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Simply Dead

映画の感想文。

『渇き《拡張版》』(2009)

『渇き《拡張版》』
原題:박쥐 ?확장판?(2009)

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 現在、日本でも絶賛公開中のパク・チャヌク監督最新作『渇き』。映画の詳しい内容や、いかに素晴らしく面白い傑作であるかということについては雑誌「TRASH-UP!! vol.5」に書きつくしたので、ここでは割愛する。今回は、先頃リリースされたばかりの韓国版DVDに収録された《拡張版》、カタカナで書くところのエクステンデッド・バージョンについて紹介したい。

 バンパイアとなった神父の苦悩を描いた『渇き』は、パク・チャヌク監督が10年間にわたって温め続けてきた夢の企画であり、監督自身も「最も愛着のある作品」と公言してはばからない入魂の1作である。ゆえに編集段階では相当悩んだらしく、多くのシーンをカットせざるを得なかったという。そのうちのいくつかの削除パートを復活させたのが、この拡張版だ。日本でも上映されている劇場公開版は133分だが、こちらは145分と、約10分ほど長い。これはオレが中身を確かめずに誰が確かめるんだ! という使命感(?)のもと、さっそく観てみた。

(ここから先は、すでに映画をご覧になった方だけ、お読みください)

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『審判』(1999)

『審判』
原題:심판(1999)

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 パク・チャヌク監督が『3人組』(1997)と『JSA』(2000)の間に撮った、白黒パートカラー・26分の短編映画。病院の霊安室を舞台に、ある身元不明の若い女性の遺体をめぐって、ブラックな笑いに満ちた群像劇が展開する。この作品こそ、現在に至る監督の作風を決定づけた重要な一編なのではないだろうか。他の長編作品にも引けをとらない、隙のない傑作だと思う。

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〈おはなし〉
 地震によるデパート崩落事故で亡くなった若い女性の遺体が、病院の霊安室に安置されている。顔や体の損傷が激しく、身元が判別できない状態だったが、ある夫婦(コ・インベ、クォン・ナミ)が「数年前に家出した自分たちの娘だ」と名乗り出てきたことで、一件落着した……はずだった。

 TVレポーター(チェ・ハンナク)ら取材班の立ち会いのもと、変わり果てた娘の遺体と対面する夫婦。すると突然、霊安室の職員(キ・ジュボン)が「これは俺の娘だ!」と言い出す。そこから、証拠の古傷を探せだの、DNA鑑定をしろだの、喧々囂々の押し問答がスタート。事故担当の公務員(パク・チイル)はなんとか事態を収拾しようとしながら、互いに主張を譲らない彼らに訊ねる。「どうしてあなた方は、この遺体が自分の娘だと言い張るんですか? 普通の親なら、どうか他人であってほしいと願うはずなのに」。TVのニュース番組では、崩落事故で肉親を喪った遺族は多額の賠償金を受け取ることができると報じていた。

 やがてTVレポーターと担当公務員までが諍いを始め、事態はさらに混沌の度合いを増していく。そこに、ひとりの若い女性(ミョン・スンミ)が現れたことから、意外な新展開が……。

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 物語のモチーフとなっているのは、1995年にソウル市内で起きた「三豊百貨店崩落事故」。ある日、買い物客で賑わうデパートの建物が突然崩壊し、死者502人・負傷者937人・行方不明者5人という凄まじい数の犠牲者を出した大惨事だ。高度経済成長期に行われた手抜き工事が原因の大事故として、1994年の「聖水大橋崩落事故」と並んで韓国国民の間では生々しく記憶されている。キム・デスン監督の『ノートに眠った願いごと』(2006)も、この事件を下敷きにしていた。

