『新SOS大東京探検隊』(2006)

大友克洋の短編コミック「SOS大東京探検隊」をもとにした、40分の3DCGアニメ。今年の東京国際映画祭で観たが、これが結構、面白い。ひょっとしたら、大友漫画のテイストをいちばんスマートな形でエンターテインメントに落とし込んだ快作アニメなのでは、と思ったほどだった。
新鮮なCGアニメ表現に驚かされたことも大きい。かなり2D寄りの、作画アニメの面白さを受け継いだ映像設計がされているため、非常に見やすいし作品内容にもスッと入り込める。キャラクターはいわゆるアニメ絵のデザインそのままにモデリングされており、動きもソフト計算やモーションキャプチャに頼ったものではなく、手付けで動き/タイミングをつけているので、作画的メリハリが利いている。実際、遠景のモブなど、部分的には作画で描かれているところもあり、制作姿勢がフレキシブルだ。
もちろん、レイアウトやカッティングなど、演出自体のうまさもある。監督を務めたのは『BLOOD THE LAST VAMPIRE』『スチームボーイ』の演出などを手がけた高木真司。アニメ制作現場へのデジタル技術導入に務めてきた監督による、ひとつの結論のような作品と言える。映像的なこだわりと、エンターテインメントとして成立させる気概がイコールになっているところに好感が持てた。
制作はサンライズ・エモーションスタジオ。元々は『スチームボーイ』の制作スタジオで、カップヌードルのCMコラボ企画『FREEDOM』と並行して制作が進められていた。『FREEDOM』OVA第1話もかなり見応えのある出来だったが、こちらも負けていない。DVDでのリリースが予定されているそうだが、劇場の大画面で観ても遜色ないクオリティだった。特に、スクリーン映写だとCGっぽい質感が若干甘くなるから、なおさら劇場向きなのではないかという気がした。
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『ハッピーエンド』原題:Happy End(2003)
『Sue』のアモス・コレック監督が2003年に撮り上げた、『ファストフード・ファストウーマン』(2000)にも連なる軽妙なラブ・コメディ。スターを目指してニューヨークにやってきたフランス人の女の子と、スランプに陥っている脚本家の間に起こるすったもんだを、ユニークな語り口で描いていく。製作はフランスを代表する大プロデューサーのアラン・サルドで、撮影はニューヨークだが実質はフランス映画(セールスターゲットも含めて)。日本では劇場未公開で、先日ジェネオンからDVDリリースされた。
『アメリ』(2001)のオドレイ・トトゥが現代のスクリューボール・ヒロインを演じるが、いかんせん魅力に欠けるので作品全体が失敗している。そんなにベタな不思議ちゃんキャラじゃないのに、こうまであからさまにやられてしまうと……。なんか「憎めない猿」といった感じで、リチャード・ベンジャミンにもの凄く似ていると思ってしまった。そう考えると、やっぱりジャン=ピエール・ジュネは彼女の魅力を的確に捉えていたと思う。
▼リチャード・ベンジャミン
(まあ『アメリ』の時から似てると思ってたけど……)

アンナ・トムソンに代わるコレック作品のヒロインを見つけるのは、やっぱり難しい。相手役のジャスティン・セローの好演が目立った。
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『ミラーマスク』原題:Mirrormask(2005)

