Simply Dead

映画の感想文。

『グラインドハウス(USAバージョン)』(2007)

『グラインドハウス』(USAバージョン)
原題:Grindhouse(2007)

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 『デス・プルーフ』は本当に凄い。始めっから終りまで、ずっと凄かった。だってタランティーノの野郎、自分で「グラインドハウス映画の復活」をぶち上げておいて、全然その範疇に収まらない傑作にしちゃってるんだもの。映画ファンを自認する(僕みたいな)人間の自意識をガタガタ揺さぶる破壊的フィルムでありつつ、ラストでは誰もが拍手喝采せずにはいられない、ポップで痛快無比な娯楽作でもある。クライマックスの盛り上がりはハンパじゃない。必ず劇場で盛り上がるべし。

 今回観たのは計191分のアメリカ公開バージョン。最初に『マチェーテ』のフェイク予告編があって、次にロバート・ロドリゲスの『プラネットテラー』が上映され、再びフェイク予告3連発『ナチ親衛隊の狼女』『ドント』『感謝祭』を挟んで、クエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ』が始まる、という流れだった(休憩なしなのでトイレには行っておいた方がいい)。最初は「えー、ロドリゲスが先かよー」と思ったけど、でもこの順番が、より強く『デス・プルーフ』の衝撃に打ちのめされるためには必要なのだ。

 『プラネット・テラー』だって悪くはない。むしろ、ここ最近のロバート・ロドリゲス作品のなかでは一番面白かった。状態の悪いプリント特有の傷を、わざわざ一生懸命デジタルで施してニセモノB級映画を作り、無邪気なエンターテインメントに仕立てている。B級なりにそこそこ楽しめたかな、という満足度も含めて、まさに今回のコンセプトに忠実な、真面目な作品だった。

 だが次に『デス・プルーフ』が始まると、やっぱり最初の数分間でタランティーノの方が「グラインドハウス魂」という点において圧倒的に勝っていることを思い知らされる。とにかく芸が細かく、そのくせ自然なのだ。フィルムの質感、画面のムード、コマ飛びのタイミングなど、こだわり方のレベルは一線を画している。なのに『プラネット・テラー』にかかっているエフェクトの手間に比べたら半分の労力も使っていないように見える。同じこだわるのでも、方向性がまるで違うのだ。

 どうやら『デス・プルーフ』というのはこの映画の再公開時の改題らしい(一瞬オリジナルタイトルが映る)なんていうお遊びも、ただの軽いジャブでしかない。車中で女の子たちが繰り広げる会話シーンで、目線や腕の位置など、カットのコンティニュイティを微妙に合わさないところなんて、細かすぎて死ぬかと思った。中盤のバーのシーンでも、女優のスケジュールが取れなかったのか、後ろ姿だけのスタンドインを使って誤魔化したのが丸分かりなシーンをわざわざ作ったりする。しかも、そうしたディテールを別に面白く描いたりしないのだ。それがタランティーノの品格なのである。

 ロドリゲスは『プラネット・テラー』で、コマ飛び・フィルム傷・画面ブレなどを面白おかしい演出効果として使っていたが、タランティーノはそんな下品なことをしない。名画座で映画を観ている人間なら分かるが、コマ飛び・フィルム傷は常に予期しない場所で起きる(もちろん、勘で分かる部分もあるけど……ロールの頭と尻は特に痛みやすいとか)。だから冒頭の監督クレジットもないし、車中の会話シーンのアタマも欠けているし、あろうことかもっともセクシーな見せ場さえバッサリ切ってしまう。思わず観ながら「スゲエ!」と口走ってしまった。113分の単独公開版にはそのシーンがちゃんとあるというが、あの衝撃が味わえないと思うとちょっと寂しい。

 だがもっと凄いのは、そうしたフェティッシュなこだわりも、途中からどうでもよくなっていくこと。映画は後半から、フィルム傷もコマ飛びも70年代ムードもかなぐり捨て、あきれるほど“素の”タランティーノ映画と化していく。ただの田舎をピーカンの下で撮っただけの、おっそろしくフラットなルックで、小細工抜きの“魂”だけで「俺のグラインドハウス映画」を表現していくのだ。1本の映画の中で、そんな劇的変化が起こっていく様を見るのは、ものすごくスリリングで、とてつもなく感動的だった。

 スコープサイズの両脇がスッカスカに空いた、投げやりな構図さえも絶妙。そこにはやっぱり神が降りてきている気がする。単にフィルムを汚せばグラインドハウス映画になるってもんじゃない。魂の問題なんだ! とタランティーノは喝破する。ロドリゲス、立つ瀬がないにもほどがある。

