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Simply Dead

映画の感想文。

『The Dumb Waiter』(1979)

『The Dumb Waiter』(1979)

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 英・BFI発売の短編映画アンソロジーBlu-ray「Short Sharp Shocks Vol.2」収録の一編。そのタイトルから、ハロルド・ピンターの戯曲『ザ・ダム・ウェイター』の映像化と思わず混同しそうだが、こちらはロバート・ビアマン監督のオリジナルストーリーである。

 先にピンターの『ザ・ダム・ウェイター』の説明からしておこう(演劇ファンには説明するまでもない有名作品だと思うが、用語解説も兼ねて)。ダム・ウェイターとは、レストランやアパートなどにある小型昇降機/小型エレベーターのこと。料理を運んだり、ゴミを運搬したりする機械で、日本でも中華料理屋なんかでよく見かけると思う。それを英語では「物言わぬ給仕」=Dumb Waiterと呼ぶ。ピンターの戯曲は、地下室で何者かの指示を待ち続ける殺し屋2人組の物語。階上からダム・ウェイターで随時運ばれてくるメモに翻弄され、疑心暗鬼に陥っていく男たちの不条理でサスペンスフルな会話劇を通し、Dumb Waiter=「愚かな待ち人」としてしか生きられない人間がいかなる運命をたどるのかをシニカルに描く。ピンター版『ゴドーを待ちながら』のような二人芝居で、日本でも様々な俳優たちによって何度となく舞台で上演されている。1987年にはカナダで、ロバート・アルトマン監督、ジョン・トラヴォルタ&トム・コンティ主演という顔ぶれでテレビ映画化。同じピンター原作の中編『部屋』を足した長編『ベースメント』が、日本でもビデオ発売されたので観た方も多いだろう。

 で、ロバート・ビアマン監督の『The Dumb Waiter』は、それとはまったく無関係の短編スリラーである。たった17分という短い尺のなかに、サスペンス演出をめいっぱい盛り込んだ「演出スキル見本」のような作品だ。実際に本作がCIC配給で『ドラキュラ』(1979)の添え物として公開され、ハリウッド映画人の目に留まったことで、ビアマンのアメリカ進出が実現したという。

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 ある夜、ロンドンに暮らすサリー(『アンという名の少女』のジェラルディン・ジェームズ)が車で自宅へ帰る途中、謎の車に追跡される。どうやら運転手は、彼女に不気味な電話をかけてきた変質者らしい。雨に濡れた夜のロンドンの街並みを、陰影の濃いルックで捉えた映像は雰囲気たっぷり。疾走する2台の車をカットバックする、緊迫感に溢れたカーチェイス演出もなかなかに秀逸。特にヒロインが追いつかれる寸前、黒手袋をした男の執拗な追跡を「タッチの差」で振り切るシーンの組み立ては見事だ。監督曰く、カーチェイスの撮り方はひたすら『フレンチ・コネクション』(1971)を意識したとか。ちなみにライティング・キャメラマンとしてクレジットされているのは『10億ドルの頭脳』(1967)や『ガンジー』(1982)のベテラン撮影監督、ビリー・ウィリアムズなので、画のゴージャスさは文句なし。

 サリーは自宅に辿り着くが、それでも不安は消えない。案の定、黒手袋の男はいつの間にか彼女の住むアパートの門前に辿り着いていた。なんでもない室内ショットも移動とズーミングの組み合わせで巧みにスリルを煽り、細長い廊下にも不気味なムードをまとわせる撮り方は、むしろカーチェイスより卓抜している。よせばいいのに風呂に入ってしまったヒロインが、全裸という最も無防備な状態で、飛び出しナイフを手にした侵入者と対峙するシーンは、サスペンス映画の教科書のような演出ぶりだ。正体不明かつアクティブな変質者のキャラクターといい、いつしか犯人側の視点に立っているスリリングな侵入シーンといい、ボブ・クラークの『暗闇にベルが鳴る』(1974)を思い出さずにいられない。時代的には『ハロウィン』(1978)の影響もあるのかもしれないが、むしろブライアン・デ・パルマ監督が『ミッドナイト・クロス』(1981)冒頭でパロディ風に描いたストーキング・シーンの的確な先取りのようでもある。

