Simply Dead

映画の感想文。

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『L.627』(1992)

『L.627』(1992)

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 ベルトラン・タヴェルニエ監督が手がけた社会派刑事ドラマの秀作。現役警官の脚本協力を得て、日々捜査にいそしむパリの麻薬取締班の活動と、巷にはびこる麻薬犯罪の実態をリアルに描く。タイトルは麻薬常用者や売人の逮捕・罰則に関する公衆条例のこと。フランス本国ではセザール賞4部門にノミネートされるほどの高評価を受けながら、内容の地味さのためか日本公開はされず、第1回フランス映画祭などで限定上映されるにとどまった。現在、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の「現代フランス映画の肖像〜ユニフランス寄贈フィルム・コレクションより〜」で、やっと日本語字幕つきのフィルムで観ることができた。

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〈おはなし〉
 叩き上げの麻薬取締班刑事として、毎日ひたすら捜査活動に明け暮れる通称“リュリュ”こと、ルシアン・マルゲ(ディディエ・ブザス)。彼は上司と揉めたことがきっかけで左遷され、一時は分署の窓口対応係に回されるが、間もなく新しい麻薬捜査チームに配属される。そこで待っていたのは個性豊かな面々ばかり。リュリュは再び麻薬犯罪の現場に舞い戻り、闘いの日々に身を投じていく……。

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 警察の麻薬取締員の仕事を、公共の社会事業のひとつとして見つめる視点が新鮮。例えば、左遷された主人公リュリュがいくつもの分署を転々とするくだりや、捜査活動の前後における「手続き」や「書類作成」といった事務のひとつひとつも、本作は執拗なくらいにじっくりと映し出す。ハリウッドで作られるヒロイックな刑事アクション映画や、TVの刑事ドラマなどでは、普通は省略されるかバッサリ切られる部分だろう。

 じゃあ退屈な映画なのかというと、そうではない。薬物常用者たちへのケアも含めた彼らの仕事を、ソーシャルワーカーに近いものとして丹念に描きながら、緊張や葛藤に満ちた刑事ドラマとしての面白さもしっかり盛り込まれている。語り口自体は派手さのない、きわめて欲のない淡々としたものだが、上映時間146分という長尺を見せきるパワーはしっかりと持ち合わせている。

 素材と視点、語り口の組み合わせにおいて「地味に類を見ない」バランス感覚は、タヴェルニエ独特のセンスだ。ある炭鉱町を舞台に、教育や福祉、家族の在り方を見つめた『今日から始まる』(1999)にも通じる、タヴェルニエの現代フランス社会への関心と視点が、この映画にも如実に表れている。あえて本作と近い作風を探すなら、70年代香港で作られた政府公報目的のTV司法ドラマ『ICAC』『CID』、ソーシャルワーカーの視点から社会問題を描いた『北斗星』などが思い浮かぶ。

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 タヴェルニエは現場主義の主人公リュリュを中心とした多彩なキャラクター陣の個性をそれぞれに引き立て、ある「職場」の人間関係のドラマを鮮やかな手際で活写する。狭苦しいプレハブ内に作られた部署で、肩を寄せ合って仕事する捜査員たちの連帯感をリアルに伝える、俳優陣の活き活きとした芝居が魅力的だ。並行して、日常生活と隣り合わせにある様々な社会問題、巷にはびこる麻薬ビジネスの底辺の実態、負のサイクルに絡め取られた社会的弱者の存在に目を向ける。主人公とHIVポジティブの娼婦が紡ぐプラトニックなラブストーリーをうっすらと縦軸にしながら、いくつもの印象的なエピソードを積み重ねていくシナリオと演出の妙が見ものだ。もちろん、刑事モノになくてはならない緊迫感溢れるアクションシーン、サスペンスフルな捜査劇の面白さも随所にあり、ダレ場はあっても飽きさせない。

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 プロフェッション(職能)としての麻薬取締課の刑事を見つめたストーリーの中で、主人公は葛藤し、傷つき、やがては仕事の意義を見失う。そんな彼に「この仕事が誰かを救っている」という希望を与えるラストシーンが秀逸だ。温かさと同時に、ほろ苦さや切なさも含んだ幕切れに、不覚にも涙ぐんでしまった。現代的テーマを扱いながら、どこかでフランス映画伝統の美徳を感じさせる独特の品性が、タヴェルニエ作品の魅力だと思う。

