Simply Dead

映画の感想文。

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『マスカラ』(1994)

『マスカラ』
原題:마스카라(1994)
英語題:Mascara

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 イ・フンという韓国の映画監督がいる。彼は1962年ソウルに生まれ、米・オハイオ州立大学の映画学科を卒業。1993年に、16mmのビデオ用映画『甘い囚人』で監督・脚本・撮影を手がけ、一部業界人の注目を集めた。誘拐された裕福な家庭の娘と、身代金の支払いを拒否された誘拐犯が織り成す騒動を描いた作品だという(現在フィルムは紛失状態)。翌94年には、念願の35mm劇場長編デビュー作『マスカラ』を発表。韓国映画界では珍しくトランスセクシュアルを主題に据えた犯罪メロドラマで、実際のトランスジェンダーが“ヒロイン”を演じたことでも画期的な作品だった。が、興行では惨敗し、批評面でも黙殺状態。それでも同世代の若き映画人たちにとっては希望の星であり、一部マスコミからもさらなる活躍を期待されていた。

 1996年9月、イ・フンはソウル市内のロックカフェ「ローリングストーン」で起きた火災に巻き込まれ、34歳の若さで世を去った。次回作として、女吸血鬼が登場するエロティックなホラー映画を、フィリピンの島でオールロケ撮影する計画を立てていたらしい。

▼在りし日のイ・フン監督、近影
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(C)PRESSianMOVIE

 ぼくがイ・フンという名前を知ったのは、パク・チャヌク監督の著書「パク・チャヌクのモンタージュ」を読んだのがきっかけだ。イ・フンはパク・チャヌクの親友だった。パク監督は自著の中で、今は亡きシネフィル仲間にしてライバルであったイ・フンについて、当時の韓国ではなかなか作品を観ることができなかったエイベル・フェラーラ監督に傾倒していたこと、そのエキセントリックな映画的嗜好が若き日の自分に多大な影響を与えたことなどを記している。

 イ・フンが遺した2本の映画は、現在では「幻の作品」となっており、なかなか観る機会がない。ところが、とある韓国の中古ビデオショップのサイトを眺めていたら、偶然に『マスカラ』のタイトルを発見。表示されていたパッケージ写真が同じ題名のオランダ映画(シャーロット・ランプリングが出てるやつ)だったので、どうかなあとは思ったが、ダメもとで注文してみることにした。そして数日後、小包で届いたのは、紛うかたなきイ・フンの『マスカラ』であった。

 そんなわけで、まさに知る人ぞ知る、カルト中のカルトムービーを観てみたわけだが……まず初めてに言っておくと、『マスカラ』は大変な低予算映画である。新人監督の劇場映画デビュー作だけあって、ぎこちなさも荒っぽさも目立つし、決して口当たりのいい万人向けの作品とはいえない。しかし、これが実に魅力的なフィルムだったのだ! 特に、B級映画ファンやトラッシュ映画ファンが観れば、間違いなくその感性に惹かれるところがあると思う。

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〈おはなし〉
 写真家のオ・キヒョク(キム・セヨン)は、ミステリアスな雰囲気が漂うサロン「Buzz」の常連客である。彼はその店で働くホステスのヘジュ(ハ・ジナ)に心奪われていた。ふたりは何度もデートを重ね、ヘジュもキヒョクに思慕を抱いていたが、なぜか肉体関係だけは頑なに拒み続けた。実は、彼女は性同一性障害であり、肉体的には男性だったのである。

 ある時、サロンの経営者であるチョ社長(チャン・ドゥイ)は、ギャンブルで多額の借金を作り、暗黒街のボスから催促を迫られる。返済の代わりに殺しを請け負うことになったチョ社長は、ヘジュにその役目を押し付けようとする。その渦中、ヘジュとキヒョクは田舎でデートしている時、3人組のチンピラに絡まれる。ヘジュは愛するキヒョクの前で屈辱的な暴行を受けた挙げ句、その“秘密”を暴露されてしまった。幻滅したキヒョクは彼女の前から去り、絶望したヘジュは社長から依頼された殺しの仕事を実行する。

 ヘジュは代行殺人と引き換えに得た大金で、日本に渡って性転換手術を受け、顔に整形まで施す。そして、ユジョン(チャン・ソンミ)という別人の姿となって帰国し、再びキヒョクの前に現れるのだった。一方、彼女はかつて自分を辱めたチンピラたちへの復讐を開始。ひとり、またひとりと標的を血祭りに上げながら、ユジョンは素性を隠してキヒョクとの愛を育んでいく。だが、撮影現場で偶然にチョ社長と出くわした彼女は、その正体を見破られてしまい……。

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 冒頭、暗闇をバックにひとりの男の顔が浮かび上がる。それが鏡の中の姿であることは、鏡面の端にあしらわれた蝶のマークによって分かる。そして、背後から美しく華奢な女性の手が伸びてきて、彼の髪をハサミで切り始める──。なんともスタイリッシュな導入部だが、画面の中心に映しだされる男は、チャールズ・ブロンソンを100発ぶん殴ったようなブチャムクレ顔の俳優、チャン・ドゥイだ。観る者すべてに強烈なインパクトを与える顔をオープニングに持ってきて、なおかつ耽美的な映像を展開するツイストが、もうすでにして魅力的である。さらに、男の髪を繊細な手つきで切り揃えていく女の手は、厳密には「女性」のものでないことが、のちに明らかになる。

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 ストーリーは上記のとおり、『クライング・ゲーム』(1992)と『セコンド』(1966)を合わせたような、あるいは『フェイス/オフ』(1997)を先取りしたかのような内容だ。レイプ被害者の女性が凄惨な復讐劇を繰り広げる後半の展開には、もちろん監督が敬愛するエイベル・フェラーラの『天使の復讐』(1981)のエッセンスも反映されているだろう。濃厚なベッドシーン、暴力的なセックス描写などがふんだんに盛り込まれ、エロスものとしての商品価値も十分。奇妙なデザインを外壁に施した怪しげなナイトクラブ、陰影に満ちた裏社会の男たちの会合、閑散としたビリヤード場など、犯罪映画のツボを押さえたムード作りも、チープながらうまくいっている。また、ヒロインが薬で眠らせた男にガソリンをぶっかけて焼き殺したり、野外セックスの最中に男の性器を切り取って遠くへぶん投げたりと、荒っぽいバイオレンス描写の数々でもジャンルムービー愛好家を楽しませてくれる。

