Simply Dead

映画の感想文。

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『ザ・シンプソンズ MOVIE』(2007)

『ザ・シンプソンズ MOVIE』
原題:The Simpsons Movie(2007)

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 素晴らしかった! 長年の『ザ・シンプソンズ』ファンならきっと満足する出来。息もつかせぬギャグの波状攻撃はそのままに、おなじみのキャラクターたちの見せ場もふんだんに盛り込んで、まったく飽きさせない。まずあのタイトルがシネマスコープの大画面に映し出されるだけでも、ちょっと感動する。クリータスの出番がちょっと多いのが意外だった(笑)。

 物語のスケールは大きくなっているけど、印象的にはテレビシリーズの最良のエピソードを大画面で見ているような、いつもより「うっすらよくなってる感じ」にしてあるのが心地好かった。その気負いのなさが、いかにも『ザ・シンプソンズ』らしい。まあ、企画から10年もの歳月が費やされているからこそ、そんなスタンスにも至れたんだろうけど。

 とはいえ、レイアウトもカメラワークも作画も、劇場版ならではのデラックス仕様で、1カットごとに面白かった。何せアメリカではもはや最後といっていい2D劇場アニメになってしまったのだから、気合いが違う。『ミュータント・ニンジャ・タートルズ』の最新劇場版『TMNT』も3DCGで作られてしまったし、ディズニー久々のフルアニメ映画かと期待した『魔法にかけられて』も、途中から実写になる変わり球だった。そんな風潮のなか、『ザ・シンプソンズ MOVIE』は2Dアニメのよさをみっちり詰め込んだ作品として作られている。やっぱり作画はいいなあ、と思わせるような。もちろんデジタル技術もかなり大幅に導入されているが、主には複雑なカメラワークの場面などで、2D作画との融合を前提として使われている。あくまでも主役は2Dのキャラクターなのだ。中にはトゥーンシェーダーで作ったメカをそのまま出してるような無頓着なシーンもあるけど(笑)、力を抜くところは抜いて、こだわりすぎないところも『ザ・シンプソンズ』らしかった。

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 作画で特に印象的だったのは、冬の山中でホーマーが吹雪のなかをさまよう場面。ここはキャラがギャグをやるわけでもなく、ただホーマーがヨレヨレになって歩いているだけで観客を爆笑させてしまうという素晴らしいシーンで、ちょっと感動した。前半の「おじいちゃん教会で大狂乱」「バート全裸でスケボー」シーンもしつこくて楽しい。レイアウトもスコープサイズを活かした決め画が多く、映画を観ているなあという気分になる。特にクライマックスのアクション。映画のパロディばかりやってるからか、絵ごころがちゃんとあるスタッフが多いのだ。

 それにしても、アメリカでこれほど期待の大きかったアニメの映画化作品もないだろう。それだけに、参加した脚本家の数はハンパじゃない。ジョン・シュワルツウェルダーを始め、シリーズを支えてきたライター陣が軒並み名を連ねている。中でも、個人的に好きなデイヴィッド・マーキン(第5・6シーズンのプロデューサーとして活躍)の参加が嬉しかった。劇中のギャグは百発百中とまでは言わないまでも、かなり水準の高いものが凄いペースで繰り出されるので圧巻。腕利きスナイパーの連続射撃をくらっているような快感がある。それでいて清々しく感動させてもくれるし(まさかフランダースの台詞で泣くとは思わなかった)。DVDが出たら、ぜひスタッフコメンタリーつきで再見したい。誰がどのパートを書いたか気になる。

 ゲスト声優として有名スターがほとんど参加していないのにも驚かされる(グ○ーンデイとト○・ハン○スぐらいだ)。超人気タイトルの鳴り物入りの映画化なのに、あくまでベテラン声優陣の妙演をフィーチャーすることに重点をおいている。そこには、長年シリーズのレギュラーを務めてきた声優たちへの信頼とリスペクトがある。日本の配給会社みたいに知名度だけでタレントを起用して、レギュラーキャストを切り捨てるなんて真似はしないのだ。

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 何はともあれ、とても素敵な映画化だと思う。お祭り気分で、ぜひデカイ劇場で観てほしい。まずは原語で!

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CD『The Simpsons Movie : The Music』(輸入盤)

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『マッド探偵』(2007)

『マッド探偵』
原題:神探(2007)
英語題:Mad Detective

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 東京国際映画祭2007で日本初上映された、ジョニー・トー&ワイ・カーファイ監督チームによる新作。相変わらずひどい邦題つけるなぁ、と思ったら本当にキチガイ探偵が大活躍する話で、すっごく面白かった(いや、ひどい題には変わりないけど)。同監督チームが新機軸を切り開いた『マッスルモンク』(2003)の系譜に連なる、あまりにハチャメチャかつクールな傑作。

 主人公の元刑事パンは、天才的な推理力で多くの難事件を解決してきたものの、あまりに奇行が過ぎて警察をクビになった男。彼は相手の心に潜む鬼が見えてしまう……つまり二重人格者ならホントに2人いるように見える。この設定が秀逸。そんな彼が本作で戦う相手は、なんと七重人格! 容疑者を尾行するシーンでは7人の男女がゾロゾロ連れだって歩いてたり、車に乗れば7人がギュウ詰めになってたりといった、シティボーイズのコントかと思うようなスリリングかつバカな絵面が展開するのである。ちなみに気弱で食いしん坊な人格を演じているのは、当然のごとくラム・シュ。黒幕的人格(?)を演じるケリー・リンがやたらカッコよかった。立ちション・シーンまで辞さない女優魂も含めて。