 また、主人公が刑事稼業の傍ら、休日はビデオカメラマンのバイトをしているという設定が面白い。結婚式などのイベントに呼ばれていっては、市井の人々の姿をビデオにおさめる彼の視線は、そのまま売人たちや中毒者たちがはびこる社会の底辺にも、同じように向けられている。その視点の在り方が、彼の独自の職業意識とプロフェッションを形成しているのだという深みも与えていて、秀逸な設定である。

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 知名度の高いスターを使わず、リアリティを持った芝居のできる実力派俳優たちを数多く起用したキャスティングも素晴らしい。麻薬問題に真っ向から立ち向かう中堅刑事リュリュを演じたディディエ・ブザスは、権威や不正に対しては反抗的だが、優しさと良識を併せ持った人物像を好演。ちょっとケヴィン・クラインを思わせる佇まいが魅力的だ。リュリュと心を通わせる娼婦セシルを演じるララ・ギラオ、明るくセクシーな女性刑事マリー役のシャルロット・カディ、リュリュを支える美しい妻に扮するセシル・ガルシア=フォゲルと、女優陣の際立った名演も本作の見どころ。また、リュリュの相棒として活躍する若手刑事役のフィリップ・トレトンをはじめ、いちいちキャラの立った仲間たちを演じる役者陣の演技も印象深い。その中でやたらとイケメンで知性派の刑事ヴァンサンを演じているのは、監督の息子であるニルス・タヴェルニエだ。

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DVD『L.627』(英国盤・PAL)
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『Les Magiciens』(1976)

『Les Magiciens』(1976)
英語題:Death Rite

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 ロミー・シュナイダーとロッド・スタイガーが共演した愛憎スリラーの秀作『汚れた手をした無実の人々』(1975)を最後に、クロード・シャブロル監督と製作者アンドレ・ジェノーヴェは、そのコラボレーションに終止符を打つ。その後、シャブロルは間髪入れず、フレデリック・ダール原作の『Les Magiciens』の映画化に参加。彼のフィルモグラフィーのなかでも特に無視されがちな1本で、本人も出来に満足していないらしく、実際どこか雑な作りが目立つ作品だ。とはいえ、「予知能力」をモチーフにした風変わりな愛憎スリラーという内容は、それだけでなかなか興味深いものではある。

 伊・仏・西独の合作で、オール・チュニジア・ロケ、しかも各国の有名俳優を無理やり集結させた企画先行型の作品だけあって、あまり自由が利かなかったのかもしれない(あるいはバカンス気分に呑まれて集中力がもたなかったのか)。いつもの緊密な編集スタイルが活かされていない感は否めないが、もしかしたら各国公開用にバージョン違いがあり、バージョンによっては監督自身が編集作業にタッチしていない可能性もある。ちなみに、ぼくが観たのは英語吹き替え版だった。そのあたりの詳しいことは、近日発売されるインタビュー本「不完全さの醍醐味――クロード・シャブロルとの対話」(清流出版)で語られているかもしれない。凄く楽しみ。

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〈おはなし〉
 チュニジアの高級ホテルにやってきた、サドリーとシルヴィア夫妻(フランコ・ネロ、ステファニア・サンドレッリ)。妻への愛情が完全に冷めきっているサドリーは、そこで偶然かつての恋人マルティーヌ(ギラ・フォン・ヴァイターシュハウゼン)と再会し、ふたりの仲は再燃する。一方、同じホテルに泊まっている老マジシャン(ゲルト・フレーべ)は、実は予知能力者でもあった。彼は砂浜で何者かに殺される女性の姿を幻視する。その話を聞いた旅行者エドゥアルド(ジャン・ロシュフォール)は、彼の予知したイメージを実現に導くため、サドリー夫妻に接近。言葉巧みに彼らの未来に待ち受ける「運命」に向けて、周到にセッティングを整えていく。そして、ついに夫の不貞を知った妻シルヴィアのとった行動とは……?

