Simply Dead

映画の感想文。

『業』(1988)

『業』
原題:업(1988)
英語題:Karma

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 イ・ドゥヨン監督の時代劇ジャンルにおける集大成ともいえる秀作。舞台は17世紀の李氏朝鮮。人々が疫病の脅威におびえる中、地域一帯を治めるホ当主はまじないや迷信の類を嫌い、厄除け作りを生業とするクサン夫婦を捕えて詰問する。禁止された厄除けを村人たちに配った夫は、凄まじい拷問の末に去勢され、妻はその美しさが仇となり、当主の妾にされてしまう。しばらくして、心身に異変を感じ始めた当主は、それがクサン夫婦のかけた呪いであると知り、逃亡したふたりを探しだして殺してしまうのだが……。

 本作には、過去にイ・ドゥヨン監督が『ムルドリドン』(1979)、『避幕』(1980)、『内侍』(1986)といった時代劇作品で描いてきた様々なモチーフが散りばめられている。人々の生活と密着した土俗信仰、権力による暴力と抑圧、閉鎖的社会における愛憎と欲望、土着的エロティシズム、そして超自然現象の肯定。『業』というストレートな題名を冠した本作では、いつの世にも民衆の生活や文化を踏みにじる権力の横暴さを痛烈に批判しつつ、階級差などに関係なく、あらゆる人の生を平等に絡め取る「業」の恐ろしさを容赦なく描いている。ハンセン氏病にかかって顔半分が爛れた当主が、半狂乱で雪の中をひた走る、無常観に満ちたラストが鮮烈だ。

 実に救いのない物語だが、その語り口はパワフルかつエモーショナルであり、決して暗鬱とするだけの内容ではない。映画の中盤、真夜中の屋敷で当主が正妻と妾(ヒロイン)の間を行き来するシークェンスは、艶笑喜劇的なユーモアで息抜きさせつつ、のちの不穏なドラマ展開にも繋げるという巧みな作り。その後、ムーダンの祈祷によって当主の家族にかけられた呪いが暴かれるサスペンスフルな展開や、ハンセン氏病で両脚を失ったクサンが兵士たちを相手に繰り広げるハンディキャップ・アクションにも息をのむ。見事なロケセット、カラフルな衣装など、時代劇ならではの風格溢れる画作りも見どころだ。

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 主演は、イム・グォンテク監督の『シバジ』(1986)などで注目を集め、80?90年代のトップ女優として活躍したカン・スヨン。本作では『避幕』のユ・ジインにも通じるシャーマン的資質を備えたヒロイン像を凛々しく、したたかさも匂わせながら演じている。終盤で彼女が見せる「決死」の表情の美しさは忘れがたい。そして、物語的には悪の権化でありつつ人間くさい脆弱さも秘めたホ当主を、名優ナムグン・ウォンが力演。さすがの貫禄を見せつける。

 撮影のソン・ヒョンチェは、イ・ドゥヨン監督とは2作目『お宅のパパもこうですか?』(1971)から組み続けている常連スタッフ。共同脚本のユン・サミュクは、『最後の証人』(1980)や『クレイジー・ボーイ』(1985)など、数々の作品でイ・ドゥヨン監督とタッグを組んできた名パートナー。現在のところ、これが最後のコンビ作だ。
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『鬼火山荘』(1980)

『鬼火山荘』
原題:귀화산장(1980)
英語題:The Haunted Villa

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 イ・マニ監督の傑作『魔の階段』(64)を下敷きにした、幽霊ホラーに限りなく近いスリラーとでもいうべき恐怖映画。この作品が作られた1980年、監督のイ・ドゥヨンは『最後の証人』『傘の中の三人の女』『避幕』と立て続けに傑作を連発し、まさに絶頂期を迎えていた。本作『鬼火山荘』もまた同じレベルの傑作……というわけではないが、その卓抜した演出力と作家性が存分に発揮されたフィルムであることは間違いない。泥臭さと垢抜けなさでは他の追随を許さない、80年代以前の韓国ホラー映画ジャンルにおいても、イ・ドゥヨン演出独特のシャープネスは健在である。