人気コミック作家ニール・ゲイマンの世界を映像化した、イギリス製ダークファンタジー映画の佳作。同じくコミック作家でありグラフィックデザイナーでもあるデイヴ・マッキーンが監督を務め、デジタルVFXをジム・ヘンソン・カンパニーが手がけている。去年の末ぐらいから観たいなーと思っていて、それからほぼ1年して日本でもようやくDVDがリリースされた。できれば劇場で観たかったけど、まあ地味な作品なので仕方ない(今年の大阪ヨーロッパ映画祭ではスクリーン上映されたとか。羨ましい!)。
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〈おはなし〉
少女ヘレナ(ステファニー・レオニダス)はサーカスを営む両親と一緒に旅回りを続けながら、普通の生活を夢見ていた。そんなある時、母が入院。大手術が行われることになり、ヘレナは不安に包まれながら夜を迎える。
気が付くと、ヘレナは不思議な世界にいた。そこでは誰もがマスクをつけており、奇妙な姿の生き物が闊歩し、生意気なスフィンクスがうろついていた。コンパスのような衛兵たちによって城に連れていかれたヘレナは、そこで深い眠りにつく光の女王と対面する。闇の女王のもとから逃げ出したプリンセスが、光の国のお守り「ミラーマスク」を奪ってからというもの、光の女王は眠ったまま。それを境に、世界の均衡も変わってしまったのだという。
どうせ夢だと思い、ヘレナはたまたま出会った青年バレンタイン(ジェイソン・バリー)と共に、ミラーマスクを取り戻す旅に出る。ふと窓を覗くと、そこには自分の部屋と、自分そっくりの少女が映っていた。闇のプリンセスがヘレナの日常を乗っ取ろうとしていたのだ……。
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有り体に言ってしまえば、最新デジタル版の『ラビリンス 魔王の迷宮』(1986)。お話は大したことないが、独特のセンスでデザインされた幻想的世界のビジュアルが面白く、目を見張る。CGで作られた美術やクリーチャー、色や質感にも見応えがあるが、最も魅力的なのは線画のアニメーションとタイポグラフィ。特に冒頭のタイトルシークエンスからは、ビジュアル的にいい予感がビシビシ伝わってくる。
もともとDVDオンリーで公開する予定のローバジェット作品だったが、映像の出来が良かったために、アメリカでは限定劇場公開されたとか。作品のスケールも慎ましいものだが、その分、細かいところに面白みがあって楽しい。イギリス映画らしい少しひねくれたユーモアは、ダークな世界観にマッチしていて、ジム・ヘンソン的でもある。ダイナミックなアクションシーンまであり。
▼主演のステファニー・レオニダス

何しろ、ヒロインを演じるステファニー・レオニダスがものすごく可愛くて、それだけで評価がグッと上がってしまった。彼女の母親と、光の女王、闇の女王の3役に扮しているのは、
『ルール・オブ・デス/カジノの死角』(1998)のジーナ・マッキー。CGキャラクターの中でいちばん面白かったのは、ハトみたいな顔をしていて身体は毛のないゴリラみたいなクリーチャー。予想外のアクションで笑わせてくれる。
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『A Girl in Black』(1955)

ギリシャの名匠、マイケル・カコヤニス監督の長編第3作。地中海の美しい景色をバックに、ひとつの恋が悲劇を引き起こしていく様を丹念に描く。ゴールデングローブ外国語映画賞を受賞し、カンヌ国際映画祭にも出品された。
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〈おはなし〉
風光明媚な地中海沿岸の港町に、都会から二人の男がやってくる。売れない作家の青年パヴロ(ディミトリ・ホーン)と、友人の(ノチス・ペルヤリス)だ。彼らはとある民家に泊めてもらう事に。そこには美しい娘マリナ(エリー・ランベッティ)が家族と共に暮らしていた。
彼女の父親はすでに亡く、妹も1年前に海で還らぬ人となった。継母は孤独のあまり若い男と関係し、村の噂になっている。誰も口には出さないが、村民たちのいびつな視線はマリナを責め苛なむ。今や島で生きること自体が彼女にとって苦痛だった。
そんなマリナの憂いを湛えた表情に惹かれ、積極的にアプローチするパヴロ。固く閉ざされた彼女の心も次第にほだされ、仄かな愛情が芽生え始める。だが、住む世界の違う者同士の恋は、取り返しのつかない悲劇をもたらした……。
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モノクロで捉えられたコントラスト豊かな海辺の情景が美しく、1カット1カットがことごとく画になる。「ここでは全てが明るい陽に照らされている。人の罪も」という台詞を冒頭に掲げ、決して楽園ではない村社会の冷たい一面を炙り出し、絶対法則的といえる残酷な展開へと導いていく手腕が鮮やかだ。
しかし、それだけに終わらないのがこの映画の魅力。古典的な悲劇の運びを踏まえながら、カコヤニスの語り口には知性と現代性がある。恐怖に脅え、絶望に打ちひしがれていたヒロインが、その出来事をきっかけに強さを取り戻し、立ち直る様が非常に感動的。メロドラマから一歩踏み出したラストも清々しい。
『狙撃者』(1971)、
『ブラック・レインボウ』(1989)のマイク・ホッジス監督は、映画館に入り浸っていた少年時代に本作と出会い、たちまち魅了されてしまったそうだ。特に、未亡人(ヒロインの継母)が若い男との情事を終えた後、ひとり町を歩いていくシーンは忘れられないという。「島民は皆、歩いていく彼女に黙って背を向け続ける。恥辱を受け、どこまでも孤独な彼女は、死人も同然だ。今でもこんなに恐ろしいシーンはないと思っている」。カコヤニス監督の大ファンとなったホッジスはその後、地中海のマルタ島に別荘を持ち、そこで2作目の長編映画
『PULP』(1972)を撮り上げた。
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『鉄コン筋クリート』(2006)

