Simply Dead

映画の感想文。

『男の傷』(1981)

『男の傷』
原題:Cutter's Way(1981)

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 偶然に犯罪の現場に出くわした男が、犯人らしき人物を町で見かけ、妄想癖のある親友にそそのかされて恐喝行為に及ぶ。しかし、彼らの愚行の代償はあまりに大きかった……。陽光溢れるカリフォルニアの海岸の町を舞台にした、異色のノワールドラマ。『ビッグ・リボウスキ』(1998)の元ネタ的作品としても有名なカルトムービーだ。

 脚本はジェフリー・アラン・フィスキン。監督はチェコ出身の異才、アイヴァン・パッサー。『火事だよ! カワイコちゃん』(1967)など、初期のミロシュ・フォアマン作品で共同脚本や助監督を務めた後、アメリカに亡命し、ジョージ・シーガル主演の隠れたニューシネマの秀作『生き残るヤツ』(1971)を監督した人物だ。

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〈おはなし〉
 カリフォルニアの風光明媚な住宅地サンタバーバラ。主人公リチャード・ボーン(ジェフ・ブリッジス)は、昼間はボートのセールス、夜はジゴロなどをして小遣いを稼ぐ、無為な毎日を送っていた。ある雨の夜、彼はたまたま死体遺棄の現場に出くわし、警察に容疑者としてしょっぴかれてしまう。ゴミ箱に棄てられていた遺体は、17歳のチアリーダーだった。

 釈放されたボーンは、親友のアレックス・カッター(ジョン・ハード)と、その妻モー(リサ・エイクホーン)と共にパレード見物へ出かける。カッターはベトナム戦争で片目・片腕・片脚を失って以来、酒びたりとなって様々なトラブルを起こし、夫婦関係にも亀裂が入っていた。ボーンはモーに同情しながらも、厄介者のカッターを見捨てることができなかった。

 その時、ボーンはパレードの中に見覚えのある顔を見つける。あれは昨晩、少女の死体を捨てていた男だ! それは町の有力者コード(スティーヴン・エリオット)だった。カッターはその話を聞き、警察の代わりに自分たちの手でコードに天誅を下そうと言い出す。被害者の姉(アン・デューセンベリー)まで巻き込み、勢いだけでずさんな恐喝計画を練り上げるカッター。ボーンは自分のおぼろげな記憶が生んだ勘違いかもしれないと説得するが、もはやカッターの思い込みは、日頃の社会に対する苛立ちとも相まって、後戻りのきかないところまで来ていた……。

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 犯罪スリラー的な体裁を取りながらも、妄想だけで暴走するエキセントリックな男の姿を追うブラックコメディのようでもあり、人生に負けのこんできた男たちの焦燥とささやかな反逆を描いた、男泣き友情ドラマでもある。主軸となる素人探偵ミステリーの部分では『ビッグ・リボウスキ』と同様、推理劇なんて一方からの視点だけで見れば単なる妄想にしか見えない、という事実を喝破している。

 本作ではそれと並行して、ある破綻した夫婦とその友人が辿る、破滅的な愛のドラマも丹念に描かれていく。中盤では、もはやストーリー上のメイン/サブの識別は失われ、ボーンとモーが一線を越えていく不倫のドラマこそが本筋となっていく。単純な推理サスペンスを期待すると、そのあたりは退屈かもしれないが、アイヴァン・パッサーの繊細な演出が、微妙な関係性のドラマを見応えあるものにしている。

 しかし見事なのは、双方のプロットが巧みに影響しあい、結びつき、やがてカタルシスに満ちたラストシーンへと至るシナリオの組み立てだ。特に感心したのは、カッターが無茶な行動に走る動機の裏には、主人公ボーンのいい加減な憶測や、責任から目を背けてしまう人間性が、常にきっかけとしてある点。その負い目・罪悪感から、ボーン自身も愚行に加担せざるを得ない。実にノワール的な破滅のメカニズムであり、非常に優れた構造の心理劇として完成されている。

 普通に観ると、なんともとらえどころのない、物語の着地点を容易には明らかにしない茫洋とした作品だが、それが一種独特のスリリングな面白さを生んでいる。その現実感の希薄な白日夢的感覚を増幅させているのが、ジョーダン・クローネンウェスの撮影と、ジャック・ニッチェの音楽である。