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〈おはなし〉
 世界的注目を集める外科医であり、よき家庭人でもあるハン医師(ナムグン・ウォン)。ある晩、彼はふとした出来心から看護婦のキョンア(キム・ユンミ)と肉体関係を持ってしまう。妊娠した彼女は、ハンに今の奥さんと別れて自分と結婚してほしいとせがむ。だが、ハン医師は妻の両親から病院の院長職を任されたばかりで、当然のごとく聞き入れようとしない。

 するとキョンアは彼の別荘に住み込み、ハンの妻とも懇意になって、家庭生活にまで踏み込んでくるように。彼女の「愛情表現」はだんだんと脅迫じみた言動となってハンを苦しめる。ある夜、言い争いの末に激昂したハンが、思わずキョンアの体を突き飛ばすと、頭を打った彼女はそのまま動かなくなってしまった。慌てたハンは、キョンアの体を運び出し、別荘の井戸の中に投げ込んでしまう……。

 次の日から、ハンの周辺で奇怪な出来事が起こり始める。剃刀を研ぐ不気味な音と共に、死んだはずのキョンアが至るところに姿を現し始めたのだ。ハンは心身共に追いつめられ、ついに重度のノイローゼに陥ってしまう。彼女は生きているのか、それとも……?

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 イ・ドゥヨン監督は、主人公をおびやかすのが幽霊なのか人間なのかという境目を、敢えて曖昧に(辻褄さえも合わせずに)処理し、観客に鮮烈な驚きを与える。真夜中の病院で、実体のない幽霊もしくは幻覚と思われた女が、剃刀でズバッ! と主人公の背中を切り裂くシーンは、けっこう衝撃的だ。しかも、その動作は異様なまでに機敏。さすが、幽霊を描かせてもアクション派なんだ! と妙に納得させられる。

 キョンア役のキム・ユンミは、冷たく神経質そうな表情が実に恐ろしくも魅力的で、まさにハマリ役。後半では神出鬼没の女幽霊(?)として登場し、怖いというよりも、だんだんカッコよく見えてくる。ハン医師を演じるのは「韓国のグレゴリー・ペック」とも謳われる名優ナムグン・ウォン。マッチョ系ハンサム男優の代名詞的存在である彼が、本作ではひたすら子鹿のように怯えまくるのがおかしい。

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 主人公が体験するのは、まさに男性にとっての悪夢そのものだ。当時の韓国ホラーは完全にポルノと同じくくりで、成人男性向けの低級な娯楽として作られていた(ゆえに、女性が観たら怒り出すような「男に甘い」結末が用意されているのも、むべなるかな)。世の男どもの背筋を一瞬ゾッとさせ、日々の反省を促すという、現在では失われてしまったジャンルの産物である。

 とはいえ、この映画における男女観は、悪い意味で伝統的な男尊女卑思想に裏打ちされた他の韓国ホラー映画のそれとは、やや一線を画しているように思える。

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 心理スリラーとしての色彩も強い本作では、男らしさの塊のようなナムグン・ウォンが、みじめなまでに追いつめられていくさまが、丹念かつ冷徹に映し出される。つまり、男性優位主義の徹底的な破壊・無力化である。その一方で、復讐の鬼と化したヒロインの非人間的な暴れっぷりや表情を、どこか痛快なものとして描いている。こういった感覚は、古色蒼然とした「女の恨」を描くことに終始しがちな80年代以前の韓国ホラーのなかで、なかなかお目にかかれないものだ。映画のラストカット、カメラに向かって投げキッスをする彼女のストップモーションに、大げさな警報音が被さるという演出には、「そこのアンタも気を付けなさいよ」という男性陣に対するメッセージと共に、「女の怖さ」に軍配を上げる女性寄りのユーモアが滲んでいる。

