー>
中村 蒼/賀来賢人/本郷奏多
成海璃子/柄本 佑/谷村美月

<監督インタビュー>
大森立嗣/山下敦弘/石井裕也

日本映画の5本 2000-2011
大根 仁/伊賀大介/湯山玲子/宇多丸/菊地成孔/向井康介

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 ぼくが書かせてもらったのは、『ハッシュ!』 『刑務所の中』 『非・バランス』 『恋する幼虫』 『トニー滝谷』 『クローズZERO』 『僕の彼女はサイボーグ』 『檸檬のころ』 『人のセックスを笑うな』 『ウルトラミラクルラブストーリー』 『ぐるりのこと。』 『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 『その日のまえに』 『ヒーローショー』 『悪人』の15本(『バトルロワイヤル』にもぼくの署名が入ってましたが、誤植です! 元々の執筆者の方、申し訳ありません!【追記】松江哲明さんの原稿だったそうです! なるほどー)。短い文章ばかりですが、『ヒーローショー』だけ少し長めに書いております。

 なんかもう他のライター陣の方々と比べると自分の力不足が一目瞭然でダメダメな感じですが、それでも今まで書かせていただく機会のない作品ばかりだったので頑張りました。特に、橋口亮輔監督の演出家としての卓抜したスキル、語り口の巧さについては絶対に触れたかったし、岩田ユキ監督の『檸檬のころ』も個人的要望で入れさせてもらいました。あと、宇多丸さんがコラムで『MINDGAME』について触れてくれていて超うれしかった! そんなこととは露知らず、奥付でおかしなことを書いてしまいました……。

 なんとなく従来の「映画秘宝」っぽくない作品セレクトも含めて、面白い本になっていると思います。自分の仕事はともかく、他の方の書かれている文章が面白いので、読み応え十分。ぜひ書店等でお手に取ってみてください。よろしくお願いします!

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 そして、今回ぼくは1文字も書いておりませんが、本誌「映画秘宝 2011年6月号」も発売中! 島本和彦先生の選んだ「元気が出る男泣き名ゼリフ」が、あまりにもカッコいいので必読です!

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 あと、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 黄金のスパイ大作戦』の増井壮一監督のインタビュー記事もやっております。映画はアクションとギャグと感動が好バランスで盛り込まれた快作なので、ぜひ劇場でご覧ください。『シャイニング』の秀逸なパロディもあり。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 黄金のスパイ大作戦』増井壮一監督が語る「おならのこだわり」とは?
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『キラー・インサイド・ミー』(2010)

『キラー・インサイド・ミー』
原題:Killer Inside Me(2010)

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 ジム・トンプスンのピカレスク犯罪小説『おれの中の殺し屋』a.k.a.『内なる殺人者』といえば、ノワール・ファンなら必読の教科書的名著であり、何度読み返しても飲み下しづらい「闇」と向き合う羽目になる厄介な問題作でもある。テキサスの片田舎で保安官助手をつとめる主人公ルー・フォードは、美しい娼婦ジョイスと深い仲になったことをきっかけに、とある復讐計画を実行に移す。自分が愛した女をも手にかける冷酷さをもって完全犯罪をやり遂げるルーだったが、思わぬミスから次々と人死にを増やすことに。内に秘めたサディスティックな狂気と暴力性を解き放っていくルーの前に、驚愕の結末が待ち受ける……。いくつもの屈折を経た主人公の心の闇は、我々にとって理解し難くもあり、同時に「親愛なる」パラノイアでもある。ラストを締めくくる一文の「おれたちみんな」というフレーズが多くの読者の胸にびりびりと響くのは、そういうわけだ。このあまりに見事なセンテンスは、宮部みゆきの長編小説『理由』の冒頭にも引用されている。

 1976年に作られた最初の映画化『Killer Inside Me』は、バート・ケネディ監督、ステイシー・キーチ主演という魅力的な顔ぶれに関わらず、見事なまでに黙殺された不憫な作品だ。完全に主人公ルーをサイコパスとして捉えたブラックコメディであり、個性派女優スーザン・ティレルに“死ぬほどいい女”娼婦ジョイスを演じさせるなど、意欲作ではあったが明らかにキャッチーさには欠けた(個人的にはそこそこ面白かったけど)。暴力描写は原作ほどの破壊力を達成できず、ラストも残念な処理となっているので、トンプスン・ファンからの評判も悪い。

 それから34年後、マイケル・ウィンターボトム監督によって再映画化された本作『キラー・インサイド・ミー』は、バート・ケネディ版とは真逆のアプローチで撮られた「極めて率直な映画化」である。原作を非常にてきぱきと整理し、人物関係を分かりやすく解きほぐし、悲劇を悲劇として描き、ジム・トンプスンの殺気と狂気ほとばしる文体を「パッと見、飲み込みやすい」シンプルなBクラスの娯楽作として映像化してみせた。重厚な古典文学のペーパーバック・ダイジェストのようなスタンスで作られた、『おれの中の殺し屋』読者のためのガイドムービーとしても最適だ(おっと、嫌ったらしい言い方をしてしまった)。

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 傑作小説をそのまま映像化したものが傑作映画になるかといえば、答えはノーだ。何かしらの創意工夫、文体を映像に置き換える上での「勝算」が必要になる。だが、この映画はジム・トンプスンの傑作小説『おれの中の殺し屋』を、あえて「最高の映画」にできる可能性を否定してまで、極めてシンプルなかたちで忠実にトレースしようと試みている。映画にすることで見えてくるプロットの奇怪なツイスト、普通に考えれば唐突としか思えないキャラクターの登場も、そのまま率直に映画化されている。ウィンターボトムによるトンプスン文学の分析報告書とも言える仕上がりになっていて、そこが面白い。