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 本作の翌年に『ブレードランナー』(1982)の撮影を手がけるクローネンウェスは、ここでもスモークや霧雨といった小道具を使い、随所に美しい光を作り出している。スモークを焚きすぎて人物の顔が全然見えないほどのショットもあり、監督のパッサーと現場でどんなやりとりがあったのか気になるところだ。でも実は、それらの「いかにも映像派」な部分より、ただ明るいだけではないカリフォルニアの澱んだ空気を捉えたロケシーンや、しっとりしたアンバー系の色合いが美しい室内ショットなどの方が、クローネンウェスの巧さを堪能できる。

 そして、グラスハープの幻想的な音色をフィーチャーした、ジャック・ニッチェのシュールな音楽。どこかユーモラスな雰囲気すら漂わせるメロディが、この物語の解釈をひたすらはぐらかし続ける一助となっている。それでいながら、クライマックスでは主人公たちの愚かな挑戦に対する共感のトライアンフとして勇壮になり響くのだ(それが幻影に過ぎないとしても、という意味も込めて)。非常に作品への貢献度の高いスコアである。タランティーノは『デス・プルーフinグラインドハウス』(2007)のオープニングで、ニッチェ作の『Village of the Giants』(1965)の音楽をフィーチャーしていたが、作風の180度違う本作のスコアも含め、改めてその仕事を振り返りたくなった。

▼米国版VHSジャケット
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 丹下左膳かシルヴァー船長かというルックスで、常に怒りと苛立ちをたぎらせている男・カッターのキャラクターが何しろ強烈。演じるジョン・ハードのパワフルな演技も圧倒的だ。監督のパッサーは彼の出演する『オセロ』の舞台公演を見て、もっと有名な俳優を望んだ映画会社の意見を突っぱね、ハードの起用に固執したという。最近では『ホーム・アローン』シリーズのお父さん役ぐらいしか印象に残っていないが、そのキャリアの初期では大変な性格俳優だったことが、本作を観ると分かる。社会との協調性をまるで持ち合わせていないカッターのキャラクターは、そのまま『ビッグ・リボウスキ』のジョン・グッドマンに受け継がれているが、インパクトは断然ジョン・ハードの方に軍配が上がる。

 主人公ボーンを演じたジェフ・ブリッジスの、中途半端でだらしない佇まいもリアルだ。常に面倒事を避け、根なし草のようにしか生きられない「ハンサムな負け犬」を絶妙に演じている。モー役のリサ・エイクホーンも、疲れた美しさと色気を醸し出しながら、破滅に飲み込まれる女性を好演。冒頭ではロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』(1973)へのオマージュか、ニーナ・ヴァン・パラントが有閑マダム役で顔を見せている。

▼アメリカ公開時のポスター
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 本作はアメリカでも、一部の劇場でひっそりと公開されただけだったとか。映画の内容的にも相当売りにくかっただろうが、ちょうど宣伝時期が製作会社ユナイテッド・アーティスツの首脳陣交替のタイミングと重なり、政治的思惑から邪険に扱われたことも原因らしい。後々、映画マニアの間でカルト的な評価を獲得していくことになるが、もしも当時から注目されていれば、ジョン・ハードにもアイヴァン・パッサーにも違う未来が開けていたのではないか。日本ではTV放映されたのみ。地味な映画なのでDVD化は難しいかも。

 とはいえ、個人的にはムチャクチャ感動した。なんといってもラストが死ぬほどかっこいい。不条理な悲劇的エンディングでもあり、男泣き必至のクライマックスでもあり、フィルムノワールとしても実に美しい幕切れ。正統派ミステリ・ファンには薦めにくいが、ノワール好きには必見の作品と云える。

・DVD Fantasium
DVD『男の傷』(米国盤・リージョン1)

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『The Statement』(2003)

『The Statement』(2003)

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 マイケル・ケインがナチス・ドイツに協力したフランス人の戦犯を演じる、社会派スリラーの秀作。戦後50年を経て何者かに命を狙われる男の逃走劇と、彼を生かしたまま逮捕しようとする女性判事と陸軍将校の奔走をスリリングに描く。ブライアン・ムーアによる小説『逃走』を、『戦場のピアニスト』(2002)のロナルド・ハーウッドが脚色し、『夜の大捜査線』(1967)の社会派ノーマン・ジュイソンが監督を務めた。「Statement」とは声明文書の意味で、ここでは主人公への制裁宣告書のことをさしている。