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 ここで「致命的進入路」として活かされるのが、タイトルでもあるダム・ウェイター。まさかの場所から出てきた犯人に、驚愕の表情を浮かべるヒロイン……というサスペンスのピークで、バッサリ終わるバッドエンドが後を引く。このように、長編スリラーの一場面を凝縮して切り取ったような内容なので、気のきいたオチとか、ヒネリのきいた種明かしみたいなものはない。その手の短編ならではの味を求めるファンには物足りないかもしれないが、ハリウッドのプロデューサーに「こいつは即戦力になりそうだ」と思わせるには十分な出来栄えだ。

 ロバート・ビアマン監督と言えば、レスリー・アン・ウォーレン主演のテレビムービー『アポロジー/変質殺人者の告白』(1986)、そしてニコラス・ケイジ主演の怪作『バンパイア・キッス』(1989)を手がけた人物という以外、ほとんど情報がない。ブルーレイにはビアマン監督自身が本作のメイキングや自身のキャリアについて振り返るインタビューが収録されているので、いくつか彼の言葉をかいつまんで紹介したい。

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▲『バンパイア・キッス』撮影現場のロバート・ビアマン監督とマリア・コンチータ・アロンゾ

 70年代のイギリスでは、アラン・パーカーやトニー・スコットなど、優れた映像クリエイターたちはこぞってCM業界を主戦場としていた。若き日のロバート・ビアマンも映画制作を志望しつつ、CMディレクターとして活動し、広告プロデューサーのマギー・ランダルとともにプロダクション「ビアマン&ランダル」を設立。テスコやカールスバーグなどの数百本ものCMを手がけるが、あるとき「CMよりも長い作品を撮ってみたい」と提案し、ゼロから立ち上げたのが本作『The Dumb Waiter』だった。

 CM業界ではプロとして活動していたので、映像クオリティに関しては申し分ない。しかし、ビアマンは映画のシナリオの書き方も、観客をストーリーに没入させるためのテクニックも知らなかった(このへんは、映画製作のノウハウをきっちり身に着けてから短編『The Lake』を撮り上げたリンゼイ・C・ヴィッカーズ監督とは異なるところだ)。特に「ガールフレンドの車に同乗していたら、見知らぬ誰かに追いかけられてすごく怖かった」という自らの体験をもとにした渾身のカーチェイスが、編集してみたら何ひとつ感情に訴えかけてこなかったことに、ビアマンは愕然としたという。「僕は物語に必要なセットアップすら用意していなかった。それで冒頭に、殺人者が電話口で『お前が運転するとき、俺はぴったり背後にいる』とサリーに告げるボイスオーバーを加えたんだ。それだけで見違えるほど観客の感情移入が可能になった」。セットアップとは状況説明・人物紹介・舞台設定などを最小限の手数で示す、いわば“お膳立て”だ。本作の場合、それが後付けなうえ、反則ギリギリの手段だが、この不気味なオープニングが『暗闇にベルが鳴る』を彷彿させるサスペンスを生んでいる。

 短編『The Dumb Waiter』の製作を通して映画作法を学んだビアマンは、その後、米パラマウント社に招かれてロマン・ガリー原作の『ホワイト・ドッグ/魔犬』の映画化に取り掛かる。しかし、自ら「アメリカの人種差別問題に疎いイギリス人の自分には向いてなかった」と認めるとおり、いろいろ揉めた末に降板(のちに、サミュエル・フラー監督により完成・公開)。そして『ザ・フライ』の監督に抜擢されるも、娘が南アフリカ共和国で起きた事故で急逝し、その痛手から立ち直れずにこれも降板。「プロデューサーのメル・ブルックスは、3カ月待つから復帰できそうなら教えてほしいと言ってくれたが、数週間後に僕のほうから復帰は無理そうだと伝えた」という。紆余曲折の末、ビアマンはついに『バンパイア・キッス』でハリウッド・デビューを飾るが、公開当時から万人受けしないカルトムービーとみなされた。脚本のジョー・ミニオン、若き日のニコラス・ケイジ、そしてジャン・コクトーに多大な影響を受けたビアマンという3人が集えば「ああいう映画になるしかなかった」と監督自身も語っている。

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▲『バンパイア・キッス』撮影現場のロバート・ビアマン監督とニコラス・ケイジ

 90年代以降、ビアマンは故郷イギリスに戻り、ドラマシリーズのエピソード監督などを手がけている。日本では未公開の劇場長編『Keep the Aspidistra Flying』(1997)は、1920年代のイギリスを舞台に、広告代理店を辞めて詩人に転身した若者の前途多難な暮らしを描いた作品。原作が『1984』のジョージ・オーウェルで、主演が『広告業界で成功する方法』(1989)のリチャード・E・グラントというのもすごい。機会があればぜひ観てみたい一作だ。