 この『審判』では、物語の合間に実際のTVニュース映像を挟み込み、当時の韓国社会を覆っていた不安を効果的にフラッシュバックさせる。そこにはデパート崩落事故現場の惨状だけでなく、竜巻などによる自然災害、新興宗教の大規模な集会といった「不穏なイメージ」も含まれている。犠牲者への鎮魂歌にも聴こえるピアノの調べとも相まって、やや社会派作品のような先入観をもって見始めてしまいかねないが、パク・チャヌクが描くのはもっとパーソナルな人間の性=欲望と嘘と猜疑心がぶつかり合う残酷なゲームだ。

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 賠償金を手に入れるために良心を捨て、平気で嘘をつき続ける人々。事態を丸く収め、面倒事を回避することにしか関心がない役人。行政の失策を吊るし上げようと、面白がって火に油を注ぐジャーナリスト。そして、人々の食い物にされながら黙って横たわり続ける女性の死体……。実に不謹慎でアンモラルな物語でありながら、泥臭さや嫌味ったらしさのない、スマートで味わい深い密室群像劇として完成されている。そのクールな語り口と見事なキャラクター描写、緻密な空間演出は『しとやかな獣』(1962)ばりの見事さ、などと言ったら大袈裟かもしれないが、前2作の野暮ったさが嘘のような洗練ぶりであることは確かだ。ひんやりとした霊安室の空気感を伝えるかのような、硬質のモノクローム映像がもたらす効果も大きい。

 悲劇性と喜劇性が入り混じるダークなユーモア感覚も冴え渡っている。顔の潰れた遺体の横で、自分に似ていることを証明しようと男ふたりが顔を並べている画のバカバカしさ、そしてギョッとするほどの悪辣さは、まさにパク・チャヌクの真骨頂だ。その一方では落ち着いたトーンで全体を統一する抑制力も身につけており、後年の作品に継承されていく作風がここで確立されたような印象を受ける。

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 味のある俳優陣のアンサンブルも、本作の見どころ。中でも絶品なのが、霊安室の職員を演じたキ・ジュボン。勤務中でも飲んだくれ、遺体と一緒にビールを冷やしているようなデタラメ中年を見事に怪演し、大いに楽しませてくれる。劇団の座長でもある大ベテランで、『復讐者に憐れみを』(2002)では、自分を解雇した社長ソン・ガンホの前で割腹パフォーマンスをする技師を演じていた。また、夫婦役のコ・インベとクォン・ナミも素晴らしい。怪しくもあり、本物らしくもあるという微妙なニュアンスを巧みに表現している。おどおどした夫を演じるコ・インベが終盤近くで見せる“父親の顔”は忘れがたい。

 元カソリック信者であるパク監督がラストに用意する「審判」にも、やはり独自のシニシズムが発揮されている。明らかに罪を免れてもいい人間が「天罰」に巻き込まれる一方、結果的に嘘を暴くきっかけとなった者が見届け人として生き残るあたりが実に意地悪で、神の御業=大雑把な上に性格が悪いという神学的考察も汲み取れる(?)秀逸なエンディングだ。ちなみに映画はここだけカラーになり、その変化も観る者に鮮烈なインパクトを与える。

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 日本ではいまだに紹介されていないのが残念だが、30分もない短編作品なので、youtubeなどの動画サイトで探せば観ることができる。海外ではソフト化もされており、以前は『オールド・ボーイ』(2003)の韓国版リミテッド・エディションDVDに映像特典として収録されていた(現在は絶版)。最近、イギリスで発売された短編アンソロジーDVD「Cinema 16 -World Short Films-」には、ギレルモ・デル・トロやアルフォンソ・キュアロン、シルヴァン・ショメといった監督たちの作品と共に、本作『審判』も収録されている。

 実は短編の名手でもあるパク・チャヌクの手腕を知りたければ、オムニバス映画『もし、あなたなら/6つの視線』(2003)の一編『NEPAL ?平和と愛は終わらない?』もお薦め。個人的には『復讐者に憐れみを』と並ぶ最高傑作ではないかと思っている。

・Amazon.co.uk
DVD「Cinema 16 -World Short Films-」(英国盤・PAL)
(『審判』『老婦人とハト』『パン屋襲撃』ほか16本の短編を収録)


