Simply Dead

映画の感想文。

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『マイアミ・バイス』(2006)

『マイアミ・バイス』
原題:Miami Vice(2006)

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 いくら莫大な予算をかけようと、デジカム撮りって時点で安っぽさ満点。『マイアミ・バイス』かと思ったら『COPS』だった、みたいな。コン・リーはもう少しキレイに撮ってあげてほしかった。

 こういう話で肝となるはずの「駆け引き」の陳腐さとか、ユーモアもなければ厚みもない人物描写とか、コリン・ファレルの度し難い大根演技とか、無駄の多すぎる編集とか、いろいろ欠点はありますが、やっぱりガンアクションは楽しかったです。対戦車ライフルで人体破壊!って、ちゃんと実写でやったのは初めてでは?

 自分が“マイケル・マン好き”なのか、それとも“みんなが好きな『ヒート』好き”なのか、ゴッチャになってる人は必見。『ザ・キープ』(1983)も観ましょう。

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『すべてはその朝始まった』(2005)

『すべてはその朝始まった』
原題:Derailed(2005)

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 傑作『ルール・オブ・デス』『ブラザー・ハート』でおなじみ、クライヴ・オーウェン主演のハリウッド製スリラー。劇場未公開も納得の凡作ですが、オーウェンのファンなので一応。

 『ルール・オブ・デス』で騙される男を死ぬほどかっこよく演じたのとは対照的に、今回の役柄はどこまでも普通の男。でも、その異様な眼力は相変わらず。行動を起こしていく後半、凶暴性が垣間見えてくるあたり、やっぱりよかったです。

 にしても、先がバレバレの展開はまァいいとして、男を破滅に導くヒロイン役が『フレンズ』のジェニファー・アニストンってのは……もう予想を全く裏切らない、完璧なミスキャスト。何をやってもコミカルにしかならず、「逆にリアル」とかでもないです、残念ながら。ちょっとノワールっぽい照明を当てられても、ほとんどギャグにしか見えません。相手役のオーウェンの方が百倍くらい魔性を放ってます。『グッド・ガール』(2002)とか『リストラマン』(1998)の彼女が素晴らしかったのは、シリアスに演じれば演じるほど笑えたからであって、こういう役はホントに向かない。

 主人公の勤める会社でメールマンをしている前科持ちの気のいい男を、なぜかウータン・クランのRZAが演じていて、出演者の誰よりも巧みな芝居を披露。貫禄だなぁと思いました。で、美人局のチンピラを演ってるのがヴァンサン・カッセル。これ『バースデイ・ガール』(2002)と同じキャラじゃ……? その相棒役はこれまたラッパーのXzibit。

 監督は『Ondskan(aka. Evil)』(2003)がアカデミー外国語映画賞にノミネートされた、スウェーデン出身のミカエル・ハフストーム。完全な雇われ仕事。エドワード・シェアマーの音楽がまた素晴らしくダサくて、興を殺ぎます。

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『ジャーヘッド』(2005)

『ジャーヘッド』
原題:jarhead(2005)

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 湾岸戦争に出征したものの、一度たりとも敵兵を倒すことなく帰還した海兵隊員の“退屈な”従軍経験を描いたアメリカ映画。砂漠のド真ん中で生ぬるい日々を過ごす現代っ子たちの焦燥と狂気を映し出そうとしたわりには、掘り下げ不足というか、リアリティの追求にしてもカリカチュアライズにしても、どっちつかずに終わった印象。アンチクライマックスな物語なら、もっとヴィヴィッドに「気分」を描くやり方もあったと思うんですけど……。同じ監督のデビュー作『アメリカン・ビューティ』(2005)並の軽さしかなく、観客サービスに足を取られた感じ。いいところもあるんですが。