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 過去作品の引用を織り交ぜ、あえて安っぽいB級映画センスによってビザールな犯罪メロドラマをまとめ上げたイ・フン監督の手腕には、ジャンルムービーへの正しい理解と愛情がみなぎっている。その点で異論を唱える者はいないだろう。同時に『マスカラ』は、かつての韓国映画になかったセクシュアルな革新性を兼ね備えてもいる。つまり、トランスジェンダーという社会的アウトサイダーの存在をシリアスなものとして真正面から扱い、愛の本質を問う悲痛なラブストーリーの主人公に据えたという点だ。美しいトランスジェンダーと、醜い顔のギャング、そして面白みのないハンサム(キム・セヨン)。三者の織り成す愛憎劇のビザールで力強いメロドラマ性には、どこかキム・ギヨンにも通じる既成概念の破壊衝動も感じさせる。

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 ヒロインのヘジュを演じるハ・ジナは、実際のトランスジェンダーであり、これが映画デビュー作となった。韓国初のトランスジェンダー映画に主演し、韓国初のトランスジェンダーによるベッドシーン(そして凄絶なレイプシーン)にも挑んだ、先駆的存在である。見た目的には、ちょっとアゴが長いのが特徴的ながらも、なかなかの美人で、スチルで見るよりも実際の映画で観た方が美しい。憂いを湛えた表情がとても魅力的で、素人ながら演技もうまい(本人の生きざまそのものが役柄に反映されているので当然と言えば当然かもしれない)。また、本作は全編アフレコなので、ヒロインの台詞も別の女優によって吹き替えられており、なおさら女性として見ても違和感がない。

 惜しむらくは、映画の後半で性転換手術と整形を施したヘジュ=ユジョンを演じるチャン・ソンミが、ハ・ジナほどの憂いを感じさせない普通の顔立ちの女性になってしまうことだ。終盤のとあるシーンで1カットだけ、再びハ・ジナの顔が映しだされるのだが、やはりハッとさせられる。本物の説得力にはかなわないということか。とはいえ、チャン・ソンミもなかなか頑張って“復讐の天使”を熱演している。

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 性的マイノリティの荒野をさすらうヒロインの心象を表すものとして、本作では全編にデイヴィッド・ボウイの初期ナンバーが用いられている。オープニングタイトルで「Suffragette City」が流れ出す瞬間のカッコよさときたら! 以降、ちょっと使いすぎじゃないかと思うくらい、ずーっと「In The Port of Amsterdam」やら「Queen Bitch」やらが流れ続ける。性転換を果たしたヒロインの再登場シーンで流れるのは、当然のごとく「Changes」だ。中盤とラストのメランコリックな場面に流れる「In The Port of Amsterdam」の使い方も泣かせる。さらにルー・リードの名曲たちも、彼女の孤独と覚悟を示すテーマソングとして響き渡る。中でも「Walk On The Wild Side」の使い方が秀逸だ。この音楽センスだけで「あ、この監督ちょっとあなどれんな」と思える。デイヴィッド・ボウイのレコードジャケットが画面に映ってるのにルー・リードの曲が流れたりする雑さとか乱暴さも込みで、イイのだ。

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 彼女を束縛するチョ社長役に、チャン・ドゥイという強烈なキャラクターの役者を起用した配役も素晴らしい。見るからに悪役顔ながら、どこかエキセントリックな魅力があり、キム・セヨン扮するハンサムな主人公よりも断然カッコイイ。映画の後半では、ひょっとしてヒロインの最大の理解者は彼なのではないかという思いすら観る者に抱かせてしまう。なぜかアラビック・ダンスが趣味という設定も、複雑さと純粋さが入り混じった彼のパーソナリティを表すものとして効果的だ。チャン・ドゥイとしても、映画でここまでの儲け役を演じたことはないのではないか。後半はずっとハットを被っているので園子温監督にも見えてくる。

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 『マスカラ』はお世辞抜きで見どころの多い映画だ。超低予算の小品であり、寂れたビデオ屋のエロ映画コーナーに置かれていても違和感のない通俗的なキワモノ映画だが、実に上等なキワモノである。イ・フンという監督の持って生まれた《B級映画スピリット》ともいうべき感覚が全編に香り、なんとも甘美で蠱惑的な魅力を醸し出している。ぶっきらぼうな編集、その場の思いつきのようなカメラワーク、まったく金のかかっていない美術、その辺の知り合いに声をかけたようなキャスティングなど、いわゆる通常の映画の評価基準でいえばマイナス要素になる部分も、この映画ではさして気にならない。それどころか、それらも画面全体の味わいを構成する要素として活きている。

 それでいて、小技がきいている。サロン「Buzz」の外観として出てくる、裂け目の間から女の顔が覗いているという奇怪な壁のデザインはインパクト絶大だ。低予算映画でもこういう場所をちゃんと見つけてきて冒頭のツカミにするところが、ちゃんと映画を分かっている感じがする。その他にも、苦悩するヒロインの表情を360度回転しながら捉えるブライアン・デ・パルマ風のドリーショット、あえて露出オーバーにして白日夢的感覚を際立たせた回想シーン、そしてエンドクレジットが始まる直前で画面がストップモーションになるタイミングの素晴らしさなど、随所に施された工夫に監督のセンスのよさが窺える。前述の音楽の使い方もまた然り。

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 予算的制約や技術的な未熟さによって逆にアートフィルムになってしまうというトラッシュ映画ならではのミラクルも、おそらく半分は意図的に再現しようと試み(半分は一生懸命やって普通に失敗しているんだろうけど)、結果的にはちゃんと達成している。特に、ヒロインが暴行されるシーンの荒っぽい手持ちカメラの雑さ加減は、殺伐とした場面のムードとぴったり合致していて素晴らしい成果を上げている。最近『キャビン・フィーバー2』(2009)で話題を集めたタイ・ウェスト監督にも通じる“トラッシュ優等生”ぶりと言ったら伝わるだろうか。いくらそういうものが好きでも、実際にその感覚をフィルムに定着させるのは難しいのだが、世界で何人かはそれができてしまう。イ・フン監督もまた、そんな星の下に生まれた人だったのだと思う。

