Simply Dead

映画の感想文。

『温泉芸者』(1963)

『温泉芸者』(1963)

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〈おはなし〉
 秋葉川温泉いちの売れっ子芸者、しめ香(叶順子)。器量良しながら口のきけない彼女は、他の芸姑とは「ひと味違う」と評判で、多くの男たちが彼女目当てに温泉へとやってくる。ところが実はオシというのは真っ赤な嘘。その方が客受けがいいからと彼女が考えついた計略だった。

 次から次へと客をとり、一心不乱に金を貯め込むしめ香。その肉体の虜となり、彼女をモノにしようとする男どもはひきもきらずだが、妾になるのは性に合わない。そんな彼女にも、本物の恋が訪れるのだが……。

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 大映のスター女優・叶順子が主演した、温泉芸者シリーズの第1作。「映画秘宝/セクシーダイナマイト猛爆撃」で読んで以来、ずっと観たかった映画で、ラピュタ阿佐ヶ谷の「映画×温泉」特集でやっと観ることができた。叶順子の主演作って観たことなかったんだけど、もうこれ1本でファンになってしまった。可愛いし。でも本作から数えて何作か出た後に引退してしまったのだという。この映画のヒットのおかげで温泉芸者モノの看板スターにされそうになったというから、まあ賢明な判断かもしれない。

 映画は想像以上にあけすけな内容で面白かった。別にヒロインの全裸シーンとかベッドシーンがあるわけじゃないけど、完全に温泉芸者=売春婦という割り切った話になってて、まったく悪びれるところなく話が進んでいく。不謹慎だけど大らか。そういうのが許される時代だったということだけど、いっそ清々しい。勉強にもなるし。一応お約束として取って付けたような教訓的オチは待っているけど、何ら反省を促すものではない。

 富岡壮吉監督のテンポよくコミカルな演出も快調。シナリオの構成は単純だけど退屈させずに見せきる。「カタワは普通と具合が違うというので人気がある=金が稼げる」と知った主人公が、最初はびっこになろうと橋の上から飛び下りたりするギャグが可笑しい。もう今では絶対作れない映画だろうな。当時でも人権蔑視だと問題になったとか(当たり前だ)。「あたしのなんて人並みだと思うんだけど、オシってだけで具合がいいとか評判たっちゃって」なんて台詞にもいちいちキックがあって面白い。

 がめついけど憎めない、懸命だけど愚かなキャラクターを、叶順子があっけらかんと演じていて、すこぶる魅力的。ふくよかでコケティッシュな美貌が、陽性のキャラクターと相まってフルに活かされたハマリ役だ(まあ本人的にはハマリすぎて危険だと思ったのかもしれないけど)。

 ドスケベ面全開の助演男優陣も素晴らしい。うだつの上がらない置屋の主人役の中村鳫治郎、山を叩き売った金で幾日もヒロインと宿に引き込もる老マタギ役の左卜全が最高。

 次は『温泉あんま』(1963)が観たいなあ。

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『アポカリプト』(2006)

『アポカリプト』
原題:Apocalypto(2006)

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 いや凄かった。始まってしばらくは「変なところで期待しすぎたかな」とか思ったが、やっぱり圧倒された。今こんな映画を作る必要は全くないし、こんな企画を通すために越えなきゃいけないハードルは考えただけで途方もないし、それをまんまと実現させているメル・ギブソン先生の馬力たるやとんでもない。しかもムチャクチャ見応えある残酷アクション大作に仕上げている。誇大妄想的な使命感をもって映画というものを何か原初的な場所へ立ち返らせようと驀進するギブソン先生の闇雲なパワーには素直に参りましたと言うほかない。実現してしまったものはもう誇大妄想とは呼べないから。時代考証やら文化的誤解やら、真に受けると危険な部分はあとで観客それぞれが勉強すればいい(劇場入り口で「正しいマヤ知識」みたいな冊子でも配ってくれればいいのに……パンフでもろくに間違いには触れてないんだから)。観ている間はひたすら血沸き肉躍る映画の躍動を体感するだけで、138分間があれよあれよと過ぎていく。『アギーレ/神の怒り』(1972)と合わせて観たい1本。

