Simply Dead

映画の感想文。

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『どこか霧の向こう』(2017)

『どこか霧の向こう』(2017/香港)
原題:藍天白雲(Somewhere Beyond the Mist)

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 今年3月に開催された第13回大阪アジアン映画祭で、極めて鮮烈な印象を残した一作。発売中の『映画秘宝』6月号の映画祭レポートでは紙幅の都合で取り上げられなかったので、番外編ということでこちらに書くことにした。

 香港郊外で中年夫婦が他殺体となって発見された。間もなく容疑者として、被害者夫婦の一人娘である女子高生コニー(レイチェル・リョン)が逮捕される。事件を担当する女性刑事アンジェラ(ステフィー・タン)は、コニーの自供を取り、事件の全容解明を進めつつ、私生活では認知症を患う父親との同居にストレスを募らせている。コニーはなぜ両親を殺したのか? 事情聴取を続けるなかで、コニーが受けていた家庭内暴力や性的虐待といった異常な家庭環境が明らかになり、そのなかで生存本能としての殺意を膨らませていく彼女の痛ましい内面が浮き彫りになっていく。この事件で本当に異常だったのは誰なのか? そんな状況を作り出したものは何だったのか?

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 一般家庭まで侵食する現代香港の社会的モラルの崩壊、広がる格差と放置されていく貧困層、そして親世代の介護に伴うストレスといった現代的モチーフを、現実の猟奇殺人事件を題材にリンクさせた脚本が秀逸。単なるタブロイド記事の映画化を超えた、普遍性と社会性を兼ね備えたドラマにしようという強い意欲が感じられる。監督のチョン・キンワイはドキュメンタリー出身で、これが初めての長編劇映画なのだとか。来日した主演女優レイチェル・リョンの言葉によると、監督はとにかくリアリティを重視し、キャラクターの心理的内面をリアルに表現することを常に求められたという。

 「子供は親を選べない」という普遍的な悩みが、コニーの場合は異常な状況下で肥大し、犯罪に至ってしまう。その過程を捜査するアンジェラもまた、ハードな介護生活の悩みを抱えており、もはや一線を超える寸前でありながら理性をもって踏みとどまろうとする。監督は両者を対照的に見せながら、善悪のジャッジは下さず、ただただ客観的に見守る態度を崩さない。

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 コニーの父親はセックス中毒の気があり、自宅と連れ込み宿の区別がなく、娘の前でもヒヒ親父ぶりを隠そうとしない(そういう商売にも片足を突っ込んでいるように匂わされる)。そして、どうやらコニー自身も性的虐待によって支配している。母親はその事実を知りながら、現実から目を背けていかがわしいオカルト信仰にはまっている。「貧すれば鈍する」という言葉を地で行くような、水洗トイレすらない山奥の粗末なボロ屋暮らしも含め、年頃の少女が鬱屈を深めていくには十分な生活環境である。やがて彼女が「殺られる前に殺らなければ……」と決心するまでの過程を、映画はつとめて冷徹に、丹念に映し出していく。

 コニーはいじめられっ子の同級生(同性愛者でもある/実在の事件では黒人少年だったそうだが、余計な意味が付随してしまうことを避けて香港人の少年に改変したそうだ)を共犯者に選び、ある晩、ついに犯行に及ぶ。およそスマートな完全犯罪などとは程遠い、たどたどしく場当たり的な殺害シーンは、しかし異様な迫力と禍々しさ、生々しさに満ちている。かつて香港映画の人気ジャンルだった「実録三級片」の匂いも感じるほどに。

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 エンドクレジットを見て、そんな感触を覚えたことに納得がいった。製作にイー・トンシン、そして協力にはアン・ホイの名前が! イー・トンシンは娯楽映画の巨匠として知られる一方で、香港ニューウェーブの流れを汲む社会派作家という側面を持つ。長編監督デビュー作『癲佬正傳』(86年・未)では、ソーシャルワーカーと精神病患者の交流を淡々と描きながら、クライマックスでは幼稚園を舞台に血みどろの惨劇が展開する(これも1982年に起きた実在の事件だという)。その後の香港版『狼たちの午後』ともいうべき『野獣たちの掟』(88年)、ギャング映画の骨子を借りて移民犯罪の実態に迫った『新宿インシデント』(09年)まで、その態度は一貫している。そして、アン・ホイは言うまでもなく香港映画界を代表する社会派監督であり、香港のマンモス団地で起きた一家惨殺事件を描いた『夜と霧』(09年/映画祭上映のみ)など、鬼気迫る実録犯罪ドラマを幾つも手がけている。この2人の影響が(直接的助言ではなかったにしろ)非常に大きかったことは想像に難くない。

