Simply Dead

映画の感想文。

『Fay Grim』(2006)

『Fay Grim』(2006)

fay_grim_poster.jpg

 90年代前半に一世を風靡したハル・ハートリー監督の佳作『ヘンリー・フール』(1997)の、まさかの続編。中身はなんと世界を股にかけたスパイアクションスリラーだ。篠崎誠監督がよく冗談まじりに言っている『おかえり』(1995)の続編企画『おかわり』を本気でやったらこういう感じか……とか思ったりした。

 主人公フェイ・グリムに扮するのは、やはり90年代にインディーズ映画界の女王として名を馳せたパーカー・ポージー。さらに、弟サイモン役のジェームズ・アーバニアック、息子ネッド役のリーアム・エイクン、そしてもちろんタイトルロールを演じたトーマス・ジェイ・ライアンら、前作のキャストが勢揃いしている。『シンプルメン』(1993)のエレナ・レーヴェンソーンも登場し、ジェフ・ゴールドブラムやサフロン・バロウズといった有名キャストも参加。さながら同窓会めいた賑やかさと共に、冗談めかしていながらストレートな生真面目さを貫く、ハートリーならではのペーソス溢れる作品になっている。賛否は分かれるだろうが、意表をつくかたちで健在ぶりを示した力作として、一見の価値はある。ぜひ日本公開してほしい。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
〈おはなし〉
 かつて志村けんのコントのようなプロポーズシーンを演じ、流れ者のあらくれ文士ヘンリーと結婚してしまった女、フェイ・グリム(パーカー・ポージー)。夫がとある事情で姿を消してからは、息子ネッド(リーアム・エイクン)とふたり暮らしだ。一方、天才詩人として大成した弟のサイモン・グリム(ジェームズ・アーバニアック)は、ヘンリーの国外逃亡を助けたかどで刑務所行きに。

 ある時、フェイは編集者のアンガス(チャック・モンゴメリー)から、ヘンリーの本「告白」を出版しないかという誘いを受ける。誰が見ても駄文の集積であるそれは、今や天才詩人サイモンが身を呈してかばった男の唯一無二の著作であり、話題作だった。しかし、ノート8冊分の原稿はヘンリー本人と共に消えてしまっていた。

 その日、フェイが帰宅すると、CIA局員フルブライト(ジェフ・ゴールドブラム)が待ち受けていた。彼の話によるとヘンリーは数々の政治工作に関わった国際スパイであり、ヘンリーが書き記したノートを狙って各国の工作員が動き出しているという。そして、ヘンリー自身は外国で死んだ、と。

 フェイは信じられぬまま、遺品のノートを受け取りにパリへ。そこで数人のスパイたちの接触を受けた彼女は、否応なくノートの争奪戦に巻き込まれていく。

faygrim_01.jpg

 その頃、サイモンはCIAの手引きで釈放され、アンガスと共に秘密裏に入手した「告白」の1冊の翻訳を急ぐ。おそらくヘンリーがイスタンブールから息子宛てに送ってきたスケベなスライドフィルムのおもちゃも、何らかの手掛りに?

 はたしてヘンリー・フールとは何者だったのか……そして本当に、彼は死んだのか。フェイの冒険はさらに加速する。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

faygrim_00.jpg

 何たってパーカー・ポージーがいい。エキセントリックなクセ者女優という従来のイメージを払拭するかのように、巻き込まれ型ヒロインをひたむきに演じている。もちろん優れたコメディエンヌとして、とんでもない下ネタギャグもさらりと演じてみせるが、同時にものすごくエロティックな見せ場でもある。ヒントはバイブ付き携帯電話(クイズになってない)。冗談はさておき、およそ冗談としか思えない設定から入っていくこの映画で、これほどシリアスで美しいパーカー・ポージーの表情をふんだんに見られるとは思わなかった。誇張に走らない、彼女本来の魅力が存分に引き出されている。黒のコートに身を包んだビジュアル的なかっこよさも見どころ。