 などと思いながらDVDの特典映像を観たら、ほとんどが本編に残した方が良かった削除フッテージの山。特に主人公の妄想シーンを切ったのが残念。ありがちになろうとなんだろうと、現実を見失う主人公の主観を入れるだけで、印象はかなり変わったはずなのに。編集段階で方向性を変えた映画は、やっぱり半端な仕上がりにしかならないんだなあ、と思いました。

 主演のジェイク・ギレンホールは相変わらずの好演。相棒役のピーター・サースガードは、しどころのない役柄のせいでやや冴えませんが、本来は素晴らしい役者です。コーエン兄弟作品でおなじみの撮影監督ロジャー・ディーキンスによる美しい映像は、一見の価値あり。

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『Tiptoes』(2003)

『Tiptoes』(2003)

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〈おはなし〉
 消防士のスティーヴン(マシュー・マコナヘイ)は、画家のキャロル(ケイト・ベッキンセール)と婚約中。ある日、彼女が妊娠したことを知ったスティーヴンは、激しく動揺する。自分が小人の一家に生まれ、ひとりだけ健常者として育ったことを、彼女に隠していたからだ。

 その頃、スティーヴンの双子の兄ロルフ(ゲイリー・オールドマン)は、小人仲間でフランス生まれのアウトロー、モーリス(ピーター・ディンクレージ)とバイクで旅を続けていた。しかし、喧嘩っ早いモーリスの言動に付き合いきれず、別れて弟の家に行くことに。出迎えたのは、何も事情を知らないキャロルだった。

 ショックを受けるキャロルをなぐさめ、ロルフは彼女を叔父一家の家に連れて行く。人々のやさしさに触れ、自分の混乱ぶりを恥じ入るキャロルを、皆は温かく受け入れた。だが、スティーヴンだけは……。

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 先日、飲みの席で「マシュー・ブライト監督っていいよね」という話になったので、買いっぱなしで放ってあったDVDを観てみました。

 いい映画だった……

 『連鎖犯罪』(1996)や『トリック・ベイビー』(1999)の監督だからといって、別に凶悪なコメディでもなんでもなく、すごく誠実なドラマ。明るい色調のコミカルなタッチを守りながら、嘘くさいわざとらしさを排除し、時に過酷な現実問題とも真摯に向き合っていて、やっぱり信頼の置ける監督だなあと思いました。

 ただし、その「誠実さ」がドラマの枷になっているところはあって、類型的だったり描きこみ不足だったり、欠点もあります。でも、他の生半可な“感動作”や、登場人物が正しいことしか言わないイイ子ちゃんだったりするダメ映画とは、一線を画してます。

 どんな人も不用意なことを言うし、間違った行動もする。恐れていたことは現実に起こるし、それでも救いは思わぬところにある。そういうことがちゃんと描かれている、「正しい」映画。

 特殊撮影で小人を演じるゲイリー・オールドマンの好演と、ヒロイン役のケイト・ベッキンセールの美しさが際立っています。破天荒なアナーキストを演じたピーター・ディンクレージは、この映画の良心。

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 しかし、マシュー・ブライト自身はこの映画を撮り終えた後、製作会社から編集権を取り上げられ、いまだに完成版を観ていないし、観る気もないと公言しています。監督抜きで編集された『Tiptoes』は2004年のサンダンス映画祭でプレミア上映された後、劇場では公開されずにDVDスルー。幼なじみで共に『フォービデン・ゾーン』(1980)を作ったリチャード・エルフマン監督によると、しばらく業界から離れ、メキシコの売春宿で隠遁生活を送っているとか(?)。

 おそらく小人の出演者の登場シーンや、オフビートな部分が大幅に削られ、ヒューマニズムやコレクトネスに偏った編集をされた完成版からでも、ブライトの意図はハッキリと読み取れます。DVDだけでも日本でリリースしてくれないだろうか…… 

追記:2007年12月、『タイニーラブ』のタイトルで、ジェネオンからDVD発売。

・Amazon.co.jp
DVD『タイニーラブ』

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『マスターズ・オブ・ホラー/ダンス・オブ・ザ・デッド』(2005)