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 ドラマの語り部であり、観客が心情を重ねるポジションにいる女性刑事は、どこか『39 刑法第三十九条』(99年)の鈴木京香が演じた精神科医も思わせる。今回の映画祭では『空手道』(17年)でも好演を見せたステフィー・タンの抑えた芝居が活きている。片や、新星レイチェル・リョンが演じた親殺し少女の鬼気迫る表情は、一度見たら忘れられない。監督に要求された役への丹念なリサーチが凄まじい説得力を生んでいる。彼女の熱演が、本作にミヒャエル・ハネケの『ハッピーエンド』(17年)に匹敵する毒性と、同じく少女の父親殺しを描いたパトリック・タム監督の傑作TVムービー『13/弒父』(77年・未)を彷彿させる緊迫感とやるせなさをもたらしている。やや生硬すぎる部分もなくはないが、ヘヴィーな題材を真正面から描いた問題作として、忘れがたいインパクトを残す一編だった。

・大阪アジアン映画祭
『どこか霧の向こう』作品紹介ページ
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『女体銃 GUN WOMAN』(2013)

『女体銃 GUN WOMAN』(2013)

 井口昇監督の『おいら女蛮』(2006)は、女優・亜紗美の存在を一躍世に知らしめたエポックメイキングな作品だった。喧嘩っ早いが情には厚い、美少女のようなルックスの男子高校生・女蛮子をきっぷよく演じる亜紗美はとてつもなく魅力的で、ついに井口監督が陰性ではない陽性の理想的ヒロインに出会った! という感動があった。その後も、『おいら女蛮』を越える亜紗美主演作の登場を待ち焦がれ、気がつけば8年経っていた。もちろん『片腕マシンガール』『ファッション・ヘル』『ライヴ』といった作品におけるバイプレイヤーとしての活躍はずっと愉しませてもらっていたが、やっぱり主演作で天下を取ってほしいという思いが常にあった。

 だから『女体銃』には大いに期待していた。事実、本作のクライマックスに展開する『リバーシブルマン』さながらのスプラッター・ガンアクションは、亜紗美ファンならずとも度肝を抜かれ、圧倒され、魅了されることだろう。自らの肉体に銃のパーツを仕込んだヒロインが、我が身を切り裂いてそれらを取り出し、全裸&血まみれで敵を撃ち倒していく。鈴木則文『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』の池玲子によるフルヌード殺陣の向こうを張って、文字どおり裸一貫体当たりで死闘を繰り広げる亜紗美の熱演は、もはや神々しくすらある。敵役・浜崎を演じる鎌田規昭も、禍々しい存在感を放っていて素晴らしい。相手にとって不足なしだ。

 しかしながら『女体銃』は期待したような傑作にはならなかったし、『おいら女蛮』の王座を揺るがすこともなかった。ひとえに作り手が娯楽映画の鉄則を見誤ったからだ。

 本作の実質的主人公は、有力者の息子である変態サディスト・浜崎に妻を惨殺された元医師“マスターマインド”(成田浬)である。劇画のようなマッチョ感を振りまく彼は、復讐のために麻薬中毒の女・亜紗美を人身売買組織から買い受け、強制的に更生させたのち、武器の扱いや格闘技を仕込み、暗殺者に仕立て上げる。そして、浜崎が入り浸る地下の屍姦クラブに潜入させるべく、彼女の体内に銃のパーツを縫い込み、仮死状態にして送り込むという鬼のような手段をとる。つまり、女を変態性欲と暴力衝動のはけ口としか思っていない人でなしを殺すために、自らもまた女を道具にした身勝手な復讐計画を目論むという皮肉な構図が映し出されるわけだ。

