Simply Dead

映画の感想文。

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『結婚演出家』(2006)

『結婚演出家』
原題:Il Regista di Matrimoni(2006)

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 イタリア映画祭2007出品作品。鬼才マルコ・ベロッキオが、迷える映画監督を主人公に描く不可思議なコメディ。「こんなことあったら面白いなあ」という映画作家の妄想をそのまま野放しにして1本の映画にしたらどうなる? どうなると思うんだ、えぇ!? と詰め寄られているような、愉快な怪作(快作)だった。

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〈おはなし〉
 著名な映画監督フランコ(セルジョ・カステリット)は、娘が嫁いだばかりで落ち込み気味。新作のオーディションや準備も放ったらかして、気が付くとシチリアの浜辺にたどり着いていた。

 フランコは浜辺で、結婚式の記念ビデオを撮影する一団と出くわし、ディレクターの好意で彼の家に居候することになる。そこへ、街の屋敷に住む貴族グラヴィーナ(サミー・フレイ)がやってきて、フランコはひょんなことから彼の娘の結婚式ビデオを演出する羽目に。

 教会のミサへ赴き、グラヴィーナの娘ボーナ(ドナテッラ・フィノッキアーロ)と対面したフランコは、彼女の話を聞いて驚く。先日オーディション会場まで自分を訪ねてきて、会わないまま消えてしまった謎の美女とは、ボーナのことだったのだ。彼女は家名を守るため望まぬ結婚を強いられようとしていた。

 瞬時に惹かれ合うフランコとボーナ。はたして彼は、苦境に佇む美女を救うヒーローとなれるのか?

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 ほとんど妄想の数珠繋ぎと言って差し支えない内容で、全編夢だと言われてもおかしくない。逆にその方が納得しやすいくらいだ。でもベロッキオはそれらを辛うじて現実と捉えられるように辻褄を合わせ、陳腐スレスレのストーリーを巧みに構成してしまった。とんでもない大ボラ吹き野郎である(誉め言葉)。ラストシーンでは前作『夜よ、こんにちは』(2003)でも見せた幻想と現実の混濁を鮮やかに現出してみせるが、ここではより楽天的で洒落たオチを決めている。作品全体を見ても、こんなに肩の力が抜けたベロッキオ作品は今まで観たことがなかった。

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 異郷に流れ着いたフィクション作家が地元の騒動に巻き込まれ、自らフィクショナルな冒険物語に身を投じるというプロットは、マイク・ホッジス監督の『PULP』(1972)も思わせる。この手のジャンルは失敗すると悲惨だが、ベロッキオほど一筋縄では行かない作家の手にかかると、やっぱりおかしな映画になっていて面白かった。当然ながらセルフパロディ的な要素もあり、そこかしこに自虐的なユーモアが散りばめられている。おせっかいな監督助手がオーディションに来る女優に「監督に会ったら、自分からフェラチオを申し出てくれ。慣例なんだ」というシーンは、『肉体の悪魔』(1986)の一場面に絡めたギャグだろう。ひたすら弧高を貫いてきたベロッキオの視点から、映画監督というものへのパブリックイメージ、過去の名作映画の引用と影響、現在のイタリア映画界への見解がシニカルに語られているのも興味深い。

 また、ベロッキオ作品特有のホラー映画的な過剰さは、さらに派手派手しく、コミカルに増幅されている。音楽・SEのバカバカしいほどの盛り上がりが可笑しい。特に主人公が修道院の階段を上っていくシーンで2回も流れる♪デロンデロンデロンデロンというおどろおどろしい音楽がスゴイ。この上なく作家性の強い監督なのに、センスは80?90年代のホラー映画だったりするところがベロッキオの謎のひとつだ。

 主人公に扮するのは、イタリアで最も知名度のある俳優の一人、セルジョ・カステリット。悩める監督ぶりが板についていた(映画祭では彼が監督した21分の佳作『私です』も併映された)。

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 そして、こんなに遊んだ映画でも、魔性をおびたヒロインをしっかり美しく撮っているのは、さすがベロッキオ。演じるドナテッラ・フィノッキアーロの謎めいた存在感からは目が離せなくなる。フランスの名優サミー・フレイの風格溢れる演技も見ものだ。

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『新世界』(2006)