『マスターズ・オブ・ホラー/ダンス・オブ・ザ・デッド』
原題:DANCE OF THE DEAD(2005)

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 「マスターズ・オブ・ホラー」のトビー・フーパー監督編。原案はリチャード・マシスンの短編『死者のダンス』(単行本『13のショック』所収)。チャカチャカした映像処理が鬱陶しくて、途中でうたた寝してしまいました。最近のトニー・スコットじゃあるまいし。クライマックスは確かにああいうエフェクトでも正解だけど、それ以外の場面では特に意味なくチャカチャカしてるだけです。こんな撮り方をしてなかったら、多分もっと普通に面白かったんじゃ? という気が。前作『ツールボックス・マーダー』(2003)が好きだったのでわりと期待してたんだけど……。

 話はなんだかよく分からなくて、その分からなさ加減がよかったです。まあ分かったところでつまらない脚本なんですけど、「別に分かり易く作らなくていい」というトビー・フーパー監督の相変わらずの姿勢には打たれました。ロバート・イングランドも『2001人の狂宴』の十倍はかっこいいです。

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『犬神の悪霊』(1977)

『犬神の悪霊』(1977)

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 シネマヴェーラの特集「妄執 異形の人々」で観てきました。むかーし近所にあった自由が丘武蔵野館で観たっきりで、内容はほとんど忘れてましたが、改めて観ると、思ってたより普通に面白かったです。

 因習・差別・たたりを軸に、ウラン採掘・企業による地質汚染という社会問題が絡み、ダメ押しに一家皆殺しやら土蔵の中の秘密やら、ありとあらゆる要素がこれでもかとぶちこまれ、話を追うので精一杯。「それとこれとは話が別じゃ…?」という思いも置いてけぼりで、怒濤のカタストロフへと至ります。それでも、あくまで普段の東映作品ぽい古くさいパワフルさには満ちているので、さほどトンデモな感じはありません。(あ、でも悲嘆に暮れるヒロインが悲しみを紛らそうと自室でゴーゴーダンスを踊っちゃうところは凄いです)

 しかし何しろクライマックスが素晴らしく逸脱していて、ここだけでこの映画は傑作だと言えてしまうくらい、ガッとテンションが上がります。さんざん溜めてやっと出てきた犬神の悪霊が、清純な少女の体に取り憑いてあちこち飛び回ったりするんですが、その動きがやたら敏捷でメチャクチャかっこいい! 赤襦袢をまとって髪を振り乱した少女が、『ブレードランナー』のプリスよろしく大和田伸也の首を太股で絞め上げるシーンなんて、ソレモンにはたまらない見せ場でないかと。実際エロく撮ってますし。

 それにしても泉じゅんが熱演すぎ、と久々に観て思い出しました。

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『犬神の悪霊』DVD

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『脱獄囚』(1957)

『脱獄囚』(1957)

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〈おはなし〉
 刑務所から3人の囚人が脱獄した。そのうち2人は捕まるが、最も危険な死刑囚・山下(佐藤允)だけは、仲間から買ったピストルを手に逃亡を続ける。

 山下の恋人は死刑判決を聞き、悲嘆にくれて自殺した。その復讐のため、彼は判決を下した判事の自宅に侵入し、妻を射殺。次に、自分を逮捕した刑事・星野(池部良)の家へ向かう。狙うは刑事の妻・節子(草笛光子)の命だ。

 星野たち捜査チームは山下の狙いを知るが、逮捕を優先すべく節子を囮にし、ホシが現れるのを待ち受ける。その頃、山下は向かいの家に忍び込み、母娘を人質にとってチャンスをうかがっていた。

 そして、自分が犯人逮捕の囮にされていると知った時、妻は……。

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 復讐に燃える脱獄囚、標的となる刑事とその妻の息詰まる対決を描いた、サスペンス映画の秀作。これもシネマアートン下北沢の特集「監督 鈴木英夫」で観てきました。

