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Simply Dead

映画の感想文。

『ピョンテとヨンジャ』(1979)

『ピョンテとヨンジャ』
原題:병태와 영자(1979)
英語題:Byeong-tae and Young-ja

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 溜め息の出る傑作。観ている間、ただひたすら「いい!」という言葉しか出てこない至福の名画。これが遺作となったハ・ギルジョン監督の素晴らしい演出が全編にきらめく、青春恋愛コメディの名作だ。

 本作は大学生たちの破天荒な青春を描いたヒット作『馬鹿たちの行進』(1975)の続編として製作された。監督は引き続きハ・ギルジョンが務め、原作・脚本も同様にチェ・イノが担当。前作のラストで兵役に就いた主人公ピョンテと、恋人のヨンジャが結婚するに至るまでの波瀾万丈のドラマを、急速な変化を遂げる70年代末のソウルを背景に、コミカルに瑞々しく描いていく。

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〈おはなし〉
 主人公ピョンテ(ソン・ジョンファン)が兵役に就いてから3年。除隊まであと2ヶ月という時、恋人のヨンジャ(イ・ヨンオク)が基地を訪れる。彼女は近々、親の決めた許嫁の若い医師と結婚するというのだ。しばらくしてヨンジャは大学を卒業し、銀行に就職。除隊したピョンテは大学に戻る。別々の道を歩もうとする二人だったが、やはり互いを想い合う気持ちは強く、いつしか彼らは再び愛を育んでいく。

 猪突猛進型のピョンテは、さっそくヨンジャの叔父に結婚を許してほしいと直談判。自分の家族にもヨンジャを会わせ、強引に了解を得る。彼女の愛を勝ち取って有頂天になるピョンテ。しかし、土壇場でヨンジャは惑い、悩んだ末に許嫁との将来を選んでしまう。

 どうしてもヨンジャを諦めきれないピョンテは、彼女の婚約式当日、許嫁のチュヒョク(ハン・ジニ)のもとを訪ね、男の賭けをしようと申し出る。チュヒョクは「ここから先に婚約式場に辿り着いた者が、ヨンジャの愛を勝ち取ることができる」と提案し、さっさと車に乗り込んで会場に向かってしまった。そのあとを、必死で走って追いかけるピョンテ。はたして勝負の行方は……?

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 とにかく、語りの上手さには舌を巻く。快いテンポの良さがあり、情緒的シーンの確かな構築力があり、絶妙なカットバックによるサスペンス醸成があり、クライマックスには溢れる疾走感とスリルがある。ハ・ギルジョン監督作品では、他に『ハンネの昇天』(1978)という難解なドラマしか観ていなかったので、本作のひたすら快活で澱みない語り口には、ちょっと度肝を抜かれた。

 タイトルロールの二人に向けられる視線には、監督の「人間存在への愛情」ともいうべき温かさと優しさが充ち満ちている。若き日の藤田まことを思わせるような三枚目ソン・ジョンファン扮するピョンテ、都会的で品のある美しさを放つ美人女優イ・ヨンオクが演じるヨンジャ、どちらもすこぶる魅力的だ。特に、ピョンテのことを離れて想うときのヨンジャの笑顔が本当に素晴らしい。恋する女性の可愛らしさをこんなに見事に描いたアジアの男性監督が、当時どれだけいただろうかと思ってしまう(まあ、それも男目線かもしれないけど)。ピョンテのキャラクター造形にもまた、本当は内気で繊細なくせにガサツに振る舞うある種の男の子らしさが見事に表現されていて、親しみを覚えずにはいられない。この三枚目と美女のカップルが、映画を観ていくうちにどんどん愛おしくなってくる。

 コメディとしてしっかり面白いところも、本作の魅力だ。いちばんの笑いどころは、やはりピョンテが自分の家族にヨンジャを紹介するくだりだろう。家族も彼女も気まずい空気に包まれてるのに「美人だろ、な? いい人だろ、な? な?」とはしゃぎまくるピョンテの姿がおかしい。そのあと、ヨンジャを嫁として認めるか否か、家族全員で民主的に投票するという展開になり、兄弟たちや母親をそれぞれ懐柔しようとするピョンテの奮闘ぶりも爆笑ものだ。ここで死んだ父親の遺影にいきなり怒鳴られるというファンタジックな場面が普通に入ってしまうところが、なかなかぶっ飛んでいてすごいと思った(前年の『ハンネの昇天』でスピリチュアルな題材にどっぷり浸った余韻だろうか?)。

