Simply Dead

映画の感想文。

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『Chez Maupassant/Le Petit fût』(2008)

『Chez Maupassant/Le Petit fût』(2008)

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 クロード・シャブロル監督が子供の頃に読んで爆笑したという、ギィ・ド・モーパッサンの短編小説『酒樽』を映像化した作品。TVドラマシリーズ「Chez Maupassant」の1編で、前作『La Parure』(2007)よりもさらに喜劇色が増している。ついでに、作品に溢れる悪意とシニシズムも、こちらの方が遥かに上だ。(これを読んで大笑いしていた子供って、一体……)

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〈おはなし〉
 マグロワール婆さん(ツィラ・シェルトン)は、自分の農地に建てた立派な家にひとりきりで暮らしている。町で食堂宿を営むシコおやじ(フランソワ・ベルレアン)は、その土地と家を手に入れようと、しつこく婆さんに売ってほしいとせがみ続けていた。しかし、婆さんは頑として首を縦に振らない。そこで一計を案じたシコおやじは、婆さんに毎月150フランを渡し、そのまま屋敷で暮らしていいから、死んだあと全てを譲ってほしいと提案。どうせ老い先短いのだから、月々の小遣いを与えてやったほうが安く済むだろうと考えたのだ。この世で何よりもお金が大好きなマグロワール婆さんは、考えに考え、公証人にも相談し、月250フランならいいと返事をする。その申し出にシコおやじも一度は憤慨するが、そんなに長くは生きられないから安心しろという婆さんの言葉に説得され、結局は契約を交わすことに。

 それから数年後、婆さんは娘っ子のようにピンピンしていた。一方、毎月250フランという大金を元気いっぱいの婆さんに支払い続け、シコおやじの憎しみと殺意はパンパンに膨れ上がっていた。ある日、シコおやじは婆さんを食事に誘う。豪勢な料理をたっぷりと振る舞い、自慢の特級酒を婆さんにすすめるシコおやじ。最初は嫌がっていた婆さんだったが、いちど飲み始めたらもう止まらない。なるほどこいつは特級品だ! 2杯、3杯とグラスを空にしていく婆さん。しばらくして、シコおやじが婆さんの家を訪ねると、婆さんは昼間からワインの瓶を空けて泥酔していた。上機嫌の婆さんに、シコおやじは特級酒の入った小さな酒樽をプレゼントする。そして、ある日ついに婆さんは……。

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 欲の皮が突っ張った者同士の駆け引きが、いつしか一種の計画殺人へと発展していくという物語を、シャブロルは愉快なコメディとして分かりやすく演出する。音楽による笑いのキュー出しも非常に親切だ。また、前作『La Parure』が原作に忠実な映像化だったのに対し、こちらは原作自体がとても短い作品でもあるので、いろいろと内容を膨らませている。シコおやじと食堂の常連客たちの会話シーンや、マグロワール婆さんがやたらと独り言を喋るという設定などを加え、物語に豊かな表情を与えていて面白い。原作にはないエピローグも、シャブロルの痛快な悪意そのものといった感じで、思わず笑みがこぼれる。

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 登場人物たちが話す「方言」も強い印象を残す。無字幕のフランス語版で無理やり観たので細かい内容は分からないが、素人の耳で聞いても彼らの言葉の訛り方はちょっと凄い。イタリア語とかロシア語が交じっているような感じだ。シャブロルはこれまでにも『肉屋』(1969)や『Le Cheval D'Orgueil』(1980)などで、田舎の生活文化・風習に深い興味をもって描いてきた。本作ではこの強烈なアクセントが作品の原動力となって、視聴者を画面に引きずり込む役割を果たしている。

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 全体にコメディタッチが強いものの、もちろんシャブロルらしい戦慄を覚える瞬間もある。物語の後半、シコおやじと婆さんがグラスを手にして乾杯する場面では、会話する彼らの表情ではなく、その手元のアップだけを長々と映しだす。その冷たい「悪意の眼」は、シャブロル・ファンならお馴染みのものだ。まさにその時、婆さんの敗北=死は確定し、シコおやじの殺意は勝利する。その決定的な瞬間を、モンタージュ理論的ともいえる極めて即物的なショットで見せる冷淡さ、シンプリシティがたまらないのだ。

▼撮影中の1コマ。手前で指示を出しているのがクロード・シャブロル
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 可愛らしくも憎たらしいマグロワール婆さんを演じたベテラン女優、ツィラ・シェルトンが何しろ素晴らしい。『ダニエルばあちゃん』(1990)でタイトルロールを演じていた彼女が、本作では何年経っても死にそうにない元気なおばあちゃん役で健在な姿を見せてくれる。対するシコおやじ役に扮したのは、『トランスポーター』シリーズの警部役でも知られる売れっ子バイプレイヤー、フランソワ・ベルレアン。シャブロル作品では『L'Ivresse du Pouvoir 』(2006)と『引き裂かれた女』(2007)に連続出演しており、本作が3本目となる。ラスト、婆さんの訃報を聞いて、こみ上げる笑いをかみ殺しながら泣く演技が最高だ。