 ファーストシーンから実に無駄なくストーリーが展開し、その歯切れ良い語り口は圧巻。スピーディな前半、日常描写を積み重ねてジリジリとサスペンスを高めていく中盤、緊迫感に満ちた後半、というメリハリの利いた構成で魅せてくれます。それぞれのキャラクター描写がしっかりしていて、妻を囮に使うという行為の非道さも巧みにフォローされた脚色も上出来(最後までそれを正当化しないまま、犯人との対決を選ぶ妻を主役にスライドさせていく)。

 ドリーやクレーンを効果的に使ったカメラワークが、相変わらずかっこいいです。洋の東西、時代の新旧を問わず、この監督の移動ショットの巧さは、ちょっと他の追随を許しません。前半の工場内を映したスタイリッシュな照明、後半の闇に包まれた家の中でのサスペンスなど、日本人離れした映像感覚が随所に見られて嬉しくなります。撮影担当は名手・玉井正夫。パンやティルトの精緻な動きは驚異的。シネマスコープで「開かれた密室」のサスペンスを巧みに捉えています。

 凶悪犯の囮となる刑事の良妻を、草笛光子が好演。恐怖におののく表情が、モノクロームの映像に実に美しく捉えられています。家庭の安全よりも職務を優先してしまう古風な刑事役、池部良のどこか疲れたハンサムぶりも魅力的。佐藤允のギラギラした悪役演技も素敵でした。一瞬しか出ませんが、山下の恋人役・岸田翠が素晴らしくイイ女に撮られていて、監督のセンスのよさに感動しました。

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『魔子恐るべし』(1954)

『魔子恐るべし』(1954)

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 シャープな演出、ハードボイルドな語り口に定評のある東宝娯楽映画の異端監督、鈴木英夫の初期作品。シネマアートン下北沢で開催中の特集「監督 鈴木英夫」で観てきました。

 山奥から都会に出てきた野生児のような女の子・魔子が、東京で繰り広げる破天荒な活躍を描いたオフビートなドラマ。これがスラップスティック・コメディに展開していけば普通の映画ですが、時に人間の負のドラマがシリアスに描かれ、ダークで突き放した結末を迎えたりと、悲壮感とコミカルさが奇妙なバランスで同居する作品と化しています。全体的にはまとまりきれておらず、お世辞にもうまく出来た映画とは言えませんが。

 この作品からすでに、夜の都会の空気が絶品。ちょろまかしがバレたスカウトの森繁が、夜の空き地でヤクザたちにぶちのめされるシーンのスタイリッシュさは、製作年を考えると驚きのクオリティです。的確なアングルとドリー移動、けぶった映像の質感は、完璧にノワールの気分。

 前半のあるシーンでは、瞬間的なインサートによる素早いカッティングで、人物の感情を鮮烈に見せようとしてますが、失敗してます。というか、1954年当時でそんな手法に挑んでいること自体が破格。カメラマンとはだいぶ衝突したらしいですが……そういう孤高の姿勢が、なんとなくジャン=ピエール・メルヴィル(フランス映画界最強の映画オタク)を思わせたりしました。

 もうひとつ特筆すべきは、役者のディレクションが徹底していること。奔放なヒロインをメカニカルに演じる根岸明美はすこぶる魅力的で、オカマ口調で相手の心の隙につけいる森繁の演技は、言わばスクリューボール・ハードボイルドのかっこよさ。

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『アイス・ハーヴェスト 氷の収穫』(2005)

『アイス・ハーヴェスト 氷の収穫』
原題:The Ice Harvest(2005)

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〈おはなし〉
 凍てつく寒さのほかには何もない、田舎町のクリスマス・イヴ。ギャングのお抱え弁護士チャーリー(ジョン・キューザック)は、ストリップバーの経営者ヴィク(ビリー・ボブ・ソーントン)と共謀し、雇い主から大金を盗み出す。チャーリーはヴィクと同業のクールな美女レナータ(コニー・ニールセン)と共に、町を脱出しようと画策するが、金を預けたはずのヴィクが姿を消した……。そして、イヴの長い夜が幕を開ける。