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 フェイタルな三角関係の愛憎劇と、その結末を予見する男、それを自ら操作しようとする男。主観と客観がひとつのドラマ内でトリッキーに交錯しながら、物語は「予見された結末」へと突き進む。実にシャブロル的な主題であり、実際には予想を覆すエンディングが待ち受けながらも、その余韻は紛れもないシャブロルらしさに溢れている。

 ゲームを楽しむように夫婦関係に介入し、血塗られた破局に向かって彼らを操ろうとする謎の男エドゥアルドを、ジャン・ロシュフォールがのびのびと快演。その飄々とした悪意は、まさにシャブロルの好むところだろう。彼の演じるマニピュレーター(操作者)とはつまり監督自身の姿でもある。嬉々として他人の破滅の段取りをセッティングしていくエドゥアルドの存在には、これまで様々な「愛の悲劇」を作ってきたシャブロル本人の悦びがそのまま投影されているのではないか。ちなみに、シャブロルを敬愛するマイク・ホッジス監督も、そのものズバリ『The Manipulators』(1972)というTV作品を撮っている。

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 しかし、この映画の最大の欠点は、他の登場人物に対する作り手の興味のなさが、あまりにあからさま過ぎることだ。フランコ・ネロは終始、居心地が悪そうなオーラを発していて、笑ってしまうくらいである。ちょっとバカっぽい妻を演じるステファニア・サンドレッリは、まあ頑張ってるとは言える(彼女がホテルの部屋で、夫にもらった土産物の陶器を化粧台から落とすか、落とさないかのバランスで弄び続けるシーンが印象的だ)。明るい陽光に溢れ、広大な砂地と白壁の建物に囲まれた、異国情緒たっぷりの情景をバックにした画面にも、緊張感がまるで感じられない。常連カメラマンのジャン・ラビエも、このロケーションをどうしたものか頭を抱えてしまったのではないだろうか。

 シャブロル作品の中では上出来とは言いがたい作品だが、最後まで観ればそれなりの満足感は与えてくれる。エンディングで『破局』(1970)を思い出す人もいるのではないだろうか。翌年に撮り上げた怪作『ブルース・ダーンのザ・ツイスト』(1977)にも通じる、奇妙な味わいのブラックコメディとして観るのが正しい。

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 脚色を手がけたのは、ポール・ジェゴフ。シャブロルとのコラボレーションは『いとこ同志』(1959)に始まり、『殺意』(1967)、『女鹿』(1968)、『野獣死すべし』(1969)、『ジャン=ポール・ベルモンドの交換結婚』(1972)と、そのキャリアの初期から絶頂期まで彼の作品を支え続けた。ジェゴフ自ら主演俳優を務め、当時の妻や実の娘とも共演した『Une Partie de Plaisir』(1975)は、ふたりの共犯関係が生んだ究極の傑作である。そして、本作『Les Magiciens』を最後に、彼らはコンビを解消。ジェゴフは1983年にノルウェーで2人目の妻に刺殺され、61歳で世を去った。

 また、プロデューサーのひとりとして名を連ねているフランス系チュニジア人のタラク・ベン・アマールは、その後『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』(1979)や『レイダース/失われた聖櫃〈アーク〉』(1981)などのチュニジア・ロケをコーディネート。プロデューサーとしては『ポランスキーのパイレーツ』(1986)や、『ファム・ファタール』(2002)、『ハンニバル・ライジング』(2007)といった作品を手がけている。近年はワインスタイン・カンパニーで働いているらしい。

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お知らせなど(映画秘宝2010ベスト&トホホ10、ビー・デビル etc.)

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 本日発売の「映画秘宝 2011年3月号」にて、2010年度映画秘宝ベスト&トホホ10に初参加させていただきました。第1位はもうこれしかない! と思ったので、いきなりルール違反してしまいましたが、それを許してくれる自由さと寛容さが「秘宝」の素晴らしさだと思います(でも、ちゃんと載ってるのを確認するまで「外されたらどうしよう……」と思ってました)。あと、トホホに入れた『SPACE BATTLESHIP ヤマト』のコメントで「風邪ひくかと思った」とかイヤミなことを書いていますが、入稿直後にマジで風邪ひいて倒れました。きっと『ヤマト』観ながら凄まじい寒気に襲われているスキに、強力なヤツが伝染ったのだと信じています!

 そして、カラー4Pにわたる入魂の特集記事「2011年、ドニー・イェンの大逆襲!!」でも、錚々たる執筆陣の方々に混じって、『イップ・マン 序章』のレビューを書かせてもらいました。ホント緊張した……。2010年ベスト10にも入れましたが、なるべく多くの人に観ていただきたい掛け値なしの傑作です。日本では諸事情により後編の『イップ・マン 葉問』からの公開となりますが、こちらも素晴らしい秀作。特に、前作『序章』では裏方に徹したアクション監督サモ・ハンと、ドニー扮するイップ・マンが繰り広げる《詠春拳VS洪拳》の対決シーンは必見! かつてふたりが『SPL/狼よ静かに死ね』で見せた鬼気迫る死闘とはまた違った、武術家としての誇りと美徳をかけた真剣勝負の美しさには、胸が熱くなること必至です。ぜひ劇場へ!