 先進諸国の政治工作とテロリズムとの関係を、故意に安っぽく茶化して最後まで突っ走るのかと思いきや、やがて映画のテーマは「愛」というハートリー終生の主題へと移行していく。「ヘンリー・フールは何者か」「本の中身は何なのか」というミステリーも、いつしか「フェイ・グリムはヘンリー・フールを愛しているか?」という一点を問う物語に変わっていく。この臆面のなさ、ひねくれているようで青くさいほどストレートな世界観が、ハートリーらしさだと思う。テロリストが大真面目な口調で「Do you love him?」とヒロインに尋ねる場面は、やっぱり感動的なのだ。政治的な部分で最後まで笑い飛ばせない深刻さも、監督にとって今この時代にはリアルな真情らしい。

faygrim_02.jpg

 海外ロケを敢行し、銃を構えたスーツの男女が暗躍するスタイリッシュな作品世界が、なんといっても魅力的。カメラマンのサラ・コーリーが捉えたシャープな映像も楽しい。全編、斜めに傾いだ構図を守り、サスペンスフルな雰囲気をベタに表現している(でも『バトルフィールド・アース』みたいにイヤな感じはしない)。とはいっても何せハル・ハートリーの映画なので、目の覚めるアクション演出を見せてやろうという意欲はなく、トンチでうまく逃げている。お得意のフィジカルな暴力描写も封印気味。エスピオナージを描く部分は能書き説明台詞のオンパレードで、字幕なしで観るのは正直ツライ。ジェフ・ゴールドブラムのような芸達者がいなければ、到底もたなかっただろう。

 名だたる助演陣の中で特によかったのは、謎の金髪ロシア人女性に扮するエレナ・レーヴェンソーン。ハートリー作品のファンなら、彼女の登場はとても嬉しいはず。ポージーと並んで、気心の知れた演技を見せてくれる。

faygrim_03.jpg

【“『Fay Grim』(2006)”の続きを読む】
スポンサーサイト

『恋の潜伏捜査』(2005)

『恋の潜伏捜査』
原題:潜伏勤務(2005)

shesonduty_poster01.jpg

〈おはなし〉
 元ヤンキーの女刑事ジェイン(キム・ソナ)は、行方をくらました暴力団幹部(キム・ガプス)の所在を突き止めるべく、彼の娘スンヒ(ナム・サンミ)が通う高校へ偽装潜入することに。大嫌いな学校に再び舞い戻る羽目になった彼女は、あの手この手でスンヒと仲良くなろうとするが、無視されるばかり。一方で学園内を牛耳る番格グループをシメたり、謎めいたイケメン転校生ノヨン(コン・ユ)と急接近したり……。そんな中、ヤクザたちの魔手がスンヒを血みどろの修羅場に巻き込もうとしていた。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 韓国のTVドラマ『私の名前はキム・サムスン』でブレイクした人気コメディ女優、キム・ソナ主演の学園アクション・コメディ。話はまるっきり『ファイトバック・トゥ・スクール』シリーズで、まあ元をたどれば『21ジャンプ・ストリート』。実に他愛ない凡作だけど、「画面上でどこまで己のブサイク面を晒せるか」という強い信念に貫かれたキム・ソナの女優魂は堪能できる。ポスターのかっこよさに惹かれて観た人はまず落胆すると思うけど、彼女のファンならそこそこ楽しめるかも。2004年に東京国際映画祭で上映された主演作『Sダイアリー』(2004)も、どってことない恋愛コメディだったが、あれよりさらにどってことない。

▼本編のキム・ソナ(右)。大体ずっとこんな感じ
shesonduty_pict01.jpg

 相手役を演じるのは『Sダイアリー』でもキム・ソナと共演したコン・ユ。こういう役、多いなぁ。最後まで正体が分からないっていうのは面白かった。流暢な日本語を披露する場面もあるが、どうせなら日本語ペラペラのキム・ソナにも喋ってほしかった。