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 寒風吹き荒ぶカンザス州ウィチタを舞台に描く、アメリカン・ノワール(またはノエル・ノワール?)の小品。原作はスコット・フィリップスの小説『氷の収穫』。ハードボイルド・ドラマの秀作『トワイライト』(1998)を生んだロバート・ベントンとリチャード・ルッソが共同でシナリオを書き上げ、『アナライズ・ミー』(1999)などコメディ作品を得意とするハロルド・ライミスが監督を務めた。

 辛辣な裏切りのドラマと、コミカルなタッチが微妙な振幅を守り続ける。そのソツのない演出は、原作者も納得のアプローチだそうだが、映画としてはパンチに欠ける仕上がり。でも、人生の苦渋をペーソス豊かに描いた部分には味がある。ひと捻りある楽天的な結末も、とぼけた感じでいい。案の定、ノワール法則に忠実な別エンディングも撮られていて、DVDには特典として2タイプのラストを収録。しかし、やっぱりロバート・ベントンの渋い演出で観たかった気もする。

 原作は「あまりにも冷たく野蛮なサスペンス」という冠のつく内容らしいが、映画自体はいたってマイルドな印象。基本的に品のない台詞のやりとりも、字幕で観る分には大したことない。小説だと赤裸々な心象語りやら過激な台詞回しやらが強烈な印象を残すのだろうけど、映画にしてみるとそうでもない、という典型的な例だろう。登場人物が行く先々で目にする落書きの一文が効果的に使われていて、いかにもノワール小説らしくていいな、と思ったら映画オリジナルのアイデアと聞いて驚いた。

 ジョン・キューザックが浅はかで情けない主人公を好演。足の甲をナイフで刺される激痛芝居がリアルで素晴らしかった。オリヴァー・プラットが友人で元妻の夫という儲け役をコミカルに演じ、とりわけ光っている。やっぱり監督が喜劇畑寄りだからか。

 アラー・キヴィロによる撮影がとても美しい。深みのある青は、カラーノワールとしては最高水準。

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『マスターズ・オブ・ホラー/インプリント?ぼっけえ、きょうてえ?』(2005)

『マスターズ・オブ・ホラー/
インプリント?ぼっけえ、きょうてえ?』

原題:Imprint(2005)

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 期待外れ。パワフルな部分と、弛緩した退屈な部分がちぐはぐに入り混じった、中途半端な作品になってしまった。特に前半の、TV作品であることを無視した長回し(いくらハナっから放送禁止を見越して撮っているとはいえ)と、そのカットの力の無さはあんまりだ。ビリー・ドラゴと工藤夕貴のやりとりなんて「ただ撮ってるだけ」みたいな気の抜け方。栗田豊通による撮影がまた美しいため、かえって空虚さがいやます。

 ところが、これが凄絶な拷問シーンや堕胎シーンになると、途端に画面が活気づき始める。『ぼっけえ、きょうてえ』で一番力を入れて撮るのがそこなの?と、逆に白けてしまった。別に、痛いところに針さすのばっかり見たいワケじゃないのに……

 そもそも台詞が岡山弁でない時点で、原作の魅力が半減しているのが悲しい。脚色も余計だ。彼女の物語を聞いてしまったことだけで、もう彼(読者)の人生は狂ってしまうのだから、いちいち独房に入って個人的な罪に苛まれたりしなくていいのだ。

 同じ脚本=監督コンビの『オーディション』(1999)にはあった、現実と非現実の境界が曖昧になり、瞬間ふたつがぱんっ!と繋がってしまうスリルが感じられなかったのも残念。本作でもややそういう方向に持っていこうとしているが、失敗している。