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 そしてあの凄絶なカーアクション! 過去の再現に淫するばかりでなく、まんまと新しいこともやってのけているのが凄い。連続殺人鬼がナイフや斧の代わりに自動車で美女を殺す、と聞いた時は「くっだらねえなあ」と思ったが、実際のビジュアルは強烈にして凶悪。人体破壊描写としては久々に度肝を抜かれた。

 後半の延々と続く超絶カースタントも、発想からして(バカで)凄いが、それを受けて立ったゾーイ・ベルこそ本当の猛者だ。魂だけで勝負すると決めた映画監督と、恐れを知らぬ最強のスタントウーマン。ひたすらシンプルに「観客をあっといわせる」カーアクションを見事に実現させた両者のクソ度胸にはひれ伏すしかない。本作最大のスターは誰がどう考えても彼女だろう(芝居も案外うまいし)。

 ただもう、あまりに豊かな時間が展開するので、果たしてこれがグラインドハウス映画なのか? という疑問も湧いてくる。確かに設定はチープだし、構成もいびつで、普通の人が観たら長すぎるところもあるし、今の観客のニーズには全く合わせていない映画だ。でも、面白さではぶっちぎっている。そこには、ただのB級映画に期待する以上のもの……例えば女の子たちの連帯感の見事な描写、あるいはバーの外に降りしきる雨の情感、そして映画としての新しさ、等々がある。グラインドハウス映画のくせに、作り手の心がこもっているなんて反則だ。実にリッチな内容でありつつ、とてつもなくアヴァンギャルドな破壊力も持ち合わせている。何の気なしにホラー映画3本立てを観に行ったら、思いがけず生涯の傑作に出会ってしまった……そんな衝撃をも『デス・プルーフ』は再現するのだ。

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 特にグラインドハウス映画らしからぬと思うのは、会話のボリューム。とめどなく続くギャルのダベリは、監督本人も映画秘宝のインタビューで言っていたが「ほとんどリチャード・リンクレイターの映画なみに長い」。もちろん伏線の役割もあるし、ハイライトに向けての「溜め」でもあるが、それ自体がとても心地好い。言葉選びのセンス、抑揚やリズムは相変わらず小気味良く、聞いているうちにだんだん酩酊感すら覚え、頭がくらくらしてくる。そんな甘い野良猫トークに身を委ねているうち、「これはもう現代アメリカ文学ではないのか」と思ったり、「いや、やっぱり映画なのだ」と思い直したり、初見ではとにかく頭がグルグル回りっぱなしであった。

 個人的には全てのシーンでドキドキしながら観ていたので全然飽きなかったけど、人によっては長すぎると感じるかもしれない。だけど、そういう人は映画の緩急における「緩」の部分をあまり楽しんでいない気がする。一連のシークェンスは次の展開へ繋ぐための小休止ではなく、それ自体が味わいに満ちているのに、無視しちゃつまらない。

 ひたすら溜めに溜め、じらしにじらして、待ってましたのクライマックスで最高のカタルシスへと導く。劇中の言葉を借りるなら、それはまさに「セックスの代替行為」だ(しかも2回戦ある)。終わった後は本当にスッキリした気分になれる! 前振りがやたら長いというパターンでは『フォー・ルームス』(1995)の最終話を思い出したが、今回はあんな一発オチでは終わらない。2度目には絶頂状態が延々と続くのだ(攻守交代あり)。また中盤、スタントマン・マイクとバタフライが“ある約束”をめぐって繰り広げる、サディスティックな前戯めいた言葉のバトルも素晴らしい。『トゥルー・ロマンス』(1993)のデニス・ホッパーとクリストファー・ウォーケンの対決をついに凌駕したと思う。この映画の中でいちばん好きな場面かもしれない。

▼ヴァネッサ・フェルリトを触る手がエロい撮影中のタランティーノ
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 今回タランティーノは自ら撮影監督まで務め、とにかく女の子たちをセクシーに捉えようとした結果、ほとんど脚ばかり撮っていたという弁解の余地のない脚フェチぶりを露呈している。その好色な視線のいけにえとなったのはバタフライことヴァネッサ・フェルリトと、ジャングル・ジュリアことシドニー・タミア・ポワティエ。バーの場面で2人がシンメトリカルに美脚を誇示するカットは、特に(無意味で)素晴らしい。一方、グラインドハウス映画なのにおっぱいが足りない! という至極もっともな意見もある。でもタランティーノ自身は女囚映画とか観ながら「これがおっぱいじゃなくて脚ばっかりだったら最高なのになぁ」とか夢想していたに違いないから、これはやはり彼奴にとって究極のエロ映画なのだ。(でも胸なら後半のロザリオ・ドーソンのタンクトップとか、結構……)

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 何より、『デス・プルーフ』にはタランティーノの「女の子大好き!」な一面が、本当に素直に表れていて微笑ましい。それも、少し前までは「映画に出てくるようなヒロイン」しか登場させなかったのに、今回はかなりプライベートの好みがモロ出しになっている気がする。後半に登場する4人組なんて、あまりに魅力的に撮れているのでびっくりした。