 また、ノワール小説の金字塔と称される作品の映画化でありながら、いわゆるフィルムノワール風のコントラスト豊かな「光と影」でデザインされた作為的映像美ではなく、自然光を基調としたプレーンな撮り方が貫かれているのも、2010年製作の映画としては賢明な選択である。それは「ノワールとは外面で表現するものではない。心の問題だ」という主張の表れにも見える。実際、最後まで画面を観ていれば、乾いたルックの中にノワールの醍醐味がきっちりと立ち上がってくる。これがノワール感バリバリの白黒映像などで作られていたら、かなり恥ずかしい代物になっていただろう。そういった映像面での「作家性」は、可能なかぎり抑えられている。

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 ただ、映画前半の性急すぎる語り口は、賛否が分かれるところだと思う。美的に凝ったオープニングタイトルに続いて本編に入ると、まるで映画が途中から始まったかのような素っ気なさと矢継ぎ早の進行でストーリーが追い立てられていく。各カットの尺はやたらと短く、ただ「お膳立ての消化」に近いかたちでルー・フォードの犯罪計画がてきぱきと映し出されていく。ルーとジョイスの関係をどう描くかという部分で期待に胸を膨らませていた観客にとっては、このダイジェスト的な処理の仕方が許せないだろう。ぼくもそうだった。少なくとも前半までの印象は「ダメな映画化」にほかならなかった。

 しかし、後半からの追い上げは凄い。笑ってしまうほど酷薄で陰惨な展開に向かって、ピースがひとつひとつはまっていくドライブ感がある(それは原作を初めて読んだ時の愉しさそのものでもある)。ここにきてようやくカット尺も適当な長さに落ち着いてくる。すなわちルー・フォードの怪物性がめきめきと立ち上がってくるところから、作り手の興味の度合いが激変するのだ。

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 ウィンターボトムも、脚本のジョン・カランも、どうやらジョイスというキャラクターに全く興味がないらしい(ジョイスに扮するジェシカ・アルバが全くのミスキャストにしか見えないのも、そう考えれば致し方ない)。出会った時から地獄行きが決まっているルー・フォードとジョイスの関係に「ノワール」を見出すのは、ウィンターボトムに言わせれば「素人考え」だとでも言いたげだ。あくまでも主役はルー・フォードであり、それ以外は単なる添え物である。ジョイスがファム・ファタールだって? あんなのはただの「装置」にすぎない。見どころは、大胆不敵な犯行を重ねては小さなミスに翻弄され、スリリングな波乗りを愉しむ男の優雅な狂気。うまく立ち回っているつもりで実は奈落の底へ堕ちていく主人公の破滅的人格にこそ、作り手は旨味を感じている。ルーの中に目覚めた太陽のごとき悪の輝きが、婚約者エイミーや老保安官ボブといった善良なる人々の魂を、そして自分自身の真っ黒なハートをも焼き焦がしていく過程に、この物語の恍惚があるのだ。(そのあたりの確信が正直に出過ぎて、導入部への興味のなさが必要以上に露呈している感もあるが)

 ケイシー・アフレックは、まるで内面の読めない個性を活かし、21世紀型のナイーヴな佇まいでルー・フォードを怪演。ハイキーなかすれ声で訥々と語るボイスオーバーに、隠れた狂気がどんどん色濃く滲んでくるあたりがスリリング。血も凍るジョイス殴打シーンは、ケイシー・Aの線の細い拳のせいか、原作のダイナミズムと黒い笑い(女の顔面をカボチャのようにぶっ叩きながら、屁をこいて大笑いする)とは別種の、リアルな暴力の嫌悪感に満ちている。終盤、すっかり「身辺整理」を済ませたルーが、口笛を吹きながらコーヒーを入れる場面のユーモラスな軽薄さも素晴らしい。

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 魅力薄なジェシカ・アルバの代わりに絶品の存在感を放っていたのが、意外にもエイミー役のケイト・ハドソンであった。いつの間にこんな生々しい行き遅れ感(失礼!)を出せるようになったのか、と思うほどの劇的外見変化を遂げており、これが本作のための役作りだとすれば見上げた女優根性と言うほかない(天然で老け込んでるのなら、それはそれで奇跡として享受しよう)。監督自身の言葉を借りれば「バッドガールになりたがっているグッドガール」を、見事な熟れっぷりで演じている。悲惨な末路も健気さたっぷり。ケイシーとケイトの阿吽の呼吸が堪能できる秀逸なバイオレンスシーンに仕上がっている。

 ジム・トンプスン作品ではおなじみの、フィクションやドラマ、小説といった「枠」を破壊するメタ的要素が、さりげなくもきっちりと拾われているあたりもポイントが高い。それは、エイミーが食堂でルーに手紙を読ませる「現実には起こらなかった回想シーン」であり、終盤に登場する弁護士の「物語の伝承者」のような佇まいであり、そしてクライマックスで主人公が脇役の保安官助手に対して吐く「お前にセリフはないぜ」という言葉である。さらに、映画はラストシーンを原作の8割増ほどの火力で(21世紀のBムービーらしい、安っぽいCGの炎で)派手に彩る。「This World, Then the Fireworks.」というトンプスン短編のタイトルを思わせるイメージに飛び火して終わってみせる、粋な趣向だ。

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原作本『おれの中の殺し屋』 by ジム・トンプスン(扶桑社ミステリー)

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