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 ノースター、聞いたこともない言語、シンプルなストーリーでこれだけハートを持っていかれるということは、やはりギブソン先生の映画修練の力がハンパじゃないのだ。中盤、巨大な神殿のてっぺんで超かっこいい人たちが執り行う大残酷儀式の盛り上がりに抵抗できる観客がいるだろうか?(まあいても大丈夫ですけど)。そこから後半、ひたすら走って飛んで泳いで殺してまた走るクロスカントリー版オデュッセイアから、ラストシーンに至るまで、上がったテンションがまるで落ちない。CG全盛の風潮に否を叩き付けるがごとく、体を張ったアクションのつるべうちで観客の襟首を掴んで引きずり回す。『ブレイブハート』(1995)以来となるギブソン先生の野蛮なアクション作家としての手腕が遺憾なく発揮されていて、凄く楽しい。

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 CGを駆使した絶対安全の絶体絶命アクションに慣れきった、腑抜けた観客の前にギブソン先生が生贄の生首のごとく差し出すものは、映画的興奮の原点回帰。すなわち生身のアクション、実物大のスペクタクル、過剰なエキゾティズム、レイティング上等の残酷性、そして偏ったリアリティ。マヤ語によるダイアログの徹底と、役者の肉体そのものが放つ説得力だ。特に主人公と敵対する帝国側の面構えがほぼ100%完璧で素晴らしい。特にいやらしい憎まれ役のヘラルド・タラセーナは絶妙すぎて「こういう人が出なくなったから最近の映画はつまらないんだな!」と心底から思った。さっきも書いたけど、ピラミッド頂上で血まみれの儀式を楽しむ人たちのかっこよさたるや尋常ではない。司祭もいいけど半笑いの王が最高だった。ほとんど『ヘルレイザー』並のインパクト。あと、ヒロインが凄く可愛くて綺麗(やや真理アンヌ似)なのはさすがギブソン先生! と思った。

▼素晴らしすぎる名悪役G・タラセーナ
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 でも最初は「えっ、HD撮りなの!?」と意外なところで面食らったりした。光量の少ないジャングルでの撮影を可能にするため、本作ではパナヴィジョンが開発した最新デジタルカメラ“ジェネシス”が採用されている。フィルムなら多量のライティングを必要とする状況でも、自然光だけで十分な明るさが映像に得られるそうだ。実際、映像のクオリティはフィルムとほとんど遜色ない。ただ、デジタル特有の弱点はある。残像がソフトにぼやけた感じに流れてしまうので、本作のようにアクションの多い作品の場合、乱暴なスピード感が出なくなってしまう。パンフレットなどでは「おかげでスピード感が増した」とか書いてあるが、逆だと思う。その辺はまだ改善の余地ありかなと感じた。

 観ながら思い出したのは、同じオーストラリア人のロルフ・デ・ヒーア監督が作った『十艘のカヌー』(2006)。白人の入植地となる遥か以前のオーストラリアを舞台に、先住民たちのドラマを淡々とユーモラスに描いた作品で、台詞は全編アボリジニ語。これも観客を日常とは無縁の別世界に連れていく秀作だった。もしギブソン先生が観ていたら、「俺だったらもっとアクション満載にするのになあ」とか思ったかもしれない。ていうか、なんでいつもオーストラリアに“帰らない”のだろう? やたらスケールのでかいものを作りたがったり、ひとつの思想や文化が弾圧の末に滅びゆく題材に執拗にこだわったり、だったらオーストラリアでアボリジニの映画でも撮ればいいのに、絶対に戻らない。もし戻るとしたら、何かさらに自身の深い闇へと潜って行くような決定打が見られるのでは、という気がしている。無難な自伝映画など作ってほしくないものだ。

〈このあと少しネタバレ〉

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『The Equinox ...A Journey Into the Supernatural』(1967)

『The Equinox ...A Journey Into the Supernatural』(1967)

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〈おはなし〉
 精神病院に隔離されている青年デイヴィッド(スキップ・シャイマー)。何かを恐れるように心を閉ざす彼が語った体験談は、完全に常軌を逸したものだった……。