今年観たアニメーション映画のなかでいちばん好きだ。躍動感に満ち溢れ、それぞれのキャラクターが魅力的で、美術や作画のビジュアル面でも目を見張る。特に、主人公のクロとイタチが対峙するクライマックス・シークエンスでは、芸術的かつダイナミックな悪夢世界が展開し、圧倒的だ。
何より素晴らしいのは、とても「素直」に作られているところ。奇をてらったクールでスタイリッシュな印象ではなく、町の空気感や子供の心情を大事にした、風通しのいい情緒に溢れた世界になっているのがいい。それは松本大洋の原作マンガに対するストレートな愛情の反映にも見える。マイケル・アリアス監督を筆頭に、スタッフ・キャストが『鉄コン筋クリート』という作品に真から惚れ込んでいるのが伝わってくるのだ。しかも、絶対にSTUDIO4℃という会社でしか作れない、べらぼうに個性的でクオリティの高いフィルムにもなっている。
西見祥示郎によってデザインされたキャラクターは、日本の商業アニメではあまり類を見ない独特のフォルムで観客を驚かせる。それでいて愛嬌があり、マンガ的で、松本大洋の絵にあるエッセンスを独自の手法で見事に移し換えている。これがアニメーターたちの手によって動き出すと、不思議とメジャー感まで漂ってくるのが面白い。

ハイレベルな作画と共に、声優の演技もまた、映画に血を通わせている。特にシロを演じた蒼井優の巧さには驚愕した。クロ役の二宮和也も、役者としての実力を知らしめるのに充分以上の好演を聴かせてくれる。エキセントリックな悪役・蛇に扮する本木雅弘のヌメヌメした悪役演技も強烈。個人的には若い刑事・沢田を演じた宮藤官九郎の抑えた芝居にも感動した。西村知道や納谷六郎ら、脇を引き締めるベテラン声優陣の渋さもいい。
細かい欠点もなくはない。熱烈な松本大洋ファンには物足りなく感じるところもあるだろう。しかし、あの原作をして、全国120館の公開規模にも堪えられるエンターテインメントとして完成させたのは、本当に凄いことだ。とても幸福な映像化だと思う。
観終わって清々しく感動させてくれる、今どき真っ当な娯楽作。多くの人に観てほしい。
『鉄コン筋クリート』を観て気に入った人は、同じくSTUDIO4℃が制作した湯浅政明監督作品『マインド・ゲーム』(2004)も併せて必見。こちらも西見祥示郎や久保まさひこ、浦谷千恵ほか『鉄コン』のスタッフが多く参加しており、アニメーション史上に残る未曽有の傑作となっている。
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『雪崩』原題:Figures in a Landscape(1970)