『新世界』
原題:Nuovomondo(2006)

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 イタリア映画祭2007出品作品。これは秀作。初日に観た3本の中でいちばん面白かった。

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〈おはなし〉
 20世紀初頭。シチリアの僻村に暮らすサルヴァトーレ・マンクーゾ(ヴィンチェンツォ・アマート)の一家は、新天地アメリカへと移住することに。ふたりの息子と老母を連れ、移民たちでごった返す大西洋横断船に乗り込む。その中には、出国手続きの時になぜか接近してきた英国人令嬢ルーシー(シャルロット・ゲンズブール)の姿もあった。不釣合いな同乗者に目を引かれながら、過酷な船旅は続く。ミルクの川が流れ、巨大な野菜が育つという新世界に向けて。

 やがて船はニューヨークのエリス島沖に到着。そのとき、サルヴァトーレはルーシーから思いがけない申し出を受ける……。だが、自由の国の入口では、さらなる試練が移民たちを待ち受けていた。

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 もしも狭苦しく不衛生な移民船に、シャルロット・ゲンズブールが乗っていたら? ……この映画は別にシチュエーション・コメディではない。見事なセットと膨大なエキストラを使って、移民たちの苦難の旅路をじっくり見つめた近代史だ。しかし、そのワンアイディアは大きい。単に移民の歴史をゴリゴリのリアリズムで描くより、浮世離れした彼女の存在を加えることで、遥かに魅力的な映画になったことは間違いない。

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 監督・脚本はこれが3作目となるエマヌエーレ・クリアレーゼ。リアリティとファンタジーの配分がとにかく巧い。まず前者においては、綿密な考証に基づいたであろう克明な描写の数々。特に、当時の入国管理の厳しさ・移民への差別的待遇をつぶさに描いた後半部分は、事実ならではのシュールな滑稽さに満ちていて面白い。移民局のセットも見事だ。もちろん前半の移民船のシークエンスにも相当に力が入っており、息苦しい空気感を伝える映像は圧巻。撮影、照明、美術、衣装、そして出演者たちの疲れきった表情が、見事なアンサンブルを作り出している。

 そしてファンタジーの面では、前掲したシャルロット・ゲンズブールの超然とした美しさがまずあり、加えてすっとぼけたユーモア、すっ飛んだ飛躍が意表をつくかたちで織り交ぜられる。これがシチリア気質というやつか? 入国審査で人をバカにしたような知性テストを受けさせられ、主人公が巧まずして知慧で返す辺り、とてもうまい。基調がリアルな分、唐突に挟まる突飛な空想シーンが効く。何より素晴らしいのはラスト(正確に言うと、ラスト一歩手前)。こういう驚かせ方って、凄く好きだ。

 主人公サルヴァトーレを演じたヴィンチェンツォ・アマート(本業は彫刻家)の朴訥とした侘まいも魅力的だが、キャストの中で最も素晴らしいのは、母親役のアウローラ・クァトロッキ。誇り高く扱いにくい老女を迫力たっぷりに演じ、C・ゲンズブールとの掛け合い(いがみ合い?)、移民局員にたてつく場面は本作でも最も楽しいシーンだ。また、『アマデウス』(1984)などに出ている名バイプレイヤーのヴィンセント・スキァヴェリもちらりと顔を出す。

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 導入部はやや退屈だが、一家が船に乗り込むと俄然面白くなる。音楽の使い方も独特で、エンディングの選曲は「それでいいのか!?」と面食らいつつ、胸打たれてしまった。

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『Payback - Straight Up:The Director's Cut』(1999)

『Payback - Straight Up:The Director's Cut』(1999)

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 びっくりした。本当に全然違う映画になっていた。みにくいあひるの子が白鳥に変わったわけじゃないけど、前よりずっとよくなったと思う。特に今回復活したオリジナルのクライマックスは凄くいい。メチャクチャかっこよかった!