 心に鬼が棲んでいるのは犯人だけではない。主人公にも存在しない妻の幻影がつきまとう。さらに自分の耳を警察署長の前で切り取ってしまったり、プロファイリングのために自分も山奥で生き埋めになったり、その狂いっぷりは筋金入り。映画の主人公として成立するかどうかで言えば明らかにナシの方向だ。でも、ワイ・カーファイもジョニー・トーも「無問題!」と胸を張る。その潔さが凄い。

 タイトルロールに扮するラウ・チンワンが素晴らしい。一時期とは比べ物にならないほどスリムになった体型で、文字通り「あぶない刑事」を怪演。コメディの基礎として大真面目な顔で間抜けなことをやればやるほどおかしいというのがあるが、今作の場合はそこに「この人は本当に狂っている」というホラーなスパイスもきいていて、とても豊かなユーモアが醸し出されるのである。持ち前の可愛げもうまく活かされていて、幻覚でしかない元妻に一途な愛をささげる姿には、素直に泣かされる。

 映画祭のゲストにはジョニー・トー監督しか招かれていなかったが、これはどちらかというと脚本も共同執筆しているワイ・カーファイの個性が強く出た作品。もちろんジョニー・トーらしいシャープな映像とガンアクションも見どころだ。ラストの鏡を使ったトリッキーな銃撃戦も、物語としてはお約束だが素晴らしい(技術的には相当に難しい場面)。

 主人公のキャラクターがあまりに素晴らしいので続編を期待してしまうが、あのエンディングでは望み薄かも。警官時代にさかのぼった話でもいいから作ってほしい。

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『高麗葬』(1963)

『高麗葬』(1963)

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 近年、再評価と作品発掘が進んでいる韓国の異才、キム・ギヨン監督の1963年作品。これまでプリントの所在が不明だったが、最近になって全長版に近いかたちで修復され(欠落部分は字幕で補足)、今年の東京国際映画祭でも上映された。たとえ不完全版であっても、復活させたのは快挙と言える掛け値なしの傑作だった。

 姥捨て山伝説を題材にしているが、『楢山節考』みたいな内容ではない。死と暴力とセックスと厭世観が横溢する、人間の暗黒をこれでもかと描きのめした異様な物語が展開するのだ。因習はびこる村社会で、残酷な運命の呪縛に苦しめられる人々の生き様、死に様。しかも30年にわたる一大クロニクルである。約2時間ほどの上映時間(現存するのは87分)の中に、ほとんど映画5本分くらいの内容が凝縮された、不幸のジェットコースター・ムービーだ。

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〈おはなし〉
 山間にある貧しい寒村。幼いグリョンは母の再婚を機に、その村へとやってきた。嫁ぎ先には十人の兄弟がいて、彼らは新しく来た義弟がいつか自分達を殺すであろうと巫堂に予言されたことから、グリョンを亡き者にしようと罠をしかける。グリョンは毒蛇に噛まれ、怒った母は再婚相手に離縁を迫り、慰謝料として畑の一部をもらう。

 それから10年。グリョンは蛇の毒で足が不自由になりながらも、母と二人で辛抱強く暮らしていた。決して他人に頼らず、人一倍働くグリョンだったが、不具者への風当たりは強く、想いを寄せていた村娘カンナキにもフラれてしまう。

 グリョンは唖の娘を嫁に迎えるが、彼女は十人兄弟にさらわれ、輪姦されてしまう。なんとか助け出されるものの、屈辱を晴らしたい彼女は、兄弟の一人を誘い出して殺害。怒った兄弟たちはグリョンに嫁を差し出せと迫る。多勢に無勢の状況で、グリョンは不幸な嫁を手にかけるほかなかった……。

 さらに15年の歳月が流れ、村の暮らしはいっそう厳しくなった。水場を独占する悪党兄弟は、村人たちに水を分け与える代わり、なけなしの食料を巻き上げるなどの悪行三昧。ある日、病気の夫と大勢の子供たちを抱えたカンナキが、グリョン母子を頼ってくる。が、グリョンは昔フラれた恨みを忘れていなかった。仕方なく、娘の一人ヨンが養女として差し出され、おかしな共同生活が始まる。そんな中、グリョンの母は自分さえいなければという想いから、自ら姥捨て山へ。グリョンは母をどうにか連れ戻し、ヨンもカンナキのもとへ帰す。

 再び地獄のような飢餓生活に戻ったヨンは、苦痛よりも死を選ぶと言い、巫堂の執り行う儀式のいけにえとなる。悪党兄弟がためこんだ芋ひと袋と引き替えに。それを聞いたグリョンは兄弟たちから彼女を買い戻そうとするが、時すでに遅し。少女の魂は巫堂の口を借りて、グリョンと母の再婚を願った。ようやく結ばれるグリョンとカンナキ。

 だが、巫堂の予言が成就されるまで、グリョンの苦難は終わらないのだった……。

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 この映画における最大の恐怖は、貧困と空腹。かつて農民たちを襲った飢饉がどれほどむごたらしいものだったかを、キム・ギヨンはホラー映画ばりの陰惨な演出で徹底的に描いてみせる。白黒シネマスコープ画面に映し出される寒村の、不穏な妖気に満ちたビジュアルは圧巻だ。代表作『下女』(1960)同様、独創性あふれる美術設計はキム・ギヨン作品の大きな見どころのひとつである。本作のような内容で、ここまで贅沢に美術費が出るという当時の韓国映画の制作状況が素晴らしい。後半に出てくる姥捨て山のセットなんて、まるで地獄か別の惑星のようである。それと、ほとんどオールセット撮影なのに、役者の吐く息がみんな白い、というこだわりようも凄かった。