 そうなると、殺しのスキルを身につけたヒロインが真っ先に殺意を向けるべき相手は、なんの関係もない自分を復讐の道具に仕立て上げたマスターマインドであるはずだ。たとえ復讐の目的を果たしたとしても、最終的に彼女がとどめを刺すべきは命の恩人であり、師であり、恋人であるマスターマインドだろう。復讐心に憑かれたあげく、自らも怪物と化した男に引導を渡すために、彼女は生まれたのだ。それがドラマというものではないだろうか。

 ところが、この映画においてヒロインはなんの人格も与えられていないので、薬を抜いてもらっただけで彼に従い、同情し、男のほうにだけやたらと都合のいいタイミングで愛に目覚める。マスターマインドこそがこの映画の実質的主人公であると先述したのはそういうわけだ。亜紗美は最後まで「妻を殺された男の復讐譚」というストーリーを曲げることのない女体銃=ただのプロップでしかない。

 だがしかし、『コフィー』のパム・グリアーは自らの復讐心を満たすために悪を討つのだ。『悪魔のえじき』でカミール・キートンがレイプ犯のチンポを切断するのは他人のためではない、自分のためだ。意志もなく台詞もない人形のようなヒロインを演じる亜紗美ほど、見ていてじれったいものはなかった。

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『マムート』(2009)

『マムート』
原題:Mammuth(2009)

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 傑作。名優ジェラール・ドパルデュー演じる定年退職者の男がバイクに乗って旅する姿を、一筋縄ではいかないエキセントリックな笑いと、ペーソス溢れる語り口で描いたロードムービー。昨年のフランス映画祭2011で観て、あまりの面白さに度肝を抜かれたが、いまだ日本公開の予定はなく、現時点でほとんど誰にも知られていない。先日DVDで観直したらやっぱり傑作だったので、遅ればせながらここに紹介しておきたい。『空飛ぶモンティ・パイソン』やシティボーイズLIVE、アルベール・デュポンテル作品のファンなら絶対にハマると思う。

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〈おはなし〉
 「マムート(マンモス)」のあだ名を持つ主人公セルジュ(ジェラール・ドパルデュー)は、勤め先の食肉工場で定年を迎え、記念品のパズルをもらって引退する。スーパーでレジ打ちのパートをしている妻カトリーヌ(ヨランド・モロー)を送り出し、慣れない家事に手を出してみるものの、あまりうまくいかない。ある日、彼は役所へ年金の申請に出かけるが、そこで「今まで働いてきた職場の就業記録がなければ、年金は払えない」と言われてしまう。各地で転職を繰り返してきたセルジュは、ガレージに眠っていたバイク「マムート」にまたがり、就業記録を集めるため昔の職場をめぐる旅に出る。

 ところが、セルジュの前には予想外の出来事ばかりが待ち受ける。雇用主の行方が分からなかったり、職場自体がなくなっていたり、記録など残っていないと言われたり。あげく、サービスエリアのカフェで出会ったギプス姿の美女(アナ・ムグラリス)に所持金と携帯電話を盗まれる始末。途方に暮れるセルジュだったが、それでも旅を続けるしかない。かつてバイク事故で死なせてしまった元恋人(イザベル・アジャーニ)の幽霊が、守護天使のように見守ってくれることだけが唯一の慰めだ。旅の途中、セルジュは伯父の家を訪ねるが、そこには自分が名付け親になった姪っ子ソランジェ(ミス・ミン)がいるだけだった。奇妙なアート作品を作りながらマイペースで暮らしている彼女との出会いは、セルジュの旅に思いがけない変化をもたらす……。

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 監督は『Avida』(2006)のブノワ・ドゥレピーヌ、ギュスタヴ・ケルヴェン。一瞬ギャスパー・ノエ系のアートフィルムかと見紛うような粒子の荒い映像で、どこか不穏な空気を漂わせながら始まるものの、ちょっぴり毒の効いたオフビートな笑いの連打で「あ、コメディなんだ」と気づかせる。わりと思いつき的な単発ギャグが多めだが、よけいな説明を排してシチュエーションと構図だけで笑いを誘うコメディ演出は実に上等。特に、家ですることがない主人公セルジュが通り過ぎる車の数をただ数えているシーン、田舎のレストランで出張中らしき男たちが同時に泣き出してしまうくだりなど、間の取り方といい構図といい、非常に秀逸である。主人公の前に血まみれの元カノの幽霊(イザベル・アジャーニ! 生々しい流血のデザインが絶品)がたびたび現れたりする型破りな演出も面白い。