 まず決定的に違うのは、色調。『ペイバック』公開版は現像時にブリーチ・バイパス(色抜き処理)をかけてモノクロに近いエッジの利いた映像を作り出していた。だが『Payback - Straight Up』の映像はカラフルで黒の強い、ハイコントラストではあるが色彩豊かなルックに変わっている。肌の色つやもストレートに出ており、全体的にとても明るい。だから印象がまるで異なるのだ。

 今回のバージョンを製作するにあたり、ヘルゲランドと編集のケヴィン・スティットは、新たにオリジナルネガから編集用ポジをプリントし直した。その際、思いのほかネガの保存状態がよく、非常に発色が優れていたので、監督は製作当時のイメージとは違ったトーンで『ペイバック』を蘇らせることに決めたのだ。監督自身、こんなに鮮やかな色で『ペイバック』を見るのは初めてだったという。撮影中のデイリー(ラッシュフィルム)も、公開版と同じようにブリーチ・バイパスをかけて現像していたからだ。撮影から9年あまりを経て、デジタルで色調整を施し直した『Payback - Straight up』は、それだけで誰も観たことがない映画に生まれ変わったと言っても、過言ではない。

 もちろん変わったのはそれだけにとどまらない。オープニング、音楽、悪役を演じる俳優、クライマックスなど、様々な点で公開版とは異なる。自分の目でそれを確かめたい人は、この先を読まないように。

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『妖女ゴーゴン』(1964)

『妖女ゴーゴン』
原題:The Gorgon(1964)

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 『凶人ドラキュラ』(1966)が意外とつまらなかったので、テレンス・フィッシャー監督の実力に触れようと思い、ビデオで借りて観た。いや、素晴らしい。テンポもよく、構図とライティングもいちいち決まっていて、美術セットが醸し出すムードも絶品。何よりゴーゴンが怖い。ホントに怖い。レイ・ハリーハウゼンが見事なゴーゴンを作り出した『タイタンの戦い』(1981)を観た後で、はたして拍子抜けせずにいられるだろうかと心配だったが、全くの杞憂に終わった。もちろんクライマックスにはフィッシャーお得意のダイナミックな活劇が展開する、まさに名人芸級の傑作。

 どう考えてもモンスター映画にしかならない題材に、謎解きの要素を取り入れたストーリーがなかなか凝っていて面白い。シナリオを手がけたのは『死体解剖記』(1959)などの監督でもあるジョン・ギリング。おかげでハマー作品には珍しく、ヒロインのキャラクターが特別な印象を残す映画になっている(『凶人ドラキュラ』にも出ていたバーバラ・シェリーが好演)。ラストなんか悲恋ものとしてちょっと泣けるくらいだ。助演に回ったクリストファー・リーの軽妙な味もいい。

▼主演のピーター・カッシング(左)とバーバラ・シェリー
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 「恐怖の映画史」の中で黒沢清監督も指摘していたが、「ただそこにいる。それだけで恐怖の対象になる」ゴーゴンは、どこか日本の怪談に出てくる幽霊のようで、テレンス・フィッシャーの演出もなんとなく近年のジャパニーズ・ホラーを思わせる。遠くに立っているだけとか、水鏡にぼうっと顔が浮かんでいるとか。もちろん、その姿を見たら石になってしまうので、なかなかハッキリとは映さない。その一瞬の見せ方にフィッシャー独自の恐怖演出が発揮されており、他作品と比べても新鮮だった。

 そこに禍々しい何かが「いる」ことが、決定的な恐怖をもたらす。接触して危害を加えたりするわけではないが、そいつを目の当たりにした瞬間、破滅する。こうした恐怖シーンを演出し得た西欧圏の監督は、『呪いの館』(1966)のマリオ・バーヴァぐらいだと思っていたが、テレンス・フィッシャーも見事にやってのけていたのだ。

▼フランス版ポスター
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『ペイバック』(1999)

『ペイバック』
原題:Payback(1999)

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 最近ディレクターズ・カット版のDVDがアメリカで発売されたというので、公開時に観て以来、久々に再見。封切当時すでに「監督が途中降板し、より一般向けにするため再撮影・再編集が施された」という話は聞いていた気がする。ピカレスク・バイオレンス小説の名作『悪党パーカー/人狩り』を原作にしといて「一般向けに」も何もないもんだけど……とはいえ予告編の印象がわりとよかったし、原作も好きだったから、凄く期待して観に行った覚えがある。