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 『マスカラ』を観ると、パク・チャヌク監督が撮った最初の2本『月は…太陽がみる夢』(1992)『3人組』(1997)は、まさにイ・フン監督と近しいテイストを狙って玉砕した作品であったことがハッキリと分かる。B級映画志向と反商業主義的な作家性の融合を図り(それを天然でやれるタイプではなかったのに)、見事にしくじった。『月は?』にはそれなりに魅力的な部分もあるのだが、B級テイストの醸成という面では断然『マスカラ』の方に軍配が上がるし、『3人組』は力みすぎて空転している。彼はB級の人ではなかった。そして短編映画『審判』(1999)で軌道修正を図り、大作『JSA』(2000)で完全にAクラスの人となって、最高傑作『復讐者に憐れみを』(2002)をものするまでに至る。B級映画的な題材を特Aクラスの重量級演出で撮り上げるというスタイルを掴むまでの苦闘の道のりがそこにある。イ・フンの影響は、パク・チャヌクの才能の開花を確実に遅らせるほど、強いものだったのだ。

▼『マスカラ』韓国版VHSのジャケット裏面
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 イ・フン監督の親友のひとり、映画雑誌編集長のオ・ドンジンは、追悼文のなかで「もし彼が生きていれば、誇張でもなんでもなく、韓国のエド・ウッドになれただろう」と語っている。だが、個人的には「韓国のマシュー・ブライト」の称号もいっしょに添えたい。この人はいつかとんでもない傑作を撮ったに違いない、と思えるからだ。『マスカラ』は、イ・フン監督が世を去って10年後の2006年、パク・チャヌク監督やオ・ドンジンなどの協力で、追悼上映会が催された。日本でも字幕付きで上映してほしいけど、マイナーすぎてまず無理だろう。

 ちなみに『マスカラ』劇中で、アイスクリームばかり食べている暗黒街のボスを演じているのは、『猟奇的な彼女』(2001)や『僕の彼女はサイボーグ』(2008)などの監督であるクァク・ジェヨン。また、ヒロインの回想シーンで、彼女のセクシャリティに影響を与えた隣家に住む青年を演じたのは、今と見た目が全く変わらないパク・チャヌク監督だ。

▼真ん中が『猟奇的な彼女』のクァク・ジェヨン監督
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・Amazon.co.jp
本「パク・チャヌクのモンタージュ」(キネ旬ムック)

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『女は抵抗する』(1960)

『女は抵抗する』(1960)

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 ナベプロの創始者で「ロカビリーマダム」の異名をとった渡辺美佐をモデルに、若尾文子演じる若き女性プロモーターの奮闘と挫折を描いたバックステージもの。社会派メロドラマっぽいタイトルからは内容が分かりづらいが、戦後日本のショービジネス史/ポップミュージック史にかなり早いうちからスポットを当てた異色作で、強い自立心をもって時代の最先端を生きようとするヒロインの青春ドラマとしても見応えがある秀作。これも『八月生れの女』(1963)と同じく、神保町シアターで開催中の特集「みつめていたい!若尾文子」で観た。

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〈おはなし〉
 ベテラン興行師を父に持つ主人公・矢代美枝(若尾文子)は、大学在学中からプロモーターとしての活動を開始する。まず、彼女は人気ジャズバンド「グリーンガイズ」のリーダー・久慈明(川口浩)を口説き、ジャズ合戦を企画。対戦相手に選んだのは、白崎興行に所属する人気バンド「ゴールデンキングス」だ。白崎興行の社長・白崎(高松英郎)は、父の芸能プロを破滅に追い込んだ男だったが、美枝はビジネスライクに交渉にあたり、なんとか企画を実現に持ち込む。結果は大成功。そして、観客からの圧倒的支持を得たのは「グリーンガイズ」の方であった。

 新たに矢代プロを立ち上げた美枝は、ロカビリーブームに目を付け、新人バンドに声をかけ始める。久慈と「グリーンガイズ」の面々は、美枝に頼まれ、彼らに音楽指南を施すことに。美枝は大々的なロカビリーフェスティバルを企画し、大劇場での開催を画策するが、劇場側はなかなか首を縦に振らない。苦心する彼女の姿を見て、久慈は秘かに劇場主を説得。こうして日本初のロカビリーの祭典「ウエスタン・カーニバル」が開催された。企画は大成功を収め、ロカビリーブームが全国を席巻。一躍時の人となる美枝だったが、その栄光も長くは続かないと彼女自身も知っていた。次々と仲間が去り、手酷い裏切りにあってもなお、美枝はたくましく立ち上がり、次の流行を追い求め続ける……。

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 監督はこれがデビュー作の弓削太郎(ゆげ・たろう)。個人的には、同じく若尾文子主演の恋愛コメディ『お嬢さん』(1961)でのシャープでスピーディーな演出ぶりが印象深い。本作では、ヒロインが地道な努力を重ねて着実にステップアップしていく過程を、丹念かつ手際のいい飛躍を交えてテンポよく活写。同時に戦後日本のジャズエイジの熱狂や、ロカビリーブームの到来なども丁寧に描いている。なんとなく、初期韓国ロックの興亡を描いた青春映画の傑作『GOGO 70s』(2008)とも重ね合わせて観てしまった。

 ヒロインのリアルタイムの生きざまに焦点を合わせたタイトな構成も素晴らしい(同じく興行師だった彼女の父親が失意のうちに死んでいったという背景も、短い台詞だけであっさり処理される)。犯罪捜査ものを得意とする脚本家・長谷川公之の硬質な語り口のシナリオと、過剰なセンチメンタリズムを排した弓削演出が、心地好いケミストリーを生み出している。とてもデビュー作とは思えない落ち着きぶりだ。

 とはいえ、華やかなショービジネスの世界を描くにしては、やや遊びが少なく地味すぎる語り口にも思える。音楽映画として観た場合、やや盛り上がりに欠けると言われても致し方ない。映画の前半、ふたつのジャズバンドが同じステージ上で同時に演奏の腕を競うというコンサートシーンは、音楽ファン的な視点から見ると「そんな雑な勝負あるか」という感じかもしれないが、映画的にはなかなか盛り上がる。しかし、中盤以降のロカビリーバンドの演奏シーンになると、その「狂騒」は映し出されるものの、当時の「熱狂」を映画の観客に伝播させるまでには至らない。カメラが冷静すぎるのだろう。