・Amazon.co.uk
「Short Sharp Shocks Vol.2」英国盤Blu-ray(BFI)

1979年イギリス/カラー/ヴィスタ/17分/劇場未公開
監督・脚本:ロバート・ビアマン
製作:マギー・ランダル
ライティング・キャメラマン:ビリー・ウィリアムズ
キャメラ・オペレーター:ボブ・ボイル
編集:モーリス・ハンブリン
音楽:コリン・タウンズ
出演:ジェラルディン・ジェームズ、ジョン・ホワイト
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『The Lake』(1978)

『The Lake』(1978)

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 イギリスの映画興行では、ある時期まで「添え物」の中短編映画が同時上映されることが一般的だった……というのは『The Orchard End Murder』(1981)のレビューでも触れたが、この『The Lake』もまた「不気味なラストシーンが忘れられないトラウマ的作品」として、一部の観客の脳裏にこびりついている一編だという。

 監督・脚本は『アポイントメント 悪夢の約束』(1982)のリンゼイ・C・ヴィッカーズ。ハマーフィルム作品のアシスタント・プロデューサーやCM演出などを手がけていた彼が、長編映画デビューの足掛かりとして、ほぼ自主制作で撮り上げた約30分の短編である。撮影は製作費を抑えるためにロンドン近郊で行われ、編集も監督自らおこなった。低予算とはいえ、プロの現場経験者により商業映画として通用するクオリティで作られたので、すぐに買い手がついたという。本国では数年にわたって様々なジャンル映画の「添え物」に活用されたようで、『サイレント・パートナー』(1978)と同時上映だったとか、『ハウリング』(1981)と2本立てだったという証言もある。

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 映画は、森のなかにある廃墟と化した一軒家から始まる。厚い埃をかぶり、蜘蛛の巣が張り、家畜小屋は空っぽ。生活感が途絶えて久しい家の様子を転々と映し出していく映像は、どこか『悪魔のいけにえ』(1974)冒頭に出てくる廃屋のシーンを思わせる。背景音として、家のなかを駆けまわる子供たちの声や足音、練習曲を奏でるピアノの音色が遠い記憶のようにこだまし、音の設計にも細かい神経を使った作品であることがわかる。割れた額縁に収められた1枚の写真にカメラがズームすると、幸福そうな笑顔を浮かべた4人の家族が映っており、父親らしき初老の男性は右手の薬指が欠けている。

 そこに、1台の車がやってくる。乗っているのはバーバラ(ジュリー・ピースグッド)とトニー(ジーン・フォード)の若いカップル、そして1頭のロットワイラー。車から降りた2人は家の周りを歩きながら、かつてこの家で起きた事件について語り合う。3年前のある日、錯乱した父親が家族も家畜も皆殺しにしたうえ姿を消し、いまだに行方不明なのだという。「きっと犯人は自殺したと思うわ。そんな記憶を背負って生きていけないもの」とバーバラは言う。2階の窓から誰かが見ている気配がするが、彼らは気づかない。

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 2人は近くの湖に向かう。湖畔にシートを広げてピクニックを楽しむカップルの姿を、ヴィッカーズ監督はゆったりと時間をかけて丁寧に映し出す。『The Orchard End Murder』ほどの卑猥さではないが、しっかりとラブシーンを挟んでいるのも、テレビと映画の差別化を図るための商業的要請なのかもしれない。水辺で横になる男女、じっと佇む犬、静けさを湛えた湖面という構図が、まるで絵画のように美しい。

 やがて、コンドル(ロットワイラーの名前)が何者かの気配に気づいて吠え始める。劇中、素晴らしい演技を見せるこの名犬は、監督の次作『アポイントメント 悪夢の約束』にも重要な役(としか言いようがないくらい重要な役)で出演している。トニーは愛犬を追って森の中に消え、無邪気に棒を投げて遊び続ける。バーバラも後を追うが、やがて森のなかで迷子になってしまう。この不用意な孤立のプロセスを、ヴィッカーズ監督は巧みに、自然に描いてみせる。子どものように遊びに熱中してしまう男性、その一方で不安にさらされてしまう女性という、鋭い観察眼に基づく「カップルあるある」な構図と、超自然ホラーのムードが相まって、観る者の不安を煽る。