 タランティーノの女性に対する惜しみない愛情が表れたフィルムとしては、過去に『ER』の演出担当回「母親」(1994)と『ジャッキー・ブラウン』(1997)、『キル・ビル Vol.2』(2004)などがあった。そういう意味では、『デス・プルーフ』は彼のあまり顧みられない部分の集大成という気もする。また、観ていて何度も思い出していたのが、マシュー・ブライト監督の『連鎖犯罪』(1997)だ。「イイ女を殺して回るような変態野郎は、腕っぷしの強いビッチの手でさんざんいたぶってからブチ殺してやれ!」というオタク的思想においても通じるものがある。

 ともあれ、最初に観たのがこのバージョンで本当によかった。先にも述べたが、やっぱり『プラネット・テラー』でグラインドハウス映画の基本要素をまず飲み込んだ上で、『デス・プルーフ』の破壊的なスタイルに打ちのめされる、という構成の妙がとてもよく効いていると思う。特に普通のお客さんには必要なプロセスである気がした。いきなり『デス・プルーフ』だけ見せられても、まあ凄いとは思うだろうけど、こんな高揚感を味わえたかどうか。長さもこれくらいがちょうどいい気がする。

 USAバージョンだけでしか観られないフェイク予告編もまた凄く面白くて、会場でもかなり盛り上がっていた。特にエドガー・ライト監督の『ドント』に出てくる『恐怖のいけにえ』(1980)のパロディは本当、くだらない! アホか! イーライ・ロスの『感謝祭』はぜひ本編が観てみたいと思った。あと全然関係ないレストランのCMにも爆笑したし、「この映画は成人指定です」という案内用のショートアニメも可愛かった。これがたったの1週間限定上映だなんて、ケチくさいにもほどがある。

▼エドガー・ライト監督のフェイク予告編『ドント』
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 とはいえ、単独公開版の上映もすごく楽しみ。USAバージョンでは切られてしまったバタフライちゃんの見せ場が早く観たい。『プラネット・テラー』の全長版は……まあ、いいや。

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CD『デス・プルーフ』サウンドトラック
ムック本『グラインドハウス映画入門』(洋泉社)


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『汚れた手をした無実の人々』(1975)

『汚れた手をした無実の人々』
原題:Les Innocents aux Mains Sales(1975)
英語題:Innocents with Dirty Hands

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 クロード・シャブロル監督十八番の愛憎劇スリラー。原作はアメリカ人作家、リチャード・ニーリーの『The Damned Innocents』。主演のロミー・シュナイダーが見せる大胆な熱演もあって、濃密に淫靡な傑作になっている。

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〈おはなし〉
 南仏、サントロペ。若く美しい人妻ジュリー(ロミー・シュナイダー)は愛人のジェフと共謀し、夫ルイス(ロッド・スタイガー)の殺害を計画する。彼は裕福だが、酒びたりで性的不能に陥っており、夫婦仲は冷えきっていた。ある夜、ジュリーは眠る夫の頭蓋を棍棒で打ち砕き、後始末をジェフに任せる。全てがうまくいったと思われた翌日から、ジュリーの悪夢が始まった。

 夫が消えたのと同時に、ジェフの足取りまでも消え、手に入れるはずだった夫の財産も消えた。ジュリーは拘留されるものの、弁護士の機転で釈放される。訳が分からず家に戻った彼女を待っていたのは、なんと殺したはずの夫ルイスの姿だった。

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 不倫殺人というよくあるテーマながら、教科書のようによくできた話で、シャブロルの演出もノッている。ニューロティックな語り口で巧みにトリックを仕掛け、最後にタイトルどおりの人物関係を浮かび上がらせる構成が見事。二転三転する展開が進むと共に、愛憎半ばする夫婦の関係が変化していくのも面白い。殺したはずの夫を眼前にした妻ロミー・シュナイダーが、幾度も愛人と情事を重ねた場所で“売女”として脚を拡げるシーンが強烈。

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 シュナイダーの美しさは筆舌に尽しがたい。冷酷な殺人者、不可解な罠に翻弄される女、娼婦の媚態、そして深い愛情に目覚めていく妻と、様々な表情を見せてくれる。個性派ロッド・スタイガーのエキセントリックな芝居も、この映画では巧く活かされている。物語に軽みを与える刑事コンビの存在もいい(が、2人が推理を働かせるシーンで、観客にとっては明らかな事件のあらましを二度も説明してしまうのが欠点)。コメディリリーフの弁護士をジャン・ロシュフォールが颯爽と演じていて楽しい。

 ラストにはなんと幽霊が……超自然領域をめったに描かないシャブロルとしては珍しいと思う(もちろん主人公の妄想とも取れるけど)。鏡の使い方も効果的で、ちょっと驚いた。