 今また見直しても思ったけど、まあ、つまらなくはない。というか、そこそこ面白い。恐れ知らずの悪党がたった1人で犯罪組織を相手取り、あれよあれよと壊滅へと導いていくストーリーはやっぱり痛快だ(しかも、たった7万ドルを取り返すために)。主演のメル・ギブソンが醸し出すタフなギャングの佇まい、非情な眼光は、パルプノヴェル界屈指のアンチヒーロー「悪党パーカー」の名に恥じない(映画での役名はポーター)。グレッグ・ヘンリー演じる下卑たチンピラを返り討ちにするシーンは特にいい。当時売り出し中だったルーシー・リューも魅力的。組織の幹部連中にウィリアム・ディヴェイン、ジェームズ・コバーン、クリス・クリストファーソンといった渋い役者陣を配するセンスも、映画ファンには堪らないものがある(ただしクリストファーソンは公開版のみに出演)。

 監督のブライアン・ヘルゲランドが狙ったモノクローム調の映像は、『セブン』(1995)以降で最も鮮烈なカラーノワールのルックだった。冷たく青く湿気った、アスファルトの街の空気感。その景観同様「ハートのない(Heartless)」悪漢たちの駆け引きには、ダークな笑いが漂い、原作の味をうまく引き出していた。端々に匂う60年代ハードボイルド映画的なムードも効果大だ。

 でも、やっぱりちぐはぐな印象は否めない。特に軽薄すぎる音楽と、余計なナレーション、それに甘ったるいラブストーリーの部分。知ってて観てるせいもあるけど、初見の時よりも違和感がはっきりと分かった。コーヒーショップで女に愛と人生を語る悪党パーカーなんて見たくない。ちなみに追加部分のディレクションは、美術監督のジョン・マイヤーが務めたのだとか(本編の美術を手がけているのはリチャード・フーヴァー)。最近では『ドリーム・ガールズ』(2006)の美術も担当している。

 ちなみに、公開版の中でいちばん面食らった場面で、好きなシーンでもあるのだけど、ウィリアム・ディヴェイン扮する組織のボスが主人公に撃たれるところで、なんかコントみたいな撃たれ方をするのだ。うーっ!みたいな。原作のイメージからペキンパーばりにかっこいい死に様を想像していたので「ええっ」となったのだけど、逆にいちばん印象に残った。ディレクターズ・カット版には残っていてくれるだろうか?

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『ペイバック』スペシャル・エディションDVD
原作本『悪党パーカー 人狩り』

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『スティック・イット!』(2006)

『スティック・イット!』
原題:Stick It(2006)

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〈おはなし〉
 優れた体操選手として将来を嘱望されながら、なぜか世界選手権を途中棄権し、体操から足を洗った少女ヘイリー(ミッシー・ペレグリム)。無軌道な生活を送っていた彼女は、度を越した自転車スタントのせいで警察の厄介になり、裁判所命令で鬼コーチ・ヴィッカーマン(ジェフ・ブリッジス)の強化学校へ。年下の選手たちから裏切り者と疎まれながら、再び過酷なトレーニングに身を投じるのだったが……。

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 傑作。『チアーズ!』(2000)の脚本家ジェシカ・ベンディンガーの初監督作で、体操の世界を題材にしたスポーツ青春コメディ。デビュー作らしい活きのよさ、女性ならではの勝気さに溢れた快作だった。しかも単なるスポ根ムービーに終わらず、競技ルールに対して痛烈な批判を食らわせるラディカルな作品になっている。大体こういうジャンル映画は協会からの援助・協力を得て作られるから、彼らに喧嘩を売るような内容にはならないものだが、本作では劇中、ヒロインのモノローグとして歯に衣着せぬ本音がズバズバ。「体操で大事なのはまず競技のバカバカしさと向き合う精神力」「選手にとって最大の敵は審判員たちの嫉妬」などなど。それが気持ちいい。

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 主演のミッシー・ペレグリムは“第2のヒラリー・スワンク”という呼び名がぴったりのゴツイ顎の持ち主ながら、ふてぶてしさと可愛らしさを兼ね備えていて、演技力も抜群。リンダ・フィオレンティーノにも似てるか? 何より目を見張るのは鍛え上げられた肉体美。肩と腕、腹筋の逞しさはまるでエヴァンゲリオンだ。学園青春映画には可憐な美少女が不可欠! と固く信じている人は受け付けないかもしれないが、真実味という面で見れば非常に納得の行くキャスティング。パワフルなアクロバットで目を奪いつつ、探していたものと巡り逢うヒロインの心の機微を軽やかに演じていて素晴らしい。