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 徐々に増していく不穏なムード醸成も、映画全体の語り口と同じように、やはり丹念かつ繊細だ。森の奥から忍び寄る一人称視点のカメラワークは、ホラーファンが観れば『死霊のはらわた』(1981)の先取りとしか思えない(サム・ライミが英国のホラー短編を観ているかどうかは疑問だが)。痙攣する小指、不自然に動く茂みなどのフィジカルな動作に、電子音のSEを重ねて違和感を募らせる演出もうまい。勝手に回転を始める時計の針、突如コントロールが利かなくなる自動車といった「テクノロジーの非力さ」を示唆するような描写は『アポイントメント 悪夢の約束』でも繰り返され、ヴィッカーズ監督の恐怖観が現れているといえる。湖の底から巨大な泡がぼこりと湧き出し、その波紋が岸辺にいるバーバラの足元に到達するというビジュアルによるムード醸成も秀逸だ。この自然物を用いた静かな恐怖演出は、どちらかというとオーストラリア映画によく見られる「地霊」的な感覚で、西欧圏ではちょっと珍しい気がする。

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 コンドルはトニーが投げた棒を取りに、湖のなかを元気よく泳いでいく。が、戻ってこない。気がつくと、その体は微動だにせず湖面に浮いている。トニーは愛犬を救うため、湖の真ん中に向かって泳ぎ出す。そのとき水中から、薬指の欠けた男の手が……という『脱出』(1972)のラストシーンさながらの不気味なビジュアルも忘れ難い。

 ただし本作の場合、ある殺人者の狂気や妄執を描いたゴースト・ストーリーとして解釈するより、もっと得体のしれない「何か」を恐怖の核としているような感覚がある。ある日突然、彼を狂わせ、その一部として取り込んでしまったもの。この森や湖に潜む、あるいは人類よりも遥かに昔からこの土地に棲む「姿なき邪悪なもの」の気配というべきか。

 具体的なゴア描写やモンスター描写抜きで、そういう自然への畏怖に基づくプリミティヴな霊的存在を描こうとする姿勢は、当時の欧米ではなかなか珍しかったのではないか。ヴィッカーズ監督は『アポイントメント 悪夢の約束』でも、謎の失踪事件が起きた「神隠しの森」に棲む邪悪な何ものかと、思春期の少女が抱く極端なエモーションが融合して起きる悲劇を描いている。それらは有り体の宗教観や、人間本位の自然観などには基づいていない。『The Lake』でも同じだ。ひとたび「それ」の標的となった者は、捕食者と獲物の関係のごとく、生き残る術はない。神のご加護など、ない。

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 1978年といえば、ジョン・カーペンター、デイヴィッド・クローネンバーグ、ダリオ・アルジェントらが台頭し、いまにもスプラッターホラーが大流行を迎えようとしている時期である。そんな時代において、ヴィッカーズ監督はやや異色の存在だったと言えよう。むしろ感覚的には『ピクニック at ハンギング・ロック』(1975)や『ザ・ラスト・ウェーブ』(1979)のピーター・ウィアーに近い。単なるバッドエンドにとどまらない、シンプルだが秀逸な演出が施された『The Lake』のラストシーンも、初期ウィアー作品に似たミステリアスな余韻を残す。多くの人にとって本作が「忘れられない記憶」となった由縁だろう。

 その後、リンゼイ・C・ヴィッカーズは念願の初長編『アポイントメント 悪夢の約束』を撮り上げ、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)のジョージ・ギブスが特殊効果スーパーバイザーをつとめたとんでもないクライマックスが観る者の度肝を抜いた。が、この作品を最後に、ヴィッカーズは残念ながら映画業界に見切りをつけてしまう。

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 2021年にBFIから発売された短編集Blu-ray「Short Sharp Shocks」で初ソフト化を果たした『The Lake』は、翌22年リリースの『アポイントメント 悪夢の約束』Blu-rayにも特典のひとつとして(ヴィッカーズ監督のオーディオコメンタリーつきで)収録された。後者のBlu-rayには、ヴィッカーズ本人が自らのキャリアを語る貴重なインタビューも収録されている。引退の理由については特にハッキリと説明はしていないが、「労多くして実りの少ない」映画稼業への疲れと、やっと長編デビューを飾っても仕事のオファーが次々に舞い込むわけでもなかった業界への絶望について、ちらほらと語っている。あるいは、その作風の渋さゆえに、狂騒の80年代ホラーブームから振り落とされたという残酷な見方もできるだろうか。

・Amazon.co.uk
「Short Sharp Shocks」英国盤Blu-ray(BFI)
『アポイントメント 悪夢の約束』英国盤Blu-ray(BFI)