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 また、現代社会が抱えるさまざまな問題、そして全ての人が抱える「老い」と「老後の生活」への不安をさりげなく切り取る鋭い視線も、本作をただ楽観的なだけのコメディに終わらせていない。格差社会の底辺に生きる低所得者層の生活、定年退職者を襲う虚無感、不安定な年金受給問題、役所が押しつける無理難題、寂れゆく地方社会の現実などなど……。そんな「時代の不穏な空気」が、ざらついた質感の映像で見事に視覚化されている。主人公が老人たちの乗る団体バスの列に呑みこまれそうになるシーンなど、老いていくことへの不安を端的に表した描写の数々もうまい。それでいて、語り口は実に軽やかで飄々としており、なんとも不思議な味わいを湛えた作品である。ガエタン・ルーセルによるウクレレを使った音楽の効果も大きい。

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 でっぷり肥えた巨体にグランジヘアーで登場するドパルデューは、まさにマムート(マンモス)そのもの。その見た目と食肉工場で働いているという設定から、思わず『レスラー』(2008)のミッキー・ロークを想起する人も多いだろう。大型哺乳類的な愛らしい佇まいと、最小限に抑えたコミカルさで最大限のおかしみを醸し出す芝居が素晴らしい。久しぶりに会った従兄と挨拶替わりの「クロスオナニー」をおっぱじめるという結構なヨゴレ役でありながら、ドパルデューは年齢を超えたイノセンスを持った人物として、セルジュ=マムートをユーモラスに魅力的に演じてみせる。彼ほどの大御所俳優がこんな奇抜な演出に溢れた作品に体を張って挑んでいるのも、ちょっと感動的だ。

 セルジュは柔和で寡黙な愛妻家だが、決して知性溢れる人物でも、誰にでも好かれる社交家でもない。道中、彼は行く先々でお前は昔からバカだアホだと言われ(最後に会ってからもう十何年も経ってるのに!)、実際マヌケな所行の数々を重ねるが、そんな彼にも今まで彼なりに生きてきた人生があるのだ。セルジュはさまざまな人々や思い出と再会し、自らの長い人生の軌跡をたどっていく。そして、自分と同じアウトサイダーの匂いを持った姪っ子と出会い、彼女への共感とともに、不器用でも真面目にやってきた自分の生き方を肯定する力を与えられる。この先も続いていく「未来」に、新たな光を見出すまでの男の旅路は、爽やかな余韻と希望を観る者にもたらしてくれる。

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 セルジュの妻カトリーヌを演じるヨランド・モローの貫禄溢れる存在感も、ドパルデューに引けをとらないインパクト。夫の携帯電話を盗んだ女詐欺師をとっちめようと、フロントグラス全壊の車で殴り込みに行くくだりは最高に笑わせてくれる。また、金属探知機を持ってビーチをうろつき、金目の物を拾い集めている男を演じるブノワ・ポールヴールドも、短い出番ながら相変わらず強烈な印象を残す。アナ・ムグラリスの特別出演も嬉しい。だが、助演陣でいちばん素晴らしいのは、ソランジェ役のミス・ミンだろう(劇中でも自らミス・ミンと名乗っている)。ひょっとして本物か? と思わせる目つきと佇まいの危なっかしさがたまらなくキュートな彼女は、女優業のほか、歌手やアニメーション作家としても活躍しているという。本作に続くドゥレピーヌ&ケルヴェン監督の次回作『Le Grand Soir』(2012)にも、ブノワ・ポールヴールドやヨランド・モロー、アルベール・デュポンテルらとともに出演するそうだ。

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 高齢化社会・年金問題・就職難などの諸問題を抱える日本にとっても、全く他人事ではない内容である。厳しい現実を見つめながら、希望の持ちようも提示してみせる、未公開なのが本当にもったいない秀作だ。

・DVD Fantasium
DVD『マムート』(米国盤・リージョン1・英語字幕版)

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