・Amazon.fr
DVD「Chez Maupassant Vol.2」(フランス盤・PAL)

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本「モーパッサン短編集 I」(新潮文庫) ※原作短編「酒樽」収録

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『Chez Maupassant/La Parure』(2007)

『Chez Maupassant/La Parure』(2007)

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 「Chez Maupassant」(2007?2008)は、19世紀の文豪ギィ・ド・モーパッサンの中短編小説を映像化したTVドラマシリーズ。クロード・シャブロル監督は、その第1シリーズで本作『La parure(首飾り)』を、そして第2シリーズでは『Le petit fût(酒樽)』を演出。どちらも30分の短編である。第1シリーズは日本でもBS日テレ、シネフィルイマジカなどで放映されたらしいが、「モーパッサン・ブラン」とか「モーパッサン劇場」とか番組表記がいろいろあるので、とりあえず本稿のタイトルは原題に合わせた。

 冷徹な観察眼をもって、時にユーモラスに、時に鬼気迫る筆致で人生の悲喜劇を描いたモーパッサンの世界は、シャブロルの作風ともぴったり合致する。『首飾り』は、ある女性の虚栄心が取り返しのつかない事態を招く、悲しくもおかしい物語である。主演は『モンテーニュ通りのカフェ』(2006)や『ヒアアフター』(2010)のセシル・ド・フランス。

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〈おはなし〉
 花の都・パリ。若く美しい人妻マティルド(セシル・ド・フランス)は、上流階級の豪華で贅沢な暮らしに憧れながら、地味で冴えない日常を送っていた。下級官吏の夫シャルル(トーマス・シャブロル)の稼ぎでは、そんな生活は夢のまた夢である。ある時、シャルルは愛する妻を喜ばせようと、舞踏会の招待状を手に入れる。しかし、マティルドは華やかな場所に着ていくドレスも、美しいアクセサリーも持っていなかった。そこで夫妻は奮発して高価なドレスを購入。裕福な友人ジャンヌ(シャルリ・フーケ)からダイヤの首飾りを借り、念願の舞踏会へと出かける。周囲の視線を一身に集め、夢のようなひと時を過ごすマティルド。

 その帰り道、ふたりは首飾りをどこかでなくしたことに気付く。慌てて探しまわるものの、まったく見つからずじまい。夫婦は悩んだ挙げ句、同じ首飾りを買い直し、こっそり持ち主に返すことを決める。思いがけず大変な借金を背負ってしまった彼らは、女中に暇を出し、昼も夜も内職に明け暮れる極貧生活に突入。苦しい毎日の中で、マティルドはだんだんとやつれていき、いつしか老婆のような姿になってしまった。そして10年後、ようやく借金も返し終わるかという時、マティルドはかつて首飾りを借りた友人ジャンヌと再会。そこで彼女は驚愕の事実を知るのだった……。

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 深刻に描こうと思えばどこまでも悲惨になる話を、シャブロルは原作の筆致そのままに、小気味良く軽妙なタッチで描いていく。辛辣なシニシズムと、キャラクターへの愛情との間で、適度な距離感を保ちながら、不幸のどん底へ転げ落ちていく対象とダンスを踊るような態度が魅力的だ。それは監督と原作者が共有するセンスそのものだろう。

 カメラも若々しく動くが、あくまで人物の動きを効率よくフレームに収めるための映像設計であり、余計なことはしない。人物がフレームインする際の歯切れよさも印象的だ。かと思えば、舞踏会のシーンでは、喜びに満ちたヒロインの顔を真正面からのアップで捉えた大胆な構図から、そのまま踊り始める彼女の姿をミディアムサイズで追っていくという「スパイク・リーかよ!」と思うようなショットもあったりして、その茶目っ気に驚かされる。劇場作品ではあまりやらないような演出も、TVではやっていたんだなあ、と思った(でも、そんな瑞々しいショットの直後に、片脚を失った傷痍軍人らしき男の姿をわざわざ映すあたりがシャブロルらしい)。そして、この真正面からのヒロインのアップショットが、後半でちゃんと活きてくるのである。

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 この話で特にネックとなるのが、借金を背負って生活がどんどん苦しくなり、ヒロインがやがて老婆のように変わり果ててしまうというくだり。文章なら簡単に書けるかもしれないが、映像では何年もの時間経過を表現しなければならないシークェンスである。それをシャブロルは、ヒロインが1本の路地を行ったり来たりするうちに容姿が変わっていくというモンタージュによって、見事に表現している。巧みなメイクアップによって、凄まじい勢いで老け込むセシル・ド・フランスの変貌ぶりも凄い。

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 主演のセシル・ド・フランスは、少女っぽい純真さとわがままさを滲ませるキャラクターとして、愚かだが愛らしいヒロイン・マティルドを好演。泣きわめいたり驚いたりする感情的な芝居も、余分なものを削ぎ落とすシャブロル流の演出を感じさせるもので、彼女もそれにうまく応えている(特に、中盤で首飾りをなくした時に見せる驚きの芝居がキュートで素晴らしい)。先述したように後半の老けメイクも手加減なしの作り込みよう。強烈なインパクトをもたらすラストカットでは、巨匠シャブロルの悪意に応えようとする誠実な女優魂を見る思いがした。どこかイザベル・ユペールとも面影が重なる彼女の主演で、1本ぐらい長編映画を撮ってほしかった気もする。

 また、夫シャルルに扮するのは監督の息子トーマス・シャブロル。父の好みを熟知しているかのような、感情表現を最小限に抑えつつもユーモラスな芝居で、実直だが面白みのない男を妙演。なんとなく『青髭』(1962)の主人公シャルル・デネルに似てる?