 1年前。デイヴィッドたち4人の男女は、車で人里離れた森へと出かけた。山小屋に引っ込んで音沙汰のないウォーターマン教授を訪ねるついでに、みんなでピクニックでもしようという算段だ。しかし、教授のコテージは天災にでも遭ったかのように、メチャクチャに破壊されていた。一行は教授の行方を探す途中、洞窟の奥から鳴り響く奇声を聞く。中へ進むと、薄気味悪いキチガイ老人が現れ、古文書のようなものを強引に手渡されてしまう。

 水辺で小休止する4人。そこに何者かが近付き、古文書を奪って逃げ出した。ウォーターマン教授だ! デイヴィッドらが追うと、教授は転倒した弾みに絶命。しばらくすると、今度は巨大な怪物が襲いかかってきた! どうやらこいつの狙いも古文書らしい。次々と奇怪な出来事に見舞われる中、彼らはこの森に、異形の者たちが現れる別世界との“境界線”があることを知る……。

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 『ジュラシック・パーク』(1993)で特撮映画史にひとつの金字塔を打ち立てたSFXアーティスト、デニス・ミューレン。彼が学生時代に友人のマーク・トーマス・マッギーらと制作したハンドメイドのモンスター映画、それが本作『The Equinox ...A Journey Into the Supernatural』だ。アラン・ルドルフ監督の同題映画もある「Equinox」という言葉は、昼夜平分時、つまり日本語でいう春分または秋分の意。昼と夜が対等になる時を、現世と異世界の境界に見立てている。

 撮影は65年から66年にかけて行われ、67年に完成。その後、B級映画プロデューサーのジャック・H・ハリスに買い取られ、追加撮影と再編集を経て『Equinox』という短縮タイトルで70年に劇場公開された。2006年にアメリカのクライテリオン社から発売されたDVDには、双方のバージョンが収められている。

 先に70年版を観ていたため、あまりいい印象を持っていなかったが、初めてオリジナル版を観て考えを改めた。70年版は珍妙なキャラクターが付け足され、冷笑的な悪意に満ちていたが、本来ミューレンたちが目指したものはもっとシンプルでシリアスなスリラーだったことが分かったし、70年版では霧消していた作り手のイノセンスも感じられた。ただしそれは、どんくさい怪獣映画マニアの屈託ない無邪気さとは違う、言い知れぬ不安を湛えたイノセンスだ。

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 考えてみたら、ベトナム戦争や公民権運動、ケネディ大統領暗殺といった世情の不安をダイレクトに受け止めてきた60年代アメリカの若者が、そんなにノーテンキな映画を作るわけがなかった。なんせ『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)の前年にできた映画だし……なんてコジツケはさておいても、ある時代の不穏なムードが反映されているのは確かだ。70年版はそれが悪ふざけ的なユーモアに消化されてしまったが、オリジナル版にはより素直な若者たちの「不安」が、通底音として刻まれている。何の変哲もない日常が、あるきっかけで噴出した暴力や悪意によって、完膚なきまでに破壊される予感。「異次元の扉が開いて怪物が溢れ出してくる」というラヴクラフト的な題材が、時代の気分と合致しているのだ。ひどくのどかな明るい映像、全編に漂う静けさ(ダビング処理が拙いせいだ)、そして素人俳優たちの邪気のない芝居が、余計に不穏なムードを際立たせている。前半のモラトリアム的な感じなんかはちょっと『バッド・チューニング』(1993)ぽい。←褒めすぎ?

 とはいえ、それは作者たちの無意識の産物だろうし、意識的にサスペンス醸成を試みた部分は、基本的にアマチュアの域を出ていない。最も力が入れられているのは、やはりストップモーションアニメによる特撮シーンだ。手がけたのはデニス・ミューレンと、デイヴィッド・アレン。アレンもまた後に『空の大怪獣Q』(1982)などの見応えある仕事で、特撮ファンに一目置かれるストップモーション・アニメーターだ。そして、すでにハリウッド作品で活躍していた先輩のジム・ダンフォースが、本作にはマットアーティストとして参加している(ついでにカースタントも担当)。オリジナル版では、彼らの才気溢れる仕事をふんだんに見ることができる。アラも多いが、センスが抜群にいい。特に素晴らしいのは終盤に登場する、羽を持った悪魔。その動きの生々しさ、見せ方の巧さはちょっと驚き。巨人が登場するシーンの特撮も見事だ。