 だが、時に苛烈で残酷なドラマが待ち受けるバックステージの世界を描く手つきとしては、間違っていない。高松英郎演じるライバル社長の事務所のシーンなど、ほとんどフィルムノワールみたいな濃い陰影に満ちていて、その過剰さがなかなかいい。助監督時代は市川崑に師事していただけあって、スタイリッシュなオープニングタイトルや、抑えた感情表現を好むクールでテンポのいい演出、冬枯れのトーンを基調とした映像感覚には、師の薫陶が感じられる。陰影に富みすぎな撮影を手がけたのは、『穴』(1957)や『黒い十人の女』(1961)などで市川監督と組んだ小林節雄。

 個々の場面にも、思わずハッとするような演出が多々ある。特に、ヒロインの妹分で、グルーピーのような女の子たちを束ねるリーダー的存在の宮川和子が、劇場主にかけあって「ウエスタン・カーニバル」の開催を助けてくれたジャズマン・川口浩に電話するシーンが素晴らしい。正確に言うと、川口浩が「僕はそんなの知らないよ」としらばっくれて電話を切ったあと、宮川和子が独り言をつぶやく場面。「嘘だわ。絶対に嘘。そんなわけない。自分の手柄にはしないで美枝さんに花を持たせようとしてるんだ。あたしだったら惚れちゃうな」みたいな台詞を誰にともなく、ワンカットでさらさらっと言う、その繋ぎの呼吸が絶品なのである。

 また、グルーピーの女の子たちの描写もうまい(その中のひとりは江波杏子)。こういうのは多くの場合、ただうるさくて鬱陶しいだけの脇キャラとして描かれがちだが、この映画ではちっともイヤミじゃない。ロカビリーバンドたちをどう応援するかという作戦会議の場面などでも、役名もないような彼女たちにしっかりと撮り方を工夫して見せ場を与えていて、それがちゃんと面白い場面として成立している。

 若尾文子はひたむきでエネルギッシュ、しかし常にドライな生き方を貫こうとする現代的ヒロイン・美枝を生き生きと熱演。凛とした表情の中に、気丈で負けず嫌いの一面を覗かせる微妙な心の機微も、まるで我がことのように自然に演じきっている。物語後半で悪質な詐欺にかかり、失意に暮れる彼女の佇まいも魅力的だ。アパートを訪ねてきた川口浩に対して心ない態度をとってしまうシーンは、若尾文子の卓抜した演技力を堪能できる本作のクライマックスである(もうちょっと見せてほしいところで、食い足りなさを残して次の展開へ行ってしまう弓削演出のクールネスが憎たらしい)。

 ヒロインを支えるジャズマン・久慈明(モデルは渡辺美佐の夫で、ナベプロ社長の渡辺晋)に扮する川口浩の好演も光る。抑えた芝居が実によく、素人目で見るぶんにはサックス演奏シーンも結構サマになっている。先述の宮川和子のユーモラスな存在感が映画に精彩を与える一方、人気ロカビリー歌手の山下敬二郎がボーカルをつとめるロカビリーバンドの面々もイイ顔ばかりで印象的。音楽好きには、渡辺晋とシックス・ジョーズ、坂本九、ダニー飯田とパラダイスキング、平尾昌章とオールスターズ・ワゴンといった実際のミュージシャンたちのカメオ出演も楽しいだろう(終盤のザ・ピーナッツの登場も洒落ている)。

 やっぱり弓削太郎の映画はいい、という思いを新たにした。このくらい適度に低い体温で娯楽映画を作る人が、ぼくは好きだ。傑作にしてやろうなどという欲を感じさせないところもいい。だから大成しなかったのかもしれないけれども……(大映のプログラムピクチュア職人として働き続けたが、大映倒産後に行方不明となり、1年後に自殺体で発見という悲しい最期を迎えた)。このあと、ビデオで弓削監督の『黒の商標』(1963)と『いそぎんちゃく』(1969)を続けて観たが、やっぱりクールなところが際立っていて、特に後者は快作だった。観るべきところは常にある監督だと思う。

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『八月生れの女』(1963)

『八月生れの女』(1963)

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 神保町シアターで開催中の特集「みつめていたい!若尾文子」で観賞。若き女性社長に扮した若尾文子が、身分を隠したライバル会社の御曹司・宇津井健と出会い、おかしな騒動を繰り広げる恋愛コメディ。タイトルは「8月生まれの女は気が強い」ということわざから(あんまり聞いたことないけど)。毒にも薬にもならない、実にどうということのない映画だけど、若尾文子様の美しさと可愛らしさを愛でるためのアイドル映画としては十二分に楽しめた。監督は戦前から活躍する大ベテラン、田中重雄。軽妙かつ安定感のある語り口で、魅力的なサブキャラクターを活かしながら、ゆるーいシナリオを手際良くまとめている。

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〈おはなし〉
 滝川光学の社長をつとめる滝川由美(若尾文子)は、容姿端麗・才色兼備をほこる妙齢の女性。だが、生まれついての気の強さのせいか、男っ気がまるでない。ある日、彼女は自慢のスポーツカーに車をぶつけられ、運転していた村瀬力(宇津井健)という演劇青年と口論になり、ついには警察沙汰に。それがきっかけで、ふたりはたびたび会うようになる。力は悪びれもせず由美に対して好意を示し、由美もまた呆れ返りながらも彼のことが気になり始める。そこで由美は、探偵事務所で働く友人の早苗(浜田ゆう子)に、力の身許調査を依頼する。

 一方、先々代から滝川家の秘書をつとめる津田数右衛門(東野英治郎)は、由美の将来を心配し、四国一の富豪・志野村家の次男との縁談を画策。商用と偽って由美を高松へ連れ出し、お見合いの場を設ける。途中で真相を知った由美は怒って東京に飛んで帰るが、数日後、見合い相手の志野村次郎(川崎敬三)が滝川家を訪ねてきた。家業を手伝うのがイヤになり、東京で一旗揚げることにしたから居候させてほしいというのだ。多少変わり者ではあるが好青年の次郎を、由美の祖母しづ(村田知栄子)は大いに気に入り、おかしな同居生活が始まることに。由美はすでに力のことが好きになり始めていたが、実は力の正体は、ライバル会社の社長の息子だったのだ……。

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 見どころはやはり、ツンデレ気味の都会派お嬢様キャラをのびのび演じる、若尾文子のハマりっぷり。開巻早々、宇津井健を相手に車をぶつけた・ぶつけないの言い争いから映画を始めるあたり、分かってらっしゃるという感じ。浜田ゆう子や川崎敬三とのコミカルな掛け合いも楽しく、ストーリー展開と共にくるくる変わるファッションとヘアスタイルにも眼を奪われる。