 さらに、ベン・アフレック監督・主演の話題作『ザ・タウン』公開記念企画「足を洗わせてもらえない犯罪者映画10」でも7本分の作品紹介を書いています。年明け早々、渋い見開きに参加できて嬉しかったです!

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 そんな「映画秘宝」2010年ベスト&トホホ10で、友成純一先生や大畑晃一さん、秘宝編集部・岩田さんもベストに入れていた話題作『ビー・デビル』は、シアターN渋谷とシネマート心斎橋にて今春公開。日本版公式サイトでは予告編が公開中。チラシも各ミニシアター等で現在配布中です(テキストは僕が担当させていただきました)。おそらく2011年の映画ランキングにもグイグイ食い込んでくるであろう衝撃作なので、ご期待ください! なお、現在準備中の「TRASH-UP!! vol.8」では、『ビー・デビル』のチャン・チョルス監督に2時間のロングインタビューを敢行。近年の韓国映画製作事情から、凄惨なバイオレンス描写へのこだわり、「例のあのシーンはアレの引用っすか?」的な細かいことまで根掘り葉掘り聞いているので、こちらもお楽しみに!

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 また、「TRASH-UP!! vol.8」では、クロード・シャブロル監督の追悼特集も掲載予定。シャブロル愛に溢れる執筆者の方々に混じって、僕も「シャブロル流スリラーの魅力」みたいな文章をつらつら書いております(2万字予定)。バカなんで難しいことは書けませんが、未公開作品の多いシャブロルの面白さを少しでもお伝えできればと思います。よろしくお願いします!

『Chez Maupassant/Le Petit fût』(2008)

『Chez Maupassant/Le Petit fût』(2008)

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 クロード・シャブロル監督が子供の頃に読んで爆笑したという、ギィ・ド・モーパッサンの短編小説『酒樽』を映像化した作品。TVドラマシリーズ「Chez Maupassant」の1編で、前作『La Parure』(2007)よりもさらに喜劇色が増している。ついでに、作品に溢れる悪意とシニシズムも、こちらの方が遥かに上だ。(これを読んで大笑いしていた子供って、一体……)

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〈おはなし〉
 マグロワール婆さん(ツィラ・シェルトン)は、自分の農地に建てた立派な家にひとりきりで暮らしている。町で食堂宿を営むシコおやじ(フランソワ・ベルレアン)は、その土地と家を手に入れようと、しつこく婆さんに売ってほしいとせがみ続けていた。しかし、婆さんは頑として首を縦に振らない。そこで一計を案じたシコおやじは、婆さんに毎月150フランを渡し、そのまま屋敷で暮らしていいから、死んだあと全てを譲ってほしいと提案。どうせ老い先短いのだから、月々の小遣いを与えてやったほうが安く済むだろうと考えたのだ。この世で何よりもお金が大好きなマグロワール婆さんは、考えに考え、公証人にも相談し、月250フランならいいと返事をする。その申し出にシコおやじも一度は憤慨するが、そんなに長くは生きられないから安心しろという婆さんの言葉に説得され、結局は契約を交わすことに。

 それから数年後、婆さんは娘っ子のようにピンピンしていた。一方、毎月250フランという大金を元気いっぱいの婆さんに支払い続け、シコおやじの憎しみと殺意はパンパンに膨れ上がっていた。ある日、シコおやじは婆さんを食事に誘う。豪勢な料理をたっぷりと振る舞い、自慢の特級酒を婆さんにすすめるシコおやじ。最初は嫌がっていた婆さんだったが、いちど飲み始めたらもう止まらない。なるほどこいつは特級品だ! 2杯、3杯とグラスを空にしていく婆さん。しばらくして、シコおやじが婆さんの家を訪ねると、婆さんは昼間からワインの瓶を空けて泥酔していた。上機嫌の婆さんに、シコおやじは特級酒の入った小さな酒樽をプレゼントする。そして、ある日ついに婆さんは……。