 パク・チャヌク監督の復讐三部作で強烈な印象を残したオ・グァンノクが、ちょっとヘンなヤクザの親分を怪演。終盤で『KT』(2002)のキム・ガプスと壮絶なファイトを繰り広げたりする。教師役パク・サンミョンの名脇役ぶりには安心感すら漂う。

▼オ・グァンノク(中央)
shesonduty_pict03.jpg

 英語字幕付きの中国版DVDを買って観たら、あと2カ月後に日本でもリリースされると知って内心ガックリ。まあポスタービジュアルで気になっていた人も多いと思うので、この機会に(決して期待せずに)ご笑覧ください。

【“『恋の潜伏捜査』(2005)”の続きを読む】

『パパ/ずれてるゥ!』(1971)

『パパ/ずれてるゥ!』
原題:Taking Off(1971)
▼日本公開時のパンフレット
papa_zure.jpg

 チェコ出身のミロス・フォアマン監督が初めてアメリカで撮った作品。どういうわけだかいまだにソフト化されていないが、最近、WOWOWで放映した時の録画テープを発掘したので観てみた。邦題はまるでディズニー制作のファミリー映画のようだけど、中身はかなりブラックな風刺劇。世代間の断絶を突き放したユーモアで描き、1971年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

〈おはなし〉
 少女ジーニー(リニア・ヒーコック)は歌のオーディションに出るため、親に黙って外出。娘が帰らないことを心配した母親リン(リン・カーリン)は、夫のラリー(バック・ヘンリー)に探しに行かせる。が、為す術のないラリーは友人とバーで飲んだくれる始末。夜になってジーニーは無事に帰宅し、酔っぱらって帰ってきた父親にぶたれる。今度こそ、ジーニーは本気で家出。

 娘を捜してニューヨークの町をさまようラリー。他人のウチの家出娘を見つけて騒動に巻き込まれたり、警察から保護したと通報があれば人違いだったり……すったもんだの末、ラリーとリン夫妻はひょんなことから「家出少年少女の親の会」の会合に出席する。当世の若者たちの気持ちを身をもって知るため、出席者全員でマリファナを吸うことに。

 ラリパッパ状態で帰宅したラリーとリンは、会合で意気投合した夫婦(オードラ・リンドリー、ポール・ベネディクト)と一緒にトランプでストリップゲームを始める。気がつくとラリーは素っ裸に剥かれ、リンもトップレスに。その時すでに、娘が帰っていたことも知らず……。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 60年代、チェコスロヴァキア映画界に訪れた「新しい波」の中で、ミロス・フォアマン監督は『ブロンドの恋』(1965)や『火事だよ!カワイコちゃん』(1967)などの作品で頭角を現した。両作品はアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、話題を呼んだものの、『火事だよ!カワイコちゃん』は社会風刺的な内容のため国内上映禁止処分に。さらに、チェコの民主改革運動(プラハの春)が軍事介入で叩き潰された事件を機に、フォアマンは故国を捨て、新天地アメリカで本作『パパ/ずれてるゥ!』を撮り上げる。元々はフランスのクロード・ベリ監督と共同で進めていた企画で、脚本にはルイス・ブニュエル作品で知られるジャン=クロード・カリエールが参加(カリエールはフォアマンの新作『Goya's Ghosts』(2006)の脚本も担当している)。

taking_off02.jpg

 ヒッピー文化への疑念が渦巻く70年代初頭、世代間のカルチャーギャップを描いたコメディといえばありがちに聞こえるが、仕上がりは一筋縄ではいかない。どちらの世代にもモラルを託さない冷徹な態度は、いかにも初期のフォアマンらしい。どちらかというと親の世代のダメさ加減をじっと観察する、視点の鋭さとシュールさは、傑作『火事だよ!カワイコちゃん』でも発揮されていた。