 しかし、悲運の娼婦を演じた美知枝のスクリーミング・クイーンぶりは素晴らしかった。原作者・岩井志麻子の、まさに怪物的な演技も見事。

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『カニバル・カンフー 燃えよ!食人拳』(1980)

『カニバル・カンフー 燃えよ!食人拳』
原題:地獄無門
英語題:We're Going to Eat You(1980)

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〈おはなし〉
 政府直属のスゴ腕エージェント・999(徐少強)は、お尋ね者の盗賊ローレックスの行方を追って、とある辺鄙な村へとやって来た。そこは何やら異様なムードが漂い、村人たちの挙動もどこか怪しい。実は、彼らは迷い込んできた余所者を殺し、その肉を喰らって生きていたのだ! すっかり人肉の虜になっていた村民は、人間狩りを一手に担う保安隊に服従する生き人形と化していた。そんなこととは露知らず、捜査を続ける999の背後に、恐ろしい人食い集団の魔の手が迫る!

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 香港映画界を代表するプロデューサー/監督であるツイ・ハークが、初期に手掛けた猟奇クンフー映画(制作は呉思遠のシーゾナル・フィルム)。もームチャクチャ面白かった!

 この頃のツイ・ハークは『蝶變』(1979)や『ミッドナイト・エンジェル 暴力の掟』(1980)など、ひたすら凶暴でバイオレントな怪作群を立て続けに放っていますが、本作はその頂点といえる大傑作。全編に笑いと血とアクションを散りばめ、徹頭徹尾まるで飽きさせません。全体にコミカルな味つけなので、内容の割には陰惨な気持ちにならずに楽しめます(まあエログロが苦手な人には絶対薦めませんけど)。開巻早々『サ○ペリア』の音楽で始まるタイトルシークエンスから、テンション上がりまくり!

 発想は『悪魔のいけにえ』(1974)なんでしょうけど、話はまるっきり『ウィッカーマン』(1973)。完璧に人肉中毒になっちゃった村人たちが「早くお肉にならないかな?」と主人公の後をニコニコ顔でついてくる場面なんか最高です。血飛沫ドバドバ内臓ベロベロの素敵なスプラッター描写もいっぱい。やっぱり中華料理の醍醐味といえば、調理のダイナミックさですよね。巨大ノコギリで胴まっぷたつ! ハチェットで四肢切断! ほとんどの「そういう場面」が初公開以来オクラ入りになっていたと思しき変色具合で、フィルムを修復したスタッフの努力には頭が下がる思いです。

 主役を軽妙に演じる徐少強や、コメディリリーフの韓國材など、役者の顔ぶれも魅力的。『Mr.Boo!』(1978)で道場の拳法家を演じていたジャイアント馬場似の蕭錦が、主人公に恋する村娘役で出てます(笑)。コリー・ユン武術指導によるクンフー対決も見応え十分。包丁や鉤といった猟奇アイテムをブンブン振り回す激しいバトルのほか、クライマックスで唐突に始まるローラースケートアクションなど、盛りだくさんの内容。

 いちいち細かいギャグでも笑わせてくれますが、喰われた人々を鎮魂する位牌の中に、ウォンという名前を見つけて「師匠!」と叫ぶ場面にはヤラれました。そこで流れる音楽が、例の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズでおなじみのテーマ曲(笑)。大ヒット作の誕生に先駆けること11年、すでにツイ・ハークは黄飛鴻の裏ヒストリーを描いていたんだなあ、という感慨が湧きます(嘘です)。ホラーの定石をきちんと守ったエンディングもクール。

 この後、ツイ・ハークはジョン・ウーの紹介でシネマシティ社と契約し、より間口の広い娯楽映画路線へとスイッチ。このまま残酷スタイルを極めていれば、どんな未来(と終焉)が待ち受けていたのか……。

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『マスターズ・オブ・ホラー/世界の終り』(2005)

『マスターズ・オブ・ホラー/世界の終り』
原題:John Carpenter's Cigarette Burns(2005)