 ジェリー・ブラッカイマー作品ばりに5分に1度はホォーとため息をついてしまうほど、若尾さんの可愛さが爆発しまくっている映画だが、それが頂点に達するのが終盤のナイトクラブでの一場面。またしても宇津井健と言い争いになり、彼が思わずパチーンと彼女の顔をぶってしまう。すると一瞬きょとんとして、そのあとコテンと気絶したふりをする若尾さんの鬼キュートぶりったら、もう筆舌に尽くしがたい。こっちが気絶するかと思った。

 若き日の宇津井健が元気いっぱいの裕次郎風芝居で演じるのは、前衛演劇に情熱を燃やすボンボン役。生真面目な力演タイプの役者さんという印象が強く、本人的にもこういう役は得意ではなかったと思うけど、この映画での軽妙な演技はなかなかいい。また、甲斐甲斐しくヒロインの世話を焼く社長秘書役の東野英治郎をはじめ、興信所で働く女探偵・浜田ゆう子、お調子者の女中さん・渋沢詩子、踊りの先生で実は東野英治郎とイイ仲という色っぽい役柄の角梨枝子など、脇役陣の好演も印象に残る。

 特に魅力的なのが、川崎敬三のすっとぼけたキャラクター。ヒロインとお見合いしたことをきっかけに、上京して彼女の家で居候を始める青年役をユーモラスに演じ、ハンサムな外見を逆手に取った飄々とした佇まいが絶品。共演者の中でも突出した存在感を示している。ふぐ料理が得意で、熱帯魚の生態を研究しはじめたかと思えば、最後は高校の先生になると言い出す無軌道ぶりもおかしい。同じ日に観た『銀座っ子物語』(1961)でもやはり浮世離れしたキャラクターを好演していて、かなり見直してしまった。『青空娘』(1957)とか、あんまり印象に残らない出演作ばかり観ていたせいか。

 映画史的に評価されることなどハナから望まず、とことん通俗に徹し、いっときの娯楽として楽しんでもらえればそれで十分、という志に貫かれた1本。こういう日本映画をもっと探して観ていきたいなあ、という気持ちにさせられた。ちょっとだけ難を言うなら、ヒロインが日本舞踊を見せるシーンがふたつもあって、それがむやみに長い。まあ、そういうのが女優さんの見せ場として成立していた時代だからなのだろうけど、当時でも少し古くさかったような気はする。ただ、最初の踊りの場面では「お嬢様は踊りの稽古中です」という振りから、いきなり獅子舞の練習をしているというハズシ技で来るので、それなりに工夫はある。

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お知らせなど(『REDLINE』本、『カラフル』監督インタビュー)

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 明日10/9から公開の劇場長編アニメーション『REDLINE』は、ぜひとも劇場の大画面と大音響で楽しんでほしい快作。『THE ANIMATRIX/ワールド・レコード』の小池健監督が、7年かけてひたすら自分の作りたいように作った、おそらくもう二度とできないタイプの作品です。気の遠くなるような手間暇を費やした制作工程とは裏腹に、映画自体の体感時間はあっという間。オフビートなギャグや脱線もそこかしこに散りばめつつ、基本的には超絶シンプルなストーリー&構成で突っ走る爽快アクションエンタテインメント。師匠の川尻善昭監督の血筋を感じさせるロマンティシズムも魅力です。

 そんな『REDLINE』の本を作っておりました。タイトルは「REDLINE SUPER ANIME ALBUM」。公開初日から劇場の売店などでも取り扱われる予定です。一般書店やAmazonでは週明けからの販売になる模様。なかなかいい本に仕上がっていると思いますので、ぜひお手に取ってみてください。ぼくはインタビューを始めテキスト全般の作成・修繕などをやりました。

「REDLINE SUPER ANIME ALBUM」
定価/本体1400円(税込1470円)
発行/飛鳥新社
大型本・96ページ

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[主な内容]
・フィルムストーリー
・キャラクター&メカニック紹介
・小池健(監督)×石井克人(原作・脚本)クロストーク
・丸山正雄(プロデューサー)インタビュー
・櫻井圭記(脚本)インタビュー
・木村大助(アソシエイトプロデューサー)インタビュー
・原画セレクション
・各種設定デザイン集
・石井克人ロングインタビュー
・企画書&初期資料集
・小池健ロングインタビュー
・スタッフアンケート


 さて、続いてもアニメ関連の話ですが、8月に公開された映画『カラフル』の原恵一監督に、わりと長めにインタビューさせてもらった記事がWEB上にアップされています。よかったらご覧ください。全4回です。

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【アニメスタイル特報部】『カラフル』原恵一監督インタビュー
第1回 この原作なら自分に向いている、と思った
第2回 経験上、コンテは遅れてでも手を抜けない
第3回 ふっ、と怖くなる瞬間がたくさんあった
第4回 「アニメである事」に凄く助けられている

 3年前の『河童のクゥと夏休み』の時にも原監督にお話をうかがったんですが、今回もこちらの拙い質問に対して、本当にたくさんのことを語っていただきました。質問自体は重箱のスミみたいなものばかりなんですが、なかなか読み応えのある記事になっていると思います。まだ一部の劇場では上映しているところもあると思うので、これを読んで「また観直してみようかな」あるいは「DVDでいいかと思ってたけど、やっぱり劇場で観ようかな」と思った方は、ぜひ!スクリーンで『カラフル』をご覧になってほしいと思います。今年のベスト10には確実に入る傑作ですから。都内では、新宿バルト9池袋テアトルダイヤで、9日以降もレイトショー上映があるようです。

 また、インタビュー内でも話題になっている原恵一監督の絵コンテが、10/14に書籍として発売されるそうです。本のタイトルは「カラフル 原 恵一 絵コンテ集」。興味のある方は、こちらもどうぞ。

『オブザーブ・アンド・レポート』(2009)

『オブザーブ・アンド・レポート』
原題:Observe and Report(2009)

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 ハリウッド・コメディ映画業界をリードする人気者として、最近は日本でもグッと知名度が上がってきた感のあるセス・ローゲン。本作はその主演作の1本で、なぜかアメリカでも日本でもさして話題にもならずDVDスルーになってしまった小品である。リリースから1年経ってようやく観てみたら、これがなかなかの拾い物だった。ただし、観る人を選ぶ映画ではある。