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 欲の皮が突っ張った者同士の駆け引きが、いつしか一種の計画殺人へと発展していくという物語を、シャブロルは愉快なコメディとして分かりやすく演出する。音楽による笑いのキュー出しも非常に親切だ。また、前作『La Parure』が原作に忠実な映像化だったのに対し、こちらは原作自体がとても短い作品でもあるので、いろいろと内容を膨らませている。シコおやじと食堂の常連客たちの会話シーンや、マグロワール婆さんがやたらと独り言を喋るという設定などを加え、物語に豊かな表情を与えていて面白い。原作にはないエピローグも、シャブロルの痛快な悪意そのものといった感じで、思わず笑みがこぼれる。

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 登場人物たちが話す「方言」も強い印象を残す。無字幕のフランス語版で無理やり観たので細かい内容は分からないが、素人の耳で聞いても彼らの言葉の訛り方はちょっと凄い。イタリア語とかロシア語が交じっているような感じだ。シャブロルはこれまでにも『肉屋』(1969)や『Le Cheval D'Orgueil』(1980)などで、田舎の生活文化・風習に深い興味をもって描いてきた。本作ではこの強烈なアクセントが作品の原動力となって、視聴者を画面に引きずり込む役割を果たしている。

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 全体にコメディタッチが強いものの、もちろんシャブロルらしい戦慄を覚える瞬間もある。物語の後半、シコおやじと婆さんがグラスを手にして乾杯する場面では、会話する彼らの表情ではなく、その手元のアップだけを長々と映しだす。その冷たい「悪意の眼」は、シャブロル・ファンならお馴染みのものだ。まさにその時、婆さんの敗北=死は確定し、シコおやじの殺意は勝利する。その決定的な瞬間を、モンタージュ理論的ともいえる極めて即物的なショットで見せる冷淡さ、シンプリシティがたまらないのだ。

▼撮影中の1コマ。手前で指示を出しているのがクロード・シャブロル
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 可愛らしくも憎たらしいマグロワール婆さんを演じたベテラン女優、ツィラ・シェルトンが何しろ素晴らしい。『ダニエルばあちゃん』(1990)でタイトルロールを演じていた彼女が、本作では何年経っても死にそうにない元気なおばあちゃん役で健在な姿を見せてくれる。対するシコおやじ役に扮したのは、『トランスポーター』シリーズの警部役でも知られる売れっ子バイプレイヤー、フランソワ・ベルレアン。シャブロル作品では『L'Ivresse du Pouvoir 』(2006)と『引き裂かれた女』(2007)に連続出演しており、本作が3本目となる。ラスト、婆さんの訃報を聞いて、こみ上げる笑いをかみ殺しながら泣く演技が最高だ。

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DVD「Chez Maupassant Vol.2」(フランス盤・PAL)

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本「モーパッサン短編集 I」(新潮文庫) ※原作短編「酒樽」収録

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『Chez Maupassant/La Parure』(2007)

『Chez Maupassant/La Parure』(2007)

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 「Chez Maupassant」(2007?2008)は、19世紀の文豪ギィ・ド・モーパッサンの中短編小説を映像化したTVドラマシリーズ。クロード・シャブロル監督は、その第1シリーズで本作『La parure(首飾り)』を、そして第2シリーズでは『Le petit fût(酒樽)』を演出。どちらも30分の短編である。第1シリーズは日本でもBS日テレ、シネフィルイマジカなどで放映されたらしいが、「モーパッサン・ブラン」とか「モーパッサン劇場」とか番組表記がいろいろあるので、とりあえず本稿のタイトルは原題に合わせた。

 冷徹な観察眼をもって、時にユーモラスに、時に鬼気迫る筆致で人生の悲喜劇を描いたモーパッサンの世界は、シャブロルの作風ともぴったり合致する。『首飾り』は、ある女性の虚栄心が取り返しのつかない事態を招く、悲しくもおかしい物語である。主演は『モンテーニュ通りのカフェ』(2006)や『ヒアアフター』(2010)のセシル・ド・フランス。

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〈おはなし〉
 花の都・パリ。若く美しい人妻マティルド(セシル・ド・フランス)は、上流階級の豪華で贅沢な暮らしに憧れながら、地味で冴えない日常を送っていた。下級官吏の夫シャルル(トーマス・シャブロル)の稼ぎでは、そんな生活は夢のまた夢である。ある時、シャルルは愛する妻を喜ばせようと、舞踏会の招待状を手に入れる。しかし、マティルドは華やかな場所に着ていくドレスも、美しいアクセサリーも持っていなかった。そこで夫妻は奮発して高価なドレスを購入。裕福な友人ジャンヌ(シャルリ・フーケ)からダイヤの首飾りを借り、念願の舞踏会へと出かける。周囲の視線を一身に集め、夢のようなひと時を過ごすマティルド。