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 音楽の使い方も抜群に上手い。映画の序盤では気の抜けるような70年代コメディ調のスコアが流れ、懐かしい気持ちでいっぱいにさせるが、そのうち洋楽やクラシックなどを異化効果的に配置した秀逸な演出を見せ始める。「えっ、腕相撲のシーンでその曲?」みたいな選曲が、非常にモダンで効果的なのである。

 特に強烈なのはクライマックス。主人公ピョンテが恋人のいる婚約式場へとひた走るシーンで、オルフの「カルミナ・ブラーナ」が流れ始めるのだ。曲を知っている人ならお分かりだろうが、とにかく問答無用にテンションの上がりまくる曲であり、どう考えてもラブストーリーのクライマックスに使おうとはあまり思わない重厚かつ迫力に満ちた楽曲である(しかも本作ではポップなドラムアレンジまでしている)。この曲が一躍有名になったのは『エクスカリバー』(1981)で使われて以来だが、本作はそれより2年も早い。さらにこの後、ピョンテが親戚一同の眼前でヨンジャをかっさらっていく『卒業』(1967)のパロディ的シーンにまで、もう一度「カルミナ・ブラーナ」が高らかに鳴り響くのだ。あまりの盛り上がりっぷりに爆笑させられつつ、ちゃんと映画的カタルシスをもたらすところにも感動してしまった。2度目でも新鮮に聞こえるよう、間に別の曲を挟みこむ音楽的計算も巧みだ。

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 本作はラブストーリーであると同時に、当時の時代背景を写し取ってもいる。韓国の若者にとって避けては通れない「兵役」というモチーフから始まる恋愛物語であり、その失われた時間を体現するかのようなソウルという街の急速的発展がそこはかとなく示唆される。そして終盤、延々と続く主人公ピョンテの疾走シーンは、恋愛映画としてのクライマックスでもありながら、同時に当時の変わりゆくソウルの景観を記録したフィルムノートでもある。ピョンテが駆け抜けるのは、ダイナミックな破壊と構築が繰り広げられている高層ビルや高速道路の建設現場だ。圧迫の70年代から解放の80年代へと向かおうとしていた韓国の、莫たる不安と希望の予感が、肥大する都市の混沌に重ね合わせられているかのようである。

 まあ、別にそんな難しいこと考えなくても、『ピョンテとヨンジャ』は青春ラブストーリーとして本当によくできた傑作だ。腹を抱えて笑えて、時にはホロリとさせて、2時間まったく飽きさせない良質の娯楽作である。残念ながら本作も含めてハ・ギルジョン監督の作品はDVD化などはされておらず、外国の映画ファンが観られる機会はとても少ない。韓国文化院の図書映像資料室では、上映用プリントからキネコしたノートリミング・日本語字幕つきのビデオを観ることができる(ただし、4/15?5/10は施設移転のため休館)。

 70年代、韓国映画界は軍事政権の厳しい統制下にあった。その中でハ・ギルジョンは反骨的態度でアグレッシブな作家活動を続け、期待の新星と目されていた。が、『ピョンテとヨンジャ』公開中の1979年2月、彼は38歳の若さで世を去ってしまう。その実弟ハ・ミョンジュンは、『ハンネの昇天』や『最後の証人』(1980)などに主演した俳優で、のちに兄の遺志を継ぐように映画監督となった。

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『低きところに臨みたまえ』(1981)

『低きところに臨みたまえ』
原題:낮은데로 임하소서(1981)
英語題:Come Down to a Lower Place

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 韓国ニューウェーブを代表する監督イ・ジャンホが手がけた宗教映画の秀作。牧師の息子として生まれ、神に反発してきた主人公の青年が、失明によって不幸のどん底に落ちながらも神の啓示を受け、最下層の人々と触れ合うことで自らも牧師になる決意をするという物語。無信仰者としてはやや納得できないところもある、呆れるくらいストレートなキリスト教賛美映画ではあるが、映画として面白いことは否定しようがない。佐藤忠男氏も「いいものはいい」と言っている。