 本作には、ローゲン扮する主人公を含め、感情移入などという言葉からは1万光年ほど遠く離れた登場人物しか出てこない(例外は1?2人くらい)。全編そんなブラックな人間観で塗り固められている上に、ちょっと心配になるくらい劇的な盛り上がりをハズしたシンプルかつオフビートな演出が貫かれているので、単純に明るく楽しく騒がしいコメディ映画を期待すると「地味で笑えない失敗作」に見えてしまうかもしれない。が、ハマる人は大喜びするタイプの作品である。実際、クエンティン・タランティーノは「2009年お気に入り映画ベスト11」の中に本作をランクインさせていた(ちなみに順位は『チョコレート・ファイター』に次ぐ第7位)。

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〈おはなし〉
 主人公ロニー・バーンハート(セス・ローゲン)は、ショッピングモール「フォレスト・リッジ・モール」の警備主任として日夜平和を守っていた。ある時、モールの駐車場に露出狂が出没し、ロニーが想いを寄せるコスメ店員のブランディ(アンナ・ファリス)までもがハレンチ行為の被害者に。怒りに燃えたロニーは変態野郎を捕まえようと躍起になるが、捜査にやってきたベテラン刑事ハリソン(レイ・リオッタ)とはソリが合わず、挙げ句に「たかが警備員が余計な手出しをするな!」と釘を刺されてしまう。

 ロニーは同僚たちと独自の捜査チームを結成するが、今度は強盗事件まで発生。何ひとつ事件を解決できていないのに正義感だけはパンパンに膨らんでいくロニーは、とうとう本物の警官になるべく、警察の採用試験に挑む。いつもコーヒーをおごってくれるフードコートの女性店員ネル(コレット・ウォルフ)の心配をよそに、自信満々で警官になることを周囲に吹聴するロニーだったが、現実はそう甘くなかった……。

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 要するに『モール・ラッツ』(1995)と『新Mr. Boo!/アヒルの警備保障』(1981)と『タクシー・ドライバー』(1976)を合わせたような内容で、ヒーローに憧れる主人公が手柄を立てようと奮闘するものの、全てが裏目に出てしまう姿を描くという、映画ファンにはおなじみの物語。コメディとしては、大笑いするというよりは意地悪な小ネタの数々にクスクス笑ってしまうような感触で、インディペンデント映画っぽい雰囲気も強い。最近の作品だと『ロック・ミー・ハムレット』(2008)の感じに近いだろうか。また、主人公たちを取り巻く「平和で楽しく安心」なショッピングモールという場所の閉塞感と、そこで働き続ける人々の行き詰まった日常感覚も、とても見事に描かれている。

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 監督・脚本をつとめたジョディ・ヒルのコメディ演出は、基本的にはとてもシンプルで、物静かで、抑制が利いている。が、そこには強烈な毒があり、シャープな悪意がある。主人公と仲の悪い中東系店員が悪口の応酬をしているうちに、どんどん小声になっていくというシーンは象徴的だ。コメディ=狂騒的みたいなイメージを持っていると、やや戸惑ったり、退屈に見えてしまうかもしれない。ただ、これと同じコメディにおける「静寂と爆発」のメリハリをデリケートに考えている、ハリウッドでは稀有な喜劇センスの持ち主が、ジョン・ランディスと、他でもないクエンティン・タランティーノである。おそらくタランティーノは、余分なものを削ぎ落とした静けさが生み出す笑いのポテンシャルを堅く信じる、ジョディ・ヒル監督のギャグセンスに共鳴したのではないだろうか。

 また、ひたすら下品でアタマの悪そうな台詞の切れ味とパワーも、間違いなくタランティーノが好きそうなテイスト。できるかぎり知性や品性を削ぎ落とし、ウィットのある会話を成立させるという難作業に敢然と挑んでいる。正直そのあたりが観客に嫌われやすい一因なのではないかとも思うが、その努力は買いたい。忘れられない台詞も幾つかある。(例:「ビール党になるわ」)

 それぞれのキャラクター描写は、前述のとおり「人類の90%はダメ人間」と言わんばかりの容赦ない突き放し方で描かれており、その辛辣さがだんだんクセになってくる。とはいえ、最近流行の「負け犬奮起もの」としてのツボは外しておらず、後半ではちゃんとポジティヴなカタルシスを得られるように作られている。主人公ロニーも最初は狂人にしか見えないが、物語が進むにつれ、だんだんと彼のいい面を観客が見つけられるように計算が行き届いているのだ。

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 ヌルい職場の中でひとりダイ・ハードな保安官を気取る警備主任ロニーを、セス・ローゲンは持ち前の迫力ある体躯を活かして怪演。自意識過剰で短絡的で思い込みが激しく、そのくせ自分の中にある破壊衝動には無自覚な危なっかしい男を悠々と演じている。かつてのジョン・グッドマンにも通じる狂気を湛えたキャラクターを演じさせたら、今や右に出る者はいないのではないか。それと同時に、どんなにアナーキーで傍若無人なキャラクターに扮しても、どこか憎めない可愛げを感じさせるのが、この俳優の最大の長所(なんか実際は凄くマジメそうだし)。本作でも、始めのうちは扱いづらい男と思わせて、実は夢に向かって努力もするし、それなりに仕事もできるのだが、単に正義感の打ち出し方が間違っているだけという繊細な役柄を、ちゃんと説得力をもって演じきっている。さすが。

 また、複数のギャングや警官隊を相手に、たったひとりで大がかりな立ち回りを繰り広げるアクションシーンも見どころだ。特に、刑事役のレイ・リオッタとのガチンコ格闘シーンは、短いながらもまさに頂上決戦と呼びたいスペシャル感があってメチャクチャ盛り上がる。

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 脇を固める役者陣もそれぞれにキャラが立っていて印象に残る。主人公の同僚デニス役を、得体の知れない存在感を漂わせながら怪演するのは、『大いなる陰謀』(2007)や『それぞれの空に』(2007)での好演も記憶に新しいマイケル・ペーニャ。後半では意外(?)な本性を現して爆笑させてくれる。そして、いかにもタイプキャスト的なベテラン刑事役をいつもの半分くらいの力で演じるレイ・リオッタの片手間仕事ぶりが素晴らしい(注:誉めてます)。とはいえ、先述のセス・ローゲンとの対決シーンはそこだけyoutubeに上げてほしいくらいの名勝負で(と思ったらあった。超かっこいい!)、かつての狂気を感じさせてくれて凄く嬉しかった。ジョディ・ヒル監督の出世作『The Foot Fist Way』(2006)に主演したダニー・マクブライドも、ストリートギャングの役で特別出演している。