 苦しい生活の中で、人間の心根は暗くねじ曲がり、どす黒く病んでいく。主人公グリョンも、義兄弟たちに足を不具にされた恨みを何十年もたぎらせ生きてきた。もちろん善人に育つわけがない。逆に言えば、貧困というバックボーンを得たことで、人間はどこまでも悪に傾倒できるのだ。敵役である「黒い十人の兄弟」の極悪ぶりといったら実に清々しいほどで、とにかく悪いことしかしないし、悪事以外に考えが働かない。なんと素晴らしきキム・ギヨンの人間観。常田富士男に似た長男のワル顔も素晴らしく、監督のキャスティング・センスの確かさにも唸らされる。

 『高麗葬』には、ものすごく悪い人間か不幸な人間しか出てこない。主人公グリョンは後者であり、ひたすら負け犬であり続ける。彼が少しでも愛し、心を許した相手(みんな女子供)は、ことごとく彼の眼前で死んでいく。しかも多くの場合、救いの手が届く距離にいながら、むざむざ死んでいく様を見送るばかりだ。最初の妻と母親にいたっては、主人公自ら引導を渡さなくてはならない状況に追いつめられる。この悔恨の積み重ねが凄まじい。そのボルテージたるや、『ミッドナイト・クロス』(1981)でナンシー・アレンを死なせたジョン・トラヴォルタの4倍相当だ(多分)。その蓄積された怒りが、凄絶なクライマックスの大殺戮へと繋がっていく。

 序盤で、主人公は巫堂から「十人兄弟の命を奪う運命にある」と予言されるのだが、そこに至るまでこれほど長い時間をかけ、こんなにも大勢の人が死ななければならないと、もはや運命以前の問題ではないかと思ってしまう。「寓話」などという形容も生易しい。

 キム・ギヨン本人にとってみれば、実に理にかなった、説得力抜群の復讐劇なのかもしれない。これだけやられて立ち上がらないわけがない! みたいな。だが普通の観客にとっては、全ての理由付けが過剰なのだ。「そこまでやったら別物になっちゃうよ」というボーダーラインもためらいなく踏み越え、あらゆる点で通常のドラマツルギーを過激に逸脱してみせる。まさに「常軌を逸した」傑作なのだ。

 姥捨て山の頂上で繰り広げられる、母と息子の別れのシーンも凄い。地面いっぱいに人骨が敷き詰められたセットも強烈だが、ここで母子の愁嘆場を異様なしつこさで(ギャグまでまじえて!)延々と描くセンスも、常人の理解を越えている。息子は名残惜しさのあまり、何度も行きつ戻りつを繰り返し、母親もまた生への執着を恨みがましく口にし、我が子を想う気持ちとの相克に引き裂かれる。息子はドクロを踏みしだきながら母のもとへと舞い戻り、そしてまた背を向けて歩いていかねばならない。これが何度も何度も繰り返されるのだ。人間が極限状況でさらけだす「恨」のすべてを、余すところなく描こうとするかのように。この執拗さは、同時に突き放したシニシズムにも満ちていて、これもやはりキム・ギヨン独特の韓国人メンタリティへの揶揄なのか? と思った。

 映画の作りは正直、粗い。というか、おかしい。カットのコンティニュイティも何か妙だ(特に前半)。グリョンの最初の嫁が悪党兄弟を誘惑する場面の、セックスの暗喩描写も面妖である。かと思えば、オープニングのタイトルデザインは60年代の映画とは思えないほどスタイリッシュだったりする。そんな奇ッ怪で予測不可能なセンスも、作品を見ていくうちにだんだんクセになっていくのだ。そのインスピレーションの原点がとても気になる。

 映画祭上映時には、韓国の若手映画人たちがキム・ギヨンの印象について語る50分のインタビュー集『キム・ギヨンについて私が知っている二、三の事柄』(2006)が併映された。主にビデオなどでキム・ギヨン作品を追いかけてきた世代……ポン・ジュノやリュ・スンワンといった出演者の中でも、晩年のキム・ギヨン監督と一緒に仕事をするはずだったソン・イルゴンの言葉が、やっぱり胸に染みた。「もしキム・ギヨン監督が生きてあなたの目の前にいたら、何を訊いてみたいですか?」という質問に対して、彼は「今、何か食べたいものはありますか? と訊きますね」と答えるのである。泣ける。

 しかし、個人的にいちばんその答えが知りたかったのは、パク・チャヌクだ。彼こそは(商業的成功も含めて)最もキム・ギヨンに近い素質を発揮している映画監督だという気がするからだ。限りなく陰惨で、なおかつ性格の悪いユーモアに満ちた彼の最高傑作『復讐者に憐れみを』(2000)が、キム・ギヨン作品の影響を受けていないわけがない。残念ながら、『キム・ギヨンについて?』での出番はあまり多くなかったけれど。それより他の監督たちの口から「前にパク・チャヌクから聞いたんだけど」「パク・チャヌクと一緒に観たんだけど」とか、何度も名前が出るのがおかしかった。

 キム・ギヨンは1998年2月5日、自宅の火事が原因で、夫人とともに亡くなったという。……映画祭で『高麗葬』を観た後、会場近くに消防車が10台近く集まる騒ぎがあった。結局、火事でもなんでもなかったそうだけど……誰が呼んだのだろうか?