 全編にうっすらと“笑えないユーモア”を漂わせながら、たまにものすごいギャグを仕掛けてくるのが、やっぱり異常に巧い。後の『ラグタイム』(1981)や『アマデウス』(1984)の重厚さと堅実な語り口を思うと面食らうだろうが、フォアマンのチェコ時代を知る観客ならすんなり納得できるはずだ。オープニングなんて『ブロンドの恋』と同じだし、素人の女の子たちを好んで見つめる視線も変わらない。また、流浪の民となってしまった東欧出身の若き喜劇作家が、およそ文化の異なるアメリカを客観視している分、辛辣さもメランコリーも、より増している。

taking_off01.jpg

 オーディション会場で緊張しながら歌う女の子たち。右往左往と脱線を繰り返すダメな親たち。カットバックを多用した編集は、時代性も感じさせて面白い。台詞は少なく、説明は抑え、じわじわとタガの外れたシチュエーションを作り出していく演出は、完全にハリウッドのセンスとは程遠い。非人間的なほど落ち着いたリズムと、映像の質感が、独特のムードとおかしさを生み出している。チェコ時代からの仲である撮影監督ミロスラフ・オンドリチェクの功績も大きい。

 チェコ時代と明らかに違うのは、主演の女の子(リニア・ヒーコック)がすごーく可愛いこと。映画は本作にしか出てないそうだが、もったいない話だ。はてしなく冴えない父親をトンチキかつカンペキに演じているのは、『キャッチ22』(1970)などの脚本家でもあるバック・ヘンリー。この人がショボクレたおっさんでなかった時期があったのだろうか、と真剣に悩むことが年に2度ほどある。特にコミカルなオーバーアクトをしているわけではないが、ビミョーな表情が無茶苦茶おかしい。さすがプロの仕事という感じ。ちょっと神経衰弱気味の母親を演じるのは、名作『デッド・オブ・ナイト』(1972)のリン・カーリン。酔っぱらって夫に絡む芝居が最高だ。

 フォアマン作品の常連俳優ヴィンセント・スキァヴェリは本作から出演。子供に家出された親たちにマリファナの吸い方を伝授する怪しげな男を演じている。アレン・ガーフィールドが『ブロンドの恋』にも出てきたような中年ナンパ師を巧演。『マンディンゴ』(1976)にも出ていた、立派なアゴがトレードマークの名傍役、ポール・ベネディクトも出演している。

▼若き日のヴィンセント・スキァヴェリ
taking_off03.jpg

 また、キャシー・ベイツがオーディション参加者の一人として映画デビューしており、自作の歌を披露。『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)のジェシカ・ハーパーも、同様にオーディション参加者としてチラリ登場(本名で呼ばれる)。娘探しに行き詰まった夫婦がナイトクラブへ行くシーンでは、いきなりアイク&ティナ・ターナーが出てきて、結構がっつりパフォーマンスを見せてくれる(DVD化されない理由はコレか?)。そういう部分でも見どころ十分だ。


【“『パパ/ずれてるゥ!』(1971)”の続きを読む】

『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(1967)

『殺しの分け前/ポイント・ブランク』
原題:Point Blank(1967)

pointblank_ukposter.jpg

 前にも書いたけど『ペイバック』ディレクターズ・カット版は面白かった。しかし、いろんな人に言っても鈍い反応しか返ってこない。あんまり内容を覚えてないとか、同原作の『ポイント・ブランク』の方がよっぽどいいとか。そりゃあ『ポイント・ブランク』みたいな超弩級の傑作と比べたら、分が悪いに決まってる。

 『ポイント・ブランク』は、リチャード・スタークの小説『悪党パーカー/人狩り』を単なる“素材”として、監督ジョン・ブアマンが自身のスタイルを徹底させた恐るべきデビュー作である。単なるピカレスク・アクションの小品には仕上がらず、演出レベルの異常に高い圧倒的な異色作として作られてしまった。その分、スタークらしさ、『悪党パーカー』らしさは希薄だ。