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DVD「Chez Maupassant Vol.1」(フランス盤・PAL)

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本「モーパッサン短編集 II」(新潮文庫) ※原作短編「首飾り」収録

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『13/窒息』(1977)

『13/窒息』(1977)

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 70年代後半から80年代前半にかけて香港映画界を席巻した若手監督たちのムーヴメント「香港ニューウェーヴ」。斬新な映像スタイルと生々しいリアリズムの追求によって、それまでのモードを一変させてしまった作家たちのなかで、ひときわ異彩を放っていたのがパトリック・タム(譚家明)である。武侠アクションという古典的ジャンルムービーの器に、鈴木清順ばりのアヴァンギャルドな映像美と、メロウな愛憎劇のテイストを盛り込んだ劇場デビュー作『名剣』(1980)は、当時の批評家・同業者たちに多大なインパクトを与えた。肝心の観客からはそっぽを向かれたものの、やがてカルトムービーとしての評価を獲得し、続けて発表された『愛殺』(1981)や『レスリー・チャン/嵐の青春』(1982)といった斬新な傑作群によって、パトリック・タムはその名を不動のものにしていく。

 映画界入りする前、パトリック・タムはすでにTVドラマ界の鬼才として知られていた。彼がディレクターとして参加した作品には『CID』『七女性』『小人物』『13』といったタイトルがあるが、中でも『13』はTV時代のパトリック・タムを代表するシリーズではないだろうか。人間の歪んだ愛情やオブセッションが招く犯罪や恐怖にスポットを当てた、30分枠のスリラードラマで、全13回・計11エピソードのうち、ほとんどの回の演出をパトリック・タムが手がけている。

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 そのうちの1編『窒息』は、若き日のチョウ・ユンファが主演した貴重なエピソードである。彼が演じるのは、死と暴力のイメージにとり憑かれた青年カメラマン。彼はモデルを使って殺人や強盗の現場を再現し、その様子を写真に撮り続けている。そんなある日、主人公の目の前に奇妙な幻影が現れ始める。かつて撮影した被写体がフラッシュバックし、内に秘めていたはずの暴力衝動が噴出し、現実と妄想が急速に混濁していく。そして、最後に彼が見出した被写体とは、自分自身の「死」であった……。

 脚本は、のちに『ソウル』(1986)や『喝采の扉』(1996)の監督を手がけるシュウ・ケイ。ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』(1966)、あるいはマイケル・パウエルの『血を吸うカメラ』(1960)を発想の出発点として、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』(1980)を先取りしてしまったかのような幻惑的サイコスリラーだ。同時に、透き通るような都会の孤独感を見事にすくい取った青春映画でもある。台詞はほとんどなく、分かりやすい説明も排され、多くは映像によってのみ語られる。こんな実験的な内容のドラマを、普通にTVでやっていたのだから恐ろしい。

 パトリック・タム独自の美的感覚に溢れた画面レイアウト/色彩設計、シャープで小気味良いカッティング/ショット構成は、この30分足らずの短編でも存分に発揮されている。前半のあるシーンに登場していたキャラクターが、唐突に主人公の自宅で食事をしているという場面の見せ方など、かなりハッとさせられる(もちろん『2001年宇宙の旅』の演出は凄く意識してるだろうけど)。ユンファ扮する主人公が異常殺人者なのではないか? と視聴者に思い込ませるトリッキーなオープニングや、エドワード・ホッパーの絵画を明らかに意識した深夜のダイナーの描写などは、初期ダリオ・アルジェントの作風にもやや近いものを感じさせる。BGMに『タクシードライバー』(1976)の音楽をまんま流用しているシーンもあったりして、アジア人らしからぬ洋画的センスが随所に感じられて面白い。当時でもいかにパトリック・タムが異端児的な存在であったか、この作品を観るだけでもよく分かる。

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 ものすごくスリムな姿で登場する新人時代のチョウ・ユンファは、都会に生きる若者の孤独を見事に好演。台詞回しは若干あやしいものの、若々しい色気があり、ひとつひとつの所作が魅力的で、スター性の片鱗がうかがえる。ちなみに彼は『13』唯一の長編エピソード『花劫』にも、端役で出演している。その辺のことは今月発売の「TRASH-UP!! vol.5」に書いたので、興味がありましたらぜひ(結局、宣伝)。

・56.com
『13/窒息』(Part 1)
『13/窒息』(Part 2)
(字幕はありません)
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