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 まあ、小難しい話はさておき、本作はスリージーなB級ホラー映画としても十分に楽しめる“良心作”だ。ライティングや美術などによって、画面の随所に毒々しい原色があしらわれ、たいへん分かりやすい怪奇映画ムードが全編に横溢。特に目を引くのが、院長室に置かれた色つきセロハンを張った衝立だ。もはや美術というより立派な撮影機材である(要するに、でっかいカラーフィルター)。もちろん、ちゃんとそれが剃刀でビリビリビリーッと切り裂かれる場面も用意されている。

 そして、イ・ドゥヨン監督のトレードマークである切れ味鋭いカッティングが、本作ではショック演出として見事に応用されている。死んだはずの女の幻影が、幾度も現れては消え……という一連のシークェンスで見られる、非常に細かく巧みなショット構成は、まさにイ・ドゥヨン印のワザモノ。その切れ味は、韓国怪談映画の古典『月下の共同墓地』(1967)のクライマックスも想起させる。

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 切れ味といえば、剃刀というアイテムをここまで巧みに用いたホラー映画もないのではないか? ヒロインの幽霊(幻影?)が初めて登場する床屋のシーンは特に秀逸だ。やつれ気味の主人公が、理髪師の女性に髭を剃ってもらっていると、彼女の姿がパッとヒロインの姿にすり替わる。そして叫び声も上げられぬままに、喉元や目元を剃刀の刃が撫でていく……そのクロースアップ・ショットを積み重ね、神経に障るような鋭利な恐怖を巧みに煽っていくのだ。趣向としては目新しくないが、その見せ方は抜群にうまい。

 また、先述した真夜中の病院でのアクティブな襲撃シーンでは、剃刀の刃が風を切る「ビュッ」という音が、聴覚から観客を戦慄させる。剃刀を研ぐ「シャッシャッシャッ」という音も、主人公を精神的に追いつめていくノイズとして随所に仕掛けられ、強烈なインパクトを刻みつける。この映画を観た人は、しばらくその音が耳から離れないはずだ。

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 イ・ドゥヨン監督はその後『おかしな関係』(1983)という作品で、本作と同様「死んだはずの女が、男の幸福な家庭生活を崩壊に導く」というストーリーの変奏を試みている。こちらはホラーというより、スリラー+メロドラマ+ブラックコメディといった趣の、ちょっと風変わりな作品だった。また、本作の脚本を書いたパク・チョルミンは、イ・マニ監督の『魔の階段』から多大な影響を受けているらしく、シナリオデビュー作の『白髪の娘』(1967)や、タイトルからして似ている『魔の寝室』(1970)も、やはり本作と似たようなストーリーラインをもつホラー映画であるらしい。ちなみに『魔の寝室』の主演もナムグン・ウォンである。

 「TRASH-UP!! vol.3」の韓国ホラー映画特集でこの映画について紹介した時は、現物を入手することができず、あとになって映画評論家の龍熱さんにビデオをお借りして、やっと観ることができた。もう想像以上の内容で、ムッチャクチャ感動した(龍熱さんありがとうございます!)。現在では、KMDB VODでノートリミング・ノーカット版の本編が配信されており、比較的簡単に観ることができる。終盤の謎解き部分が多少強引で分かりづらいところもあるので、ぜひ字幕つきで再見してみたい。

・KMDB
『鬼火山荘』作品紹介ページ
『鬼火山荘』動画配信ページ
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『生死の告白』(1978)

『生死の告白』
原題:생사의 고백(1978)
英語題:Confession of Life or Death

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 そんなわけで、現在は今秋発売の「TRASH-UP!! vol.7」に向けて、韓国映画界の巨匠イ・ドゥヨンの研究に没頭中。なんせ監督作が全部で60本という人なので、今まで書いた記事のなかでいちばんの大物になることは必至。さすがにひとりでは無理なので、知り合いのライターさんにも参加してもらって全作品解説を鋭意作成中なのだけれども……心が折れそうです……。

 さて、本作『生死の告白』は、イ・ドゥヨン監督のフィルモグラフィーのちょうど真ん中にあたる30本目の作品で、軍事政権時代の韓国で頻繁に作られていた「反共映画」の1本。反共映画とは、戦争映画やスパイ映画など様々なフォーマットを用いて、北朝鮮に代表される共産主義国を批判し、ついでに民主主義の素晴らしさを謳い上げたりするプロパガンダ映画のこと。こうした国策映画を撮ると、政府から製作会社に援助金が出たため、韓国の映画監督は必ずこの手の作品を撮っていた。本作もまた、北朝鮮から潜入したスパイが改心して南側に転向するという、立派なプロパガンダ映画である。