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 サム・ライミ監督の出世作『死霊のはらわた』(1982)とのストーリー上の相似は、多くの文献で指摘されているとおり。映像的には、大部分が真っ昼間に裏山で撮ったようなチープなルックだが、たまに様子が変わるのが面白い。どぎつい色彩と大袈裟な構図でテンション高くたたみかける教授の回想シーンなどは、ECコミックス的な映像センスといい、どちらかというと『死霊のはらわた2』(1987)の方を思い出す。また、ある境界線を越えると赤色フィルターのかかった異世界が広がり、頭巾を被った亡者たちが悪魔に支配されている……という描写は、設定的にもビジュアル的にも、むしろ『ファンタズム』(1979)への影響を感じさせた。

 コアな映画マニアだけでなく、映画制作を志す人やアニメーター志望の若者が観れば、なんらかの刺激は得られると思う。デジタル全盛の時代に自主制作のアナログ特撮映画なんか観てもなぁ、とか思うならそれまで。発想力と意欲に溢れ、独学でこつこつ知識を蓄えた人間が、予算もスキルもない状態で、どれだけオリジナルな仕事をしているかを観るのが大事だから。

・DVD Fantasium
『Equinox』DVD(US盤)

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『Equinox』(1970)

『Equinox』(1970)

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 今やハリウッドの第一線で活躍するVFXアーティストのデニス・ミューレンが、無名時代に仲間と共に自主制作したモンスター映画『The Equinox ...A Journey Into the Supernatural』(1967)。それをB級映画プロデューサーのジャック・H・ハリスが買い取り、編集者のジャック・ウッズに追加パートの脚本・監督を任せ、再編集して一般公開したのが本作『Equinox』。もちろんドライブインシアター中心の興行で、併映はジョン・キャラダイン主演の雪男ホラー『Bigfoot』(1970)だった。他にハリスによって見い出された作品は、ジョン・ランディス監督の『シュロック』(1973)、ジョン・カーペンター監督の『ダーク・スター』(1974)などがある。

 オリジナルの67年版は「人里離れた森の奥で4人の若い男女が謎のモンスターに襲われる」というきわめてシンプルなストーリー。しかし70年版では、悪魔の手先となる森林公園の警備隊員というキャラクターが追加され、主人公たちを翻弄したり、ヒロインをレイプしようとしたりする。演じているのは追加パート監督のジャック・ウッズ本人。

▼大熱演中のジャック・ウッズ
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 ぶっちゃけ、ハリスとウッズの仕事は「改悪」と言っていい。悪意に満ちたユーモアが随所に差し挟まれ、そこが逆に素人くさい。また、ベタな音楽やSEなど、B級映画として真っ当な音響処理が加えられたおかげで、オリジナル版にあった不穏な空気感が消し飛んでいる。何よりけしからんのは、若手特撮スタッフによるクリーチャーの登場シーンをかなりカットしていること。確かに冒頭の巨大な黒い影が現れるところは合成がうまくいってないのだけど、あれがあるとないとでは映画のムードがまるっきり変わってしまう。他にもクリーチャーの見事な動きに限ってバッサリやられてたりするので、ちょっと滅入る。

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 米・クライテリオン版のスペシャルエディションDVDを持っていて、これから観るという人には、オリジナル版も忘れずに併せて観てほしい。こっちはこっちで時代性が表れていてイーヴルな感じで好き、という人もいるかもしれないけど。ちなみに追加パートの撮影助手として、『突撃バンパイアレポーター』(1985)や『アップルゲイツ』(1990)などに出演した二世俳優のエド・ベグリーJr.が参加している。

・DVD Fantasium
『Equinox』DVD(US盤)

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『タラデガ・ナイト オーバルの狼』(2006)

『タラデガ・ナイト オーバルの狼』
原題:Talladega Nights: The Ballad of Ricky Bobby(2006)