 70年代のシャブロル作品には傑作が多いが、ほとんどが日本未公開。現在、映画ダウンロードサイト「シネマナウ」で日本語字幕版が配信されている(はっきり言って画質は悪い)。字幕なしでもよければ輸入DVDを買うという手もある。とにかくシャブロル絶頂期の作品群が無視され続けているのは納得いかない。

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『汚れた手をした無実の人々』DVD(US盤)
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『レミーのおいしいレストラン』(2007)

『レミーのおいしいレストラン』
原題:Ratatouille(2007)

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 シェフを夢見るドブネズミのレミーと、彼と友情を築く見習い料理人リングイニの、キテレツなサクセスストーリーを描いたピクサー最新作。秀作短編『ゲーリーじいさんのチェス』(1997)のヤン・ピンカヴァが進めていたオリジナル長編企画を、ブラッド・バード監督が引き継いで完成させた。『Mr.インクレディブル』(2004)からわずか3年でバードの新作が観られるというのが驚きだったが、そのぶん内容には過度な期待をしないでおいた。

 実際の映画も、カメラワークやアニメートの巧さは光るが、それ以上の驚きはないウェルメイドな仕上がり。とはいえ、コック帽から見た主観ショットなどはさすがに天才児バードらしく冴えている。絵に描いたようなツンデレヒロインの造形も巧い。

 だがあくまでも本作は「引き継ぎ」。バードは「前任者のアイディアは素晴らしいと思ったが、自分で監督することが決まったら、2ページほど残してシナリオは全部書き換えてしまった」という。その自由濶達なストーリーテリングも、自身の温めてきた企画ではないからこその肩の力の抜け具合なのだろう。こういう箸休め的な作品を作るのも、ピクサーはやっぱり巧い。何しろ去年の『カーズ』(2006)が凄すぎたから、このくらいが普通だろうという気もした。

 ……などと思っていられたのも、途中までだった。

 ラスト30分は、文字通り泣かされ続けた。あるきっかけで思わず泣き出しちゃって、そこからずーっと止まらなくなった、みたいな感じ。

 始めてだ、こんなこと。

(この後、ネタバレ)

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『ローディー』(1980)

『ローディー』
原題:Roadie(1980)

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〈おはなし〉
 テキサス生まれの田舎者トラヴィス(ミート・ローフ)は、あるとき路上で立往生しているローディー(バンドステージの準備屋)の連中と出会う。車に同乗していたグルーピーの少女・ローラ(カーキ・ハンター)に一目惚れしてしまったトラヴィスは、なりゆきで一行をコンサート会場まで送り届けることに。だが着いた先で機材トラブルが発生! そこでたまたま機械いじりが得意だったトラヴィスが活躍し、鮮やかにピンチを切り抜ける。やり手のローディーとして認められた彼は無理やり仲間に引っ張りこまれ、あちこちのコンサート会場を駆け巡る。それもこれもローラのため……だが、彼女は憧れのアリス・クーパーに心もカラダも捧げるつもりだった。

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 アラン・ルドルフが初めてメジャースタジオの雇われ監督としてメガホンをとったロック・コメディ。テキサス生まれの田舎者がショービジネスの世界へ飛び込んでいくという物語を、それこそアルトマン的なドタバタ・タッチで描いていく。が、編集がたどたどしくてテンポが悪く、仕上がりは冴えない。本当はアルトマンぽくやりたかったのに、編集者には伝わらなかったという感じ。前半の『ブルース・ブラザーズ』(1980)を意識したようなカーアクションも実にだらしなく、コメディ演出に慣れていないのがありありと分かる。

 当時のロックシーンに興味があったようにも思えない。監督デビュー作『Premonition』(1970)では主役をロックバンドにしたり、後の作品群でも分かるとおり音楽的造詣は深い方だと思うが、この映画ではあくまで職人演出家的な態度を貫いている(職人ていうほど巧くできてないんだけど)。

 アラン・ルドルフといえば、自分のオリジナル企画と「お仕事」でやった作品との差が歴然であることで知られている。本作もまた、誰が見ても「お仕事」の1本。この時、ルドルフは『ロサンゼルス・それぞれの愛』(1976)と『Remember My Name』(1978)の2本が立て続けにコケ、仕事を選べない状況にあった。

 とはいえ、この映画にはミート・ローフがいる。彼の魅力だけで『ローディー』は愛すべき映画になったと言えるくらい、もうめちゃめちゃキュート。健気で可愛いテキサスのデブを、こんなにも見事に一途に演じられる歌手が他にいるだろうか?(彼自身もロッカーである)。役者として『ロッキー・ホラー・ショー』(1975)と『ファイト・クラブ』(1999)という2大傑作に名を連ね、映画ファンから永遠に愛される資格を得た男。『ローディー』では俳優ミート・ローフの魅力が全編にスパークしている。相手役のカーキ・ハンターなんかよりも百倍魅力的だ。