ジョゼフ・ロージー監督の日本未公開作品。脱走中の二人の男が、ヘリコプターや軍隊の執拗な追撃をかわしながら、海辺を、高地を、平原を、雪山を、ひたすら逃げて逃げて逃げまくるサスペンスアクション巨編。主演は『ジョーズ』(1975)の名優ロバート・ショウと、『時計じかけのオレンジ』(1971)に出演する直前のマルコム・マクダウェル。なんとショウは本作の脚本も手がけている(元々は作家としてのキャリアもあったらしい)。原作はブッカー賞候補にもなったバリー・イングランドの同名小説で、邦訳タイトルは『脱走の谷』。当初はピーター・メダックが監督に予定されていたが、なんらかの事情でロージーに交代したそうだ。
迫真のヘリコプタースタントあり、銃撃戦あり、男二人が繰り広げる緊迫のドラマありの、タイトな傑作アクション……になってもおかしくないはずだが、そこはロージー作品。本作では、物語の背景がほとんど説明されない。男たちが何故捕えられていたか、どこへ逃げようとしているのか、執拗に追われるのは何故か、そもそもどこの国の話なのか。映画に絶対必要ではないが、かなり大切な要素をぶっこ抜いてしまった、壮大な実験作とも言える。それでいて、ある種分かりやすい不条理劇風の演出でもなく、アクションもドラマも見応えたっぷりに描いているので、余計に謎めいた感触を残す(後半いきなり闇夜の銃撃戦が展開する辺りは、もう冗談か本気か分からないが)。
映画のタイトルロールである二人の男は、微妙な関係を保ち続ける。時に衝突し、助け合いながら、逃避行の末に互いをどうするかも分からない。刹那の協力関係を築かざるを得ない者同士の間には、友情も信頼も簡単には芽生えない。その緊張感に拍車をかけるのが、ロバート・ショウ演じる中年男マックの屈折したキャラクターだ。

この映画のロバート・ショウは本当に素晴らしい。まさに畢生の名演技だ。彼が演じた役柄は、ショウ本人の難しい性格をそのまま投影したものだったとか。わがままで気難しく、一方で頼りがいがあり、時に優しく若者をいたわる。さっきまで親切だったかと思えば、いきなり相手を小馬鹿にしたり、怒りを爆発させたり。元妻の思い出を訥々と語り、内面には破滅的な感情も秘めている。そんなとらえどころのなさは、カメラが回っていない時にも発揮され、若き共演者のマクダウェルを困惑させたという。
ロージーは主人公たちをいたぶるヘリコプターを、怪物じみた存在感で描いている。ギリギリまで彼らに近付き、高速回転するローターで非情に追い立てる姿は、ほとんど鉄のケダモノだ。その迫力は、本作の翌年に作られた『激突!』(1971)のタンクローリーの描き方と酷似している。また、雄大な山岳地帯を流麗に滑空する主観の飛行映像からは、ヘリの駆動音を取り払い、音楽だけを付けて不気味な効果を与えている。キューブリックが『シャイニング』(1980)の冒頭でこだわった冷徹な空撮とも違い、視線が獰猛なのだ。
シネマスコープの見事な撮影を担当したのは、名手アンリ・アルカンと、新人時代のピーター・スシツキー(父親は
『狙撃者』の撮影監督ウォルフガング・スシツキー)、そして『素晴らしい風船旅行』(1960)も手がけた空中撮影の第一人者、ギイ・タバリー。ロージーはヘリの撮影に夢中だったらしく、自ら機内に乗り込み、正気の沙汰とは思えないスタントシーンを敢行。ヘリが俳優たちの体スレスレまで近付く場面では、ひとつ間違えば彼らを切り刻みかねない、あるいはローターが地面や山肌に接触してヘリ自体が大破しかねない危険な撮影に挑み、比類のない映像を生み出した。後にM・マクダウェルがジョン・バダム監督のヘリアクション映画『ブルー・サンダー』(1982)に出演した時、何かイヤなことを思い出さなかっただろうか……と思いを馳せてしまうほど、強烈な迫力に満ちている。
原作と同じ「風景の中の人物」というアートフィルム的なタイトルも、また異色。広大な自然の中を逃げ回る2つの人影を延々と映し出す本作には、まさにうってつけの題名だと思うが、商売的に成り立つタイトルではない。嘘でもいいからそれらしい題を付けるのが映画興行というものではないだろうか……と余計な心配までしてしまう。当然、興行的に当たったという話は聞かない。
日本では結局オクラ入り。邦題の『雪崩』はBSで放映された時に付けられたもの。本編に雪崩のシーンなんてないのだが、一体どういうつもりで付けた題なのか……買い付け担当者が映画を見終わった時の気持ち?
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『密室の恐怖実験』原題:Twisted Nerve(1968)