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 人気コメディ俳優、ウィル・フェレル主演の全米大ヒット作が、日本では案の定DVDスルー。実際観ると未公開も無理ないか、と思える内容。この手のホワイトトラッシュのバカさ加減を笑うコメディを受け入れる土壌が日本にはまだないだろうし、バカに2時間付き合える体力や度量が今の観客にあるかというと難しい。

 個人的にも正直、辟易した。同じチームが作った『俺たちニュースキャスター』(2004)も似たような映画だったと思うけど、全体に余計なギャグが多すぎて、飽きる。集中して観たいクライマックスにまで大して面白くもないギャグを突っ込まれると「もういいよ」という気分になってくる。DVDの特典映像みたいな小ネタまで見せられて121分は長すぎ。ウィル・フェレルのキャラもいつもと同じだし。ちょっと期待してたんだけど、やっぱりこういう映画が予告編以上に面白くなるってことはないんだな。

 あと、暴力的なギャグや際どいジョークを連発していながら、ドラマ的には極めて生ぬるいことしかしていないのにも腹が立った。ジョン・C・ライリー扮する主人公の元相棒は、どう考えてもクライマックスで死ぬべきだろう。ギャグでもいいから。

 DVD特典の監督のオーディオコメンタリーを聞くと「こいつ、つまんねえ人間だな」というのがよく分かる。

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『ゾディアック』(2007)

『ゾディアック』
原題:Zodiac(2007)

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 デイヴィッド・フィンチャー監督が、70年代にサンフランシスコで実際に起きた連続殺人事件を題材に描いた、実録犯罪映画の力作。お得意のテクニカルな映像技巧は抑えつつ、澱みない語り口とリアルな描写の積み重ねによって、157分という長尺をドラマチックに見せきっている。いまだに犯人が捕まっていない未解決事件という、通常のカタルシスが約束されないストーリーでありながら、これだけ堂々とした映画に仕上げてしまうのはやっぱり大したものだ。そもそも本作の主眼は、犯人探しのミステリーとは違ったところに向けられている。

 猟奇連続殺人をテーマに扱ったのは出世作『セブン』(1995)以来だが、両作品の印象は全く違う。フィンチャーは今さら事件そのものの異常性を主体に描こうとはしない。犯人の残した謎に魅入られ、真相究明に取り憑かれていく人々の“執心”がこの映画のメインテーマだ。私生活を犠牲にし、人生を台無しにしてまで、ひとつの事件にのめり込んでいく主人公たちの姿は、監督フィンチャーの肖像にすんなり重なる。常に妥協を知らないこだわりを貫き通してきた彼にとって、5年ぶりの長編となる本作『ゾディアック』は、自身の心の闇を見つめるセラピーだったのではないか。「決して諦めないこと」は、美徳などではない。だが、そうせざるを得ない人間もいる……という釈明にも見える。負のナルシズムというべきか、硬質の自己憐憫というべきか、この物語の主人公たち(と、その狂気じみた執心)に寄せるフィンチャーの共感は揺るぎない。

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 といって、ミステリーやサスペンス面で見るべきところがないかというと、むしろ逆だ。ハイテクどころか通信機器も満足に行き届かない70年代当時の捜査状況が丹念に描き込まれ、「なぜ事件は解決されなかったのか?」という一風変わった興趣で、フィンチャーは観客を巧みに引き込んでいく。未曾有の犯罪者ゾディアックの登場が社会全体をパニックへと陥れ、司法やジャーナリズムを翻弄していく過程は、実にスリリングで面白い。

 苦渋と絶望を備えたシビアなサスペンス演出も、フィンチャー作品ならでは。閃きに思えたものがまやかしであると分かった瞬間の衝撃と落胆。好奇心に身を任せるうち、いつしか自分自身が死の危険に直面していることに気付いたときの戦慄。『セブン』と共通するのは「困ったらとりあえず図書館に行け」という鉄の掟?