▼主演のミート・ローフと、本人役で出演するブロンディのデボラ・ハリー
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 劇中に濃厚な80年代的軽薄さは、製作・共同原案のザルマン・キングや、脚本家チームの持ち味という気がする。ルドルフらしさが最も炸裂しているのは、コインランドリーで麻薬捜査班の刑事たちがトラヴィスとローラの会話に割り込んで来るシーンだろう。掛け合い漫才のように混乱していく台詞の組み上げ方が非常に巧い。また、サイドストーリーとして描かれるトラヴィスのヘンテコな家族たちの描写も、アルトマン的なビザールさを狙っているようにも思える。テキサスのド田舎をネタにしたギャグには何故か力が入っていて、冒頭、アルマジロが群れをなして道をゾロゾロ歩いてくる日常描写(?)は、『悪魔のいけにえ』(1974)のパロディのようだ。

 もちろん、この手の映画の楽しみといえばミュージシャンのカメオ出演。ハンク・ウィリアムズJr.のライブシーンでは、ロイ・オービソンが超どうでもいい感じで一瞬だけ登場。そんなに興味ねえのか、ルドルフ。もっとどうでもいい感じなのが、レコード会社の場面でちょっと廊下に出てくるだけのピーター・フランプトン(この辺は『ナッシュビル』っぽい)。その点、ブロンディはやたらと出番も多く、台詞も芝居も充実。いちばんかっこいいのは、やっぱり素で出てくるアリス・クーパー。主人公たちを食事に誘うシーンで「ペットの蛇とメイクアップと真っ黒の衣装もお願いします!」と言われて、あっさり「いいよ」と答えてその格好で高級レストランに行くのが可笑しい。イイ人だ。

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『ローディー』DVD

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『ラスト・ホリデイ』(2006)

『ラスト・ホリデイ』
原題:Last Holiday(2006)

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〈おはなし〉
 30代女性のジョージア(クイーン・ラティファ)はデパートで販売員として働いている。寂しく慎ましい独り暮らしで、得意の料理の腕を振るう相手も隣家に住む少年だけ。ひそかに同僚のショーン(LL・クール・J)に恋焦がれているが、なかなか言い出せない。あるとき彼女は、ひょんなことから自分が余命3週間だと告げられてしまう。絶望した末に開き直った彼女は、仕事を辞め、貯金をはたいて憧れのスキーリゾートへと単身旅立った。

 着いた先はチェコの観光地、カルロヴィ・ヴァリ。ヘリに乗って高級ホテルに乗り込んだジョージアは、たちまち他の宿泊客から注目を集める。その中にはデパート社長クレーガン(ティモシー・ハットン)の姿もあった。高級ドレスに身を包み、名シェフ・ディディエ(ジェラール・ドパルデュー)の料理を堪能し、スノボやパラシュートジャンプにも挑戦し、この世の最後の春を謳歌するジョージア。“生きることに旺盛”な彼女の生き方は、いつしか周囲の人々を魅了していく。ただひとり、疑り深いクレーガンを除いて。

 一方、姿を消したジョージアを心配したショーンは、彼女の病気を知り、自分の真意を伝えるべくカルロヴィ・ヴァリを目指すが……。

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 ラッパーで人気女優のクイーン・ラティファが主演したコメディの快作。使い古されたプロットながら、王道を外さない演出と、芸達者揃いの俳優たちの演技で、気持ちよく笑って泣かせる秀作に仕上がっている。

 元は1950年にイギリスで作られたアレック・ギネス主演の同題映画で、80年代前半からハリウッドでリメイク企画が進んでいたものの、幾度となく頓挫。が、あるときクイーン・ラティファのエージェントから「彼女を主役に想定して書き直してほしいんだけど?」と提案され、そこから急に実現に向かって動き出したという。男だった主人公の設定を地味な30代女性に変更し、シニカルな風刺喜劇から暖かみのある女性映画へと蘇らせたことが、企画を成功へと導いた。

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 パワフルという形容が服を着て歩いてるようなクイーン・ラティファが、ひっそり地味に生きる独身女性を演じるというのも意外。大丈夫か? と思ったけど、前半は見違えるような地味さ(笑)。中盤からはいつものように生命力に満ちた姿を見せてくれるが、序盤の抑えた芝居が下地にあるので、暑苦しい感じはしない。美しいものに素直に感動する女性の可愛らしさも、うまく演じていた。