 とはいえ、この頃のイ・ドゥヨンは演出家として脂が乗りきっており、政府のお達しで作られた反共映画であっても手を抜くことなく、非常に見どころの多い娯楽作に仕上げている。トレードマークであるハイテンポで歯切れの良いストーリーテリング、剃刀のようにシャープな編集テクニックも健在だ。

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〈おはなし〉
 孤児の少女ヨンオク(ユ・ジイン)は、障害をもった弟の教育費を稼ぐため、地下鉄でスリをはたらいていた。ある日、彼女は寂しげな中年男チャンドゥク(パク・クニョン)と出会い、いつしか心を通わせ合うようになる。だが、彼の正体は北朝鮮のスパイであった。自らの任務に疑念を抱き始めていたチャンドゥクは、罪を悔いて再出発を誓うヨンオクの姿を見て、自身も警察への出頭を決意。彼はヨンオクたち姉弟が報償金を受け取れるよう、自分を密告しろと促すのだが……。

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 映画は、主人公が逮捕されるくだりを起点として、ヒロインの証言と主人公の回想という、ふたつの異なる視点から過去の経緯を描いていく。そのミステリー仕立ての語り口が、非常に巧みで魅力的。また、孤独な男と少女の交流、そして両者の再生のドラマという「型」をうまく使って、転向者の物語をヒューマニスティックに描くことにも成功している。

 スパイとしての使命感を見失い、苦悩に陥っていく男の心理ドラマとしても、説得力がある。葛藤に苛まれる主人公がひたすら床の上をのたうち回るシーンや、夢の中で引き裂かれたアイデンティティと対峙する場面などは、ちょっと圧巻だ。その一方で、北朝鮮からやってきたばかりの新米スパイである主人公が、大都市ソウルの繁栄ぶりと人々の豊かな生活を目の当たりにして混乱を来していくという見せ方は、いかにもプロパガンダ的ではある。それでも、あざとくなる一歩手前で次の展開に移行する演出が、ものすごくうまい。

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 随所に表れるイ・ドゥヨンならではの活劇的センスも魅力で、まずオープニングからして素晴らしい。キム・ヒガプ作曲による『007』調のタイトル音楽にのせ、教会の鐘楼から今しも飛び降りようとするヒロインの姿が、ダイナミックなクレーン撮影で捉えられる……これを観てワクワクしない観客がいるだろうか? 前半の密告電話と逮捕シーンのカットバック、中盤の雪の公園内での要人暗殺未遂から銃撃戦へと畳みかけるシークェンスの歯切れよさにも唸らされる。イ・ドゥヨンの卓抜した職人的演出がたっぷりと味わえる快作だ。

 お約束のハッピーエンドには多少の投げやり感があるものの、一方ではおそらく主人公の家族が処刑されることを示唆するハードな後味も残している(字幕のないビデオで観たので、ちょっと解釈に自信がないけど)。ヒロインを演じるユ・ジインの可憐な美しさ、チャン・ドンゴンを思わせる風貌の主人公パク・クニョンの好演も印象的だ。

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 こういう映画を観てしまうと、「70年代は韓国映画にとって不遇の時代」という定説が、一部の作品に関してはぜんぜん通用しない言葉であると思えてくる。確かに抑圧的な軍事政権下での映画作りは、まったく不遇としか言いようのない窮屈なものだったろう。だが、限られた題材、厳しい表現規制といった条件のもとでも、才能のある監督たちは立派に豊かな映画表現をしていたのだ。イ・マニしかり、ハ・ギルジョンしかり、イム・グォンテクしかり。1970年に監督デビューし、10年間でヴェネチア映画祭受賞監督へと成長したイ・ドゥヨンも、その代表選手のひとりと言えるだろう。

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