 時代風俗をことさらに協調しないシンプルな演出も潔い。といっても細部の再現には細心の注意を払っており、画面内に漂うその時代独特の空気感の作りこみは、さりげなくも徹底している。冒頭の映画会社のタイトルロゴを70年代バージョンで揃えるなど、こだわるところには相変わらず異常にこだわっている(いやしかしワーナーの場合は、丸文字っぽいデザインの「W」しか出てこないロゴだったら完璧だったのに……なんて個人的には思ったり)。音楽にベテラン作曲家デイヴィッド・シャイアを起用したのも、70年代ムードのリアルな再現を狙ってのことだろう。新聞社の描写は、シャイアが音楽を手がけた『大統領の陰謀』(1976)そっくりでおかしい。

 撮影監督ハリス・サヴィデスのカメラワークは、淡々としていながら無駄なく鮮やか。きびきびした編集とも相まって、一見地味だが飽きさせない。フルデジタル機材を使いながらも、決して派手な技術自慢には走らず、基本的には現場のライティングや美術との相性で、どれだけアナログの質感を出せるか、というところを追求している。が、気がつくと時折ムチャクチャな技巧をしれっと挟み込んでくるので油断ならない。まるで空にレールが敷いてあるかのような空撮(っぽいCGだよな、多分)などは、フィンチャーらしくて面白かった。

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 実力派揃いのキャスティングもまた、本作を成功に導いた要因だろう。主演のジェイク・ギレンホールを始め、映画ファンなら誰しも一目置く役者陣が、次から次へと出てきて嬉しかった。もはや錚々たる豪華キャストと言って差し支えない。特に、アンソニー・エドワーズの主張しない存在感と、『ファイト・クラブ』(1999)にも出ていたザック・グレニエ(メル・ニコライ役)が印象的だった。あとでimdbで確認したけど、車で赤ん坊と拉致されそうになる女性をノークレジットで演じていたのは、やっぱり『ガス・フード・ロジング』(1991)のアイオン・スカイだった。なんでかと思ったら、冒頭とエンディングで流れる「ハーディ・ガーディ・マン」を歌うドノヴァンの娘だからだそうだ。初めて知った。

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『あるスキャンダルの覚え書き』(2006)

『あるスキャンダルの覚え書き』
原題:Notes on A Scandal(2006)

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 仕事が一段落したので、帰りにパーッと『スパイダーマン3』でも観ていくか! と思ったら時間が合わず、でも絶対に映画1本観る気分にはなっちゃってたので、レイトショーでこれを観た。まあ、それなりに面白かったので「やっぱダーマンにしときゃよかったなぁ」などとは思わずに済んだ。

 ジュディ・デンチが主演だから、また英国王室モノか高級スーツ族の策謀劇か、と思ったら全然違った。公立高の女性教師と男子生徒のセックス・スキャンダルを軸に描く、孤独なオールドミスの妄執うずまく愛憎の物語。このところメロドラマに飢えているのでちょうどいい。生徒相手に過ちを犯した新人教師を陰から支配しようとする主人公を、デンチ御大が力演。今さら言うまでもないだろうけど、こういう危うい役を演じるのも抜群に巧い。怖いだけじゃなく、ちょっとファニーなところとか。

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 あまりに魅力的で屈託が無さすぎるゆえに泥沼にはまる美人教師役は、ケイト・ブランシェット(イギリス映画に出ていると、もはや全然オーストラリア人に見えない)。デンチ御大を始め、登場人物たちがたちどころに心を奪われてしまう女性という設定を、ものすごい説得力で演じている。この映画の彼女は本当に美しくて、これほど魅力的にカメラに捉えられたのは『オスカーとルシンダ』(1998)以来じゃないかと思った。終盤で見せる鬼気迫るエキセントリックな芝居も、デンチ御大の演技スタイルとは好対照で、大先輩とはまた別格の芸をしっかり同画面内で示している。いいものを見せてもらった。

 脚本は劇作家のパトリック・マーバー。主人公のモノローグで始まっておきながら、人称が途中で崩れるので、ちぐはぐな印象は否めない。できるだけ個人の視点だけに絞って、要所でスパイス程度に客観性を挟んでいけば完成度は上がったと思う。女優2人の出番を均等にせよ、というプロデューサー命令でもあったのか。リチャード・エアの演出も含め、この話ならもっと女の怖さや執着心を掘り下げられたと思うのだが、そこら辺を期待するとやや物足りない。前半は山岸涼子の短編漫画みたいでワクワクしたんだけど……。それでも、楽しい戦慄シーンがいっぱいあった。役者の力と、やりすぎなくらいガンガン盛り上げるフィリップ・グラスの音楽で、うまく引っ張っている。前半で期待したほどのパンチには欠けるが、それなりに楽しめる佳作。