 監督のウェイン・ワンは、職人的手腕で映画を品良くまとめ上げている。主演のラティファ曰く「商業的で深みのないライトコメディになり得た」企画を、おとぎ話風のアンサンブルドラマとしてデリケートに演出したのが勝因だろう。『チャイニーズ・ボックス』(1997)みたいな失敗作もあるけど、ハマる時はちゃんとハマる。また、豪華なセットや東欧の街並を、とてつもなく美しいルックで捉えた撮影監督ジョフリー・シンプソンの仕事も出色。コメディとは思えないほどだ。

 サポートキャストの揃え方もうまい。安易にコメディアンを起用したりせず、実力の伴った俳優たちをバランスよく配し、異業種女優ラティファの脇をしっかり固めている。個人的には、デパート社長の愛人を演じたアリシア・ウィットが予想以上によかった。えらいこと綺麗になってるし(言うまでもなく『砂の惑星』のアリア姫である)。LL・クール・Jが実直なキャラを演じているのも意外だったけど、なかなか好演。ジェラール・ドパルデューの使い方も上手。チェコの地元俳優が演じたホテル従業員の面々も、それぞれキャラが立っていて面白い。

▼アリシア・ウィット
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 たまたま輸入盤DVDを見つけて観たのだけど、来月には日本でもパラマウントからDVDがリリースされるそうなので、ぜひ。

・Amazon.co.jp
『ラスト・ホリデイ』DVD

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『いれずみの男』(1968)

『いれずみの男』
原題:The Illustrated Man(1968)

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 レイ・ブラッドベリのあまりに有名な短編アンソロジー『刺青の男』を映画化したオムニバス作品。日本では公開以来ソフト化されたことがなく、映画ファンの間では「多分そんなに面白くはないんだろうけど、いつか観てみたい映画」の筆頭みたいなタイトルだった。つい最近アメリカでノートリミング版DVDが出たので、やっと念願叶って観た人もいるだろう。まあ実際、面白い映画ではなかったのだけど。

 間違いなくブラッドベリの小説は映画にならない。そのメランコリーも美しさも怪奇味も、文章だけが持ちうる魅力だ。かろうじてマンガならなんとかなるか、と萩尾望都の作品を思い出しながら言ってみたけど、何にしても原作の方が断然いいに決まっている。特に映画化は無理。ダメ、ゼッタイ。この『いれずみの男』も、ブラッドベリの文体が持つ風味の再現には少しも至らない、無骨な映画だ。

 何しろ主演のロッド・スタイガーが暑苦しすぎる。物語のもの寂しい憂愁も、寓話的な残酷さも、ほとんどスタイガーの熱演に持っていかれてしまう。監督のジャック・スマイトは、不向きな題材をまるでこだわりのない演出でさばくのみ。セットデザインにいたっては壊滅的だ。

 撮影は『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(1967)のフィリップ・ラスロップが担当してるので、悪夢的なフィーリングはそれなりに出ている。SF的な見どころとしては、2番目の話に出てくる光線銃(当たると体からブクブク泥が湧き出してくる)がなかなかカッコ良かったぐらい、か。

 ブラッドベリの映画化は無理。この顔ぶれと、この時代では特に。そう分かった上で観るなら、面白くはないけど退屈はしない。「やっぱり無理だわなー」という確認作業のようでもある。

▼原作の方がいいです、当然。
・Amazon.co.jp
本『刺青の男』 (ハヤカワ文庫)
・DVD Fantasium
『いれずみの男』DVD(US盤)

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『ようこそ☆おちこぼれカレッジ』(2006)

『ようこそ☆おちこぼれカレッジ』
原題:Accepted(2006)

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 『ギャラクシー・クエスト』(1999)や『ドッジボール』(2004)でオタク観客の共感を集め、先頃『ダイ・ハード4.0』(2007)の相棒役にも抜擢された若手俳優、ジャスティン・ロングの単独主演作。日本ではまだソフト化されておらず、今のところ「エンタミレル」で観ることができる。これがなかなかの秀作! 久々によくできた青春コメディを観た気がした。

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〈おはなし〉
 大学入試にことごとく落ちてしまった青年バートルビー(ジャスティン・ロング)。親の手前なかなか打ち明けられず、思いあまった彼は仲間の助けを借りて、架空の大学をでっち上げる。その名もサウス・ハーモン工科大学、略して「S.H.I.T.」。ホームページを立ち上げ、元精神病院の空きビルを改装して即席の校舎を作り上げるバートルビーたち。

 ところが「ワンクリックで入学可能」なホームページを通じて、全米中の落ちこぼれが「S.H.I.T.」に殺到! バートルビーは慌てて彼らを追い返そうとするが、そこに集まったのは自分と同じ“拒絶”された若者たちだった。彼の胸に何かが灯る。