 その帰り道、ふたりは首飾りをどこかでなくしたことに気付く。慌てて探しまわるものの、まったく見つからずじまい。夫婦は悩んだ挙げ句、同じ首飾りを買い直し、こっそり持ち主に返すことを決める。思いがけず大変な借金を背負ってしまった彼らは、女中に暇を出し、昼も夜も内職に明け暮れる極貧生活に突入。苦しい毎日の中で、マティルドはだんだんとやつれていき、いつしか老婆のような姿になってしまった。そして10年後、ようやく借金も返し終わるかという時、マティルドはかつて首飾りを借りた友人ジャンヌと再会。そこで彼女は驚愕の事実を知るのだった……。

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 深刻に描こうと思えばどこまでも悲惨になる話を、シャブロルは原作の筆致そのままに、小気味良く軽妙なタッチで描いていく。辛辣なシニシズムと、キャラクターへの愛情との間で、適度な距離感を保ちながら、不幸のどん底へ転げ落ちていく対象とダンスを踊るような態度が魅力的だ。それは監督と原作者が共有するセンスそのものだろう。

 カメラも若々しく動くが、あくまで人物の動きを効率よくフレームに収めるための映像設計であり、余計なことはしない。人物がフレームインする際の歯切れよさも印象的だ。かと思えば、舞踏会のシーンでは、喜びに満ちたヒロインの顔を真正面からのアップで捉えた大胆な構図から、そのまま踊り始める彼女の姿をミディアムサイズで追っていくという「スパイク・リーかよ!」と思うようなショットもあったりして、その茶目っ気に驚かされる。劇場作品ではあまりやらないような演出も、TVではやっていたんだなあ、と思った(でも、そんな瑞々しいショットの直後に、片脚を失った傷痍軍人らしき男の姿をわざわざ映すあたりがシャブロルらしい)。そして、この真正面からのヒロインのアップショットが、後半でちゃんと活きてくるのである。

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 この話で特にネックとなるのが、借金を背負って生活がどんどん苦しくなり、ヒロインがやがて老婆のように変わり果ててしまうというくだり。文章なら簡単に書けるかもしれないが、映像では何年もの時間経過を表現しなければならないシークェンスである。それをシャブロルは、ヒロインが1本の路地を行ったり来たりするうちに容姿が変わっていくというモンタージュによって、見事に表現している。巧みなメイクアップによって、凄まじい勢いで老け込むセシル・ド・フランスの変貌ぶりも凄い。

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 主演のセシル・ド・フランスは、少女っぽい純真さとわがままさを滲ませるキャラクターとして、愚かだが愛らしいヒロイン・マティルドを好演。泣きわめいたり驚いたりする感情的な芝居も、余分なものを削ぎ落とすシャブロル流の演出を感じさせるもので、彼女もそれにうまく応えている(特に、中盤で首飾りをなくした時に見せる驚きの芝居がキュートで素晴らしい)。先述したように後半の老けメイクも手加減なしの作り込みよう。強烈なインパクトをもたらすラストカットでは、巨匠シャブロルの悪意に応えようとする誠実な女優魂を見る思いがした。どこかイザベル・ユペールとも面影が重なる彼女の主演で、1本ぐらい長編映画を撮ってほしかった気もする。

 また、夫シャルルに扮するのは監督の息子トーマス・シャブロル。父の好みを熟知しているかのような、感情表現を最小限に抑えつつもユーモラスな芝居で、実直だが面白みのない男を妙演。なんとなく『青髭』(1962)の主人公シャルル・デネルに似てる?