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『3人組』(1997)

『3人組』
原題:3인조(1997)

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 パク・チャヌク監督がデビュー作『月は…太陽の見る夢』(1992)から5年後に撮り上げた長編第2作。社会に居場所のない3人の男女がひょんなことから結託し、警察や暴力団を敵に回して逃避行を展開するロードムービー風アクションコメディ。数年前に東京国際映画祭で初めて観た時は、とても次に『JSA』(2000)を撮る人とは思えないフラットな画作り、臆面もないB級志向、『復讐者に憐れみを』(2002)のタイトで計算された物語構成とは真逆の行き当たりばったりなストーリーテリングに、えらく驚かされた覚えがある。まあ、はっきり言って「こんなにつまらない映画も撮っていたんだ!」という印象だった(ちょっと寝たし)。

 しかし、そのうちに本作が様々な面で「過渡期」の作品であることも分かってきた。スタイリッシュな映像演出を追求して失敗した前作『月は…太陽の見る夢』の反動として撮られた作品であること、アベル・フェラーラに心酔する映画狂の友人イ・フンからの多大な影響を受けた後に作られた作品であること、何より画作りにまったく金のかけられない低予算映画であったこと、などなど……。今ならまた違った視点で観ることができると思い、韓国版VHSで数年ぶりに再見してみた。

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〈おはなし〉
 三流ナイトクラブでサックスを吹いている男アン(イ・ギョンヨン)は、金銭的事情から楽器を質屋に入れてしまい、家に帰れば妻が娘をほったらかして浮気の真っ最中。絶望したアンは衝動的にガソリンをぶちまけ、家に火を放って逃亡。手首を切ろうとしたり、ビニール袋を被ってみたりして何度も自殺を試みるが、いつも失敗してしまう。

 やっと首吊りに成功しかけた時、アンはヤクザ時代の後輩ムン(キム・ミンジョン)に呼び出され、カフェで落ち合う。軽薄で癇癪持ちで後先考えない男であるムンは、チンピラ稼業に嫌気が差し、組織から大量の銃器類を奪って逃げてきたところだった。ウエイトレスの態度にキレた彼は突然マシンガンを乱射し始め、アンに強盗を手伝わせる。瞬く間に警察と暴力団の双方に追われる身となるふたり。

 逃げる途中、カフェにいたウェイトレスのマリア(チョン・ソンギョン)も彼らに合流する。彼女はかつて修道女になろうとしていたが、養父に犯され、その子を産んだために夢を閉ざされてしまった。施設に引き取られた娘を取り返そうと、アンとムンに協力を請うマリア。こうして危険な3人組の旅が始まった……。

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 久しぶりに観てみると、意外に面白く思える部分も多かったものの、やっぱり失敗作という印象は拭えなかった。テンポよくドライな語り口、作品全体を貫く底意地の悪さ、すっとぼけたユーモア、キリスト教のモチーフなど、その後のパク・チャヌク作品に通じる要素はかなり色濃く出ている。しかし、それとは真逆の、パク・チャヌク作品とは思えないような荒削り感や乱暴な構成のおかげで、まるで別人が撮ったような印象を受けるのだ。

 映像的には「常に簡素であれ」というBムービー精神にのっとるかのように、素っ気なく乾いた質感が保たれており、前作『月は…太陽の見る夢』の方向性とは真逆の「スタイルの模索」が感じられる。とはいえ、部分的には凝った映像テクニックで遊ぶ余裕も見せていて、銃弾で撃ち抜かれた掌の穴から主役3人の顔にズームしていくサム・ライミ風のカットまである。が、どこか心にもなく無理やりハシャいでるように感じてしまうのは気のせいだろうか。