〈おはなし〉
良家に生まれ、母親に溺愛されて育った青年マーティン(ハイウェル・ベネット)。ある時、彼は町で美しい少女スーザン(ヘイリー・ミルズ)と出会い、とっさに知的障害を装って自らをジョージィと名乗った。数日後、継父と衝突したマーティンは家を飛び出し、スーザンの母が営む下宿に潜り込む。ダウン症の兄がいる彼にとって、純真無垢な“ジョージィ”を演じることなど容易かった。周到にアリバイを作りだしたマーティンは、継父を殺害し、完全犯罪を目論む。だが、スーザンがその正体を知った時、事態はさらにねじれた方向へと展開する……。
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知的障害、ダウン症というデリケートな題材をサスペンスの中核に据えた、カルトなサイコスリラー。ジョン・ボウルティング(製作総指揮)とロイ・ボウルティング(監督・共同脚本)の兄弟が制作し、堅実な作りの佳作に仕立てている。
映画の冒頭にあるナレーションでも語られるが、ダウン症と精神障害の間に関連性はない。本編のストーリー上でも、ミステリーのトリック的に扱われているに過ぎない。とはいえ製作者側も「正しい理解と判断を促す」ナレーションなど入れながら、そのセンセーショナリズムを売りにしているフシがある。ストーリー自体も、遺伝的心身異常は不可避であると言い切ってしまうようなヤバめの内容。そのいかがわしさこそ本作の妙味だ。今となっては余計に差し触りがあるのか、DVD化の予定もない。かつて日本ではキング=東北新社からビデオが出ていたが、現在ではかなりの希少品になっている。
▼日本版ビデオジャケット。怖い

しかし映画として面白いのは事実で、特に『血を吸うカメラ』(1960)あたりが好きな人にはたまらない内容だと思う。ロイ・ボウルティングの演出はクラシカルと言っていい正攻法なものだが、人物描写の積み重ねや、不穏なムードの作り方が巧い。殺人シーンにおけるサイコな高ぶりも、当時としては類を見ない切れ味とリアリティ。この辺の異常性を見事に描いてしまったことが、余計に本作を扱いにくくさせているのかも?
主人公マーティン青年に扮したハイウェル・ベネットのキャスティングが絶妙だ。あどけなさの奥に狡猾さを秘めた表情、永遠に成長を止められたかのようなアンバランスな少年性が、映画のサスペンスをさらに奥深くしている。どうやら自己の性認識も曖昧らしい殺人者の苦悶は、怪作『サマーキャンプ・インフェルノ』(1983)のギミックにも踏襲されている……というのは単なる思いつきだけど、もしそうだったらなんか嬉しい。
聡明なヒロインを演じているのは、ディズニー映画の子役スターだったヘイリー・ミルズ。当時のロイ・ボウルティング夫人であり、さすがに魅力的に撮られている。やっぱり映画の成否というのは、監督がいかに女優(または男優)にベタ惚れするかで決まる気がする。2人は本作の9年後に離婚した。
▼ハイウェル・ベネット(左)とヘイリー・ミルズ