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『プリンセス・アンド・ウォリアー』(2000)

『プリンセス・アンド・ウォリアー』
原題:Der Krieger und Die Kaiserin(2000)

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 『パフューム ─ある人殺しの物語─』(2006)のトム・ティクヴァが2000年に撮った監督作が、ようやくDVDでお目見え。交通事故で出会った男女の風変わりなラブストーリーを、犯罪サスペンスの要素も絡めながら描いていく。心に深い傷を抱えた主人公の青年ボドを、ベンノ・フユルマンが好演。彼に命を救われ、一目惚れしてしまう精神病院の看護婦シシーを演じるのは、『ラン・ローラ・ラン』(1998)のフランカ・ポテンテ。

 『ラン・ローラ・ラン』が世界的に成功した後の反動なのか、前作とは違って全体的に落ち着いたスローな語り口で作られている。こういうじっくりした演出もできるんです、本当はやりたいんです、と言っているような。上映時間が130分もあるというのに、話自体はとてつもなくシンプルで、本来ならいくらでも切り詰められる内容だと思う。けど、「できるだけ時間をかけてシンプルなドラマを物語りたい」というコンセプトで作られているので、前作のようにスピーディーに短くまとめてしまったら意味がないのだろう。時間が経つにつれて主人公たちのパーソナリティが明らかになってくるという構成にしているのも、最初に手の内を明かすとすぐ終わってしまう話だからだ。

 ただ、結構長いわりに中身はこんなもんか、という印象もなくはない。スケールも実に慎ましく、印象も軽く、スタイルだけの凡作とか言われても無理はない気もする。終盤の「もうひと押し」が明らかに長すぎるし。それでもやっぱり『パフューム ─ある人殺しの物語─』でも発揮されていた、長尺を飽きさせずに見せきる巧さはこの映画でも活きている。カメラワークや色遣い、音楽や編集など、細部のコントロールが本当に好きな監督なんだなと思った。

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 面白かったけど、トム・ティクヴァはこういうウェットな人間ドラマよりも、理数系の悪趣味さみたいな独特のセンスで大風呂敷サイズのストーリーを紡いでいく方が向いていると思った。あと、この映画のフランカ・ポテンテは他のどの出演作よりも綺麗に撮られていて、ちょっと驚く。

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DVD『プリンセス・アンド・ウォリアー』

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『激怒』(1972)

『激怒』
原題:Rage(1972)

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 俳優ジョージ・C・スコットの監督デビュー作。軍の開発した毒ガス兵器が漏れ、家畜が大量に死んだという実際の事件をもとにした作品。中子真治著「フィルム・ファンタスティック5」で知って以来ずっと観たかった映画で、中古の米版ビデオを取り寄せて観てみた。

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〈おはなし〉
 ワイオミングで羊牧場を営む男ダン・ローガン(ジョージ・C・スコット)は、一人息子のクリスと2人暮らし。ある日、ローガン親子は放牧地の丘の上でキャンプをする。翌朝、ダンが飼い犬の吠える声で目を覚ますと、テントの外で寝ていたクリスが鼻血を出してグッタリしていた。周辺には大量の羊の死骸が……。ダンは慌てて息子の身体を抱え、町の病院へと向かう。クリスの治療は若い医師ホリフォード(マーティン・シーン)がおこない、ダンも検査入院することに。

 クリスは病院のベッドの上で、苦しみながら死んでいった。それは軍が実施した化学兵器実験中の事故が原因だったが、軍上層部はその事実を隠蔽しようと画策する。ホリフォードはその手先であり、ダンの身体が汚染されていることも、息子が死んだことさえもひた隠す。ローガン親子の主治医カードウェル(リチャード・ベイスハート)は真実を伝えるべきだと訴えるが、軍によって接触を禁じられてしまう。

 クリスの安否が気がかりで仕方ないダン。ホリフォードは強い麻酔を与えて彼を黙らせようとする。だがある時、彼は解剖室から息子の衣類を持った医師が出てくるのを見た……。深夜に病室を抜け出し、解剖室に忍び込んだダンは、変わり果てた息子と対面する。怒りのあまり病院を抜け出した彼は、ライフルと大量のダイナマイトを手に、クリスの敵を探し始める。だがその体はすでに化学兵器に蝕まれつつあった……。

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 ジョージ・C・スコットは自ら主演もこなし、怒れる父親を熱演。ありふれた西部男になりきるため、メイクで眉毛を濃くして普段とは違った印象にしている。後半、鬼の形相になってからはいつものジョージ・C・スコット。怖い。

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 個人が国家や軍といった巨大な組織の犠牲にされていく過程を、スコットは丹念な演出で描いていく。前半の病院でのシークェンスは、視線の冷徹さと巧みなカットバックが冴えていて、思わず引き込まれてしまう。息子が死んでいく場面と、父親が息子の死を知ってしまう場面は特にいい。ここで十分に怒りとやるせなさを覚えさせてから、後半の復讐譚へとなだれ込んでいくのだけど、予想していたほど凄い展開にはならず、意外と地味なまま終わってしまった。派手な爆破シーンもあることはあるけど、主人公がライフルで軍人を射殺しまくったり、個人の怒りが世界を破滅に導いてしまったりといった破天荒な展開を期待すると、やや拍子抜けの感は否めない。ちょっと生真面目なのかな?