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本「モーパッサン短編集 II」(新潮文庫) ※原作短編「首飾り」収録

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『ジャン=ポール・ベルモンドの交換結婚』(1972)

『ジャン=ポール・ベルモンドの交換結婚』
原題:Docteur Popaul(1972)

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 製作者アンドレ・ジェノーヴェと組んだ『女鹿』(1968)から『汚れた手をした無実の人々』(1975)までをクロード・シャブロルの絶頂期と考えたとして、いちばんヘンテコな1本を挙げるとするなら、やはりこの映画しかないだろう。フランス映画界を代表する大スター、ジャン=ポール・ベルモンドが人でなしの女たらしを演じるシニカル&アモラルな艶笑喜劇であり、心底ぞっとするスリラーでもある。もちろん絶頂期の作品だからすっごく面白いんだけど、ホントに性格が悪いにもほどがあるギャグが続出するため、特に女性の方は気をつけてご覧いただきたい作品ではある。

 原作はユベール・モンテイエの小説『殺しは時間をかけて』。脚色と台詞は、『いとこ同志』(1959)から『Les Magiciens』(1976)まで、シャブロルの初期?中期を支えた盟友ポール・ジェゴフが手がけた。

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〈おはなし〉
 付き合うならブスがいいと決めているプレイボーイのポール医師(ベルモンド)は、友人たちと「誰がいちばんのブスと付き合ったか」という賭けをし、見事に優勝。賞金でチュニジア旅行に出かけた彼は、そこで理想の不美人クリスティーヌ(ミア・ファロー)と出会い、巧みに口説き落とす。1年後、ポールはクリスティーヌと結婚。彼女の父親のおかげで郊外の病院の院長にまで収まり、まんまと最高の生活を手に入れた。が、そんな時にポールは今までまったく興味がなかったはずの「美女」に惚れてしまう。それはクリスティーヌの妹マルティーヌ(ラウラ・アントネッリ)であった。

 セクシーだが少し頭のキレが悪いマルティーヌは、男選びのセンスもなかった。彼女と付き合うイモ野郎どもに嫉妬したポールは、彼女が婚約するたびに相手を亡き者にすることに血道を上げる。そして、邪魔者があらかた姿を消した頃、とうとう直接アプローチ。愛しのマルティーヌを我が物にするため、ポールは医者の特権を活かして細工を施し、彼女を妊娠・出産させてしまった。それからあっという間に4年の歳月が経過。真相を知ったクリスティーヌは、恐ろしい制裁をポールに用意していた……。

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 ジャン=ポール・ベルモンドは『二重の鍵』(1959)から13年ぶりにシャブロル作品に出演し、世の女性ファンにドン引きされそうなキャラクターを嬉々として快演。ブス専プレイボーイという設定は一部に夢を与えるからいいとして(?)、途中であっさり美女に乗り換えるわ、自分の身勝手で不倫相手をだまして妊娠させるわ、ホントに最低。それでもどこか憎めない……とはやっぱり言えないくらいギリギリの人物像である。それが、映画だからこそ成立するコミカルなキャラクターとして見られるようになっているのは、ひとえにベベルの開けっ広げな諧謔精神と、スター性あればこそだろう。こういうファンを手放しかねない挑発的なお遊びは、本人も大好きだったに違いない。

 ダサい眼鏡と出っ歯のメイクで、ブサイクな妻を説得力十分に演じきったミア・ファローの女優根性にも恐れ入る。ラウラ・アントネッリは景気よくヌードを披露しているが、ちょっと不憫なくらい監督に興味を持たれていない感じがビンビンに伝わってくる。ぼくも個人的にさほど思い入れがないので、別にどうでもいいっていうか……(ファンの皆さん、ごめんなさい)。

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 オープニングはシャブロル作品ではおなじみの交通事故シーンで幕を開け、そこから時間がさかのぼっていくという趣向。前半はお遊び満載のユルーいお色気コメディとして展開するが、後半で主人公が交通事故に遭い(つまりファーストシーンに戻る構造)、骨折して自分の病院にこもりきりになってからの展開は、鬼気迫る不安感が充満してくる。

 ちなみに、主人公が事故に遭った瞬間に見る幻想シーンも秀逸だ。ベルモンド自身が裁判官や警官や司祭に扮し、主人公の不実を裁くというコミカルかつ悪夢的なイメージが展開する(ややモンティ・パイソン的、というかテリー・ギリアムっぽい)。ちょうど映画のテイストが劇的に変化する分岐点としても、効果的だ。

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 クライマックス、病院のベッドで身動きがとれないままの主人公が、復讐鬼と化した妻から音声モニター越しに驚愕の事実を聞かされるシーンは、戦慄の極み。「助けてくれ! 殺される!」と叫んでのた打つベルモンドの姿とカットバックされる、暗い廊下で床を磨いている黒づくめの掃除婦の姿がもたらす恐怖感といったらない。アラン・パーカー監督の『エンゼル・ハート』(1987)にも影響を与えているのではないだろうか。その直後に訪れる、観る者すべてをズッコケさせる強引なハッピーエンドも、この映画をなおさら忘れがたいものにしている。