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 女優陣の顔ぶれも充実。コメディエンヌとしてはもはや中堅の域に入りつつあるアンナ・ファリスが、主人公が恋い焦がれるコスメ店員ブランディ役で登場。薄っぺらな尻軽女をリアリティたっぷりに演じており、ファンとしてはいささか複雑な気分になるが、文句なしの巧演である。セス・ローゲンと親子という設定が異様にハマっている母親役のセリア・ウェストン、そして地味なヒロイン役を慎ましくも愛らしく演じるコレット・ウォルフの好演も光る。

 音楽の使い方も気が利いていて、本作のクライマックスともいえる終盤のとあるアクションシーンでは、『ファイト・クラブ』(1999)のエンディングでおなじみのザ・ピクシーズ「Where is My Mind」が、実に効果的な使われ方をする。画面内で起こっている強烈にバカバカしい出来事とは裏腹に、全てを失ったはずの主人公が、自分の理想を初めて“行動”として実現させ、再びアイデンティティを取り戻すというエモーショナルな場面であり、思わず涙ぐんでしまうほどの感動を観客にもたらすのだ。が、日本版DVDでは延々とモザイク処理がかけられているのが惜しい(まあ、別に無修正で見たいもんじゃないけど)。

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 シネマスコープの横長構図を無理なく使い、腰の据わった画作りを見せるのは、『セックス・クラブ』(2008)も手がけたティム・オア撮影監督。作りの粗いところもあるが、あんまり注目されずに終わってしまうのは惜しい佳作である。パンチのきいたブラックコメディと、じんわり感動できるダメ人間の再起ものを同時に楽しみたい方は、ぜひ。

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『セックス・クラブ』(2008)

『セックス・クラブ』
原題:Choke(2008)

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 傑作。いや、傑作というほど大上段に構えた作品ではなく、実に奥ゆかしい佇まいの小品なのだけど、これが素晴らしくよくできた、笑えて泣けるヒューマンコメディなのである。サイテーな邦題のおかげで分かりづらいかもしれないが、本作の原作はチャック・パラニュークの小説『チョーク!』。デイヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』(1999)に次ぐパラニューク作品の映画化で、はっきり言って製作費や物語のスケールの面では、こちらの方が段違いで小さい。しかし、原作のエッセンスを的確にすくいとったという点では、全く引けをとらない快作に仕上がっている。パラニューク・ファンは必見だ。ちなみに「Choke」とは、のどに詰まるという意味で、もちろん貴方の想像どおりフェラチオのイメージも含んでいる。

 誤解を招くといけないので先に言っておくが、本作は他のチャック・パラニューク作品と同じく、純粋なラブストーリーであり、優れた青春ドラマである。母と子の絆の物語であり、ボーイ・ミーツ・ガールの物語であり、かけがえのない友情を描いた物語だ。しかし、その全てにおいて一筋縄ではいかないツイストがきいている。一見すると不謹慎に思われるくらい、毒に溢れ、とことん過激。それこそがパラニューク作品の最大の魅力だ。

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〈おはなし〉
 セックス依存症の青年ヴィクター(サム・ロックウェル)は、植民地村を再現したテーマパークでエキストラのバイトをして生計を立てている。彼は同じセックス中毒に悩む患者たちの集会に出ては治療に励もうとするのだが、ついつい出席者の女性と別のコトに励んでしまうのが常だった。行く先々で刹那的なセックスに溺れる彼は、道往く女性を見ても必ずその裸体を想像せずにはいられない。

 彼にはアルツハイマー気味の母親(アンジェリカ・ヒューストン)がいて、病院に足繁く通ってはせっせと身の回りの世話をしていたが、母親本人は彼のことを息子ではなく、弁護士か誰かだと思っている。回復の兆しを見せない母の入院費を稼ぐため、ヴィクターは「ある演技」をして小遣いを稼いでいた。レストランで自ら食べ物を喉に詰まらせ、金を持っていそうな客に助けてもらい、人助けをした満足感を彼らに与えると共に、見舞金をたかっていたのだ。

 ハチャメチャな生き方を貫き、幼い頃から自分を振り回してきた母親の世話をすることに、いいかげん疲れ果ててきたヴィクター。そんな時、母は息子にどうしても伝えなければならないことがあるという。それはヴィクターの出生の秘密。今まで聞かされてきた話が嘘だと知った彼はなんとか真実を訊きだそうとするが、母は「弁護士ではなく、息子に直接話さなければ」と言ってきかない。途方に暮れるヴィクターだったが、ある日、病院で母の新しい主治医だという美しい女性ペイジ(ケリー・マクドナルド)と出会った時から、事態は思わぬ方向へ……。

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 パラニュークの前作『ファイト・クラブ』『サバイバー』などと同様、本作の主人公ヴィクターもまたモラルの崩壊した瓦礫の上で、倒錯的日常を生きている。セックス中毒者の集会で平然とセックスパートナーを物色し、愛する母親の入院費を稼ぐため、レストランでの「窒息サギ」で人の善意をダシにして金を騙し取る。そんな彼に対して大方の観客が抱く印象は「ろくでなし」だろう。主人公自身もそう思っている。それによって彼の人生はギリギリの安定を保ってきたからだ。ところが、現実にはそうでないことが分かり、混乱が彼を飲み込んでいく。そのカオスを見事に視覚化してみせるのが、サム・ロックウェルのとっ散らかったヘアスタイルだ。まさにテンペスト級の荒れ模様を見せる彼の前髪からは、映画を観ている間中、まったく目が離せない。

 パラニューク作品の登場人物は、多重人格のテロリストだったり、集団自殺したカルト教団の生き残りだったり、母親思いで詐欺師のセックス中毒者だったりするが、とどのつまりは誰かの愛情を渇望してやまない迷子である。ヴィクターの場合も同じだ。なぜ彼がセックス中毒になったのか。そして、なぜ窒息サギなどという持って回った犯罪行為を繰り返すのか。そこには奥深い心理ドラマが実に巧みに構築されており、やがて終盤になると、我々観客の先入観は鮮やかにひっくり返されている。それが快い。