軽快な口笛のメロディが印象的な、ドリーミーな音楽を作曲したのは、名匠バーナード・ハーマン。クエンティン・タランティーノが『キル・ビル Vol.1』(2004)で殺人看護婦のテーマとして引用していたので、聞いたことのある人も多いだろう。個人的には『悪魔のシスター』(1973)に次いで大好きな作品。
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『闇を裂く一発』(1968)
『野良犬』(1949)『用心棒』(1961)の菊島隆三が脚本を手がけた、大映製作の刑事サスペンス。邦画ファン・ミステリ映画ファンの間では隠れた傑作として評価が高く、ずっと観たいと思っていた。
新文芸坐の「和田誠が『もう一度観たいのになかなかチャンスがない』と言っている日本映画」という特集で上映されたので、ようやくスクリーンで対面。期待に違わぬ快作だった。
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〈おはなし〉
うだるような真夏の射撃場で、メキシコ五輪を目指して特訓に励む3人の若者たち。警察官でもある彼らは、ある日、ライフル魔逮捕のため捜査にかりだされることになる。ピストル射撃の名手・本多(峰岸隆之介)はベテラン刑事の江森(露口茂)と組み、ホシの足取りを追う。初めは考え方から何から噛み合わなかった2人だったが、捜査を通じて徐々に理解し合っていく。そこに犯人を目撃したという情報が……。
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キャラクター描写・配置の巧さ、筋運びの鮮やかさは、さすが菊島隆三という感じ。村野鐡太郎監督のタイトな演出も快い。後年は『月山』(1979)『遠野物語』(1982)といった文芸作を多く発表しているが、大映時代にはこんなシャープな娯楽作も放っていた。良質の洋画刑事ドラマのようなムードも漂わせており、その筋の人たちの間で語り草になっているのも頷ける。山下毅雄による『第三の男』っぽいギターの音楽もいい。
キャスティングも見事。若き日の峰岸隆之介(現・峰岸徹)が、いかにも生意気そうなスポーツ一本槍の主人公を好演。叩き上げの刑事を味わい深く演じる露口茂とのバディムービーとしてもよく出来ている。今や名バイプレイヤーとして知られる平泉征が、主人公と同じ五輪強化選手の役で、松岡修造みたいなトレーニングバカの青年を演じているのが可笑しかった。
クライマックスは野球場が舞台。犯人がスコアボード裏に立てこもるという趣向で、雰囲気のあるセットと歓声のSEが、息詰まる臨場感をうまく醸成している。ムスッとした年配のボード係を演じる今福正雄もいい味だしていた。
台詞の中に金嬉老の名が登場したり、「次はミュンヘン五輪がありますから」といった台詞にヒリヒリした時代性を感じる。かなり傷んだプリントだったのが残念だけど、とても面白かった。今度は綺麗な状態で観てみたい。
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『演歌なアイツは夜ごと不条理な夢を見る』(1992)

1992年、日本テレビで深夜に放映された各話30分×全5回の連続ドラマ。脚本は松尾スズキで、竹中直人が主演。脇を固めるキャストは、これが映像デビュー作となる阿部サダヲ、吹越満、井口昇、そして三谷昇など、実に豪華な顔触れ。アンマリな内容のために初回オンエアだけで封印されてしまったいわくつきの作品だそうで、つい最近DVD化されるまで、まったく存在を知らなかった。
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〈おはなし〉
ドサ回りの奇術師・ダーク五郎(竹中直人)は、助手を務める妹の広子(田中広子)と共に、その町へとやってきた。そこでは暴力団が幅を利かせ、住民達は活気を失い、劇場も閑古鳥。雑用係をしている司(阿部サダヲ)は舎弟気取りで五郎になつくが、小屋主の虫明(山崎一)は多額の借金にまみれてシャブ中になっていた。
コメディアンの錦一(吹越満)に絡んでいたチンピラを撃退した五郎は、ヤクザたちから目を付けられるようになる。司は広子と五郎の間に、単なる兄妹以上のただならぬ気配を感じ取っていた。そして五郎自身もまた、不意に訪れる身に覚えのない悪夢のフラッシュバックと、性的不能に苦悩していた。やがて、ひとりの精神科医(松尾スズキ)によって真実が明らかになった時、地獄の釜が開く……。
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ああ、面白かった。こういう内容だとは全然知らなかったので、余計に楽しめたのかも。気持ち悪い人しか出てこないし。
深夜番組とはいえ、これがテレビで放送されていたとは俄かに信じ難い、強烈なシーンが続出。大量殺人、性倒錯、麻薬中毒、放火、拷問、オカルト、近親相姦……井口昇出演のAVがそのまんま流れたりする。登場人物は軒並み凄絶な末路を遂げ、終いにはカタストロフへと至る。もう「全ては許されている」と言ったもん勝ちみたいなタブーの羅列に、後ろ向きのパワーが地鳴りのように響いてくる。とにかく悪いことしか起こらないのに突き抜けた爽快感のようなものを感じるのは、松尾スズキ脚本ならではというか。ファスビンダーとか大好きなんだろうな、きっと。