 バートルビーたちはニセの校舎、ニセの大学学長、ニセの寮まで用意し、本当に大学を運営することに。やりたいことを自由に追求する型破りなクラスが次々と生まれ、学園内は無法地帯状態になる。が、そこは彼らにとって最高の学校だった。格式ばった伝統も、融通の利かない受講システムも、単位取得のプレッシャーもない。初めて人生に目標をもって学校作りに奔走するバートルビーに、名門校へ進学した幼なじみのモニカ(ブレイク・ライヴリー)も惹かれていく。だが……。

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 テーマがとても明確だし、ストーリーの着想も面白い。まとめ方は真面目だけど、設定はかの『アニマル・ハウス』(1978)の破天荒さを思い出させて懐かしかった。尺も93分とコンパクト。何より「落ちこぼれが自分を受け入れてくれる場所を見つける」という物語に、シンプルに泣いた。一度でも社会と相容れない自分を感じたり、自分の居場所について悩んだことのある人なら、必ず胸に響くはず。アメリカの大学事情や、日本とも共通する大学教育への疑問も、主人公の視点から素直に切り取られていて面白かった。

 およそ主役にはなり得ないようなオタク青年ジャスティン・ロングの個性を、主役として活かした直球青春映画としても記念碑的。地味に見えてもちゃんと映画を引っ張れるし、やっぱりいい役者だなぁと思った。MacのCM(日本ではラーメンズが出てるやつ)にも出たりして、アメリカでは着実に人気者への道を歩んでいるようで、ちょっと嬉しい。

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 脇を固めるキャラクターもそれぞれ立っている。ヒロイン役のブレイク・ライヴリーがやたら可愛かった。絵に描いたようなブロンド美少女なのに、嫌な感じがしない。雰囲気がちょっとヘレン・ハントに似てる。大挙登場するコメディリリーフの中では、自分の名前も書けないほどのバカだが料理の才能を発揮するグレン役、アダム・ハーシュマンがインパクト大。ちょっとコイツにばっかり頼りすぎな感もあるけど。あと「将来の夢:念力でモノを破壊したい」というボンクラ男子学生のキャラもよかった。

 音楽もいい。ニセ大学に大量の落ちこぼれ生徒たちがなだれ込んでくるシーンでは、「エリナー・リグビー」のハードロック風カバーが流れて笑わせてくれる。そして、主人公がパーティで無理やり舞台に上げられて1曲披露させられる、というお決まりのシーンでは、ラモーンズの「Blitzkrieg Bop」を熱唱! あのジャスティン・ロングが! 思わず不意打ち的に泣かされてしまった。ずるいよ、ジャスティン・ロングのくせに!

 この映画の原題“Accepted”とは、学校の合格通知に押される「入学許可」のスタンプ。「受諾する/認可する」といった意味合いなので、なんとなく高飛車な物言いでヤな感じだが、74年前に作られた1本の映画ではその言葉が全く違うニュアンスで使われた。トッド・ブラウニング監督の名作『フリークス』(1933)である。サーカス団のフリークスたちが彼らのコミュニティに新参者を招き入れるとき、テーブルを囲んで「We accept you, one of us!」と歌うのだ。そこに描かれたはぐれ者同士の連帯意識は、強烈な孤独と反社会性に裏打ちされていた。そして約40年後、ラモーンズが「Gabba Gabba We Accept you, We Accept you, One of Us!」と歌い、ライブハウスに集った行き場のないパンクキッズを熱狂させた。本作でも落ちこぼれ学生たちの前でラモーンズが歌われるのはそういうことだ(さすがにあまりの明白さを避けるため「Blitzkrieg Bop」を選曲するわけだが)。三者の“Accept”に込められた意味は同じである。こんな屁理屈をこねるのも、単なる生ぬるいコメディだと思って見逃してほしくないからだ。

 監督はスティーヴ・ピンク。誰だ? と思って調べたら、元々は俳優で、『ポイントブランク』(1998)や『ハイ・フィデリティ』(2000)など、ジョン・キューザックの出演作でシナリオやプロデュースを手がけた人だった(本作には主人公の母親役でキューザック家の長女アン・キューザックが出演している)。そんなことより次の監督予定作はグレゴリー・マクドナルド原作の『Fletch Won』だというではないか! それってケヴィン・スミス監督の念願の企画だったはずじゃ……おのれ! でも本作の仕上がりを見る限りでは期待してもいいのかな、とも思った。

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 まあネット配信でもいいんだけど、こういう良作を観られるチャンスがもっと増えればいい。DVDぐらい出してほしいな……スコープサイズのノートリミング版で(エンタミレルではTVサイズ放映だった)。

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『宇宙大征服』(1968)

『宇宙大征服』
原題:Countdown(1968)

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 大ヒット番組『コンバット!』などで活躍していた気鋭のテレビ演出家、ロバート・アルトマンが初めて大手映画スタジオのワーナー・ブラザーズで監督した劇場長編。アルトマンは以前に長編ドキュメンタリー『ジェイムス・ディーン物語』(1957)の演出を手がけた他、無軌道な若者たちを描いたいわゆるJD映画『The Delinquents』(1957)も監督しており、『宇宙大征服』は実に10余年ぶりの映画復帰作となった。