 何より大きいのは、映画自体を「主人公が死ぬ間際に見た夢」のように構成してしまったこと。常に死のイメージへと立ち戻るフラッシュバック、奇妙に現実感を欠いた状況描写、そして死神のように付きまとう神出鬼没の自称刑事。やっぱり日本人観客としては、同じく殺し屋が主役の呪われた傑作『殺しの烙印』(1967)を思い出さざるを得ない。実際、若きブアマンの演出は鈴木清順の様式美に近いものがある。完全な無音状態を配する音響デザインや、サイケな色彩感覚、冷めきった演出態度など、プロデューサーを困らせるには十分な才気が横溢している。オープニングのタイトルバックに描かれる、アルカトラズ刑務所からの脱出シークエンスは特に強烈で、アクション映画だというのに動きを奪ってしまう『ラ・ジュテ』(1962)のような見せ方が凄い。

pointblank_two.jpg

 復讐鬼ウォーカーを演じるリー・マーヴィンは、クールな芝居とダイナミックなアクションを織り交ぜ、メリハリを利かせている。拳銃を撃つ、車を暴走させるといった行為も、マーヴィンにかかればフィジカルなアクションになり得る。ただし、この映画に関しては、そのがむしゃらな動作は、悪夢の中でもがく手応えのなさにも映る。最初の銃撃が空振りに終わって以来、主人公が実際に誰かを殺すシーンはない。ジョン・ヴァーノン演じる裏切り者に復讐を果たす場面ですら「事故死」だ(ウォーカー自身が死神とか怨霊のような存在である可能性も匂わせている)。

 夢の世界に迷い込んでしまったハードボイルド・ヒーローといった無器用で所在なさげな侘まいは、実はマーヴィンならではの個性だ。晩年の『狼獣たちの熱い日』(1983)でも「本来属さない場所に迷い込んだ」居心地の悪い存在感を醸し出していた。それがミスキャストではなく、はまるのである。ちなみに本作中でいちばん素直にかっこいいと思えるのは、地下駐車場で警官が去るのを待って柱の陰に立っているだけの場面。無駄な動きは一切しない悪党のプロフェッショナリズムという原作の持ち味も出ていて、凄くいい。

 ドン・シーゲル監督の『殺人者たち』(1964)でもマーヴィンと共演しているアンジー・ディキンスンが、この映画では主人公と対等の魅力的なヒロインに扮しているのも興味深い。悪女のイメージが強い彼女が、少し疲れた都会の女を控え目に演じつつ、煉獄で迷う男の守護天使のような存在感を漂わせている。なかなかないヒロイン像だ。

pointblank_gun.jpg

 『ペイバック』は確かにスターク原作のテイストをすくい取った作品と言えるが、『ポイント・ブランク』は明らかに違う。原作にある非人間性がブアマンの脳内で増幅され、シュールで切れ味のいい演出ともあいまって、冷たくハイモダンなハードボイルド世界を現出させている。最近これに近い感覚を受けたのは、湯浅政明監督のTVアニメ『ケモノヅメ』(2006)の1エピソード、中村健治演出の第10話「人の不幸は密の味」だった。

【“『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(1967)”の続きを読む】

『PULP』北米盤DVDレビュー

pulp_ntsc.jpg

 4月にやっと北米でもDVDがリリースされた、マイク・ホッジス監督の傑作『PULP(テレビ放映題:悪の紳士録)』。DVD Fantasiumで注文する前に、新宿のディスクユニオンで売っていたので、その場で購入しました。

 ランニングタイムは98分。先行して発売されていた欧州盤は92分でしたが、本編自体に差異はありません。分数が異なるのは、ヨーロッパのテレビ規格であるPAL方式でテレシネした場合、若干早回し収録になるため。

 スクリーンサイズはスタンダード(1:1.33)になるという情報がありましたが、実際はヴィスタ(1:1.78)でした。欧州盤より画郭は広いです。色調・質感は渋めの落ち着いたトーンで、いたってクリアー。PALの方が明るく発色も鮮やかですが、これは好みの問題かも。音質に関しては、デジタルっぽいノイズ混じりだった欧州盤より、やや安定してます。初めてNTSCで観て、また改めてPAL盤と比較してみると、印象もかなり違いました。