大塚恭司の演出も才気走っていて、病んだドラマをテンポ良く見せきっている。『キル・ビル』に先駆けて「恨み節」をフィーチャーした3話がいい。場所がいまいち特定できないロケーションも素晴らしい。また、劇中に流れる8mm映像を手がけたのは、『グループ魂のでんきまむし』(1999)などで知られる映像作家の藤田秀幸。主に過去のトラウマがフラッシュバックする場面で、線路上に転がるちぎれた手足を執拗に映したり、眼球に鉛筆が突き刺さった男を異様な迫力で撮っていたりして、テレビとは思えないハイクオリティな気色の悪さ。花輪和一の漫画みたいなイラストなど、映像的な趣向も楽しい。
それにしても、よくDVD出たなあ、これ。
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『叫』(2006)

〈おはなし〉
東京湾岸で異様な殺人事件が発生。被害者の女は海水の水たまりに頭を突っ込まれ、溺死していた。刑事・吉岡(役所広司)はその現場を訪れてから、奇妙な感覚にとらわれ始める。被害者の周辺には、自分の痕跡、残滓が仄かに残されていた。まるで自分が犯人であるかのような不安……。やがて第2の事件が勃発し、吉岡の焦りは募っていく。失われた記憶を探すように彷徨う彼の前に、突如として現れる不気味な赤い影。それは切り裂くような叫び声をあげながら、吉岡に向かってきた!
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面白かったー! これ楽しいー! 黒沢清映画の2大スターであるところの“役所広司”と“幽霊”が真っ向からぶつかり合ったら? という『DEAD OR ALIVE ―犯罪者―』級のタッグマッチが、冗談でも何でもなく本気で展開する快作。今までの黒沢作品の集大成的な趣きもありながら、しっかりと新しいこともやっていて、セルフパロディに傾きかける危険性を巧みに回避。それでいてエンターテインメント性に富んだ、簡潔な娯楽作に仕上がっているのが素晴らしい。ミステリー仕立てのストーリーでも引っ張るし、オールスター映画としての楽しみもある。開発が文字通り途絶えた都市湾岸部の異様なランドスケープという舞台も、個人的に昔から知っている光景で、その社会派的要素と終末観を重ね合わせた趣向も凄くよかった。
観る人の楽しみのために書かないが、ボーダーライン越えの怪異描写には度肝を抜かれる。それはやっぱり、黒沢監督にしかできないことだ。いいかげんホラーとか幽霊とかやりにくい時機に、よくここまで突き抜けたアイディアを実現したなぁ、さすがだなぁ、と嬉しくなってしまった。葉月里緒菜扮する「赤い幽霊」の存在感というか自由奔放さには、香港ホラー映画のようなバイタリティさえ感じるほどだが、個人的に思い出されてならなかったのは『妖婆死棺の呪い』(1967)だ。そしたら本当に×××××!
なんでそんな映画のことを思いだしていたかというと、10年あまり前、BSのとある深夜番組で黒沢清監督自薦のホラー映画を5日間にわたって放映するという企画があり、そのラインナップが『怪談佐賀屋敷』『東海道四谷怪談』『血塗られた墓標』『光る眼』そして『妖婆死棺の呪い』だったのだ。だからもう、本当にびっくりした。(それを参考にしたとは監督も誰も言ってないけれど)
近年では一作ごとにタイトでストイックな印象が強まっていく気がしていたけど、今回の『叫』では、どこか映画的なゆとりのようなものが感じられる。そこら辺に段ボールやら椅子やらが転がっている『勝手にしやがれ!!』モードが導入されているせいか、それともコンピュータで編集しているせいだろうか(あれは作家の編集リズムを弛緩させる気がする)。映像的にも素晴らしく、特に撮影と美術のクオリティは過去最高レベルと言っていい。
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『スキャナー・ダークリー』原題:A Scanner Darkly(2006)