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『丼池』(1963)

『丼池』(1963)

 傑作川崎市市民ミュージアムの「人情派バンザイ! 映画監督・久松静児」で観てきた。浅草東宝なき後、こういう特集はつくづく貴重。

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〈おはなし〉
 大阪中心部に位置する繊維街・丼池〈どぶいけ〉で、高利貸を営む2人の女。片や、持ち前のがめつさで戦後のどさくさを逞しく生き抜いてきた丼池筋の顔、平 松子(三益愛子)。そして、自ら“信念”をもって消費者金融業を始めた大学出の美しき才媛、室井カツミ(司葉子)。彼女の父は商人だったが、戦後のモラルなき生存競争のなかで真っ先に食い物にされ、自殺した。カツミの信念とは、父を死に追い込んだ新興商人たちへの復讐だった。だが、合理主義を標榜しながら、中途半端な甘さは捨てきれない。

 かつてカツミと婚約していた青年・定彦(佐田啓二)は、やはり大店の跡取りだったが没落し、今は丼池の老舗洋品店「園忠」の番頭をしている。表向きは繁盛しているように見えたが、内情は火の車。株に手を出して盛り返しを図る店主(中村鴈治郎)は、松子やカツミに融資を求めるが、松子はこれを機に「園忠」を潰そうと画策する。そうはさせじと妨害を始めるカツミ。定彦の制止も聞かず、2人の火花散る対決が幕を開ける。さらに、店主の愛人・ウメ(新珠三千代)の巧妙な乗っとり計画まで絡んできて……。

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 久松静児作品の魅力に気付いたのは最近のことだ。ビデオで永井荷風原作の『渡り鳥いつ帰る』(1955)を観て、胸打たれたのが最初。市井を舞台にした人間ドラマを数多く手がけているせいか、今回の特集でも「人情派」などと冠されているが、その人間観は人生の苛烈さをクールにわきまえたヒューマニストの姿勢ともいうべきもので、ベタついたところがなく、快い。『飛びっちょ勘太郎』(1959)のように、善意に満ちたストーリーを口当たりのいい演出で描く手腕にも秀でているが、実は本作や『渡り鳥?』のように、人間の悪意や弱さを見据えた辛辣なドラマを面白おかしく活写するときが最高だ。

 圧巻なのは、そのスピーディで澱みない語り口。ヒロイン司葉子が破産した商店を差し押さえ、泣き叫ぶ店主相手にとくとくと自身の理想を語るアヴァンタイトルから、いい予感がみなぎっている。矢継ぎ早に繰り出される大阪弁の台詞の応酬で、場面場面を手際よく繋いでいく演出の巧さには、目を見張らずにいられない。カメラワークと音楽のマッチングも素晴らしい。中でも、因業な金貸し婆の三益愛子が猛然と町を横切る姿を追ったドリーショットと、ブラシを使ったリズミカルなドラムソロの掛け合いが最高だ。

「あんたの言いたいこと、大体分かったわ」と軽く言い放つ三益愛子の迫力、満身創痍になるまで追い込まれる司葉子の薄幸の魅力、佐田啓二の「ただ見守るしかない」男前の侘まい。どれもが素晴らしい。ほとんどアドリブのような巧みな台詞回しで、狂言回しのように映画を引っ張る森光子の芸達者ぶりも強烈に印象に残る。鴈治郎の娘役・田村奈巳の出演も個人的に嬉しかった。

 意外だったのは、助演に回った新珠三千代の快演。まったく悪びれもせず男を食い物にする若女将を、コケティッシュに実に活き活きと演じている。言っちゃなんだが、こういう人でなしの可愛い悪女役が本当によく似合うと思う。本作のように、軽快に弾けた彼女の演技がもっと見直されればいいのに。

 脚色は藤本義一。心ない登場人物たちの歯切れ良い台詞が、安易なヒューマニズムを快く蹴り上げる。同じく藤本脚本と相性のよかった川島雄三のようなケレンはないが、突き放し方は近い。