 ただ、怒りに燃えるジョージ・C・スコットの狂気走った表情はやっぱり怖いし、主人公が虫のように痙攣しながら死んでいく様を淡々と映す突き放した演出には、非凡なものを感じる。とりわけ印象的なのは、要所要所で挿入されるスローモーションのカット。噛み煙草の唾を吐いたり、コーヒーを捨てたり、猫がソファに上ったりといった何気ない瞬間を引き延ばし、不安や緊張感を煽る。「ちょっと変わった演出」としてはベーシックなテクニックだが、わりと巧く使いこなしているのはさすが。

 撮影は、ジョージ・C・スコットの役者としての代表作『パットン大戦車軍団』(1970)も手がけた、フレッド・コーネカンプ。基本的には手堅いカメラワークながら、時折「おお」と思うような面倒なこともやってのけている。編集は後にスピルバーグ作品の多くを手がけるマイケル・カーンが担当。ラロ・シフリンの音楽もいい。

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 出演者の中では、軍から派遣された医師を演じるマーティン・シーンが非常によかった。こういう人間性のない若者の役がとてもよく似合う。スコットは自分も俳優だから、やっぱりその辺の目利きは素晴らしい。

 これも題名はよく知られていながら、今ではあまり観る機会がない映画のひとつ。日本では一度もソフト化されておらず、アメリカでもDVD化は見送られたまま。羊とか猫とか動物の死ぬ場面がいっぱい出てくるのがマズいとか?

・Amazon.co.jp
ビデオ『激怒』(米国版)

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『セカンド・サイト』第4部“盲目者の王国”(2000)

『セカンド・サイト』第4部“盲目者の王国”
原題:Second Sight -Kingdom of the Blind-(2000)

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 視力をほとんど失いながら、周囲を欺いて捜査活動を続ける特捜班部長のエリート警部、ロス・タナーの最後の事件を描いたシリーズ完結編(エピソード9?10)。今回は一人の黒人青年の死を発端に、地域社会に根付く排他主義と、町ぐるみの組織犯罪に直面することになる。

 地域住民のための多目的センターを立ち上げた黒人青年が、何者かに惨殺された。施設も放火され、地域内の人種間の緊張は高まっていく。ロスは被害者の恋人だった白人女性を訪ね、そこで彼女の父キング氏と出会う。今では年老いた盲人となった彼は、かつて町にその名を轟かせたギャングの大物であった。盲人でありながら泰然自若としたの生き様に圧倒されるロスだったが、彼の真の顔が明らかになった時、ロスは最大のピンチに陥っていた。

 脚本はナイアル・レナードとポーラ・ミルヌの共作。最終回にして重い題材に挑み、ハードな社会派スリラーに仕立てている。タイトルは文字通り、影の実力者である盲人が統べる町という意味と、差別意識と服従心に冒された盲者たちの国、という皮肉のこもったダブルミーニング。老獪な悪役キングを異様な迫力で演じるのは、ピーター・ヴォーン。『未来世紀ブラジル』(1985)や『Dandelion Dead』(1992)にも出演している英国の代表的名優である。この人がここまで強烈なインパクトの悪役を演じるのも、ちょっと珍しいのではないか。

 ロスは視力の悪化を悟られ、家族まで危険にさらされ、まさに最悪の危機を迎える。後半、盲人同士の頭脳戦の様相を呈してくるクライマックスは、完結編ならではの緊迫感に満ちていて面白い。それでも少し食い足りないというか、解決法があっさりしすぎている感もあるが、テレビドラマならこんなものかという気もする。

 主人公ロスにとっては決して楽観的とは言えないラストの後味もいい。シリーズ通してのまとまりもよく、全体的に面白いドラマだった(設定はマンガだけど)。今このタイミングで日本版がリリースされた理由は全然分かんないけど、とりあえずメーカーさんには感謝したい。

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DVD-BOX『セカンド・サイト』(5枚組)

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『セカンド・サイト』第3部“睡眠時異常行動”(2000)

『セカンド・サイト』第3部“睡眠時異常行動”
原題:Second Sight -Parasomnia-(2000)

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 失明の危機にさらされたエリート警部ロス・タナーの活躍を描く、クライヴ・オーウェン主演の英国製サスペンスドラマ『セカンド・サイト』の第3部(エピソード7?8)。シリーズ考案者のポーラ・ミルヌが第1部「双子の秘密」に続いて再びシナリオを執筆し、全話中でも屈指の出来を誇るエピソードに仕上がっている。

 結婚式を間近に控えたある日、バットで無惨に撲殺された男。一方、婚約者のケリー・アンはその返り血を全身に浴びた姿で、自宅のベッドの中で目覚めた。防犯カメラには、彼女が深夜にマンションを出ていき、血まみれで帰ってくる姿が記録されていた。だが、彼女には前夜の記憶が全くなく、犯行動機もなかった。はたしてそれは夢遊病の仕業なのか? 捜査を開始したロスは、悪夢のような幻覚=セカンド・サイトに襲われながら、隠された真実に近付いていく。

 視覚が主題となるシリーズの中で、「眠り」や「夢」といったモチーフを採り入れた着想が巧い。目を閉じ、自ら視界を遮る行為を、我々は「睡眠」として日常的におこなっている。そこで見る“夢”とはまさにセカンド・サイトであり、その時間は確かな記憶や認識を持ちうることのできない不可知の領域である。そこにサスペンスが生まれる。