 日本ではバップからVHSが発売されていたが、置いてあるレンタル店はムチャクチャ少ない。ぼくが知っているのは目白の「ヴイ・レックス」と、大泉学園の「サンセット」だけだ。現在はドイツ盤・スペイン盤DVDしかリリースされていない模様。

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『Le Cheval D'Orgueil』(1980)

『Le Cheval D'Orgueil』(1980)
英語題:The Horse of Pride

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 20世紀初頭のブルターニュ地方に生きる農民たちの生活を描いた、クロード・シャブロル監督の全キャリアのなかでも特に異彩を放つ秀作。原作はピエール=ジャケ・ヘリアスの同名小説。映画は1908年から1918年までの10年間を切り取り、とある若い男女が出会い、結婚し、子供をもうけ、ごく普通の日常を紡いでいく姿を淡々と映しだす。一家の息子ピエール=ジャケが大人になり、少年時代を振り返るかたちでナレーターを務め、特にこれといったストーリーはないまま、ただ時の流れをたゆたうように映画はゆっくりと進む。平凡な一家族の肖像を中心に、その土地に生きる人々が長年守ってきた独特の風習や観念、生き方そのものが描かれていくのだ。

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 画一化された近代文化とは全く異なる独特の生活様式と、絵画のように美しい映像が、観る者の目と心を捕えて離さない。本物の馬を買う金がないために自らの背中を「誇りの馬」と呼び、子や孫たちを何代も背負ってきた人々の朴訥とした暮らしは、しかし第一次世界大戦の勃発と共に変化を余儀なくされる。無垢なる時代の終焉は、やがて彼らの生きざまも滅びへと向かわせるのか……。映画は最後まで冷静な観察眼を貫きながら、どこか楽天的な明るさと優しさをもって幕を閉じる。春の祭りに湧く村人たちの行進を見送るエンディングには、作り手の彼らに対する敬意と慈しみが溢れていて感動的だ。

 決してのどかで平和なだけではない農村のシビアな死生観や、この世とあの世が地続きであるかのようなフォークロア・ファンタジーの世界を、日常生活と等しく描くあたりがシャブロルらしい。貧困のために連鎖する自殺、災厄の象徴である「World Bitch(英語字幕はこういう表記だった。どう和訳したらいいんだろうか?)」という概念、死の淵から蘇った者たちの不可思議な逸話なども織り交ぜ、作品に奥行きを与えている。

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 製作は『気のいい女たち』(1960)『悪意の眼』(1961)『青髭』(1963)といった作品でシャブロルと組んできたジョルジュ・ド・ボールガール。脚本は『まぼろしの市街戦』(1966)のダニエル・ブーランジェと、シャブロルが共同で手がけた。ふたりはかつて超ユルユルのスパイコメディ『ジャガーの眼』(1966)で恐ろしいまでの相性の悪さを見せていたが、本作は彼らの資質がうまい具合に合致した成功作といえる。

 息子ピエール=ジャケ役に扮する少年たちが凄くいい。ロナン・ユベール、アーメル・ユベールの兄弟が、それぞれ8歳と10歳のピエール=ジャケを演じている。若い父親ピエール=アラン役を演じたのは、フランソワ・クリュゼ。彼はシャブロルのお気に入りだったようで、本作のあとには『Les Fantomes du Chapelier』(1982)、『主婦マリーがしたこと』(1988)、『愛の地獄』(1994)、『Rien Ne Va Plus』(1997)に出演している。特に『愛の地獄』での妄執に取り憑かれた夫役は素晴らしかった。また、本作には『仕立て屋の恋』(1989)のミシェル・ブランも「小さな死からよみがえった男」という印象的なエピソードで顔を見せている。

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 わりとシャブロル作品を盛んにDVD化している米国でも、VHSは発売されたものの、DVDリリースはされていない。本国フランスでは『クリシーの静かな日々』(1990)とのカップリング盤DVDが発売されていたが、現在は廃盤のようだ。他の代表作に比べて、なんとなく扱いが悪い感はある。地味な作品だから仕方ないとも思うが、シャブロルの作品歴の幅広さを知るためには、重要な1本であることは間違いない。

・Amazon.com(米国)
VHS『The Horse of Pride』(英語字幕版)
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