 映像特典はなし。結局、内容的には欧州盤と変わりません。でも格段に入手しやすくなったのは喜ぶべきこと。気楽に手にとって観てくれる人が増えれば嬉しいです。

 それにしてもジャケット裏面に、本来のヒロインであるナディア・カッシーニじゃなくて、チョイ役の女優(ジャネット・アグレン?)の写真がドーンと載っているのは、ちょっと……。まあスチルがないんでしょうけど。

▼『PULP』のヒロイン、ナディア・カッシーニ
pulp_nadia_cassini.jpg

 細かい話はさておき、久々に観たらやっぱり最高の映画でした、『PULP』は。ラストは何度観ても、かっこよすぎて泣きます。

『星なき夜に』(2006)

『星なき夜に』
原題:La Stella Che Non C'e(2006)

stellachenon_poster.jpg

 イタリア映画祭2007出品作品。傑作。本当に、観てよかった。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
〈おはなし〉
 ジェノヴァ。不景気で稼働を停止した製鉄所に、中国の代表団が訪れ、高炉を購入する。整備技師ヴィンチェンツォ(セルジョ・カステリット)は、高炉に欠陥があることを突き止め、運び出すのを待つよう忠告する。しかし代表団はあっという間に高炉をバーナーで解体し、持ち帰ってしまった。

 ヴィンチェンツォは単身、交換部品を持って上海へと渡る。だが、高炉はすでに何処かへと転売されていた。彼はその行方を突き止めるため、代表団の通訳をしていた少女リュウ(タイ・リン)を探し出し、同行を依頼。かくしてふたりの長い旅が幕を開けた。

 長江に沿って武漢へ、重慶へ、さらにまた奥地へ……様々な光景がふたりの前に現れる。最初はとげとげしかったリュウも、次第にヴィンチェンツォに心を開いていく。そして彼もまた、リュウが生きてきた波乱の人生を知る……。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 純粋で頑固な中年男と、気の強い世話焼きな少女が、頼りない掛け合いを紡ぎながら、途方もない旅路を行く。魅力的にちぐはぐなカップルを待ち受けるのは、想像を絶する現代中国社会の混沌とした姿だ。

 完璧さと誠実さを貫こうとする主人公の信念は、そのどちらも欠如した格差社会の実態を目の当たりにするにつれ、激しく揺らぐ。それは今、世界のあらゆる場所で目にする国政の不条理と社会に育まれる病理、国民の主体性欠落というパターンの、極端なカリカチュアにも見える。

 撮影監督ルカ・ビガッツィのカメラは、この国のリアルへと鋭く無遠慮に分け入り、カルチャーギャップに打ちのめされる主人公の心情をダイレクトに伝える(中国政府がよく撮影を許したものだ)。「中国人は他人の話をちゃんと聞かない」という風刺喜劇性も、この映画の残酷な隠し味になっている。それでも映像は常に瑞々しく、不意に涙を溢れ出させるほどに美しい。この国が様々な表情を持ち、心を揺るがす美に溢れた稀なる国であることも、本作は雄弁に物語る。

 その眼(カメラ)が映し出すものは、未知の世界の圧倒的情景を描くスペクタクルであり、信念や誠意といった人間性についての考察であり、ほのかなラブストーリーだ。何にせよ、言葉では言い尽くせない。これが映画だ、と思った。

stellachenon_two.jpg

 セルジョ・カステリットは、近頃見ない「頑固一徹な男」という人間くさいキャラクターを、抑えたトーンで表現しきっていて素晴らしい。『結婚演出家』(2006)の監督役より遥かに魅力的。そして、少女リュウを演じたタイ・リンは、本作最大の発見だ。