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 ジェシカ・ベンディンガー監督は体操という特殊なスポーツの偏った採点制度に異を唱えつつ、華麗でパワフルな技の数々を魅力たっぷりに映し出す。体育館をフラットな光とカラーデザインで構成されたグラフィックな空間として捉え、GAPのCMみたいな映像の遊びをたくさん盛り込んでいるのが上手い。新人らしい初々しさと何物も恐れぬ(?)バイタリティで突き進む一方、新人らしからぬ達者な語り口でも魅せてくれる。Digital Kitchen制作のかっこいいオープニング・アニメーション(いかにもMac感覚な)から、間髪入れず畳み掛ける導入部の鮮やかさにはノックアウト必至。

 また、若者たちを見つめる視線にも嫌味がなく、辛辣さもあくまで同じ地平に立ったシニシズムで、彼らへの共感と愛情が伝わってくるのがいい。特に、体操一筋だったタカビーな女の子(ヴァネッサ・レンジーズ)が、初めてボーイフレンドができた途端に舞い上がってキャラが変わっちゃう描写なんかは、やっぱり女性監督にしか描けない可愛さだと思う。

 まあ難点がないわけではない。少女たちが自由にのびのびと体操技を披露するクライマックスが、それほどかっこよくないのはご愛敬。似てるのは『プレタポルテ』(1994)のラストかな? それでもきっちり感動させてくれる、近年の青春映画のなかでもベストの1本だ。考えの読めない鬼コーチに扮するジェフ・ブリッジスの妙演も見どころ。

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『スティック・イット!』DVD

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『テキサス・チェーンソー ビギニング』(2006)

『テキサス・チェーンソー ビギニング』
原題:The Texas Chainsaw Massacre : The Beginning(2006)

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 別に出来の悪い映画ではないけども、観ている間は何かカンに触って仕方なかった。スティーヴ・ジャブロンスキーのつまらない劇伴音楽が、いかにもマイケル・ベイの映画っぽく始終説明的に鳴っているせいもある。映像だけでもなかなかムードは出していたと思うのに、ありきたりな音付けのおかげで台無しにされているのが残念。

 『ビギニング』というタイトル通り、いろんな始まりを一緒くたに描いているわけだけど(レザーフェイスの誕生、ホイト保安官の誕生、食人一家の誕生、チェーンソーとの出会い等々)、これだけ何もかも一遍に起こってしまうと、かえって浅薄な印象にしか映らない。生活習慣としてそんなに長続きしないんじゃないか、なんて思ってしまう。

 それに、ブッチャーとしての崇高なプライドに憑かれたレザーフェイスや、ひとり強気に狂っているホイトはともかく、他の家族が殺しやカニバリズムを許容していく描写が圧倒的に物足りない。いや別に、殺るか殺らざるか/食うか食わざるかを延々と悩む場面を入れろ、とか言ってるわけじゃない。ただ単に“人をいたぶるのが楽しそうな表情”をちらっと挟めばいいだけなのに。例えば母親が「こんなことして、バチが当たるよ! 警察に捕まったらどうするの!」とか言っておきながら、だんだん「あらあらなんだか楽しそうじゃない?」と笑みを浮かべる瞬間さえあれば完璧だった。なんだかずっとしんねりむっつりしていて、彼らがアメリカ犯罪史上最悪の殺人一家になるという説得力がないのだ。

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 本作はあくまで『テキサス・チェーンソー』(2004)の前章であって、『悪魔のいけにえ』(1977)とは全然別物の映画だから引き合いに出すこともないけど、やっぱり狂気の捉え方が昔とは全然違う。前作からそうだったが、みんな生真面目すぎる。笑いが足りない。オリジナル版でヒッチハイカーは嬉々として自分の掌をナイフで切り裂き、レザーフェイスはキャッキャいいながら暴れる女を肉鈎に引っ掛ける。文句ばかり言うコックだって、結局は「ウヘへ」とか笑いながらヒロインをほうきの柄で突っつき、悲鳴を楽しんでいた。その心の底からわき上がる本物の笑顔こそ、どんな怒号やゴア描写よりも強烈な“狂気”だった。この映画は今この21世紀に、それをきちんと描ける貴重な機会だったはずなのに……。