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『ひばりのおしゃれ狂女』(1961)

『ひばりのおしゃれ狂女』(1961)

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 美空ひばり演じる町娘が父の仇を討つため狂人を装い、「シャレキチ(おしゃれなキチガイの略)」などと呼ばれながら権力に立ち向かう歌謡時代劇。タイトルに比べて中身がつまらない映画の典型。今なら絶対できないような突き抜けた展開があるわけでもなく(まあ普通にビデオも出てるし)、かといって『まぼろしの市街戦』みたいなユーモアもなく、単におそろしく凡庸な娯楽時代劇の1本でしかない。美空ひばり主演の東映時代劇には『江戸っ子判官とふり袖小僧』(1959)とか名作も多いけど、これは平均以下の部類。

 とにかくホンが悪い。ヒロイン像がつまらなすぎる。美空ひばりの狂女っぷりも放埒さと説得力に欠けていて、ちょっと頭の回る女の子の探偵ゴッコみたいなノリで、上品ぶってていけない。せっかく魅力的な設定なのに「実は健気でお淑やかな町娘キャラ」とか心底どうでもいい。演出も平板で、彼女が実は正気だったと分かるシーンもまったく盛り上がらない。狂女のふりをつき通す女の執心も鬼気も描かれず、復讐心をたぎらせるあまり狂気が偽装でなくなっていく、みたいな話にも当然ならない。まあ美空ひばりがそんな映画に出るわけないけど。

 話が話だけに「やっぱりキチガイとはいえ苦労するんだなぁ」とか、ところどころキックのある台詞はあるけれど、それだけで最後まで楽しむのは正直しんどい出来。別に山岸涼子の『天人唐草』みたいな傑作を期待してたわけじゃないけど……もう少し面白くしてくれ、と嘆息せずにはいられなかった。

 あと、人が全然死なないのがいちばんダメ。復讐劇なんだから。

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『ジョーカー野郎』(1966)

『ジョーカー野郎』
原題:The Jokers(1966)

 反抗心と暇をもてあます「怒れる若者世代」のボンボン兄弟2人が、英国女王の冠を盗み出そうとするコミカルアクション。監督・原案はこれが日本初公開作となったイギリスの新鋭マイケル・ウィナー。後年の作品群でも発揮されるひねたユーモア・センスと、題材を問わずテンポよく押していく演出スタイルは、本作で大きく開花している。リアルタイムでスウィンギング・ロンドンを活写した映像も見どころ(でも少し小馬鹿にした態度なのがウィナー流)。音楽もオープニングから凄くかっこいい。マイク・ホッジス監督の『狙撃者』(1971)などによって、イギリス映画にもリアルな犯罪/暴力描写が浸透していく直前の時代に作られた、いたって軽妙で罪のないクライムコメディだ。

 映画史上最も似てない兄弟に扮するのは、『These are the Damned』(1963)のオリヴァー・リードと、『ナック』(1965)のマイケル・クロフォード。旬の役者を揃え、ほとんどアクロバティックなまでに全編めいっぱい動かしまくっている。まあ話自体は大したことないけど、シーン運びの快調さと、役者の躍動を見ているうちに目が離せなくなってしまう。

 体制も上流階級もたっぷりコケにしてみせるが、主人公も所詮はボンボンなので、痛快ではあっても痛切さはなく、気楽なもの。逆に、上流社会で身をもてあます若者の空虚さと悲しみがほんのりと漂う。安易なモラルのよりどころを設けず、主人公たちを突き放して遊ばせるマイケル・ウィナーは、やっぱりひねくれ者だと思う。彼の原案に基づいて脚本を書いたのは、イアン・ラ・フレネとディック・クレメント。同じくウィナー監督の『脱走山脈』(1968)や、最近では『スティル・クレイジー』(1998)、『マウス・タウン/ロディとリタの大冒険』(2006)なども手がけるベテラン脚本家コンビだ。

 これも権利関係が複雑なのか、海外・日本ともソフト未発売のまま。何年か前にWOWOWで、ノーカット字幕つきで放映されたことはある。TV放映だけならできる映画って、結構多いみたい。

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