 ケインを筆頭とするキャスト陣が何しろ豪華で、彼らの巧演を観ているだけでも飽きない。『フィクサー』(2007)のティルダ・スウィントン、『ゴスフォード・パーク』(2001)のジェレミー・ノーサム、『死にゆく者への祈り』(1987)のアラン・ベイツ、『ブラザー・ハート』(2003)のシャーロット・ランプリング、『バロン』(1989)のジョン・ネヴィル、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)のキアラン・ハインズと、折り紙付きの演技派揃い。フランスが舞台で、登場人物もみんなフランス人なのに、主要キャストはイギリス人ばかりという妙な映画でもある。その違和感に慣れれば楽しめる作品だが、そうでないとキツいかも。

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〈おはなし〉
 第2次大戦中のフランスで、ナチス・ドイツの協力者として多くのユダヤ人を処刑した男、ピエール・ブロッサール(マイケル・ケイン)。50年後、処刑されたはずの彼は、カソリック教会内の政治分子による庇護を受け、素性を隠して南仏で隠遁生活を送っていた。

 ある日、ブロッサールはユダヤ系とおぼしき暗殺者に狙われ、とっさの機転で返り討ちにする。だが、次の追っ手が必ずまたやってくるはずだ。ブロッサールはすかさず逃走を開始し、心臓の持病を抱えた老体に鞭打ちながら、各地を転々とする。はたして彼に未来はあるのか。彼の命を狙う組織の正体とは?

 一方、ユダヤ人の父を持つ野心的な女性判事リーヴィ(ティルダ・スウィントン)は、戦犯ブロッサールを今日まで庇護してきた政府内の大物を突き止めるべく、陸軍大佐ルー(ジェレミー・ノーサム)と共にその行方を追う。戦中のヴィシー政権でナチスに協力しながら、戦後も国内政治の中核に居座り、ブロッサールを守ってきたのは誰なのか。なんとしても彼が消される前に身柄を拘束し、証言を得なければならない。ブロッサールの過去を探るふたりの前に、今も生き長らえる歴史の闇が浮かび上がる……。

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 ブロッサールを演じるマイケル・ケインが、とにかく素晴らしい。過去の罪に追いつめられ、神の加護にすがり続ける老人の焦燥、狼狽、あがきを見事に演じている。『狙撃者』(1971)のジャック・カーターを始め、クールでバイタリティに富んだ人物を多く演じてきたケインとは到底思えない、迫真の哀れさというべきか。「かっこいいマイケル・ケイン」のファンは覚悟して観た方がいい。逆に言えば、およそ観客のシンパシーの対象となりえない戦犯ブロッサールを、老いてなお魅力的なスターであるケインが演じるからこそ、観客はその行く末を案じることができるのだ。時折見せる殺人者としての表情も、さすがにサマになる。ケイン本人は、インタビューで「今まで演じた人物の中でいちばん気に食わん奴だね。フランス人のナチ野郎なんて、私にとっては火星人と同じくらい遠い存在だ」などと語ったりしているが、それでも素晴らしい熱演であることは否定しようがない。

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 共演陣の中では、やはりティルダ・スウィントンの颯爽とした魅力が際立っている。クールな美貌と男っぽいキャラクターが好バランスで、こういう人間味溢れる彼女の芝居をもっと見たいと思わせる。コンビを組むジェレミー・ノーサムのちょっと昼行灯っぽい風情もいい。ハンサムだし演技もうまいし、もうちょっと人気が出てもいい俳優だと思う。出番は少ないが、ブロッサールの別れた妻を演じるシャーロット・ランプリング、フランス首相を演じるアラン・ベイツの好演も印象的。ブロッサールの捜査を巡ってベイツとスウィントンが会話を交わすシーンは、洒脱ながら見応えがあって素晴らしい。劇場作品としては、これがベイツの遺作となった。

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 この作品が面白いのは、ユダヤ人虐殺という大罪を犯した男に対し、カソリック教会が親身になって世話をし続け、神父たちが臆面もなく同情の態度を示すという描写だ。それはブロッサールが熱心なカソリック信徒であり、“シュヴァリエ・ド・サン・マリー”という謎の一派に名を連ねる重要人物であり、教会に影響力のある「大物」の強い意向が働いているからだ。そのおかげで、彼の罪は実質的に許されている。それは決して「神の愛」などではない。そんな教会の歪んだ体質を、ハーウッドの脚本はシンプルに浮かび上がらせることに成功している。