 ミステリーを構築する上ではあまりに都合のいい“夢遊病”というアイテムを利用しつつ、謎解きの過程でまた別のパラノイア的性格を浮かび上がらせていくプロットが巧妙。心理ミステリーとしてしっかり面白いし、容疑者のヒロインと主人公の交流や、シンクロする絵画と悪夢のイメージなど、ドラマ的にも見どころが多い。

 監督を務めるモーリス・フィリップスの演出も、シリーズ中で断トツ。なんと懐かしや、デニス・ホッパー主演の怪作コメディ『アメリカン・ウェイ』(1986)の監督だ! 今回の作品は特に、前半のエピソード7がいい。寝室の隅で得体の知れないものがうごめいているという悪夢的イメージが、本当に不気味に映像化されていて感心した。カメラワークや美術も洒落ていて、夢をモチーフにした音楽の使い方にも芸がある。ロスが病院を訪ねるシーンで「Mr. Sandman」を流したり、エンドテーマがロイ・オービソンの「In Dreams」だったり……ホラー映画好きなら『ハロウィン2』(1981)とか『ブルーベルベット』(1986)を思い出して「おおっ」と思うだろう。それもわりと唐突なタイミングで挿入されるので、ドキッとする。

 ケリー・アン役のジョゼフィーヌ・バトラーは、オドレイ・トトゥを美人にしたような印象で、ノーブルな雰囲気が漂っていて良かった。ケリーの父親で上院議員のロッダム氏に扮するのは、マイク・ホッジス監督のTVミニシリーズ『Dandelion Dead』(1992)での好演が印象深い名優マイケル・キッチン。今回からタリー警部に代わってロスをサポートする中年刑事を、無器用でしょぼくれた感じで妙演するルパート・ホリデイ=エヴァンスもいい。

 この「Parasomnia/睡眠時異常行動」に関しては、オーウェン・ファンや海外ドラマ・ファンのみならず、スリラー好きも納得できるクオリティだと思う。レンタルでいいので観てほしい。

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『セカンド・サイト』第2部“かくれんぼ”(2000)

『セカンド・サイト』第2部“かくれんぼ”
原題:Second Sight -Hide and Seek-(2000)

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 エリート警部のロス・タナーは、視力が急激に悪化していく不治の奇病にかかりながらも、周囲を欺き、なんとか事件を解決する。それが『セカンド・サイト』エピソード1?4までの話だった。で、その後どうするのかと思ったら、まだズルズルと誰にも事実を告げないまま働き続けていた、という展開に驚く第2部(エピソード5?6)。てっきり職を退いて、アドバイザー的に活躍するのかと思っていたんだけど。でも、そのあたりの諦めの悪さもクライヴ・オーウェンが演じると、ちゃんとリアルで説得力がある。物分かりのいいヒーロー的キャラクターを演じることに興味がないからだ。

 今回ロスが挑むのは、2年前に迷宮入りした女性ヴァイオリニスト殺害事件の再捜査。彼は捜査本部に犯行現場のセットを作り、目撃者である被害者の幼い息子から、当夜の記憶を引き出そうとする。前回に引き続き、クレア・スキナー演じる部下のタリー刑事がロスの公私にわたるサポート役となるが、後半ではそのチームワークに亀裂が入る。

 脚本を手がけるのがシリーズ考案者のポーラ・ミルヌではないせいか、ストーリー的には若干落ちる。刑事ドラマとしては十分面白いし、頑張ってひねっているが、わざわざこのシリーズでやるべき話だとは思えない。主人公ロスが見る幻覚=“セカンド・サイト”も、さほど効果的に使われないのが残念。ただ、ロス自身のドラマには進展があり、続く第3部がけっこう拾い物なので、シリーズ通して楽しみたい人なら見逃せない話ではある。

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DVD-BOX『セカンド・サイト』(5枚組)

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『セカンド・サイト』第1部“双子の秘密”(1999)

『セカンド・サイト』第1部“双子の秘密”
原題:Second Sight(1999)

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 クライヴ・オーウェンが本国イギリスで人気を得るきっかけとなった、全10エピソード・4話構成のTVドラマシリーズ。映画俳優としての出世作は、前年に主演したマイク・ホッジス監督の傑作『ルール・オブ・デス/カジノの死角』(1998)だが、同作はイギリス初公開時にたった2つの劇場でしか上映されず、ほとんど人の目に触れなかった。だから、かの地でオーウェンの初ヒット作と言えば、この『セカンド・サイト』なのだ。つい最近、日本でもDVD-BOXが発売され、TSUTAYAなどでレンタルも始まったので、全話通して観てみた。

 オーウェンが演じるのは、特捜班リーダーとして数々の難事件を解決してきたロス・タナー警部。彼はある日、自分の目に起きた異常に気付く。発作のように繰り返される失明状態とフラッシュバック……それは治療法のない、進行性の奇病だった。ロスはその事実を周囲に悟られまいと、新たに部下となった女性刑事キャサリンの助けを借りながら、わずかなカンを頼りに捜査の指揮をとる。刻々と失われていく視力と引き換えに、ロスは奇妙な幻覚を見るようになる。そのイメージは、彼に事件解決のヒントをもたらすのだった……。

 企画・脚本はポーラ・ミルヌ。推理ミステリーとしての本筋と、主人公が盲目状態であることが周囲にバレやしないかというサスペンスで、巧みに視聴者を引っ張っていく。さらに第六感的な力も絡めたりして、ややマンガっぽい話が展開するが、演出はいたってシリアス。さすがに『心理探偵フィッツ』(1999)ほど渋くはないが、いかにも英国製ドラマといった感じだ。