1978年イギリス/カラー/ヴィスタ/33分/劇場未公開
監督・脚本・編集:リンゼイ・C・ヴィッカーズ
製作:クリストファー・B・ウォーバートン
撮影:ノーマン・ワーウィック
音楽:ディック・ウォルター
出演:ジュリー・ピースグッド、ジーン・フォード、コンドル

『Chan is Missing』(1982)

『Chan is Missing』(1982)
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 サミュエル・ホイが歌う「Rock Around The Clock」広東語カバーで、映画は幕を開ける。舞台はサンフランシスコの中華街。タクシードライバーとして起業したばかりのジョーと甥のスティーブは、営業許可証の取得を友人のチャン・フンに世話してもらおうと大金を預けた。ところがチャンは数日前に事故を起こし、それから行方不明に。ジョーとスティーブは方々を訪ね歩き、チャンの足取りを追うが、その行方は杳として知れない。やがて彼がなんらかの事件、あるいは政治的対立に巻き込まれたかもしれない疑惑が浮かび上がる……。

 香港出身の国際派監督ウェイン・ワンが、1982年に発表した単独長編デビュー作。彼が新進気鋭のインディペンデント作家として注目されるきっかけになった出世作だ。当時アメリカで映画制作を学んでいたアン・リー監督は「人生を決定的に変えた1本」として本作のタイトルを挙げている。

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 本作で描かれるのは、在米中国人/中華系アメリカ人の複雑なアイデンティティだ。主役であり、物語のナレーターもつとめるジョーは物心ついたときにアメリカへ渡ってきた移民第一世代(FOB=Fresh Off the Boat)。いっぽう、お調子者キャラの甥っ子スティーブは、アメリカ生まれの移民第二世代(ABC=American Born Chinese)。そんな世代間の違いにとどまらず、さらにまた多種多様なグラデーションがある。たとえば中華人民共和国を支持する者もいれば、反共主義の中華民国(台湾)シンパもいて、もちろんノンポリもいる。ジョーのように英語圏の文化に早く適応した者もいれば、いまだに英語が得意でない人々もいる(出自によって北京語、広東語など話し言葉も異なる)。

 スティーブに至っては黒人スラング満載の口調を操り、アジア系の女の子に「あんた、リチャード・プライヤーの真似でもしてるの?」などと言われる始末。『風が吹くとき』(1986)のジミー・T・ムラカミ監督も、日系人収容キャンプを戦後に出てヴェニス・ビーチの高校に通っていたころ、黒人やチカーノ(移民二世以降のメキシコ系)のグループと付き合ってばかりいたというから、それはそれでリアリティのある描写なのかもしれない。そんな年齢的にも性格的にも異なる凸凹探偵コンビのようなジョーとスティーブは、失踪したチャンの足取りを追って、移民社会の迷宮へと入り込んでいく。

 実在するコミュニティを背景に、即興を大いに取り入れた俳優たちの演技が映し出されるモノクロ映像には、ドキュメンタリーと見紛うようなリアリティと臨場感がある。『バワリー25時』(1956)のような、フィクションとドキュメンタリーの中間を観ているような感覚だ。低予算のモノクロ撮影も効果的で、時にはそれがノワールスリラー風のスタイリッシュな画面に転調したりする。ジョーが事件のなりゆきを訥々と語るナレーションも、ちょっぴり探偵映画の趣きだ(有名なミステリー小説の主人公、チャーリー・チャン警部の名前も劇中でたびたび引用される)。

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 チャンが残していったとされるコートには、新聞記事の切り抜きがあった。旧正月のパレードに「どの国の旗を振るか」で親中国派と親台湾派が衝突し、隣人同士で諍いを起こしていた老人の1人が何者かに射殺された、という事件である。ジョーはこの件にチャンが関わっており、実行役をつとめたあとで失踪したのではないかと推理する。さらに、謎の女性から「これ以上、チャンの周りを嗅ぎまわらないで」という電話までかかってきて、ジョーは(まるでチャンがそうだったように)自分の命が狙われているのではないかというパラノイアに陥る。なお、旧正月のパレードをめぐる中国派と台湾派の衝突は実際にあった出来事だそうだ。

 一方、スティーブにとってチャンは「他人の金を持ち逃げした単なる嘘つき野郎」であって、さっさと警察に届けを出そうとジョーに何度も進言する。が、ジョーは長年の経験から「警察は信用できない」と繰り返すばかり。終盤、2人が埠頭で会話する長回しシーンは、それぞれの育んできた価値観、人間観、米国社会との相対しかたの違いが浮き彫りになる。非常にドラマティックな名場面だ。