 監督のノーマン・ジュイソンはユダヤ人であり、そのメンタリティを作品中に反映させることも多いが、本作では「許されざる者」ブロッサールをつとめて冷静に、一個の弱い人間として描いている。単純な悪人として断罪せず、神父の一人に「当時の彼は、多くの若者がそうであるように愚かだったのだ」という台詞まで言わせ、その評価はあくまで観客に委ねられる。この冷静さは、老境に達したジュイソンだからこそ描き得た境地ではないだろうか。

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 ジュイソンの演出はきわめて職人的で、そつがない。無駄やケレンを排したオーソドックスな語り口で、テンポのいいエンタテインメント作品に仕上げている。題材の重さに比べるとやや軽めな印象も含めて、近年のジョン・ブアマン作品を思い出した(あそこまで削ぎ落としてはいないけど)。撮影はジュイソン監督の息子で、仏製アクション『ザ・コード』(2002)の撮影も手がけているケヴィン・ジュイソンが担当。風光明媚なフランスの風景を、プレーンな映像で美しく捉えた画作りに好感が持てる。

 せっかくの良作なのに、日本未公開はもったいない。歴史や宗教に明るくないと分からない部分も多かったので、できれば字幕つきでもう一度観てみたいと思った。

・DVD Fantasium
DVD『The Statement』(米国盤・リージョン1)

・Amazon.co.jp
原作本『逃走』(DHC出版)

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『韓国の丘』(1956)

『韓国の丘』
原題:A Hill in Korea(1956)

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 朝鮮戦争を舞台にした、英国製戦争アクションの佳作。敵軍に包囲され、丘の上の寺院に追い詰められた英軍小隊の攻防戦を、70分というタイトな尺で手際よく見せていく。頼りなさげな若い隊長と個性的な部下たちのキャラクター描写も、なかなかうまい。実際に元軍人だった『ジョーカー野郎』(1967)のハリー・アンドリュースや、『エヴァの匂い』(1960)のスタンリー・ベイカーなど、印象的な顔の役者を多く揃えているためでもある。さすが、性格俳優の数では事欠かないイギリス映画らしい。

 この小品が有名なのは、マイケル・ケインの映画デビュー作だからだ。兵卒の一人として登場する彼は、ちょっとノーブルな雰囲気の漂う細身の美青年といった感じ。そしてものすごく若い(当たり前だ)。前半はずっとフレームの外にいるが、後半では何度かアップにもなる。台詞もいくつかあって、スタンリー・ベイカー演じる仲間の兵が死んだ時に「惜しいな、骨のある奴だったのに」とか言い捨てる軽い感じが、いかにもケインぽかった。喋ると確かに『狙撃者』(1971)というか『Pulp』(1972)のイメージとも重なる。ちなみにケインだけでなく、『雪崩』(1970)や『ジョーズ』(1975)のロバート・ショウも顔を見せている(前半で死んでしまう役だけど)。

 とにかくシンプルに物語が進行する代わり、英軍兵士たちのドラマ以外には目もくれない。朝鮮は砂と土しかない未開の地として描かれるだけで、台詞のある朝鮮人も通訳兵一人だけ(それもおそろしく無個性)。口の悪いイギリス人兵士たちが「気が滅入るほど何もないな」「こんな村さっさと焼き払っちまえ」「あいつらには文化を楽しむ習慣がないんだ」とか散々こきおろしても、なんのフォローもない。そういう時代の映画である(今の戦争映画も実は大して変わらないかもしれないけど)。そんな兵士たちのボヤキが何度も繰り返されるところも、イギリス映画らしいといえばらしい。

 製作・脚本はイアン・ダリンプルとアンソニー・スクワイア。監督はジュリアン・エイミーズ。劇場作品は数本しか撮っておらず、主にテレビで活躍した人で、『ハロルド・ピンター/誰もいない国』(1978)の演出も手がけている(そっちはあんまり大した仕事ではなかったけど)。撮影を手がけたのは、のちに映画監督となってアミカス・ホラーを多く手がけ、『エレファント・マン』(1980)でキャメラマンとして復帰した名手フレディ・フランシス。編集のピーター・ハントも、『女王陛下の007』(1969)で監督デビューした才人だ。

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