 本作では全ての事件が矢継ぎ早に、ものすごいスピードで起こっていく。妻の浮気に絶望した男が家に火をつける突発的行為、喫茶店で突然に始まる無軌道な銃撃戦、ほとんど感情的な前置きなしに始まる3人のロードムービー、唐突に連れ去られる赤ん坊の奪還劇……。それらは、パク監督の友人で映画監督でもあるイ・フン(デビューして間もなく、カフェで起きた火事に巻き込まれて世を去った)が好んだ「暴力もアクションも、とにかく“さっ”とやるべし」というセオリーの実践にも見える。だから前半はとても面白い。ただ、そういったB級映画的に無駄を省いた演出は、ともすれば「無感情」に見えてしまうこともあり、そんな調子で劇的な急展開がたびたび続くと、観客としてはだんだん「どうでもいいなあ」と思ってしまうものだ。しかも本作の場合、終盤になると「3人組」のドラマすらも解体され、視点が拡散してしまい、ダメ押し的に観客の集中力を奪っていってしまう。結局、ビデオで観ていてもやっぱり途中で寝てしまった。

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 一見するとオフビートなB級アクションコメディのようでありながら、その根底には自殺願望、近親相姦、家庭崩壊、暴力の連鎖、罪と救済といったヘヴィーなテーマが散りばめられ、前作よりは監督の好みがダイレクトに反映されていると言えるだろう。しかし、それらがスピーディーな犯罪ドラマのストーリー上で活きてくるかといえば、残念ながら消化不良に終わっていくのみ。小粋なアクションコメディとして観るには深刻すぎるし、ダークな人間ドラマとして観るには掘り下げが浅く、総体的に見てバランスが悪い。アウトサイダーたちの繰り広げる「おもしろうてやがてかなしき」逃走=闘争のドラマに熱中しようとしても、登場人物たちの魅力があまりに乏しく、終始何を考えているのか分からないため、感情移入を阻まれてしまう。全ての映画に感情移入が必要だとは思わないが、この物語には必要だったのではないだろうか。(イ・ギョンヨン演じる自殺願望を持った主人公アンは、たびたび監督そっくりに見える瞬間がある)

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 本作が異色なのは、劇中のバイオレンス描写のほとんどが、銃によるものであること。パク・チャヌク作品のトレードマークとなっていく肉体的暴力へのこだわりは、無邪気なB級趣味の陰に隠れて、まだ発現していない。とはいえ、通奏低音として全体に流れる暴力的なムードは、コメディとしての体裁をおびやかすほどの不穏さで観客に迫ってくる。

 ラストシーンに漂う死の気配の濃密さはただごとではない。『復讐者に憐れみを』の劇中、ソン・ガンホ扮する父親がずぶぬれになった娘と対面するシーンの原点とも言える、冷たい戦慄と温かいユーモアの同居した演出がすでにここで実現されている。いかにもパク・チャヌクらしい場面といえるのだが、それが映画全体の締めくくりとしてバランスよく機能しているかというと、首をひねらざるを得ない。軽い後味で終わるべきBムービーとしてはあまりに陰惨で、その場面だけ取り出せばうまくまとまっているかもしれないが、全体の中では見事に浮いてしまっている。

 言ってしまうと、この映画はそういう場面の連続だ。「こういう乱暴で変テコな映画があってもいいんじゃないか」という若者の主張みたいなものはハッキリと伝わるのだけど、作り手に全体像が見えていない感じがモロバレというか、悪い意味でヌーヴェルヴァーグ的というか……。作り手の「資質」と「憧れ」の激しい乖離によって、ことごとくバランスが崩壊しているのである。

 それでも、こういう荒削りな映画が好きな人もいるんじゃないだろうか、という感じも受ける作品ではある。パク・チャヌク監督のファンとしては、映画自体の中身と同様、やや優柔不断な態度をとらざるを得ない「問題作」だ。ちなみに、本作には『相棒/シティ・オブ・バイオレンス』(2005)や『タチマワ・リー/悪人よ、地獄行き急行列車に乗れ!』(2008)などのリュ・スンワン監督が、助監督として参加している。彼にとってはこれが初の商業映画の現場経験となり、そういう意味で記念すべき作品ではある。

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