 たとえ旅の結果がどうなろうと、ふたりのような人間がいれば、世の中は捨てたもんじゃないと観客に思わせてくれる。ジャンニ・アメリオ監督は、シンプルでひたむきなロードムービーの中に、様々な感動を映してみせた。

stellachenon_tailing.jpg

 本作のすみやかな日本公開を、切に願う。

【“『星なき夜に』(2006)”の続きを読む】

『犯罪小説』(2005)

『犯罪小説』
原題:Romanzo Criminale(2005)

romanzocriminale_poster.jpg

 イタリア映画祭2007出品作品。70?90年代にかけて、暗黒街を牛耳るギャングとしてのし上がって行く若者たちの姿を描いた、青春群像劇風のピカレスク・ロマン。ギャング版『若者のすべて』とでもいうべき、見応えある作品だ。キム・ロッシ・スチュアートを初めとする豪華キャストを揃え、スピーディな展開で146分間を一気に見せきる。

 最初は観るつもりじゃなかったけど、アンナ・ムグラリスが主要キャストで出ていると知って、慌てて予定に入れた。シャネルのモデルもつとめる絶世の美女だけど、個人的にはクロード・シャブロル監督の秀作『ココアをありがとう』(2000)で、にわか探偵となるヒロインを可愛らしく演じていたのが印象的だった。本作ではギャングと刑事の双方に愛される情婦パトリツィアを巧演。すっかり貫禄がついていて、大人の色香を振り撒いていた。

▼『犯罪小説』のアンナ・ムグラリス
romanzo_mouglalis.jpg

 基本はあくまで、ガイ・リッチー作品のように渾名で呼び合う男前の悪党どもが、メロドラマチックに死んでいくギャング映画である。しかし、題名のようにまるっきり架空のクライム・ストーリーではなく、70?90年代のイタリア国内の社会情勢を密接に絡めた物語であるところが面白い。マルコ・ベロッキオ監督の『夜よ、こんにちは』(2003)でも描かれたテロ集団「赤い旅団」によるキリスト教民主党党首の誘拐殺害事件や、大量死傷者を出したボローニャ爆弾テロ事件などがフィーチャーされ、政府とテロリスト組織の対立にギャングたちが巻き込まれていく図式が浮彫りにされる。といっても、犯罪の温床や要因として社会問題を取り上げるのではなく、初めから裏社会に生きる犯罪者たちがどのように社会と関わっていったかを描いているので、無粋な感じはしない。ちょっとマイケル・マンの映画を思い出した。

 監督は俳優として長いキャリアを持つミケーレ・プラチド。ジャーロ・ファンには『コリンヌ・クレリー/濡れたダイヤ』(1976)や『The Pyjama Girl Case』(1977)などでおなじみだろう。今回の映画祭で上映された『カイマーノ』(2006)にも出演するなど、現在も精力的に活動中だ。本作『犯罪小説』で見せる演出ぶりは、ひたすらスピーディでテンポがいい反面、人間関係が飲み込めなかったり、切り返しを多用するカッティングが単調に映る部分もある。が、役者の魅力をオーソドックスに引き出す技は、さすがに巧い。細かなディテールの散りばめ方も、映画作りが分かっているという感じ。時代風俗やノスタルジーに全く固執せず、とにかく人物のドラマに焦点を置いた演出が潔い。撮影監督のルカ・ビガッツィはフィルムにブリーチバイパスを施し、色褪せたルックでそこはかとなく時代性を出している。

▼演出中のミケーレ・プラチド監督
romanzo_placido_shoot.jpg

 非常にオーソドックスな娯楽作だが、キャスティングが何しろ完璧なので、それだけで長尺を飽きずに見ていられる。キャラクター選びが的確なのだ。ギャング集団の中で特に光っているのは、濃いルックスが強烈なリバネーゼ役のピエルフランチェスコ・ファヴィーノ。アンナ・ムグラリスとは対照的に、等身大のヒロインを演じるジャスミン・トリンカの好演も印象的。キム・ロッシ・スチュアートとのカップリングもさまになっている。