 R・リー・アーメイの圧倒的怪演に救われているものの、今回もやっぱり当たり前の感性で作られてしまったなあ、という印象が残った。人間の狂気とかをヘンに真面目ぶって描くなら、テキサス以外のところでやってほしい。カナダとか。

 それにしてもジョーダナ・ブリュースターは偉い。『ヒッチャー』(1985)のジェニファー・ジェイソン・リーぐらい頑張っていると思った。

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『トラブル・マリッジ カレと私とデュプリーの場合』(2006)

『トラブル・マリッジ カレと私とデュプリーの場合』
原題:You, Me and Dupree(2006)

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〈おはなし〉
 ハワイで豪勢な式を挙げ、甘い新婚生活をスタートさせたカール(マット・ディロン)とモリー(ケイト・ハドソン)。そこへ、結婚式に出席したせいで仕事も家も失ったカールの親友デュプリー(オーウェン・ウィルソン)が転がり込んできた。自由奔放すぎる居候のおかげで2人の暮らしはメチャクチャに。さらにカールは勤め先の社長である義父(マイケル・ダグラス)からプレッシャーをかけられ、だんだんとノイローゼに陥っていく。一方、始めはギクシャクしていたモリーとデュプリーの仲がいつしか急接近。新婚生活の行方は……?

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 オーウェン・ウィルソンほど人気のわりに凡作の目立つハリウッドスターもいない。それはもちろんデビュー作『アンソニーのハッピー・モーテル』(1996)以来、ウェス・アンダーソン作品で脚本家・俳優として素晴らしい天才ぶりを発揮しているからなのだけど、それ以外の出演作となると、大半が冴えない出来のコメディばかり。粗末なシナリオのせいでその魅力がほとんど有効利用されないまま、微妙なお調子者キャラとして消費されてしまっている。『シャンハイ・ヌーン』(2000)然り『スタスキー&ハッチ』(2004)然り、全米では大ヒットした『ウエディング・クラッシャーズ』(2005)も例外ではない。よかったのは『ズーランダー』(2001)と『カーズ』(2006)だけ。人なつっこい連続殺人者を好演した『クアドロフォニア』(1999)が成功していれば、オファーの幅も広がったのかもしれないけれど……。

 本人もそれに自覚的だったのか、本作『トラブル・マリッジ』ではプロデューサーも兼ねて、自分の魅力を思う存分に発揮している。「悪気はないけどメーワクばかりかける、でも憎めないヤツ」という、『アンソニーのハッピー・モーテル』からさんざんやりつくしたキャラだ。それでも他人に任せるのと自分で考えてやるのとではこうも違うのか、と思うほど本作のオーウェンは輝いている(それはそれで「自分大好き」みたいでちょっとイヤだけど)。「土砂降りの中ベンチにひとり座っているオーウェン」「すっごいキラキラした目で『ローマの休日』に見入るオーウェン」「マザーシップから啓示を受けるオーウェン」「巨漢の警備員に対決を挑むオーウェン」など、爆笑シーンの連続だ。なんなんだ一体、どこまで可愛いんだお前、みたいな瞬間が目白押し。そりゃモテるわ。

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 まあ、だからって傑作かというとそうでもない。脚本次第でもっと面白くできるはずなのにどこか寸足らずだし、マット・ディロンの喜劇的才能のなさも致命的だ。それでも、オーウェンのファンにとっては必見の快作であることは間違いない。やっぱりウェス・アンダーソンと一緒じゃないと駄目なのかな、と不安に思っていた者としては、ホッとする作品だった。最近あまり振るわなかったケイト・ハドソンも、本作ではとても可愛く撮れている。バカな悪友を怪演するセス・ローゲンもよかった。

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『ハッピーフィート』(2006)

『ハッピーフィート』
原題:Happy Feet(2006)

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 悪い意味ではなく、ものすごく露骨な性愛教育映画だった。親御さんはぜひお子様連れで見ていただきたい。のみならず、差別問題にしろ教育問題にしろ環境問題にしろ、全体に啓蒙的。特に後半では、単に明るく楽しいだけの娯楽作を観に来た客が面食らうような展開が待っている。といっても辛気臭くはなく、あくまでファンタジックな寓話であり、問題意識は言外に汲むものとして巧みに処理している。