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〈おはなし〉
 名画座を経営するカービー(ノーマン・リーダス)は、副業として希少フィルムの発掘も生業にしている。ある日、彼はミステリアスな富豪バリンジャー(ウド・キア)からの依頼で、幻の映画『世界の終り』を探し出すことになる。その映画はシッチェス映画祭で初上映された際、観客が暴動を起こし、2度目の上映時には劇場が焼失。以来、誰の目にも触れていない代物だった。

 20万ドルの報酬を得るため、そして幻の映画の正体を知るために、カービーは世界各地を飛び回る。だが、その存在に近づくにつれ、周囲で血なまぐさい出来事が次々に起こり、カービー自身も奇妙な幻影にとらわれ始める。はたして『世界の終り』とは本当に呪われたフィルムなのか?

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 13人の監督によるホラー競作プロジェクト“マスターズ・オブ・ホラー”の一編。職人ジョン・カーペンターのことだから、他とは一線を画す快作になっているだろうと、観る前からなんとなく信じてはいた。それは確かにその通りだったが……本作は、単に手際のいい語り口や、巧みな演出ばかりを愉しむ小品などではなかった。そこには、映画を観ること、映画を作ることについての根元的な探求がなされていた。それも、ジョン・カーペンターという稀代のホラー映画作家の手によって。

 ストーリーだけ見ると、ファンは思わず『マウス・オブ・マッドネス』(1994)を連想してしまうはずだ。しかし『世界の終り』で「その映画」がもたらすのは、カタストロフですらない。もっと個人的で、絶望的な何かだ。

 映画を作ることの目的として「観た人の人生を変える」という命題がある。その映画に出会ってしまった瞬間から、その人の人生は変わってしまった。もう後戻りはできない。巷にはびこる感動作を俎上に、ポジティブに語ることもできるその「作用」を、カーペンターは真正面からネガティブなものとして提示してみせた。封印された極悪なフィルム。それを探し求めて止まない映画マニアの心理。その帰結……。ある程度、濃い観客になればなるほど、本作のストーリーは痛々しいほどリアルな感覚として刺さってくるはずだ。

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 一方、カーペンターは“作る側”としての実感も込めて、存在そのものが悪となったフィルムの誕生と封印を描いている。個人的にはどうしても、そこに特別な感慨を抱かずにはいられない。カーペンター自身は、決して「悪そのもの」のようなフィルムを作っていないからだ。『ハロウィン』(1978)や『遊星からの物体X』(1982)といったグランドブレイキングな傑作を多く放ってはきたが、それらは優れて巧みな“映画”であり続け、無神経な「悪影響」という言葉からも遠く思えた。『ザ・フォッグ』(1980)は言うに及ばず、『パラダイム』(1988)でさえそうだった。しかし、恐怖を追及し続けてきた作家として、存在してはいけないものを創り出したいという願望は強いのではないか……。

 その語り口は相変わらず巧みで、淀みないものだが、本作『世界の終り』には普段とは違う張りつめ方を感じた。それで、ふとそんな気持ちがよぎったのだ。近年の作品に顕著だったコミカルな語り口は排除され、冷ややかで真摯な陰鬱さが全編に漂っている。どことなく、黒沢清作品の終末観に近い。

 そんな自己言及的なチャレンジングな内容も、TVだからできた部分もあるのだろう。もし本作が劇場公開されようものなら、どこまでメタな感覚を引き起こしただろうか。本当にフィルムに「シガレット・バーンズ」(ロールチェンジマーク)が焼き込まれ、どっちがどっちか映写技師も混乱したに違いない? 『ファイト・クラブ』(1999)以来だ、とか言いながら。

 実際、前半で映画オタクの映写技師が、上映プリントからシガレット・バーンズの入ったコマを切り取って集めているという場面が出てくる(ひどい奴だ)。それによって、観客は普段よりもカッティングを敏感に意識させられてしまう。カーペンターには珍しいジャンプカットの多用は、余分な動きを切り詰めるという目的以上に、今観ているフィルム自体の存在を意識させる演出だ。