 ミステリーとしては「目に見えるものが真実とは限らない」というテーマで、毎回、先入観や錯覚、状況証拠を利用したトリックが描かれる。ただ、どちらかというと推理劇自体に新味はなく、視力を失ったことで主人公が直面する障害や、視覚や目に関する言い回しが散りばめられた台詞など、本筋以外のディテールが見どころだ。それともちろん、主演男優の魅力。

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 主人公ロスは優秀な警察官だが、決していい人間ではない。皮肉屋で、女たらしで、離婚もしていて、口が悪く、他人を寄せ付けない。発病してからはさらに性格がねじ曲っていくが、それでもこの男が魅力的なのは、演じるのがクライヴ・オーウェンだからだ。相変わらず「好漢」になるつもりはさらさらなく、ひねくれ者のキャラクターを率直に演じながら、その弱さも飾らずに表現する。それになんたってハンサムだ。

 目が悪い人は、無意識に強い視線を相手に向けてしまい、それが原因で変な誤解を招いたりするとかよく言われるが、よりによってオーウェンみたいな色男に見つめられた日には、ファンとしては堪らないだろう。当然、そういう効果を狙ってのキャスティングだと思う。

 シリーズの第1話となる「双子の秘密」(エピソード1?4)では最初の2エピソードを費やして、主人公の焦燥と葛藤をじっくり描いていく。そして後半で、自宅の庭で殺された1人の少年をめぐる、文字どおり手探りの推理劇が展開する。ネタはエピソード3の前半あたりで割れてしまうが、ゲストスターのステュアート・ウィルソンの迫力と芝居で見せきってしまう。少年の義父とその双子の弟のキャラクターを見事に演じ分け、『リーサル・ウェポン3』(1992)の悪役ぐらいしか印象になかったけど、かなり見直した。ちなみに、ロスの部下の1人ジュリアン役で、『ルール・オブ・デス』でもオーウェンと共演していたアレクサンダー・モートンが出演している。彼の俳優デビュー作は、マイク・ホッジス監督のTVムービー『The Manipulators』(1971)だ。

 第1話では普通に目が見えるフリをしながら、なんとかごまかしごまかし事件を解決するロス。さすがに次回からは第一線を退いてやっていく話になるのかな、と思いきや……。

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DVD-BOX『セカンド・サイト』(5枚組)

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『自虐の詩』(2007)

『自虐の詩』(2007)

 試写会で観た。駄作。当たり前の物差しでは測れない型破りな秀作を、ごく凡庸な人間が当たり前の物差しで映画化してしまった悪例。原作を先に読んでいる人が観たら、首を傾げずにいられないと思う。

 まず、舞台を大阪の西成界隈に変更した意味が分からない。「東池袋」という微妙なニュアンスはことごとく無視され、大阪下町人情ものというお決まりの図式に回収される(特に大阪独特の面白さを出せているわけでもない)。変えるにしても、せめて東上線沿線だろう。ヒロインの故郷も九州から宮城県の気仙沼に変えられている。つまりあの圧倒的なクライマックスのモノローグも、ベタな訛りでフィルターをかけられてしまうのだ。あれはストレートに標準語で訥々と聞かせるべきだった。そういった衝撃緩和装置が随所に働いているが、それは客を馬鹿にした態度だ。そんなに「分かりやすさ」とか「とっつきやすさ」が大事なら、流行りの難病ものでも作ってろ、と思う。

 というか、本当にこの映画の作り手は、原作のよさをちゃんと分かっているのか? と思うところが何度もあった。きしめんぐらい薄っぺらい堤幸彦の演出はいつもと同じだけど、それ以前に脚本が悪い。構成も凡庸だし、ギャグも冴えない。警察署の霊安室に寝かされた夫をヒロインが死んでると思い込むという冒頭のシークエンスなんか、見ていて何事かと思った。

 映画版では、常人には理解できない夫婦の関係を「分かる範囲」に引き寄せている感がある。そうじゃないだろう。なぜこのヒロインは無職で暴れん坊の夫に黙ってついていくのか、なぜ彼女はそれでもいいのか。どうして世の中にはこんな女性が多いのか、人間ってどうしてこうなのか。そこで引っ張らなくてはいけない話なのに、ヒロインが自身の不幸を嘆くナレーションとか平然と入れている時点で「違うんじゃねえか、それ」となる。本当に浅い。薄っぺらい。スッカスカのテレビドラマ。まあ堤幸彦だからしょうがないけど。

 主演にスターを使わなくちゃならないのは分かる。だけど、いかんせん中谷美紀では無理が生じる話なのだ(娼婦が似合ってる時点で違う)。熱演してるとは思うけど、どんくささが圧倒的に足りない。そして、阿部寛は意外にドスがきかない。回想シーンの扮装もスベッていた。あと、脇にやたらと豪華キャストを配しているのだけど、全員が無駄遣い。松尾スズキとか何で出てたんだろう。唯一、中華屋のオヤジを演じた遠藤憲一だけは素晴らしかった。この人のおかげで何とかなってる気がする。

 本当、凄い原作をつまんない人が寄ってたかってダメにするのは、やめてほしい。迷惑だから。映画から先に観てしまった人は、頼むからマンガの方も読んでほしい。

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本「自虐の詩/上」(文庫)
本「自虐の詩/下」(文庫)