新宿ミラノ座でやっていた「表現の自由について云々」オールナイトで、封切りよりも一足先に拝見。個人的にやや期待しすぎていたので空振りする恐れもあったけど、しっかり面白い映画に仕上がっていたので一安心。とはいえ、周囲の客がほとんど寝ていたので、やっぱり視神経に負担をかける類の映画なんだろう。でも今回はカメラワークも役者の演技もしっかりしてるので、『ウェイキング・ライフ』(2001)よりは全然堪えられると思う。船酔い度もぐっと少なめ。
『Slacker』(1991)や『バッド・チューニング』(1993)といった作品で若者たちの気怠い日常を綴ってきたリチャード・リンクレイター監督の作風と、ドラッグ常習者たちの暢気で絶望的な生活を背景にした原作小説とのシンクロ度は、分かっちゃいたけどそれでも想像以上に相性ピッタリだった。もちろん、相性ピッタリじゃないところから『ブレードランナー』(1982)も『トータル・リコール』(1990)も『バルジョーでいこう!』(1993)も生まれたわけで、そういう意味で『スキャナー・ダークリー』の映像化アプローチは相当バカ正直とも言える。本当にちょっと物足りなく感じてしまうほど「普通によくできた忠実な映画化」になっている。
しかしながら、エキセントリックな原作自体の持つ面白さを1本の映画にまとめあげたという点で、リンクレイターの功績は大きい。ねじれていながら実はストレートに痛切な悲劇として、しっかり成立させている。しかも手法的にはロトスコープ・アニメーションの最新版という型破りな見せ方をしているのだから、やっぱりこの監督にしか撮れない作品になっているのだ。

一応書いておくと、『暗闇のスキャナー』はSFとは言いながら、ほとんど半分方が中毒者たちの日常描写に割かれている。そこでゲンナリしてしまう人もいると思うが、演じているのがロバート・ダウニーJr.や、ウディ・ハレルソンといったリアリティ満点の人たちばかりだから大丈夫。特にダウニーJr.のご陽気な壊れっぷりは最高で、ほとんどアテ書きのような役柄を嬉々として演じている。禁断症状に苛まれるフレック役でトボケた怪演を見せるロリー・コクレンもナイス。この両者の奔放な芝居(笑)をさらにトレースしてアニメーション化するという凄まじい労力のかかりようも、本作の見どころだ。いやホントに、この仕事をやり遂げたアニメーターはスーパー作画マンになっていてもおかしくない。ついでに言うと、アニメ化されたウィノナ・ライダーはどういうわけか実物よりも魅力的。

アニメーション監督は『ウェイキング・ライフ』と同じくボブ・サビストンが担当。絵のタッチは抽象的感覚を多分に採り入れた『ウェイキング〜』とは大きく異なり、色の塗り分け、影や線の多さなど、よりリアル志向の絵柄になっている。共同製作の趣があった前作に比べると、今回はリンクレイターの夢を叶えるための仕事に徹したという感じ。
混沌とした現実認識を、実写とアニメーションを融合させたビジュアルで見せるという手法は、すでに『ウェイキング・ライフ』で徹底して描かれているし、湯浅政明監督の大傑作『MINDGAME』(2004)では、さらに巧妙に現実とファンタジーが段階的に描き分けられていた。『スキャナー・ダークリー』を観ながら思い出していたのは、間違いなく『MINDGAME』の方だった。
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