 その場の言動や外見といった一次情報だけで、相手のパーソナリティを判断するのではなく、もっと多面的に見る力を養うことで、その人の違った面が浮き上がってくる。そういう見方ができるようになった時、自分自身もまた成長するのではないか──というテーマを含んだ秀作を、今年はよく観ているような気がする。まず『カラフル』がそうだし、『四畳半神話大系』もそうだし、ちょっと弱いが『悪人』もそうだ(とてつもなくダークな意味で『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』を入れてもいい)。この映画もまた、同じ感慨を観客にもたらしてくれる。見つめる対象は他者に限らない。自分自身に対する評価や理解が変わっていくことで、成長することだって当然ある。

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 監督・脚本を手がけたのは、これがデビュー作となるクラーク・グレッグ。本業は俳優で、本作にも開拓村テーマパークで働くイヤミな上司、チャーリー提督という役で出演している。その演出スタイルは決して奇をてらったものではなく、ごくオーソドックスな構図とカメラワークで役者の演技を捉えるという、実にシンプルで腰の据わったものだ。それでいてパラニューク作品の破天荒なストーリーテリングの魅力はかけらも損なわず、過激で破壊的ですっとぼけたユーモアをたたえながら、観る者をグイグイ引っ張るドライブ感を保ち続ける。編集の力も大きいだろう。過去と現在と行きつ戻りつを繰り返しながら、徐々に霧が晴れていくように登場人物それぞれの隠された人間性が立ち現れていく過程をスリリングかつエモーショナルに映し出す。これだけ内容の詰まった物語をわずか93分という上映時間にまとめ上げた力量も驚くべきものだ。

 つまり、どんなに低予算でも、どんなにプレーンな映像演出でも、原作の魅力をしっかりと理解した人がきっちりと作ったならば、優れた映像化は可能なのだということを本作は見事に証明してみせた。『サバイバー』や『インヴィジブル・モンスターズ』の映画化を心待ちにしているパラニューク・ファンにとっては、実に心強い「回答」ではないか。

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 もちろん熱烈な原作ファンの中には「あの場面がない、この台詞がない」という不満を持つ人もいるだろう。しかし、原作小説と同様のドライブ感や読後感をフィルムという媒体で観客に与えるとして、全てを忠実に映像化することなど不可能だし、むしろ不適当だと思う。クラーク・グレッグは巧みな脚色と演出で原作を再構成し、映画としてもすこぶる面白い快作に仕上げてみせた。少なくともぼくにとっては、パラニューク作品を読んでいる時の先読みできない疾走感、聖と俗・正義と悪・痛みと幸福といった既成概念がひっくり返される痛快さが、そのままフィルムにも焼きつけられていた。そして、ラストシーンの夢とも現実とも判別がつかない“不穏なハッピーエンド”に限っていうなら、こちらの方が『ファイト・クラブ』よりもパラニューク作品の味わいを繊細に再現していると思う。

 また、セックス依存症やアルツハイマーといった本来デリケートなモチーフを、過激なまでのブラックユーモアに包んでカラッと描いてしまうパラニューク独特のセンスも、本作では見事にトレースされている。DVDに収録されている原作者との対談で、グレッグ監督は「そこには独特のカタルシス=浄化作用がある」と語っていた。本来はとてつもない苦痛を伴う病気や怪我や事故といった深刻な事柄を、パンチのきいたブラックジョークとして描きのめすことで、読者はそこで爆笑し、浄化されるのだ、と。この的確な理解こそが、この映画を成功に導いたのではないだろうか。

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 そして本作もまた、俳優サム・ロックウェルの恐るべき役者力を見せつける作品であった。アンビヴァレンツに満ちたヴィクターというキャラクターを、フマジメな愛嬌をふりまきつつ実に魅力的に演じ上げている。次々に押し寄せる混乱に翻弄される姿がだんだんと愛おしくなってくるのは、この役者が持っている天性の魅力と、自分をいいように見せようなどと考えない誠実な力演の賜物だろう。母親の前で涙を見せるシーンの繊細な芝居は忘れられない。絶品の「迷子」っぷりだ。

 母親役のアンジェリカ・ヒューストンが見せる貫禄も素晴らしい。ふたつの時代に跨がって、かなり手強い老人力の持ち主となった現在の姿と、過激な活動家だった若い頃とを見事に演じ分けている。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)以来の快演といっていいのではないか。過去のパートで彼女と共演する子供時代のヴィクターを演じる、ジョナ・ボボ少年の表情もいい。特に、彼ら母子がいっしょにインスタント写真を撮る場面がムチャクチャ素晴らしい。今思い出しても涙が出るくらい素敵なシーンだ。

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 主人公にとんでもない「協力」を申し出るヒロイン・ペイジを演じるのは、『トレインスポッティング』(1995)のケリー・マクドナルド。物語の終盤で強烈なサプライズを仕掛ける非常に難しい役柄を、誠実さと真実味に溢れた演技で完璧にやってのけた。ともすればエキセントリックに偏りがちなキャラクターながら、デリケートな表情芝居と、チャーミングな声質を活かして、魅力的な人物像に仕立てている。ナイスキャスティングだ。元々はスコットランド出身の女優さんなのだが、本編の台詞回しだけ聞いたらまったく分からない。でもメイキング映像では完全にスコティッシュ訛りだった。

 主人公の気のいい友人を演じるブラッド・ウィリアム・ヘンケの好演、助演ながら大胆な艶技を披露する女優陣、ビジュー・フィリップス、パス・デ・ラ・フエルタ、ジリアン・ジェイコブズ、アリス・バレット・ミッチェルらもそれぞれにいい味を出している。監督クラーク・グレッグも儲け役を嬉々として演じていて、後半の爆笑&号泣必至のとある場面など、ちょっと憎たらしいほどである。また、セックス依存症のカウンセリング集会の場面で、いきなり『キャバレー』(1972)のジョエル・グレイが出てきて驚かされた。オーディオコメンタリーによると、なんでも監督の義父らしい……ってことは、この監督の奥さんって『ダーティ・ダンシング』(1987)のジェニファー・グレイか!

▼監督のクラーク・グレッグ(左)と原作者のチャック・パラニューク(右)
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 アホな邦題はともかく、ちゃんと日本で紹介されたのは喜ばしいことだ。この映画を観て、チャック・パラニュークのファンが増えて、停滞中の邦訳が進んでくれたら、もっと嬉しい。

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原作本『チョーク!』(Hayakawa novels)
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