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〈おはなし〉
 アメリカとソ連が宇宙開発競争にしのぎを削る、1960年代──ソ連が有人宇宙船を月に向けて打ち上げた。焦ったアメリカはアポロ計画を一旦中止、月ロケット発射計画「ピルグリム」を始動させる。その実態は急ごしらえの粗末なもので、飛行士の安全面もまるで保障できないような危険なミッションだった。加えて、ソ連側ロケットの乗組員が民間人だったため、それまで飛行訓練を受けていた空軍大佐チズ(ロバート・デュヴァル)が任務から降ろされ、代わりに民間人のリー・ステグラー(ジェームズ・カーン)が“栄光の第一歩”を踏む者に選ばれた。怒り心頭のチズは渋々リーのサポートに回るが、その態度は厳しかった。

 そしてついにピルグリム・ロケット発射の日が迫る。数日先んじて、酸素や食料などの生存用物資を積み込んだシェルターが月面へと発射された。リーは月面着陸後の短い時間で、そのシェルターに避難しなければならない。もし着陸前にシェルターの位置を確認できなければ、すぐに諦めて引き返せ、という厳命が下されていた。

 そしてリーは宇宙へと旅立つ。チズの巧みなナビゲートで軌道に乗り、月面上空にまで辿り着くリー。だが、シェルターのビーコンは確認できない。その時、リーはある決断を下した……。

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 この映画が製作されたのは、アポロ11号が月面着陸を成功させる1年前。まさにリアルタイムで進行していた宇宙進出計画を、アルトマンはありきたりな空想特撮映画調にはせず、リアリスティックな筆致で描いた。日本公開時の宣伝コピーは「征服者は果たして誰か? 想像をこえた人類最後の大戦争! 銀河せましと闘う宇宙大決戦!」というものだったが、当然そんな内容ではない。

 後半の宇宙飛行シークェンスは特筆もので、狭い宇宙船内と地上の管制ステーション以外、カメラが外に出ないのだ。よくある「宇宙空間に浮かぶロケット。地球ナメ。奥から太陽現れる」みたいな画は一切なし。ひたすらパイロットとナビゲーターの可視範囲にのみ視界を限定し、キューブリックのようにいきなり神の視点に立ったりはしない。もちろん宇宙空間も無音、月への軌道に乗るためのロケット噴射も単なる「船内の振動」としてのみ描写される徹底ぶり。絵面としてはものすごく地味だが、今までにない硬質のリアリズムを再現しようとする作り手の高い志を感じた。

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 宇宙飛行士たちの不安定な心情に寄り添う生々しいドラマも、当時のSF映画ジャンルのスタンダードからは外れている。ジェームズ・カーンが珍しく繊細な演技を見せていて、ちょっといい。常にテンションの高いロバート・デュヴァルとは好対照。彼らの同僚役でアルトマン映画の常連マイケル・マーフィーも助演している。

 また、2人以上の人物の会話をオーバーラップさせるという、後にアルトマン作品のトレードマークとなる演出スタイルも随所に見られる。それまでならNGの対象になってきたようなテイクが、アルトマンにとっての「リアリティある会話」だった。パーティの場面や、高官たちの言い争うシーンで、騒々しくて何を言ってるのか聞き取れない言葉の応酬がそのまま繰り広げられる。

 しかし、スタジオの社長ジャック・ワーナーは編集中のラッシュを見て激怒。アルトマンをスタジオから閉め出し、映画を再編集してしまった。結果、できあがったものはアルトマン曰く「子ども向き」のSF映画。主人公の死を匂わせる結末も、お手軽なハッピーエンドに変えられた。それでも、先に述べた型破りな演出は、劇中でかなり強烈な場面として残っているし、再編集でもごまかしきれないアルトマン・タッチは所々に散見できる。深く濃い影をあしらった室内照明のデザインは、翌年の作品『雨にぬれた舗道』(1969)で徹底された陰影礼賛への布石にも思える。さすがに鏡やガラス越しの撮影、ズームレンズの濫用などはまだしていないが。

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 お子様映画化に一役買っているのが、『コンバット!』も手がけたレナード・ローゼンマンの音楽。ベタベタな古典的スコアが画面の緊張感を見事に殺いでいる。いいところもあるが、基本的には型にハマったハリウッド映画スタイルなのがイタイ。

 当時としては抜きん出たリアリティと緊張感はあるものの、最後までは持続しない。ちょっと残念な作品ではあるが、アルトマンのファンなら興味深く観られるはずの1本。『コンバット!』の演出担当回などとも併せて観たい。

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