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 ジョーにとってチャンを探し出すことはもはやカネの問題ではない。が、証言を集めれば集めるほど、チャンの人物像には矛盾が生まれていく。アメリカでひとかどの人物になって中国に戻ることを熱望していたとも、あるいは香港に帰りたがっていたとも、いちばん好きな音楽はメキシコのマリアッチだったとも語られる。その本心は、結局誰も理解することはない。そしてチャンが持ち逃げしたと疑われていた大金も、思わぬところから戻ってくる……。

 物事も、人の心も、決して単純で明確な答えが得られるものではない。ウェイン・ワン監督のそうした人間観が、すでにこの出世作には色濃く投影されているかのようだ。中華系移民社会を舞台にしたドラマとしては『夜明けのスローボート』(1989)『ジョイ・ラック・クラブ』(1993)に繋がり、コミュニティドラマの名手としての手腕はのちの代表作『スモーク』(1995)に引き継がれる。安易な解決よりも余韻を重視するノワール・センスは『スラムダンス』(1987)、俳優たちのアドリブ演技を楽しんで見つめる演出は『ブルー・イン・ザ・フェイス』(1995)を想起させる。多くの面でウェイン・ワンの「原点」を感じさせる作品だ。

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 出演者の多くはサンフランシスコを活動拠点にするアジア系演劇人で、中華系のみならず日系・フィリピン系も混在している。ジョー役のウッド・モイは、1918年に中国広東省で生まれ、第二次大戦中は米陸軍信号隊に所属していたという文字どおりのベテラン俳優。映画出演作は多くないが『SF/ボディ・スナッチャー』(1978)『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』(1986)などに端役で出演している。スティーブ役のマーク・ハヤシは名前のとおり日系人で、そのコミカルな快演は本作の大きな魅力のひとつだ。ウッド・モイを始めとするキャストとは以前から演劇仲間として交遊があり、映画ではその後『ベスト・キッド2』(1986)で敵キャラのひとり・タロウ役を演じたりしている。また、ジョーの姪エイミー役で非常に達者な芝居を見せるローリーン・チュウは、ウェイン・ワン監督の次作『Dim Sum: A Little Bit of Heart』(1985)で主演に抜擢。アクの強い中華料理店のコック役でひときわ強烈な印象を残すのは、映画監督でもある台湾出身のピーター・ワン。『グレートウォール』(1986)で監督・主演をつとめ、『男たちの挽歌II』(1987)に神父役で出演したあと、ツイ・ハーク製作の『激光人/レーザーマン』(1988)を監督。主演をつとめたのは本作のスティーブことマーク・ハヤシだ。

 今年(2022年)3月、米クライテリオン社から本作のBlu-rayが発売された。その映像特典のなかで、ウェイン・ワンは「アメリカでも、香港でも、中国でも、どこへ行っても自分は“異邦人”だった」と語っている。70年代後半、海外留学を経て出身地である香港のテレビ局で働き始めたウェイン・ワンは、型破りな演出ばかり試したがったせいで職を失った。世代的にはアン・ホイやアレン・フォン、パトリック・タムのように香港ニューウェーブの一員として世に出てもおかしくなかったが、彼はその時代の波に乗りそびれ、再びアメリカに渡る。その“異邦人”としてのアイデンティティを、ウェイン・ワンは孤独や疎外感ではなく、自身の作家性に変えた。その世界と、そこに生きる人々の姿を客観的に見つめつつ、その内面深くのヒューマニティにも迫ろうとする……そんなワン監督のスタイルが、すでにデビュー作で明確に確立されていたことを、『Chan is Missing』は明らかにする。

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▲アドリブ満載のセリフで爆笑させてくれるピーター・ワン

・DVD Fantasium
Blu-ray『Chan is Missing』(Criterion)

1982年アメリカ/モノクロ/スタンダード/76分/劇場未公開
監督:ウェイン・ワン
脚本:テレル・セルツァー、ウェイン・ワン
脚本(ナレーション):アイザック・クローニン、ウェイン・ワン
撮影:マイケル・チン
録音:カーティス・チョイ
挿入歌:サミュエル・ホイ、パット・スズキ、ロス・ロボス・デル・エステ・デ・L.A.
出演:ウッド・モイ、マーク・ハヤシ、ローリーン・チュウ、ピーター・ワン、プレスコ・タビオス、フランキー・アラーコン、ジュディ・ニヘイ、エレン・ユン、エミリー・ヤマサキ、ジョージ・ウー
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