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〈おはなし〉
 牧師である父からヨハンという名を授けられた主人公(イ・ヨンホ)は、その負担から逃れるため神や宗教から遠ざかり、いち社会人として自立を図る。愛する女性と結婚し、娘にも恵まれ、アメリカの米軍基地で韓国語教師として働くことも決まった。全てが順風満帆かと思われたのも束の間、ヨハンは原因不明の病にかかり、急激に視力を失い始める。内定を取り消され、粗末な家に家族と引っ越したヨハンは、友人のつてで女子校のフランス語教師の職を得る。が、ますます視力は低下し、ついには教職も辞してしまう。

 治療の甲斐もなく、盲人となったヨハン。妻子も去り、ひとり家に残された彼は、首つり自殺を試みるも失敗。その時、天から神の啓示が……。聖書に救いの言葉を見出し、再び生きる力を取り戻したヨハンは、家を出て町へと下る。様々な苦難や危険に遭いながらソウル駅へと辿り着いた彼は、そこを根城にする路上生活者や靴磨きの少年たちと出会い、交流を深める。彼らの温かい心に触れたヨハンは一念発起し、神学校への入学を目指すのだった。

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 自身も敬虔なクリスチャンであるイ・ジャンホ監督は、神への愛による再生のドラマを清々しいまでの率直さで描き、ひとつ間違えば嘘くさい説教話になりそうなストーリーを嫌味なく見せきっている。そこには社会の底辺を生きる貧困者層への絶対的シンパシーがあり、その苛酷な生活をありのままに描写する誠実さが、ストーリーに圧倒的な説得力を与えている。また、家族に障害者がいると世間体が悪いとする一般民衆意識も躊躇なく描かれ、アウトサイダーには厳しかった当時の社会状況もうかがえる。

 70年代の圧政下ではタブーとされていた韓国社会の現実に敢然と目を向け、なおかつ限りない優しさで「低きところに臨む」イ・ジャンホの演出には、嘘がない。同じように、宗教という難しい題材を扱っていても、作り手が自分に対して嘘をついていないことが映画を観ていて分かるのだ。なおかつ決して荘厳・重厚な演出にはせず、テンポのいい語り口と豊かなユーモアで、気のおけない庶民性を湛えた映画にしているところも好感が持てる。80年代テイスト溢れるライトな音楽も効果的だ。

 重いテーマと内容でありながら、人情ドラマとして味わい深く、どこか風通しがいい。そのバランス感覚は、同監督の傑作『暗闇の子供たち』(1980)にも通じるものがある。本作とは対極にあり、しかし求めるところは近いのが、イ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』(2007)だろう。一点の曇りもない信仰心で力強いドラマを作ってしまうイ・ジャンホ監督のような存在が、真逆の疑念や不信を軸に「神と人間の距離」を考察しようとする大きなモチベーションになったのかもしれない、とも思ったりした。

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 主人公ヨハン役で素晴らしい好演を披露しているイ・ヨンホは、監督の実弟。純真そうな瞳と笑顔が印象的な優男で、落ちぶれながらも人々に慕われていく心優しいキャラクターを説得力十分に演じている。本作は彼の映画と言っていい。家族の重圧に負けて夫ヨハンを見捨ててしまう妻を演じるのは、『暗闇の子供たち』で主演デビューしたナ・ヨンヒ。実を言うと、この映画を見たのも彼女目当てだった。『暗闇?』の鮮烈なヒロイン役に比べると出番も少ないし印象も薄いが、映画のラストを締めくくる重要な役である。ヨハンの父を演じるのは名優シン・ソンイル。主人公の同僚教師役で、アン・ソンギも顔を見せている。

 だが、何より印象に残るのは、ソウル駅周辺にたむろする貧しい人々の姿だ。病気の祖母と二人暮らしの少年が、いつか学校に通える日を夢みて学生服と教科書を買ってあるんだと主人公に語るシーンは、特に泣かせる。仲間の一人として両脚のない男性が登場するが、多分『暗闇の子供たち』にも出ていた人だと思う。

 ちなみにこの作品は韓国でも未DVD化。日本では韓国文化院の図書映像資料室で、日本語字幕つきのビデオを見ることができる。


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