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『プロポジション ─血の誓約─』(2005)

『プロポジション ─血の誓約─』
原題:The Proposition(2005)

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 西部劇風のストーリーで、オーストラリア開拓時代の実情を描いた異色作。いかにしてヨーロッパの白人文化が「最果ての地」で疲弊し、傷ついていったかを、リアルなガンアクションと凄絶な暴力描写を交えながら、ドラマティックに映し出す。監督は『亡霊の檻』(1988)のジョン・ヒルコート。同作に主演したミュージシャンのニック・ケイヴが、音楽とともに脚本も手がけている。

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〈おはなし〉
 19世紀、開拓時代のオーストラリア。ならず者のガンマン、チャーリー・バーンズ(ガイ・ピアース)は、末弟のマイクとともに警察隊長スタンリー(レイ・ウィンストン)に捕えられ、荒れ地に潜む長兄アーサーの捕縛を強要される。アーサー率いる一味は町に潜入してある家族を惨殺し、そのときに殺された妊娠中の妻は、隊長の妻の親友であった。

 弟を人質にとられたチャーリーは、袂を別った兄の行方を追って奥地へと入っていく。そして、ついに再会したアーサー(ダニー・ヒューストン)は、今や悟りを開いた野獣と化していた。弱肉強食の掟に沿って生きる彼は、自らの“約束の地”をこの荒涼とした世界に見い出したのだ。

 一方、スタンリーは傷ついたマイクを連れて町へと戻るが、怒りに燃える住民たちはリンチを要求する。バーンズ兄弟の復讐を恐れるスタンリーはそれを撥ねつけるが、妻マーサ(エミリー・ワトソン)もまた彼の処刑を望んでいた。やむなく鞭打ちが行われ、乾いた地面におびただしい血が流れる。その頃、チャーリーとアーサーたちは町へと向かっていた……。

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 オーストラリアに移住した白人たちは、故郷ヨーロッパの環境とはあまりに違う異世界のなかで、想像を絶する過酷な生活を強いられた。イギリス政府は内陸部の調査・開発を奨励したが、そこはまさに「地の果て」であり、生命の侵入を拒む厳しい世界であった。また、そもそもオーストラリアは犯罪者の流刑地でもあり、荒くれ者がはびこる無法の地でもあった。食糧難、病気の流行、治安の悪化などにより、多くの人間が命を落としたという。環境に順応できず酒に溺れて死んだり、自殺した者も少なくない。

 もちろん先住民に対する問答無用の暴力、蹂躙も日常茶飯事だった。何しろここは英国領なのだから、彼らは「不法居住者」なのである。一部には両者が友好的に生活していた地域もあるらしいが、奴隷化は英国人にとって当然の政策であり、平然と虐殺が行われた史跡もあるという。

 近代的な文化を築いて久しい今でも、オーストラリア映画に見られる強迫神経症的な要素は、こうした陰惨な歴史、文明とは決して相容れない大自然への恐れ、先住民に対する罪悪感などが礎になっていると思う。『ロング・ウィークエンド』(1978)や、初期のピーター・ウィアー作品に顕著な自己破滅的ムードだ。

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 『プロポジション』では、そんな当時のささくれ立った状況が、ふたつの家族の悲劇を軸に、生々しく映し出される。暴力によってこの世の地獄を生き抜こうとする無法者兄弟、地の果てにあって人間的尊厳を保とうと苦闘する警察隊長とその妻。ヒリヒリと灼けつくような苛烈なドラマを、ニック・ケイヴはものすごくしっかりしたキャラクター造形で、詩情豊かに描ききる。正直、こんな才能があったのかと驚いた。

 それでも結局は、白人の視点でしか描かれていないという不満も残る。隊長夫妻の葛藤に多くの時間を割くぐらいなら、先住民のメインキャラクターを一人ぐらいドラマに入れてほしかった。ジョン・ヒルコート監督は「アウトバックを舞台にした、真にアボリジニ的な世界観の映画を撮りたかった」というが、そのわりには……。

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 しかし、役者陣の鬼気迫る熱演、パワフルな演出もあって、パンチの利いた作品に仕上がっている。特に、無法者兄弟の兄を演じるダニー・ヒューストンの存在感が凄い。社会のルールや善悪の概念から解き放たれ、己の“コード”に従って生きる男の奇妙な人間性と残酷性を、異様な迫力で演じている(こんな恐ろしい人だったっけ?)。『ホワイト・アイズ/隠れた狂気』(1987)のデイヴィッド・キースや、『無限の住人』の天津影久を思い出した。アボリジニ俳優のなかでは最も著名な名優の一人、デイヴィッド・ガルピリルも出演している。

 ケイヴがウォーレン・エリスと共同で手がけた音楽も素晴らしい。サントラだけでひとつの物語を形作っているというか、映画を思い出す時は必ず音楽も蘇ってくる。なかなかここまでのクオリティに達した映画音楽も珍しい。これを聴くだけでも必見の作品だ。

 もちろんバイオレンス描写も見どころ。冒頭の銃撃戦はかなりかっこいいので、ぜひ大音量で観てほしい。本当はもっと長かったっぽいけど(顔も分からないほどの役でノア・テイラーが出演している)。

▼脚本・音楽のニック・ケイヴ(左)と、監督のジョン・ヒルコート
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DVD『プロポジション ─血の誓約─』
CD『The Proposition』サウンドトラック(輸入盤)

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