 男が1カット撮影の力強さを謳いながら、見も知らぬ女性タクシー運転手の首を鉈で切り落とすシーンも然り(カーペンターはここできっちりカットを割ってみせる)。この辺りは明らかに、現実のテロリストによる人質殺害ビデオからのリファレンスだろう。“マスターズ・オブ・ホラー”シリーズの売りとなっている暴力描写の見せ方では、やはりカーペンターは図抜けて巧い。ストーリーにおいても描写においても、そして作品自体の特殊性においても、『世界の終り』は他を圧倒する傑作だ。

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 日本でも人気のモデル出身俳優、ノーマン・リーダスが主人公を好演。大富豪役のウド・キアも妙演を見せている。監督の息子コーディ・カーペンターによる音楽も、おなじみの反復リズムとは違ったタッチで、不穏なムードを静かに盛り上げている。


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『散歩する霊柩車』(1964)

『散歩する霊柩車』(1964)

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 9月のシネマヴェーラ渋谷の特集「妄執、異形の人々」で観てきました。『吸血鬼ゴケミドロ』(1968)の佐藤肇監督による、ブラックな笑いに満ちたスリラーの秀作。主演は西村晃。一般的にはTV「水戸黄門」の黄門様でおなじみですが、その本分はやはり“怪優”。個人的に一番好きなのは今村昌平監督の『果しなき欲望』(1958)です。『ルパン三世』(1978)のマモー役とかも演ってます。チラシの作品紹介文にあった「日本のロン・チェイニー」という形容はぴったり(笑)。

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〈おはなし〉
 しがないタクシー運転手の麻見(西村晃)は、グラマーな妻・すぎ江(春川ますみ)の浮気性に悩んでいた。彼は嫉妬のあまり妻を殺し、霊柩車に死体をのせ、浮気相手の政治家(曽我廼家明蝶)や医師(金子信雄)のもとを訪ねて回る。麻見のただならぬ気迫におびえた男たちは、なんとか金で解決しようとするが、実はすぎ江は生きており、全ては夫婦の仕組んだ狂言だった。しかし、事態はやがて思いも寄らぬ方向に転がり始める……。

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 全編これ西村晃のアイドル映画みたいなもので、不気味だったりキュートだったり変な動きしたり(笑)、彼のミリキがたっぷり堪能できます。映画の後半で唐突に歌いだす場面も素敵。

 脇を固める顔ぶれも非常に楽しくて、特にいいのが、霊柩車の運転手を演じる渥美清。後の『男はつらいよ』の押し付けがましさとはかけ離れた、クールな佇まいで映画を引き締めています。この映画での演技を見ていると、「ああ、本当に戦後初めて現れたタイプのコメディアンだったんだな」と痛感します。人の闇を見透かす者がこれほど似合う役者はいません。西村・渥美の奇妙な掛け合いだけで、霊柩車が延々と走り続けるロードムービーが見たかったと思うほど。

 悪妻をコケティッシュに演じる春川ますみもナイス(彼女もやっぱり今村組のヒロイン)。西村・春川の夫婦が病院に死体を捨てに来るシーンが面白くて、守衛が加藤嘉と小沢昭一、モルグの見回りやってるのが浜村純という、名バイプレイヤーしかいない病院(笑)。出演陣だけ見るとホントに今村作品のようですが、佐藤肇の演出にはぎらついた暑苦しさはなく、適度にブレーキが利いてます。怪奇映画らしい涼しさというか……その点では『ゴケミドロ』ともまた違った感触。

 「狂った怪作」とか「封印必至の突然変異」とかいうよりは、全編を通して思った以上にウェルメイドな出来。日本映画でこれほど「残念な方向に流れない」怪奇風味のユーモアスリラーというのは珍しく、やはりレアな作品と言えます。当時としても、観る人が観ればかなりの拾い物だったはずなんだけど……。

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