追記:2008年7月、『野良犬たちの掟』のタイトルで、ジェネオンからDVD発売。

・Amazon.co.jp
DVD『野良犬たちの掟』

【“『犯罪小説』(2005)”の続きを読む】

『カイマーノ』(2006)

『カイマーノ』
原題:Il Caimano(2006)

ilcaimano_poster.jpg

 イタリア映画祭2007出品作品。ナンニ・モレッティ監督の新作は、一風変わった構成で見せる異色の秀作だった。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

〈おはなし〉
 B級映画のプロデューサー、ブルーノ(シルヴィオ・オルランド)は破産寸前。かつて自作の主演女優だった妻パオラ(マルゲリータ・ブイ)との結婚生活も終焉を迎えようとしている。

 そんな時、ブルーノは過去の作品の上映会で、映画監督志望の若い女性テレーザ(ジャスミン・トリンカ)から一冊のシナリオを手渡される。起死回生の企画を探していた彼は、出だしだけ読んで製作にとりかかってしまう。ところがよくよく読んでみれば、それは多額の負債隠しのために政界に乗り出し、首相の座にまで登りつめた“怪物”ベルルスコーニを描いた物語だったのだ!

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

il_caimano01.jpg

 おそらく監督は、まずフェリーニの『8・1/2』(1963)タイプの人情喜劇が作りたくて、主人公に「最も不向きな題材」を撮らせたら秀逸なコメディになると思ったのだろう。その一方、まだ誰もマトモにやっていないベルルスコーニ批判(劇中で何度も語られるが、ストレートにやるにはリスキーな企画だ)も撮りたくて、これだ! となったのではなかろうか。B級映画人がお堅い政治劇を作る羽目になるという設定は、シネマ・ヴェリテとしては面白い趣向だし、ラジカルな政治風刺をやるにしても、劇中劇なら罪がない。どっちにとってもいいアイディアだと踏んだに違いない。

 モレッティが凄いのは、そこで変に「まとまりのいい」映画を作らなかったことだ。結果として『カイマーノ』は、ラジカルな人情喜劇、実験的な実録政治モノ、そして観客を試す娯楽作として完成した。何せ、劇中劇でベルルスコーニ役を演じる俳優が3人もいるのだ(本人の映像も含めると4人)。大抵の人は混乱する。

 様々な点で中途半端だという批評もあるだろうが、ここまでイレギュラーなかたちのエンタテインメントをしれっと差し出してしまうのは、やはり才人のワザと言うほかない。実際、ドラマそのものは非常にすんなり見られるし、堅苦しさとは無縁の仕上がりだ。それでいて辛辣な政治批判も徹底して行っている。「そんな無茶な構成で、ちゃんと映画になるのか?」と問われても、「なる!」と自信を持って答えられる人間の作った映画という気がした。そんな秀作は少ない。

il_caimano02.jpg

 役者の力も大きい。中でもやはり、しがない映画製作者に扮するシルヴィオ・オルランドが凄くいい。人間味溢れる情けないキャラクターを絶妙に演じ、即座に観客の心を奪ってしまう。彼の妻パオラを演じるマルゲリータ・ブイも素晴らしく魅力的。主人公に災厄をもたらすテレーザ役のジャスミン・トリンカは、映画祭の舞台挨拶にも登場したが、役柄同様にクレバーで可愛らしいユーモリストだった。ベテラン俳優ミケーレ・プラチドの怪演も強烈。現実のベルルスコーニを除く、全てのメインキャラクターに監督の愛情が注がれており、適度な距離感を保った眼差しが快いドラマを生み出している。

 それにしても、映画祭で適当に観た7本のうち、3本は映画のスタッフが主人公。流行ってるのか? なんとなく想像力に欠ける気がして好きじゃないのだけど、3本ともちゃんと面白かったので、考えを改めかけた。

il_caimano03.jpg

【“『カイマーノ』(2006)”の続きを読む】

FC2Ad