 本作がアカデミー長編アニメーション賞を獲ったのも、作品的な完成度やアニメーションとして優れているかということより、アル・ゴアの『不都合な真実』(2006)が長編ドキュメンタリー賞を受賞したのと同じ流れだろう。もちろん十分に面白いのだけど、作品的にはどう見ても『カーズ』(2006)の方が上だ。

 おそらく『ハッピーフィート』の乱暴さは意図的で、救いようのない将来の不安をご都合主義的なハッピーエンドで終わらせてしまうのも、「それじゃ現実は解決しねーよ」と観客に悟らせるためだ。ジョージ・ミラー監督独特のシニシズムは本作でもしっかり際立っている。別に生ぬるいファミリー映画作家に転向したわけではないから、『マッドマックス』シリーズのファンはご安心を。

 そしてこれは紛れもなくオーストラリア映画でもあった。自然と人間(文明)の対立、人知では計り知れぬ大自然の中で神経症に陥るちっぽけなヒトという構図は、オーストラリア映画で昔から繰り返されてきたテーマだ。その図式をひっくり返したのが『ベイブ』(1995)や本作である。映画の後半で主人公マンブルが強いられる精神的苦痛は、大自然によって死へと導かれる人間を描いた『ロング・ウィークエンド』(1978)の焦燥と重なる。そこで映し出される自然と人間の“断絶”……そのシビアさは筋金入りだ。ジョージ・ミラーはやっぱり、愛と共感と思いやりに溢れた『ベイブ』ではなく、衝突と混沌に満ちた『ベイブ都会へ行く』(1998)の人だった。

 また、前半の青春映画風のシークエンスも、非常にオーストラリア映画的である。卒業式を迎えて最後の青春を謳歌するペンギンたちは、閉鎖的なコミュニティに暮らす郊外の若者像だ。彼らの享受するカルチャーはなぜかリアルタイムではなく、近過去のノスタルジックなものばかり。今時ディスコサウンドを臆面もなく楽しんだりする自己卑下的なセンスも『プリシラ』(1994)や『ラブ・セレナーデ』(1996)でお馴染みだ。そのテの悪趣味を全世界的に通用させた慧眼の持ち主はバズ・ラーマンだが、ジョージ・ミラーも本作で後輩の方法論に倣い、大っぴらにアース・ウィンド&ファイアーをフィーチャーしたりする。それがリバイバルとか再発見ではない、田舎センスであるところが重要だ。

 もちろんニコール・キッドマンもヒュー・ジャックマンも、ハリウッドスターではなく、オーストラリア映画人として本作に参加している。映画の開巻は彼らに飾ってもらわねばならなかった。『ベイブ』から続くヒューゴ・ウィーヴィング、マグダ・ズバンスキーの登板も同様。(ところでキッドマンの可愛い母親ぶりは絶品。『アイアン・ジャイアント』の主人公の母親ぐらいマザコンの心を捕えると思う)

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 非オーストラリア人キャストの中ではブリタニー・マーフィーの歌唱力に驚かされた。まあでもきっと歌えるんだろうな、声優歴もいちばん長いし(ブレイク前から『キング・オブ・ザ・ヒル』のレギュラーキャストを務めている)、と思っていたらやっぱり凄く巧かった。ロビン・ウィリアムズは相変わらず。ヒスパニックのラモンはいいけど、変な教祖の二役やる意味がよく分からない。マンブル役のイライジャ・ウッドは、どうも『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ以降、心身共に苦痛を受けてボロボロになるキャラが定着しているような気がする。

「いかにしてディズニーと差別化を図るか」という避けがたい意識もありつつ、結果として『ハッピーフィート』は想像以上にエキセントリックな映画になったと思う。映像的には文句なしだ。特に水中での群舞シークエンスは素晴らしい。他にもいろいろと盛り込んでいる中で、やっぱり最初にも書いたけど、ペンギンを考えうる限りセクシーな動物として描いた点は評価したい。これでもかと盛り込まれたセックスアピールには、もう笑うほかない。

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『ハッピーフィート』特別版(2枚組)DVD

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